オレンジ色に、ぼやけてる

 空がぼんやりしたオレンジ色に包まれる。自転車のフレームが空の色を反射してチカチカと瞬いた。ご主人様の到来が待ち遠しい飼い犬みたいだ。

 自転車はお店から離れたところにある押切さんの家の敷地に止めさせてもらっていた。ちょうど家から出てきた押切さんのお母さんにお礼を言うと、「今度は家にも上がっていってね」と言ってくれた。


「今日は……来てくれて、ありがとうございました」

「どうしたの?そんなにかしこまって。ほら、友達なんだから普通だよ。これくらい」


 そう言うと、ぱぁっと花が咲いたように押切さんの表情が変わる。


「お兄ちゃんやお父さんが、『高校で友達は出来たのか?』ってすごく気にしてて、ちゃんと出来たよって話したら、連れてきて、って言われて……。本当、恥ずかしいですよね……」

「えっ、じゃあ、今日はお父さんもいたんですか?」

「はい……。普段はお店に出ること滅多にないんだけど、今日友達呼んでみるって話したから。ずっと、お店の厨房の奥にいたみたいだけど、たまに私たちの席のほう見ていて……」


 二人とも『うわぁ……』と言いたそうな顔をしていた。たぶん、私も同じ顔をしてるんだろう。まぁ、かなり過保護だと思うけど、心配する気持ちはわからなくもなかった。


「でも、将来の店長候補の交友関係は気になっちゃうかもしれませんね。もし、男友達だったら跡継ぎになるかもしれませんし」

「考えが飛躍しすぎ。それにお兄さんがいるんだから普通そっちでしょ」

「むー。でも、ほら。一人より二人のほうがお父さんも楽になると思いますよ」

「あっ、そういえば、さ。押切さんは将来、お店の仕事手伝うの?」

「えっと……私、三人兄妹で、跡継ぎ……でいうなら一番上のお兄ちゃんになると……思います。だから、私は別にそういうことはまだ……」

「そ、そうなんだ」


 話が変な方向に行って、押切さんがまた困惑するのもかわいそうだと思って無難な話を振ってみたけど、ちょっと失敗だったかな、そう思ってしまった。伏せた表情には影がかかって、より一層暗く見えた。


「ん……?るい、帰っていたのか」

「あっ……うん。た、ただいま……おじいちゃん」


 押切さんの家の隣に建っている古びた木造平屋の民家の扉から白髪で白いひげを生やしたおじいさんが出てきた。あれ……?押切さんの家はこっちで……。でも、表札には確かに、押切、と書かれていた。

 と、そこまで考えていると二人が頭を下げていたので私もそれに合わせて軽く頭を下げて挨拶をした。


「そこの子たちは新しい部活の友達か?」

「うん……。水泳部の、友達です」

「そうか。大切にしなさい。皆さんも私の孫をよろしくお願いします」

「そうだ。おじいちゃん。あの……、今週の日曜日、お店手伝えなくなっちゃって……」

「構わないよ。友達と遊び行くのか?」

「えっと……部活の大会があって……。私たちは出ないんだけど、見に行くの」

「そうか。気にせず行ってきなさい」

「あ、ありがとう……」

「夏休みも部活で忙しくなるんだろう?お店のことは何も気にしなくていいから、お前のやりたいことをしっかりやりなさい」

「う、うん……」

「じゃあ、私はいつもの場所に行ってくる。夕飯は帰ってきたら取りに行かせてもらうよ」


 そう言うと、おじいさんはどこかに用事があるのか、道の向こうへと行ってしまった。街灯が点いて、古びた……もとい、趣のある民家と私たちの肌をほんのり黄色く染める。


 孫思いの優しいおじいさんとの会話……と素直に受け止めるにはどこか歯切れの悪さを感じてしまう二人のやり取りに、私は次の言葉を考えあぐねていた。

 だって、さっきの会話で押切さんはおじいさんとのだから。私と話すときはだいぶ目を見てくれるようになったけど、久我崎さんや特に籐堂さんに対してはやっぱり目を合わせずにいることの方がまだ多い。二人ともきっとそれを気にはしつつも特に何も言わずに彼女と接している。それで友人関係をどうこうするつもりはないし、言ってしまえば、それでも特に問題がない、から。

