できないこと、できること
気づけば、朝のホームルームがはじまる時間が近づいていて、私たちは慌てて教室に入った。教室ではクラスの子たちがあちこちで喋っていて、その話題の中にはやっぱり藤堂さんのことも含まれている。その話が聞こえてくるのが嫌な私は、チャイムが一刻も早く鳴るのを待ち望んでいた。
教室にやってきた磯部先生からは期末テストが近づいている話と今日も暑いから気を付けてという注意だけで、特に藤堂さんの話には触れなかった。たしかに、話題にして目立たせてしまうのもよくないけど、全く触れないことがどうも釈然としなかった。とはいえ、当事者ではない私がそれをここで話を蒸し返すのも良くない。今は焦る思いを押し込んでおこう。
休み時間になるとクラスの子たちが私の席にやってきた。同じ水泳部である私から、あれこれ聞いてみたいのだろう。私が水泳部に入っていることをみんなが知っているのはちょっと意外だったけど、最近復活したばかりの部活だし、部員も少ないから、もしかしたら目立っていたのかもしれない。
「水泳部の人がパパ活やっていたのってホント?」
パパ活って……。まぁ、意味合いは似てなくもないし、そっちの言葉のほうが知られているのかな。どっちにしろ間違ってることには変わりない。
本当は無視したい。でも、私のせいで部活や藤堂さんの心象を悪くするわけにもいかない。それに興味や関心を持たれないのは一向に構わないが、嫌悪感を持たれるのはよくない。今はもう目指すことのない目標にはなるけど、クラスでぼっちを目指すなら、空気でいないと。
「私はやってないと思うけど。そんなことする人には見えないから」
「でも、その人、この前までそれで停学になったって聞いたよ」
「らしいね。でも、その理由までは知らない」
「理由は絶対にパパ活やったことでしょ。この学校そういうのにすごく厳しいって先輩言ってたから」
「そういうのって?」
「セックス絡みの話。パパ活とか、ええと……援助交際みたいな知らない人とっていう話もそうだけど、生徒同士の恋愛が話題になったり、校内でイチャつくだけでかなり怒られるんだって」
「生徒同士の恋愛でもダメって、厳しすぎない?」
「この学校、100年くらい続いているから、伝統でも重視してるんでしょ。いまだに関わろうとする年寄のOBやOGもたくさんいるらしいし、外面を気にしてるんだと思うよ。先輩がこの前愚痴ってた。ちょいちょい口出してきてウザいって」
「そうなんだ……」
「そういう意味じゃ水泳部はいいよねー。長い間休部だったから口出してくる人少ないし、先輩も少ないから上下関係も厳しくなさそうで」
「そう……かもね」
嫌味で言ってるわけではなさそうに見えた。たぶん、本当にうらやましそうに思ってるんだ。ほかの部活も大変だなぁ……。
「あっ、次は教室移動だった!そろそろ行かないと」
気が付けば、教室はだいぶ人が少なくなっていた。その子も急いで自分の机から教科書やノートを取り出して、扉の近くで待っていたほかのクラスの子と一緒に出て行った。押切さんも席にはいなかった。すでに移動したみたい。
一方的にあれこれ話されて……いや、私が受け答えするのが面倒だっただけですが……、とにかくちょっと疲れた。数分でもいいから机に突っ伏したいところだけど、教室はそろそろ空っぽになりそうだったので、机の中からあれこれ引きだして私も教室を後にした。
出たところで、そういえば、と思いついた。久我崎さんのクラスを覗いてみよう、と。
3組の私は普段から久我崎さんたちの6組の教室がある方向にはほとんど行っていない。それはこの学校の形が理由にある。
校舎は北から南に伸びて漢字の『日』の形になっている。各学年8クラス制で、『日』の左側の線の部分に1組からずらりと教室が並んでいて、科学室や生物室などの特別教室は反対側の校舎に揃っている。そして、4組と5組の間に反対側の校舎とつながる渡り廊下や階段があって、向こうの校舎や別の階に移動するときはここを使う。だから、6組の前を通ることはほとんどない。ちなみに、プールがある別棟は特別教室のある校舎の南側、『日』の右下あたりから伸びる通路にある。私は人が少ない反対側の校舎を通るルートを選んでいるので、やっぱり通らない。そういえば、入部してからは一度も通ってない気がする。
朝のこともあって、藤堂さんのことも気になっていた私は、珍しく教室の中の様子を意識しながら、廊下を進んでいった。
6組の前まで近づき歩く速度を落とす。二人に気づかれないよう通り過ぎるようにして中を見渡す。ほかのクラスと同じようにグループで話している生徒が多い。
