なにかが変わりはじめるような

 翌週。

 部活での籐堂さんはいつもと変わらず、そして、やっぱりあの日のことは語らずといった様子だった。

 教室で押切さんにも停学騒動について聞いてみたところ話は以前から知っていた。だから、会った頃は本当に怖かったみたいだけど、だんだんと『そういうことをする人には見えない』という考えになったみたい。

 あの時も二人の間に何があったかはだいたいわかっていて、本当はちゃんと反論したかったけど、それでかえって迷惑をかけてしまうかもしれないと思い、押切さんもその話題に切り込むことは出来なかったという。

 自分にとってマイナスな話題をされて喜ぶ人なんて当然いない。黙っていてほしい、そっとしていてほしい。私だってそう思う。ちゃんと助けてくれる人もいる。だけど、面白半分で正義感に浸りながら他人の心に土足で入り込むもたくさんいる。

 そう考えると自分の考えていることが良いことなのか、正しいことなのかわからなくなる。不安になってしまう。

 少しずつ、また覚えはじめだした背泳ぎで眺める空は今日もどうしようもないくらいに青かった。どんな色も吸い込んで染めてしまいそうな色をしているのに、私の中の不安と違和感は残ったままだ。


 そういえば、という話にはなるのだけれど、籐堂さんも泳ぎが結構上手だった。違うスポーツとはいえ、しっかり運動を積み重ねてきた結果なんだと思う。細すぎず太すぎない長い腕が水飛沫を纏いながら、綺麗なカーブを描く。迷いも曇りもなく、前へ前へと進んでいくその手は力強く見えた。



 部活も終わり、私たち一年生4人はいつも通りプール棟から本校舎へと向かっていた。特別誰かが何か会話するわけじゃない。静かな通路に4人の足音だけが響く。周りとは確かに道で繋がっているけど、私たちだけしかいないような気にさせるこの音と時間が私は好きだ。

 昔からこういう感じは好きだった。ただ、あの頃と違って一人じゃないと嫌ってわけではなくなっていた。

 そんな時間・空間だから、不純物が混ざると不思議なくらいよくわかる。

 

 本校舎側の上り階段の踊り場に影が見えた。コソコソと何かを話す声も聞こえる。私たちはそれを見なかったことにして、階段を下りていく。なんだか急に居心地の悪い気分になった。背中に見えない視線が突き刺さるような感じ。むず痒い。


「はぁ……気分悪くなりますね」


 久我崎さんが低いトーンでつぶやいた。その目は籐堂さんに負けないくらい、冷たく尖っていた。



―――――



 その翌日、変化は急に訪れた。

 私たちの練習中に突然、生徒会の人がやってきたのだ。副会長とそのお付きみたいな子はプールサイドと私たちをぐるっと見回して、香原先輩のことを呼んだ。

 副会長は籐堂先輩と選挙で戦っていた人だった。たしか会長以外のメンバーは当選後に生徒会長が指名して決めるということになっていたけど、まさかこの人になってるなんて……。


「生徒会副会長がいきなりどうしたの?水泳部再開の届けとか、部費の申請書とか必要なものはちゃんと出したけど、不備でもあった?」


 腕の水滴をふき取りながら、香原先輩が笑顔で話しかける。一方、副会長は真剣な表情を崩さない。


「ちゃんと活動しているのか、見に来たの」

「査察ってやつ?ご覧のとおり、夏の大会に向けて練習中だよ。人数は少ないけど、しっかりやらせてもらってます」

「問題を起こした子もいるけど、そこは大丈夫なの?」

「一度、問題を起こしたからって次もまた起こすなんて考えていたら、世の中の犯罪者はみんな死刑になっちゃうよ」

「話が飛躍しすぎ。そんな極論は言ってないわ。でも、何もないとは限らない。それに、私はあなたのことだって信用してないから」

「そうなるよねー。でも、信用しないのは私だけにしてほしい。あのこと以外は誰も何も青葉にウソはついてないよ」


 副会長は顔を少し歪ませる。それは焦ったような怒ったような表情だった。


「とにかく、このまま部活動はしばらく見させてもらうから」

「別にいいけどさ。他の部活から何か言われたの?『水泳部は怪しい』って」

「部活動に緩和的な態度の人が生徒会長になったタイミングで、ずっと休部だった部活がいきなり復活したら、気になる人だってでてくるでしょう。それに、水泳部なんだから」

「ははっ。そりゃそうだよねー。まぁ、好きなだけ見ていってくださいな」


 そう言うと、先輩は『はーい。練習再開ー』と立ち止まっている私たちに練習を促した。


「すごくやりづらいんですけど……」

「同感だよ」


 とはいえ、練習をしないわけにもいかないので、先に泳ぎ始めた籐堂さんたちに倣って、私と久我崎さんも練習に戻ることにした。


 嫌な空気が少しずつ近づいてくる。そんな時は水の中に潜って逃げたいけれど、そうする勇気が私にはまだ無かった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る