 これは押切さん本人の問題で、彼女自身もそうじゃいけないことは薄々わかっているはずだ。それに私に対して少しずつ変わってきているのを見れば、二人に対してもこれから徐々に変わっていくと思う。

 でも、家族となれば話は別。

 孫が結構なコミュ障で自分と目を合わせて喋るのもままならないのなら、注意とか怒るとかそういうことをするはずだ。それがなく、当たり前のように接しているということは、つまり……諦めているんだと思う。それは、寂しいな。


「じゃあ、そろそろ帰りますね」

「そうだな。それじゃ、また明日」

「はい。また明日」


 ガチャンと籐堂さんが自転車のストッパーを外す音が今日の解散の合図になった。



―――――



 私は電車。久我崎さんは駅前から出発するバスに乗るらしく、二人で並んで駅へと向かっている。駅から家へと帰っていく子どもや大人とすれ違うと、コツンと久我崎さんの腕が私の肩に当たる。それがどうしても気になって頑張って肩を張ってみたけど、疲れるからすぐにやめた。


「あっ……くず餅、お土産に買うの忘れてました」

「おばあちゃんがよく買ってきてくれたって言ってたよね。でも、ここまでバス使えばそんなに遠くないんだし、いつでもいいんじゃない?」

「んー、今日がちょうどタイミング的にも良かったんですよね」

「おばあちゃんの誕生日が近いの?」

「今度の日曜日が命日なんです。謝るのはなしですからね」

「気遣いを先読みされた!?」

「そういうのは気遣いじゃなくて、余計なお世話って言うんですよ。それに、もう5年前なんでいちいち感傷に浸ったりしません」

「そういうもんなんだ。ウチはまだお母さんのほうもお父さんのほうも元気だから、わかんないや」

「まぁ、私がそういう考え方なだけで、私以外の家族や他の家庭のことは知りませんけど。押切さんのおじいさんはどうなんでしょうね」

「……えっ!?それって押切さんのおばあちゃんが……ってこと?」

「押切さんのおじいさんの家、おじいさんが出た後、真っ暗でした。ずっとこの下町で和菓子屋を続けていて、隣に息子夫婦が綺麗な家を建ててもおんぼろの家で暮らしているような頑固な旦那さんなら、奥さんも付き合ってあげてるもんです。けど、あの家には今誰もいません。夕飯も子ども家族頼みみたいですし。まぁ、勝手に亡くなっていると決めつけるのは失礼ですが、良くても病院や介護施設で……って感じですかね」

「よくそこまで考えつくね」

「そこまでのことじゃないですけどね。人の顔色ばかり伺ってると嫌でもそうなっちゃうんですよ。自分も守るためには味方と敵のことを知り尽くさないといけませんから」

「そんな戦場で戦う兵士じゃあるまいし」

「ですよね。さすがにかっこつけて言い過ぎました。世の中こんなに無害そうで手軽そうな女の子も道端に転がっている平和さだというのに」

「ほほぅ。言うねぇ……やっぱり明日は覚えておけ」

「これは明日に備えて今日は早めに寝ないと危険ですね」


 人の顔色を伺うと……か。わかるよ、私にだって。隣の子がそれを本気で言っているかどうかくらいは。

 私は、一緒に戦う味方なのか、それとも打ち倒すべき敵なのか。どっちなのかなんて、いくらなんでも恥ずかしくて聞けるわけがなかった。


 鞄に入れていたスマホが鳴った。街中でも気づけたのはそれが二つ同時に鳴ったから。私と久我崎さんはそれぞれ取り出して画面を見ると、昨日作ったトークアプリの部活部屋にメッセージが届いていた。日曜日の集合時間と場所。時間は午後から、とのこと。


「あっ。そういえば、大丈夫なの?日曜日、おばあさんの命日ってことはお墓参りあるんじゃ……」

「これだったら午前中に済ませられるから大丈夫です。それに、もし完全に被ってもこっちを優先するつもりだったので」

「そっか。なら良かった」


 ただの観覧なのに、どうしてそんなに気合入れてるの?

 それくらいなら聞いても大丈夫かな、と思ったけど、気がつけばもう目の前は駅前で。押切さんが乗る予定のバスもちょうど到着していた。タイミングが良いんだか悪いんだか。

 あぁ……でも、私も多少は気合入れておかないと。もうあの場所でみっともない姿は誰にも見せられないや。

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