都大会。一年目。 ②
その後も背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライと、いろんな種目の決勝レースを私たちは観覧した。2日目はどの種目も200mのレースだから、先輩や久我崎さんは逐一、感嘆の声を漏らしていた。特にバタフライにいたっては「あんなの死んでも無理……」とちょっと怯えていた。
海栄高校の選手はどの種目の決勝にも出場していて、50年連続総合優勝の名は伊達じゃないということをこれでもかってほどに会場中に知らしめた。
午後になると決勝のレースしかないため、全選手が予選落ちした高校では帰り支度をはじめているところもちらほらいた。観客席から通路にいる私たちのほうに向かってぱらぱらと選手たちがやってきては通り過ぎていく。
そして、個人種目最後の100m自由形決勝がはじまる。コースの中央に並んだのはさっきの個人メドレーと同じ海栄の二人。水泳で花形ともいえるレースだからか。帰ろうとしていた選手たちが何人か足を止めていた。
会場が一時の静寂に包まれ、選手達が綺麗な孤を描いて青い舞台へと飛び込んでいく。沸き立つ歓声と水飛沫。しなやかに伸びた腕が槍のように水を切ってはまた水の中へと消えていく。
折り返しの50m。海栄の二人がほぼ同じタイミングでくるりとターンを決める。後続に体半分以上の差をつけて、最後は二人だけの戦い。ゴールとの距離が見る見るうちに縮まり、激しい水飛沫が止むと同時に電光掲示板が黄色く点灯する。一番上には笹川と表示されていた。
「いやー、すごかったねー!」
ずっと同じ体勢で見ていた先輩がぐーっと両手を天井に伸ばす。会場内も止まっていた時間が動きはじめたみたいにまた人の移動がはじまっていた。
「まだ男子100mとフリーリレーが残っているけど今日はそろそろ帰ろっか。最後まで見ると帰りの混雑に巻き込まれちゃうし」
「混むのは嫌なんで、それでいいよ」
「そう……ですね。たっぷり見れたので私もそれでいいと思います」
「深月ちゃんと洸ちゃんは大丈夫?」
「あっ、はい。大丈夫です」
「私もいいですよ」
「じゃあ、帰りましょうか。みんな、次にここに来るときは選手としてだからね。といっても9月になっちゃうけど」
「たしか、9月は一年生だけの大会だよね。ってことは私は来年の春までお預けかー」
秋か……。たった3ヶ月先のことだけど、その時の自分の姿は頭の中に思い浮かばなかった。
先生や先輩が帰ろうとしていたので、私も床に置いていたバッグを肩にかけて帰ろうとしたら、目の前で立ったままの久我崎さんにぶつかった。私はぐらりとバランスを崩しかける。
「うわっ、ごめん!?」
「ひゃっ!?あ……ごめんなさい」
「もうみんな帰るよ?」
「すみません、ちょっとボーっとしてました。ここが温かいせいですかね」
「気をつけてよ。ほら、急ごう」
選手達の間をすり抜けて先生たちの後を追う。
たくさんの人の声と生温い風が少しずつ遠ざかっていく。
隣で歩く久我崎さんの手の甲が軽く触れる。私よりは温かくなかった。
―――――
「今日はお疲れさまー。みんなはバスだよね。私と先生は電車だからここで解散!」
「みんな気をつけて帰ってね」
駅前で二人と解散した私たちは向かい側にあるロータリーに向かう。
「私、あっちのバスに乗って帰るので。私もここで。では、また明日」
ひらひらと手を振って、久我崎さんは奥のバス停へと歩いていった。
彼女が向こうへ行く姿に重なるように私たちのバスがやってくる。定期券にもなっているICカードを取り出そうとスカートのポケットに手を入れたところで、ポケットの中に何も入ってないことに気づいた。久我崎さんとぶつかってバランスを崩しかけた時かもしれない。私の前に並ぶ二人に忘れ物をしたから先に帰っていてと伝えて、私は会場へと引き返した。
―――――
再び会場に入ると一際大きな歓声が聞こえた。たぶん、リレーの決勝をやっているんだろう。観客席の方に行こうとしたところで、見知った後姿が目に入った。
久我崎さんだ。久我崎さんが向いている先は地下の更衣室に続く階段があるだけ。知り合いがいて、その人でも待っているのかな。私たちにそのことを告げずわざわざまた戻ってきたのが引っかかるけど、もしかして、昔付き合っていた人?今はいないって言っていたけど、中学の頃はいたって変じゃない。それか、片想いの相手、とか。となると、泳げるようになりたいのもその人のため……。うん、あり得る。
……でも、ここで覗き見するのは無粋だよね。ちゃんと話すって言っているんだし、その時でいいや。
それよりも落としたICカードを見つけないと。誰かに取られてませんように!
「待ちなさい!朱鷺乃深月!!」
「へっ!?な、なに?」
突然、どこかから大声で名前を呼ばれた。左右を見回すと、通路の奥、地下へ続く階段のあたりから制服姿の女の子がこちらに駆け寄ってくる。それはさっき自由形の決勝で1位を獲った海栄高校の笹川さんだった。
笹川さんは怒った顔が目の前に近づく。肩に垂れる濡羽色の髪からわずかに残った塩素の匂いが鼻をくすぐる。身長はあの頃よりも少し高くなっていて、私は首をちょっと上に傾けた。
「今までずっと、どこに行ってたのよ!!」
「お、覚えてたんだ……私のこと」
そう言うと、笹川さんはさらに顔を歪めた。飾り気のない薄い唇の隙間から噛み締めた白い歯がちらりと見える。
「当たり前でしょ!忘れるわけないじゃない!」
「まぁ、2年前だもんね」
「違うっ!!」
ダンッ!と床が低く唸る。
「だって、あんたは私にとって……大事な存在なんだから!」
「あ……。う、うーん……そ、そうなんだ」
うん。私も忘れてない。笹川さんが、言葉の選び方がちょっとばかり変わってるってこと。あー……私たちとすれ違う人たちの奇異の目線が痛い。
笹川さん越しに前を見てみると、久我崎さんの姿はもうそこにはなかった。
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