厄介姉妹と退部の危機

始動

 暦の上では7月に入り、初めての大会(観戦)が終わってから少し経ったある日。

 学校の玄関近くの廊下に1枚の紙が張り出されていた。


「おはようございます。朱鷺乃さん」

「おはよ、久我崎さん」

「籐堂先輩が生徒会長になったんですね」

「みたいだね」


 生徒会選挙の結果は籐堂先輩が大差をつけての勝利。これで香原先輩の言うとおり、水泳部はしれっと復活して、うまいこと活動費をもらえる流れに安心して持っていけることになりそうだ。本当にそうなるのか、そもそもそこまでする必要があったのかは浅学な私にはイマイチわからないけど、まぁ難しそうなことは部長に任せよう。部員は部員らしく、練習に専念しないと。


「さて、これで私たちも心置きなく夏に向けて練習に打ち込めるわけですね」

「まずはお互いちゃんと泳げるようになるところからだけど」

「そこは優秀なコーチがいるので心配ありませんよ」

「ずいぶん期待されてるなぁ」

「ビシバシ気合いれて指導されるのでよろしくお願いしますね」

「される方が気合十分って変なの」

「朱鷺乃さんは人にお尻を叩かれないと走らない性格と分析できましたので」

「まぁ、それは、なんというか……」


 なまじ当たっているだけに反論できなかった。

 

 都大会が終わってから、久我崎さんは以前に増して妙に気合が入ってる。練習中の目がキラキラしている気がするし、無駄にやる気がある。下校時刻ギリギリまで練習して、先生に下校を強めに促されながら帰るようになった。この前なんか朝早く学校に来て、近くの河川敷でランニングをしていた。疲労で1、2時間目の授業を居眠りしてしまうという結果になってしまったそうなので2日目にしてそれは断念する運びになったけど。他の選手が頑張る姿を見て触発されたのは間違いない。とはいえ、そういう私もあれこれあったのでやる気はある……と思う。よし、やるぞ!って感じで気合が入っているかどうかはわからないけど、なんとなく胸のあたりがざわつくような、熱いような。


「胸なんて押さえてどうしたんですか?そんなに薄いことを気にしなくても私から見ても顔はそれなりに可愛いですから大丈夫ですよ」

「朝から全力で容姿のマウントとってくるね」

「今度いろいろ教えてあげます」

「いえ、結構です」


 あっ、残念そうな顔になった。『せっかく私が教えてあげようとしてるのに断るなんてもったない』って言いたそうな顔に。そういうのはもう少し私が色気づいたらでいい。いつやってくるかは未定。

 それにしても、やる気だけじゃなくて久我崎さんの私に対する弄りも少し上方修正されている。そっちは熱量増やさなくていいから。



―――――



「ども」

「こんにちは。朱鷺乃パイセン」


 今日もつつがなく学校生活を送り、放課後を迎える。

 私は水泳部に向かう前に、図書準備室に足を運んだ。

 部屋に入ると学ラン姿の生徒が一人、大きめの水筒からコップに麦茶を注いでいる。大塚空そら。私より先にここを部室にする民族学研究会にいる私と同じ一年生。私の呼び方が変なのは空が変なやつだから。一応、理由はちゃんと聞いたけど、アホらしい理由だったので忘れた。忘れることにした。


「先輩は……いないよね」

「今日から生徒会業務の引継ぎがあるので、しばらくは顔出せないそうです。落ち着いたらちょくちょく同好会に戻るようにするって言ってました」

「生徒会って仕事尽くしで忙しいわけじゃないんだ」

「生徒会は人員を多めにして学業や部活動に支障がないような体勢にしているそうですよ。最近は学校もブラックな部分には敏感になってきてますから」

「それにしても先輩が本当に生徒会長やるなんてちょっにとビックリ」

「先輩、ぼやいてました。『私よりも向いてる人は他にいる』って」


 華はあるし冷静で真面目そうな性格だから先輩も向いているといえば、向いていると思う。でも、先輩がリーダーやトップにふさわしい存在かというと、ちょっと違う気がする。先輩は、誰かと戦うことはしたくない。大人しく静かに学校生活を送りたい。そんなことを思っているんじゃないかな。だから、先輩は民俗学研究会という自分のためだけの小さな居場所をここに作った。

