もどかしい気持ち

 ソフトクリームの形をした雲が真下に流れていく。あぁ……おいしそうだなぁ。今日は帰りにスーパーで買ってこよう。5個入り300円の箱入りのやつ。ハー〇ンダッツはもっての外。スー〇ーカップも私が求めるコスパにはまだ足りない。仕送りで生きる学生は贅沢を言ってはならない。いや、そういうわけではないんだけど、できるだけ節約して両親の負担は減らさないと。ソフトクリームじゃなくてアイスクリームなことは気にしない。


 さて、話は戻って、雲が真下に流れて見えるのは私が背泳ぎをしているからで。背泳ぎをしているのは私が水泳部で今が部活動の最中だから。昨日と同じ光景で、違うのは私のお腹の中。空腹具合じゃなくて、気持ちの部分。わかりやすくいうと、私はイライラしているのだ。その矛先は水泳部の部長、香原先輩に対して向いている。



「うーん、ごめん。私は力になれない」


 私たちだけでなんとかするなら、まずは協力者が多いほうがいい。そう考えていち早くプールにやってきて、藤堂さんが来る前に部長に相談したけれど、あっさりと断られてしまった。


「部員が関わっている問題ですよ?」

「今のところ解決できる可能性はないからね。下手に首を突っ込んで事態をややこしくするのは良くないし。ほら、もうすぐ夏休みになるし、時間が経てばみんな気にしなくなるよ。人のうわさも七十五日って言うしね」

「でも、もしこれ以上事態が悪化したら……」

「部活に悪影響が及ぶようだったら私は全力で抵抗するし、反発するよ。でも、今の時点でこの問題は華江ちゃん自身の問題。水泳部に来る前に起きたことだからね。よく知らない人たちが無理やり入ろうとするとかえって悪くしちゃうよ」


 失望した……なんて思うほど、過信していたわけじゃない。それでも私たちの力になってくれると思っていたのは事実だ。頼れそうな人たちが力になってくれそうな人たちが手を伸ばしてくれないことに対して憤りそうになるのを必死に堪える。責めるのは私じゃないし、責められるのも先輩じゃない。


「二人ともこんなところで何しているんですか?」


 話ているうちにお寝坊娘もとい久我崎さんがやってきていた。


「じゃ、そろそろ着替えようか」


 先輩の言葉で私もこれ以上話すのはあきらめることにした。



 というわけで、やり場のない気持ちを今日の帰りに何を買おうという考えに無理やり変換して泳ぐ。ちなみに、今日も変わらず全員参加。藤堂さんもいつも通りの様子に見えた。感情を顔に出す人じゃない(※不機嫌さは除く)から、本当はどう思っているかはわからないけど、わざわざ私がそれを掘り起こすのも……という状態なので、今はおとなしく部活に専念する。

 一時期はもう泳げない、もう泳がないなんて思っていたのに、こうやってまた泳いでいることが不思議に感じつつ、でも、当然のようにも思っている。背泳ぎは専門種目じゃなかったから、これからといったところだけど。

 こうやって空を見上げながら泳ぐのは悪くない。不安や迷いをあの青が吸い込んでくれる気がする。


「深月ちゃん。どんな感じ?」

「何が、ですか?」

「何って、そりゃ泳ぎに決まってるじゃない」


 プールサイドに立つ香原先輩は水着の上に体操着を羽織って麦わら帽子をかぶっている。先輩は部活なのに泳がないことが多い。本人は『みんなが何かあったときにすぐ動けるように』と言っているが、それが理由なのかは怪しい。でも、泳げることはたしかなので、案外それが本当の理由なのかもしれない。一度溺れた立場としては何も言えないので黙っておく。


「背泳ぎなら泳げます」

「今、泳いでいたもんね。じゃあ、選手として大会でも泳げそう?」

「泳げるけど、クイックターンはできないと思います」

「そっかぁ……。まぁ、それは仕方ないよね」


 基本的なことだけど、水泳にはタッチターンとクイックターンがある。タッチターンはその通りコースの壁を手で触って体制を入れ替えて折り返すこと。一方、クイックターンは水の中で前転することで体制を入れ替える。泳ぎかたの都合上、クイックターンができるのはクロールと背泳ぎのみだけど、スピードを意識するならクイックターンを普通は選ぶ。手でタッチして水の抵抗を受けながら体制を変えるのと、タッチターンより少ない動きと抵抗で体制を変えられるし、壁を蹴るときもタッチターンよりはるかに良い。

 クイックターンは壁1m未満手前で体を1回転。クロールはそのままだと体が仰向けになってしまうので体を捻りながら壁を蹴る。数mはドルフィンキックという体を上下にうねらて進む泳ぎ方で進んで、体が水面に浮上したらクロールの泳ぎ方に戻す。

 背泳ぎの場合は壁を蹴る前に体を反転させて1回転。仰向けのまま壁を蹴ってドルフィンキックを仰向けで行うバサロキック。顔が水面から出たら背泳ぎに戻る。

 早いタイムを出すにはこのクイックターンが背泳ぎでは必須だ。仰向けの状態で手をかきながらタッチするのは難しすぎるし、コースに手を打ち下ろしてしまったらケガをしてしまう。そうなると、壁に着く手前で手の動きを止めて進まないといけない。

 おまけに、タッチターンをして仰向けで折り返しをすると、水の抵抗がモロにかかってしまい、大減速でのスタートになり、かなりのタイムロスになってしまう。

 そして、学校のプールは短水路(25m)が基本なので、50mを泳ぐ場合は必ずターンが必要になる。そして、夏休みの六校戦に25mの種目はない。

 つまり、背泳ぎで大会に出て、それこそ一着でゴールするならクイックターンは必須になる。だけど……怖い。またあんなことなってしまったらどうしよう。みんなに心配をかけてしまうかもしれない。その不安に勝つことがどうしてもできなかった。


「なんとかしてあげたいんだけどねぇ……。たぶん私じゃ無理なことだから」


 そうだ。これは私の問題。こっちは先輩の力を借りることはできない。他人のことも自分のこともうまくいかない現状が歯がゆかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※背泳ぎでターンをする時の泳ぎを「ドルフィンキック」と書いていましたが、正しくは「バサロキック」だったので修正しました。

バサロキックは仰向けでするドルフィンキックのことで、この泳法を開発した水泳選手の名前がつけられています。

オリンピックの予選を見て、思い出しました。

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