そして、光は月を照らす
現実は上手くいかないというのは誰しもが感じることですが、私の場合はそれが波を打つようにやってくる傾向にあるようです。上手くいった後は大抵ダメで、次はまた上手くいって……という風に。
中学3年、進学する高校を決める時期に入った私は、祖父と両親の母校である須江川高校を勧められました。校風も良く、偏差値も高い高校で、3人とも通っていたから学校に対する信頼も厚い。小学校はいじめられ、中学校でも友達はロクにいなくて、部活も全然続かなかった私を家族が『高校こそは楽しく過ごしてほしい』と心配するのは普通のことです。
私としては、せっちゃんが通う中高一貫の海栄高校に入ってみようかとも考えていました。でも、高校は外部から募集する人数が少ないため倍率がそこそこ高いこと、ここまで人付き合いで家族に良い印象を与えられなかった私が中学からの進学組と外部からの入学組という明らかに難しさを強いられるであろう人間関係を上手くこなせるとは思えないこと、この2点(特に後者)を家族に対して説得できる要素がないので、私は家族の勧めをすんなりと受けることにしました。
それにこれまでいろんな負担をかけてしまい、時には優しさを蔑ろにしてしまった私がまた駄々をこねることがどうしても許せなかったのです。
なにより、いまだカナヅチな私を見せられなかったですし。
それに、別の学校の選手として大会で再会するというのもドラマチックじゃないですか。ふふふ……。
などと密かな望みを抱いて、須江川高校の受験に向けて励み、無事に合格出来たのですが……。
まさか、水泳部が休部中だなんて。
夏に学校のパンフレットを見た時は凹みました。だけど、当然それを志望校を変える理由にすることなんて出来ませんでした。
そして、4月。
話しかけてくるクラスの子たちとはやっぱり馴染めませんでした。
「この子は私の外見が良いから話しかけてきたんだ」という風に感じてしまうようになってしまったから。相手の中身なんて知らないのだから、まず外見で判断するのは当然なのに。そもそも、本当にそれで判断しているのかもわからないのに、勝手にそう捉えて距離を置こうとしている自分が逆に醜く思えて、嫌になってしまう。
ちなみに、自分が外見に自信を持ちすぎているナルシストみたいなやつだというのはちゃんと自覚していますので。
加えて、部活のほうもどこにも入る気が起きませんでした。でも、この高校はどこかの部活に入部しないといけません。はてさて、どうしたものでしょうか。
こうなったらいっそのこと自分で作ってしまおうか、なんて無茶な考えが頭を過ぎった私の両足は不思議とプール棟へ向いていました。
窓のない短い通路を通った先にポツンとある扉が外の景色を映して水色にきらめいて。銀色のドアノブに吸い込まれるように手が伸びて、カチャリとひねる。引っ張るとその隙間から光が漏れて……
ん?漏れて……?
「開いて……る?」
さすがに開いているとは思っていませんでした。でも、そのまま扉を開いてプールサイドを覗くことにしました。そこには床に体育座りしている女の子がひとり。
「あのー、何してるんですか?」
「眺めてるんだよ」
「それは見ればわかりますけど……」
なんだか嫌な臭いが漂ってきそうな濁った汚い緑色のプールと、正反対な清々しい表情の女の子。女子は制服のリボンの色が学年ごとに決まっているので、赤色のリボンをしているあの人は2年生ということになります。ちなみに1年生は紺色です。
「ふむ。一年生の子ってことは、もしかして入部希望者?」
「水泳部、あるんですか?でも、学校のパンフレットには……」
「ないよー」
「えっ?じゃあ、なんで……」
「下見だよ。これからつくるから」
「…………ふふっ」
「あれ?私、面白いこと言ったかな?」
「すみません。こっちのことなんで気にしないでください」
だって、あまりにもよく出来た偶然だったから。
「そう。さっきの質問の答えなんですが、私、入部希望者です」
面白そうだと思ってしまったじゃないですか。
それから、部長(予定)の香原先輩からいろいろと話を聞きました。
本格的に活動をはじめるのは6月からになるということ。
最初の部員になる生徒と顧問の先生の目星はついていること。
ただ、そのうち一人は雲行きが怪しそうなこと。
私は先輩からその子を入部する方向に誘導してほしいと頼まれました。先輩から教えてもらったのは、先輩の昔の知り合いだというその子のだいたいの性格と、泳ぎがとにかく速いということ。
