再会 ①
額にじわりと浮かんだ汗を持っていたハンカチで拭う。向こうではいろんな高校の生徒達が話したり、笑ったり、泣いたりしている。そういえば、スクールに通っている頃もみんなあんな風にしていたっけ。みんな、と言いつつ私はその輪の中にいなかったけど。あの輪の1m外側であったかそうなその光景を他人事として私は見ていた。
だって、私は弱かったから。あの中に溶け込もうとして、そのまま溶けてなくなってしまうのも。溶けきれずに歪に残って、余計なものとして外に弾き出されてしまうのも。みんなが求める私が、私の求める私じゃなかったらどうしよう。そんな不安があの時の私の手と足を止めていた。
じゃあ、どうして私は水泳部に入ったんだろう。いや、入りたいと思ったんだろう。中学の時は最後まで好きになれなかった水泳部に。クラスでも友達なんて作る気が起きなかったのに、一緒に放課後遊びに行きたいとまで考えたんだろう。
まぁ、ここまでは前にも少し考えていて、私なりの答えは出ていた。
久我崎さんが言っていた。『似ている』って。
私は、私と久我崎さんだけじゃなくて、みんなが似ているんだと思った。先輩はわからないけど、私たちはたぶん他に友達いなさそうだ。なんか、集団行動苦手そうな雰囲気だし。体育で二人組作って、って言われたら躊躇しそうだと思う。少なくとも私はすごく困る。言われるような状況が来る前に押切さんと仲良くなれてよかったなぁ……。
でも、そういうところだけじゃなくて、他にもありそうな気がする。なんかこう……うまく説明できないけど。……感覚的な何か。
とりあえず、そこまで考えて、じゃあ、その私の考えは今隣に並んで立っている笹川さんにも当てはまるのかだろうか。
「ねぇ。なんで、一度も連絡をくれなかったの?」
怒っているわけでもない。悲しんでいるわけでもない。何度も詰め寄られたあの頃とは全然違う。冷静に淡々と笹川さんは私に疑問をぶつけた。2年前からずっと頭の片隅に残っていたのか、私と会って急に思い出したのか。どちらかなんて、彼女の真剣な目を見たら迷うはずもない。
「水泳、やめてたから」
「……ケガでもしたの?」
「ううん。体のほうは健康。毎朝、ジョギングとストレッチはしてる。筋トレもたまに」
「そう。良かった。で、今はどこの高校通ってるの?」
「須江川高校。公立の」
「聞いたことない」
「一応、偏差値は高めだし、運動部も強いとこあるよ。笹川さんの住んでるところとそんなに離れてないよね?名前くらいは知ってそうな気がするけど」
笹川さんが通っているスイミングスクールは須江川高校の隣町にある。だから、笹川さんの家も私たち水泳部の誰かが住んでいる場所の近くにあるんじゃないかと思った。
「私、中学から五星大の付属だったから、他の高校なんて調べたことないし、水泳が強いとこしか知らないわよ。須江川なんてはじめて聞いた」
「ウチ、水泳部は今年出来たばかりだから。あっ、10年前まではあって、成績残した人もいたって」
「はぁっ!?今年出来たばかりって、なんで水泳再開したのにそんな高校入ったの?」
「うーんと……水泳もう一度やろうと思ったのが今月になってからだったんで……。むしろ、入学した頃はやろうなんて思ってなかったから」
笹川さんの表情が険しくなる。薄桃色の唇が何回か上下に離れて、その度に白い歯がちらちらと顔を覗かせる。何か言いたそうにして、でも、それを躊躇うような仕草。私にズバズバと言っていた笹川さんにしては珍しい、と思ってしまった。
「それに、また水泳が出来るかもしれないなんて、思っていなかったから」
だから、私は卑怯な言葉を紡ぐ。
「なにそれ?教えなさいよ。どういうことなの?」
笹川さんが聞きたくなるように。
「実はあの日……」
私は笹川さんに2年前、あの大会の後に起きたことを話した。それはあの日から連絡をしなかった笹川さんへのちゃんと理由を説明しようという謝罪の意味を込めて……というのがひとつで、残りは、気持ちを楽にしたかった誘惑に負けたのと、笹川さんへのあてつけという身勝手すぎる理由。
この会場に来ても、この大会を見ても、あの日みたいに特別な感情が湧き上がるわけでもなく、ただの観客として私は見ることができた。それは本当。でも、私は勘違いしていた。2年前、私が悔しくて泣いたのは、笹川さんを見てしまったからだった。
もし、私が変わっていなければ、私はあの日、笹川さんと同じレースを泳いでいた。そして、もっと上を目指したいと思った私は次の年に海栄高校を受験して、笹川さんと一緒に水泳部に入って、今日この日、笹川さんと一緒に決勝のレースを泳いでいた。思い上がりなんかじゃない。私はそれを実現できるだけの努力をこれまでしてきたし、ずっと続けていける自信があったから。あの頃はまだ足りなかった原動力の種火が2年前のあの日に灯ったから。
だから、今日、笹川さんを見て、存在しないもしもを考えてしまって、私にしか見えない胸の奥のずっと深い場所にしまっていた感情がまた芽生えてしまわないように。私は笹川さんに縋ることを決めてしまった。私なんかより強くてかっこいい笹川さんなら、「良いから前に進みなさいよ!」とか言って背中を引っぱたいてくれそうだから。
だから……
「うぇっ……あんた、そんなことがあったのに、ぐすっ……また泳ごうと思えたの?……すごいっ、うぅっ……すごいじゃない。親にそんなことされたらなんて私……考えられない。無理。絶対無理。やっぱり、あんたは……すごいわよ……ぐずっ……」
「でも、ほらっ、お父さんも悪気がなかったのはわかってたから。たしかに辛かったけど、二人がちゃんと向き合ってくれたから私も向き合わないと、って思っただけで。私は二人がいてくれたから……」
「あんたも偉い!お父さんもお母さんも偉い!そんな苦難を乗り越えていたなんて……私、全然知らなくて……うぇっ……。『あぁ。やっぱこいつウザいから会うのやめよ』とか思われたんだって、卑屈になってた私の……バカぁ……」
「そんなこと思ってないから!こっちこそ、本当にごめん!ほんと、ごめんね……」
大号泣した笹川さんに思いっきり抱きつかれて、全力で温かすぎるフォローの言葉をもらうという展開はちょっと想定外だった……。だから、あれこれと胸に抱えていた雑多な気持ちは全部すっ飛んで、どうしたら他の人に気づかれる前に収まってくれるかという焦燥感と、ありったけの罪悪感だけが、ありがたいことに私の中に居座ってくれる結果となった。
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