 たぶん、生徒会長は他の人に勧められて……といったところだと思う。かなりの得票数だったから、先輩を推薦する人がいたって何も変じゃない。


「ところで、やっぱり寂しい?」

「愚問ですね。死にそうなくらい寂しいに決まってるじゃないですか」

「それにしてはあまり元気がないようには見えない」

「この3ヶ月で部屋に染みこんだ先輩の香りを吸い込みながら生き長らえているんです」

「うわ……気持ち悪い」

「きっとパイセンにもいつかわかる日が来ますよ」

「来てたまるか」


 この変人に好かれる先輩が少し気の毒に思えてくるけど、今のところ実害は無いし、先輩も迷惑そうな素振りは全く見せてないので私も気にしないことにしている。


「私もたまには顔出すからさ」

「部屋が塩素臭くなるから稀にで十分です」

「冷たいなぁ」

「むしろこれは優しさです。愛情ですよ。愛情」

「愛情ねぇ……」


 誰かを思う、誰かに思われる、その行為は力にもなり、枷にもなる。私はそれを知らなかった……というか、意識してなかったから今まで好きなようにやってこれた。

 そして、あの日知ってしまったから、私の中で何かが変わってしまったんだ。

 お父さん、お母さん、周りの知っている人たち、全然知らない人たち、いろんな人が私をどう思っているのか、私はそれにどう応えればいいのか。まだ、わからない。


「ほら、そろそろ行かないと大事な練習時間がなくなっちゃいますよ」

「ハイハイ。もう行くから」


 去り行く私を見送る空の表情がやっぱり気になった。

 だから、さっき言われたことは適度に破ることにしよう。

 


―――――



「はい。みんなちょっと聞いてー。これからの水泳部の目標について話すね」


 今日の部活も終盤に差し掛かった頃、自分に注目させるように香原先輩が手を叩く。私たちは手を止めて先輩のほうへ移動した。


「8月に大会があります!」

「あの会場で泳ぐ大会があるんですか?」

「そっちは秋の大会までお預けになっちゃうんだよね」

「そうなんですか……」

「あんたの場合はまずまともに泳げるようになるのが先でしょ」

「ぐぬぬ……」


 残念そうにしている久我崎さんに籐堂さんが追い討ちをかけると、今度は牙を剥きだして反抗する子犬みたいな表情に変わる。この二人、仲悪いなぁ……。部活中も全然会話しないし、口を開けば煽り合う。絵に描いたような犬猿の仲。

 ちなみに、久我崎さんの現在の状況はというと、バタ足は良くなってきたけど、それに腕の動きがついてクロールになるとぎこちなさが目立つようになる。彼女が目指す『人前で泳いでも恥ずかしくない姿』にはもう少し時間がかかりそう。


「はいはい、二人とも元気だねー。で、大会は公式大会じゃなくてこの辺りにある高校で集まって開催する学校対抗戦。ウチを入れて全部で6校。会場は各校が毎年交代制でしていて、たしか今年は新城高校が会場だったかな。ウチの高校も休部する前は参加校に入っていたから、ちゃんと話つければ大丈夫な……はず。そこらへんは私と先生でやっておくから、みんなは練習に専念してて」


 大きな会場を使って行われる公式戦や公認大会といわれる大会はあるにはあるけれど、高校として大会できるものが少なかったり、参加するための標準記録を突破する必要があったりするものが多くて、気軽に登録だけして参加できるものは結構少なかったりする。だから、最初のハードルとしてはちょうど良さそうだ。


「それともう一つ、みんな今度の休みは空けといてね」

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