眩い光は夜を求める ①
私、久我崎洸はダメな子でした。
小さい頃から運動が嫌いで、外で遊ぶより家で漫画を読んだりゲームをすることのほうが大好きでした。
私の家は他の子たちに比べれば裕福で、お父さんもお母さんもおじいちゃんも私に優しいから、「これが欲しい」と私が言えば大した苦労もなく手に入ってしまう、ここに行きたいといえば次の休みに連れて行ってくれる、そんな恵まれた家庭。
家の戸棚には来客用にいつもたくさんのお菓子がストックしてあって、それを堂々と持ち出しては部屋でゴロゴロと横になりながらたくさんの漫画と一緒に貪り尽くしていました。洸はかわいい子、洸は優しい子、洸は頭の良い子。私に向けられるその褒め言葉をおいしく飲み込んでは満足していました。
ただ、優しい家族に囲まれていた中で、おばあちゃんだけは時々私を戒めるような冷ややかな眼差しで見ていました。そんなおばあちゃんの目が私はずっと苦手で、だんだんと意識しないように振舞うようになりました。おばあちゃんの持病が悪化して亡くなったその日まで。
「洸はそれでいいのかい」
縁側でくつろぐおばあちゃんの横を通り過ぎるとき、たまに言われるその言葉が身に染みるのはもう少し後のこと。
私は変わらなくても周りは私の意志とは関係なく変化していきます。
小学校の低学年の頃はなんでも用意してある私の家にみんなこぞって遊びにきましたが、何でも揃って満たされたちょっと生意気でだらしない子が嫌悪されていくのは当然のことで、焦り出しても時すでに遅し。高学年になった私はクラスの子たちの不満の捌け口と楽しい玩具になっていたのでした。
見栄だけは張っていた私は家では明るく振舞って、娯楽と飲食を逃避するための手段に変えて、毎日を必死に過ごしていました。
「笹川瀬璃夜。よろしくね」
みんなの笑いの的になっていた私に声をかけてくれた女の子。
手足はすらっとしていて、きりっとした目がかっこよくて、笑顔がかわいい子。
そして、いきなり私をストーキングしてきた変な子。
水泳の授業中、たしかに私はあの子をなんとなく目で追っていました。1年生の頃からずっと夏休み明けの始業式で必ず校長先生に名前を呼ばれてみんなから拍手をもらっていた有名な子を、私は憧れと嫉妬の念を込めて見ていたんです。
だから、その子が話しかけてきたことが驚きで、私に泳ぎの練習を持ちかけてきたことの意味がわかりませんでした。そのことを聞いたら彼女はこう答えました。
「久我崎さんに水泳を好きになってほしいから」
そんな理由でいじめられている他のクラスの知らない子に話しかけたの?
それなりに人間不信を発症していた私はいろいろと疑ってかかろうとしたのですが、彼女の笑顔と募ってきた独りの寂しさの前には薄っぺらい虚勢もあっさりと白旗を揚げたのでした。私はわりとチョロいということで。
そして、はじまったとの彼女との練習は……地獄でした。
毎日、放課後は2時間の猛特訓。休憩なんてほとんどなし。それ以外にもマラソン、筋トレ、ストレッチ。食事制限まで組み込んできたところを全力で静止。
おまけに教え方が下手でした。「こんな感じ」とかよくわかんない擬音と身振り手振りのオンパレード。彼女は努力家でもありながら天才肌も持っていたんでしょうか。夏休みの終わり、彼女が全く終わらせていない宿題を手伝う中、漢字と算数のドリルの惨憺たる回答を見て私は思いました。「あぁ、なるほど」と。
でも、そんなことよりも彼女――せっちゃんと一緒にいる時間が楽しくて。
家の庭で花火を両手に持って跳ねて回る姿が、キャンプ場で炭で頬を黒く染めながら懸命に火をつけようと奮闘する表情が、お泊り会で真夜中に私を起こして悪戯っぽく笑う仕草が、どれもが私にはない眩さを持っていて、私はそれに惹かれていきました。
だから、また学校が始まって、せっちゃんがクラスの子たちと楽しそうに話している姿を見て、私は思わず妬いてしまったんです。私だって彼女の友達なんだと。
友達なら話しかけても良いに決まってる。そうだ。別に学校の中で仲良くしたって大丈夫。せっちゃんはそんなこと気にする子じゃない。「私が手伝った夏休みの宿題、ちゃんと持ってきた?」って話しかけるだけ。放課後、隣のクラスに行って聞いてみよう。それで、他の子とも仲良くなってみよう。うーん……でも、他の子は別にいいかも。せっちゃんといれば楽しいもの。
放課後、席から立ち上がろうとした私にクラスメイトが話しかけてきました。また、いじめられる。でも、今は我慢しよう。今だけ耐えれば……。そう奮い立たせた心に届く、クラスメイトの口から出た「笹川」という言葉。
学校で彼女は人気だけど、その人気の高さを嫌っている子がいること。いじめらている私と仲良くしているのを見かけたこと。面白そうだからという理由で彼女がターゲットにされそうになっていること。流れ込んできた悪意に満ちた情報に私は簡単に打ちのめされました。
耳に焼き付いたみんなのせせら笑う声をざわめく蝉の声に掻き消してもらいながら、真っ暗な押入れの中に潜り込む。1日、また1日と楽しかった夏の日が向こうの空へと消えていくのが怖い。時折、部屋に吹き込んでくる乾いた風の音が怖い。心配してくれる家族や先生の声が怖い。
助けてくれようとした友達の温かい手が……怖い。
「大丈夫なわけないよ!すごく怖いんだよ!?」
「せっちゃんが自分のことだけしか見えてないからだよ!!」
「せっちゃんは私のこと全然考えてくれてないじゃん!」
ダン、ダン、ダンと、足音が遠ざかっていく。
もういない。良かった。
私のウソを信じてくれて良かった。
本当はいじめなんてもう怖くなかった。これ以上私に対する仕打ちが悪化すると大人に隠せなくなるのがわかっていたから。このままただ卒業まで耐え続ければいい。
せっちゃんが自分のことしか考えてないなんて思ってない。もしそうだったとしてもそれがせっちゃんらしいところ。
私のことを考えてないなんてありえない。あの日から私の隣にいてくれて、私の手を引っ張ってくれて、私の心を支えてくれた。せっちゃんは私が笑顔になれるように精一杯のことをしてくれた。
だから、心が千切れるほど怖かった。せっちゃんがいじめの対象になってしまうことが、あの太陽みたいに楽しく笑うせっちゃんの顔が思い出ごと曇り空に塗りつぶされてしまうことが。
「私はもうダメなの!だって、だって、せっちゃんが――」
それに、もしもあのまま続きを言ってしまったら、
あなたのことが大好きだから、と言ってしまったら、
強くて優しいあなたは、全力で私を守ろうとしてしまうだろうから。
だから、私はあなたのその強さと優しさを糾弾しました。私から離れてくれと、自分勝手に怒る私なんて嫌ってほしいと願いました。けれど、弱い私は最後の最後であなたを――せっちゃんを求めようとしました。
言葉が届かなくて、
想いが伝わらなくて、
この気持ちが見つからなくて、
本当に、本当に、
「良い、わけない……。せっちゃんに、会いたいよぉ……」
ごめんなさい。
ダメな私で、ごめんなさい。
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