さて、二人は……いた。
二人とも誰とも話すことなく席に座っていた。藤堂さんは明らかに不機嫌な顔で威圧感たっぷりで腕を組んでいて、一方の久我崎さんは何もかもがつまらなさそうな顔で頬杖をついてぼーっと前を向いていた。どちらも別のベクトルで『話しかけるな・近づくな』オーラを放っているようで周囲にほかの人はいない。藤堂さんはそうなって当然だとして、久我崎さんの寄せ付けなさ加減も相当だ。それでもあの部分だけ切り取ってドラマのワンシーンにできてしまいそうなくらい華があるように見えてしまうのは、私の評価が高すぎるのか、それとも久我崎さんの顔面レベルが高すぎるのか。
クラスの人たちのひそひそ声が聞こえてしまって、その中身が私の予想していたのとピッタリだったので、私は一段と嫌な気持ちを増したまま次の授業へと臨むことになった。
昼休み。
昼食を済ませた私と押切さんは職員室を訪れた。理由はもちろん朝の一件。
担任で顧問の磯部先生のはまだ食事中だったけど、私たちの顔を見るなり、食べかけの弁当箱に蓋をした。優しい表情に変わってこっちを見返したのが「おいで」という意味と受け取って、私たちは申し訳ない気持ちで先生のほうへと向かう。
「磯部先生。藤堂さんのこと……」
「もちろん先生たちも知ってる」
「先生っ……私と、朱鷺乃さんは……!」
押切さんが我慢しきれない様子で言葉を紡ぐ。
「ええ。私も彼女がそういうことをしていたとは思ってないわ」
「じゃあ、学校側で藤堂さんをなんとかしてあげることは……」
「これ以上、話を広めないようにすること、彼女を傷つけないよう注意することはできるわ。でも、私たちにできるのはそこまでなの」
先生からの言葉は私たちが期待していたものとは違っていた。先生はボリュームを下げて、私たちにだけ聞こえるように話を続ける。
「藤堂さんが男の人とホテルに行っていた件は、学校が彼女に停学という処分を下してしまっているの。学校も藤堂さんもあれが事実だと認めて、全校生徒とまではいかなくても多くの人たちにも知れ渡ってる。一度決まってしまったことを覆すことは簡単じゃないわ。もちろん、あの人物が藤堂さんじゃないのであれば、このことはちゃんと調べなおす必要がある。でも、そうだったとしたら今朝のことは大問題。やった人は名誉棄損にあたるわ。だからこそ、学校側は簡単にはできないの」
「学校内の問題じゃ済まなくなるから?」
「そうよ。朱鷺乃さん。学校側が乗り出せば、それはもう引っ込みがつかなくなる。そして、結果によっては藤堂さんがもっと傷つくかもしれない。それにほかの子たちも巻き込んでしまうかもしれないの」
「先生……」
「ごめんなさい。一人の子どもを守る大人として最低なことを言っているのはわかってるわ。でも、生徒全員と学校を守る大人としてはこう言うことしか、今の私にはできないの。でも、藤堂さんとあなたたちのこれからは守ってみせるから」
必死に言葉を選んで話している先生が何かを堪えているように見えてしまったから、私たちはそれ以上何も言うことができなかった。
私たちは返す言葉もなく、その場を去ろうとした。それに気づいた先生が「待って」と声をかける。
「私の言ったことの意味、二人ならわかってくれる?」
私たちに尋ねるように言った先生の視線は私たちの目をしっかりと力強く見据えていた。
先生が言ったこと……。藤堂さんが認めて済んでしまった話だから先生たちは簡単に手が出せなくて。でも、これからはちゃんと私たちを守ってくれるってことで……。あぁ、そうか……!
「先生、わかりました」
「そう……!ありがとう。それと、本当にごめんなさい」
先生が頭を深く下げる。まだ、状況を飲み込めていない押切さんが突然の先生の行動に隣で慌てふためいている。私は押切さんの肩を軽く叩いて「行こう」と促す。
「あの……朱鷺乃さん。さっきのはいったい……?」
職員室から出たところで、押切さんが不安そうにたずねてきた。
「先生や学校は出れないなら、私たちですればいいんだよ。犯人探し。ちゃんと、私たちが何をしても『守ってくれる』ってお墨付きももらえたから」
「そっか……。私たちがやらないと……だよね」
私が考えていることは身勝手なのかもしれない。余計な事かもしれない。だけど、
「友達が傷つけられているのを黙って見過ごせるわけないよ」
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