6月。先輩がその子を勧誘した日、私は先輩からある連絡を受けました。「今日、プールサイドにその子がやってくるからいろいろ聞き出して彼女が水泳部に入りたくなるように仕向けて」と。顧問(予定)の先生まで使って彼女をここに来るように誘導しているとのことでした。
本当に来るかどうかわからない子を待って、しかも、その勧誘手段が全部こっち任せという所業。どうやら、先輩はかなりの悪人のようでした。
そんな人の無茶振りに応えようとしている私は一体どうしてしまったんでしょうか。
「きっと、私は弱いんでしょうね」
私はまだ弱いから、何かをはじめるきっかけが一人ではつくれない。
私より強くて確固たる何かを持つ人が輝いて見えて、つい追いかけてみたくなるんです。自分も何か出来るような、変われるような気にさせられてしまうから。
はじめてそうさせてくれたあの子に、昔も今も未来もずっと惹かれ続けてしまうように。
開けっ放しの扉の外から足音が聞こえてきました。
いやいや。本当に来るなんて、出来た偶然すぎます。
でも、偶然でもなんでもいい。もう、そんな気がしてきました。
汚い水面を覗き込むと枯葉とゴミと虫の死骸。これからここに飛び込んで、しかも、溺れるのだと考えるとこんなに温かいのになんだか鳥肌が立ってきました。
あれからまともに泳ぎの練習なんてしてないので、まぁ、きっと溺れるでしょう。せめて、水は飲まないように気をつけないと……。
これから私がやることはとんでもなく馬鹿げています。さすがに先輩に話したら反対されると思うので、私がどういう手段でその子にアプローチするかは伝えていません。ただ、この方法なら相手が余程薄情な人じゃない限り、私を心配してくれて、私が泳げないことを理解してくれて、どちらかの家に行って二人きりで話すという流れに持ち込めます。ほら、川原ではしゃぎ合って仲良くなるアレです、アレ。
まぁ、本当に馬鹿げてますよね。あったこともない知らない子と人使いの荒い先輩のためにこんなことをするなんて。
でも、それで何かが起こるのなら、理想形に近づけるのなら私は試してみたい。
足音が近づいて、止まる。
私の姿がその子の視線に入る。
「うわぁ……汚いですね」
独り言をつぶやくように、これから私が彼女に対してすることを自分で皮肉ってみました。
「あ……」
彼女の発声に私は振り向きました。さて、先輩が部活に入ってほしいと思っている全国レベルのすごい子はどんな子なのでしょうか。
あ……
だから、偶然にしては出来すぎだと何度言わせるんでしょうか。
私が観に行ったあの大会で、せっちゃんがずっと見ていた女の子。
その子が今、私の目の前にいます。
……さて、はじめましょうか。私のためのたたかいを。
―――――
「はぁ……」
人の数もだいぶ少なくなった会場前のバス停で、私は10分後に来る次のバスを待っていました。
久し振りにせっちゃんの姿を見たら、あれこれいろいろと思い出してしまいました。あの頃の私が恥ずかしくて、そして、今の私が恥ずかしくて、ため息が漏れるばかり。
会いたい気持ちが強くなって、せめてちゃんと顔が見たくて、みんなにウソをついて会場に戻って更衣室近くの階段でせっちゃんがやってくるのを待っていたのに、まさか私のことなんて気づきもせず、後ろにいる朱鷺乃さんに反応するなんて。
まさか、朱鷺乃さんがあの場にいるなんて想像できませんよ……。
あの瞬間、胸の中にいろんな気持ちが湧き上がってきて、全力であの場から逃げてきてしまったわけですが……何を話していたんでしょうか。
というより、せっちゃんは本当に私に気づいていなかったんですか!?
たしかに痩せて雰囲気変わったとは思いますし、4年ぶりですから万が一ということはあるかもしれないですけど、本当に気づかれないなんて……。
まぁ、それだけ自分が変われたということでもあるので、悲しさ半分、嬉しさ半分……いえ、やっぱり嬉しさは良くて3割くらいですね。
「はぁ…………」
これで、2度目といったところでしょうか。
湧き上がったいろんな気持ちの中で、ひとつだけ確かに名前がわかるものがありました。
嫉妬。
自分でも笑ってしまうくらいわかりやすいこの負の感情。
でも、それは嫌でも不快でもなくて、自分に火を灯してくれる。私を前に進ませてくれる。
だから、私はちゃんと向き合おう。
あの日、高校のプールで朱鷺乃さんとあった時に私は決めました。絶対に彼女を水泳部に入れて、一緒に大会に出ると。
そして、彼女と一緒にせっちゃんの隣に立つんです。
彼女が私の恋敵なのか知るために。
明日からまた頑張りましょうね、朱鷺乃さん。
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