眩い光は夜を求める ②

 あの日を境に一度も学校に行かないまま、私は小学校を卒業しました。

 両親の勧めで地元から少し離れた町の中学校に進学することになりましたが、入学式に出たっきり、また家の中へと引きこもりました。一度染み付いてしまったものはそう簡単に拭えるものではありません。私は全てに対する気力が無くなっていました。私は家族の優しい助けを拒んで殻の中に籠もったまま。



 6月。

 おばあちゃんが亡くなってから2年が経った日。

 三回忌が行われ、我が家には親戚の人たちが集まっていました。

 この日ばかりは私も引きこもるわけには行かず、お母さんの手伝いをしながら家中のあちこちを歩き回っていました。折り目も汚れも全くない、まだ私じゃない匂いが残ったままな中学校の制服を見て、褒めてくれるおじさんやおばさんたちの優しい言葉が胸に刺さりました。


 ふと、自分の部屋で踏み台に足を伸ばすおじいちゃんを見つけました。まだ元気とはいえ、危なそうなので「私が変わるよ」と声をかけ、踏み台に上がり、おじいちゃんが指差す茶箪笥の一番上の棚から出てきたのは一冊の本。表紙カバーのちょっと破けたアルバム。


「あったよ。おじいちゃん」


 昔のアルバムを受け取ったおじいちゃんは物思いに耽るようにずっと眺めていました。


「きれい……」


 色あせた写真には椅子に座るおばあちゃんの姿。

 服装、髪型、身体、表情、姿勢、そのどれもが見事なまでに調和がとれていて、絵画のような美しさでした。

 

 おじいちゃんの家系は昔からの名家で、田舎の小さな家で暮らしていたおばあちゃんは当初、おじいちゃんの両親に強く反対されていたそうです。

 「お前に相応しいの他にいる」と。

 今の世の中だってそういう理由で相手を選ぶことだってあるのだから、二人の時代はもっとうるさくて厳しかったはず。だから、おばあちゃんはおじいちゃんにふさわしい自分であるために、自分の磨ける全ての部分を磨いたんでしょう。容姿、家事、教養、礼節。自分を変えるため、自分の願いを叶えるために懸命に努力して。


 だから、おばあちゃんは私にあの言葉を私に投げかけた。


「洸はそれでいいのかい」


 おばあちゃんは予感していたんです。満ち足りた家の中で不自由なく育った私が、いつか壁の外の厳しさにつまずくことを。


 あの頃は別に良いと思っていました。これが私なんだと。私を見てコイツは悪いと、蔑んでよい相手だと、そう考えるような人たちにはそう思わせていればいいと。

 この世界にはたくさんの人たちがいる。せっちゃんや家族みたいに今の私と仲良くしてくれる人だっている。

 でも、このままでは私が本当に願っていたものは手に入らない。


 ……だって、私は自分のことが本当は嫌い、だったから。

 

 私はせっちゃんの隣に並びたい。

 誰一人として文句のひとつも言えないくらい最高の友達になりたい。

 でも、それは今の私では叶えられない。


 その日から私は全力で自分をやり直しはじめました。おばあちゃんを倣うというのもありましたが、やっぱりまずは見た目から。いじめられていた原因の一つでもあったし、せっちゃんみたいにかわいくなりたいと思っていたので。

 毎日必死の思いで汗水垂らして運動して、お母さんにお願いしてダイエットに効果的で健康的な食事にしてもらいました。体力のなさを呪いながら、歯を食いしばって毎日、毎日……。そして、残りの時間で親戚のツテで家庭教師もつけてもらって遅れていた勉強を取り戻そうとしました。

 ほかにも髪形や洋服、メイクなど自分を魅せるためのいろんな方法を、自分の恵まれた環境を全て利用して余すところなく取り入れていきました。


 

 夏が通り過ぎ、秋の空気に満ちた10月。私はまだ一度しか袖を通していない中学校の制服を身にまとって、鏡の前に立っていました。

 大変だった、辛い時もあった約4ヶ月。

 たったそれだけの期間でここまで変われたことが信じられなくて、でも、たったこれだけで変われることから目を背けて、あさっての方向を向いていた自分のダメさ加減が悔しくて、泣きそうになったけど、下唇をぐっと噛んで堪えました。


 久し振りというより、ほとんどはじめてに近い中学校。

 ちゃんと残っていた私の席に座ると、クラスのみんなが寄ってきました。入学式から来なかった子が急に別人みたいにイメチェンして来たのですから、それは当然です。

 まるで漫画で読んだことのある転校生のヒロインになった気分でした。前の私をしっかり覚えていて何があったのかたずねる人。理由なんてどうでもよくてどうやって変わったのか知りたい人。男子からも女子からも明らかな好意の目を向けられて、もちろん全く悪い気はしませんでした。小学生のころ、家の裕福さで周りから少し持ち上げれていたあの時と同じ状態……なのに、あの時は得ていた充足感が今はありませんでした。

 だって、どうでもよかったんです。他の誰にどう思われようと。私が変わったのは私自身とせっちゃんのためだから。



―――――


 それからまた時は経ち、2年生の夏。都内の大型水泳場。

 ジュニアオリンピックの会場に私はいました。

 少しは自信が持てるようになって、いじめという鎖からも解き放たれた私は、せっちゃんの姿が一目見たくなったのです。

 小学校のとき、せっちゃんが賞を獲った大会。絶対に今年も彼女はここにいる。ひとつひとつのレースに出場する人たちを目で追っていく。違う、違う、違う……。


「あっ……!」


 2年ぶりのせっちゃんの姿。

 町のプールで私と一緒に泳いでいたあの時より背は少し伸びたように見えました。

 

 そして、私は気づいたのです。

 彼女の視線がずっとある方向――ひとりの女の子へ向いていることに。

 その子はせっちゃんよりも先にゴールをして、楽しそうに笑っていました。そして、負けてしまった彼女は私が見たことないような悔しそうな表情をしていたのです。それは痩せるため必死に走っていたあの時、水溜りに映った私の表情にどこか似ていました。目の前にそびえる壁に立ち向かおうとする必死そうな表情に。

 私が一度も見たことのない彼女のの姿。

 もしかしたら、私にとってのせっちゃんの存在と、今のせっちゃんにとってのあの子の存在は同じなのかもしれない、そう思ったのです。


 羨ましい。


 悔しい。


 せっちゃんの隣に並ぶには、私もあの場所に行かないと。

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