はじめての ③

 押切さんに案内されてやってきたお店は意外なお店だった。

 装飾の無い壁面に板張りの天井。近くの蕎麦屋で見るような角ばったシンプルな木製の机と椅子。まさに和風といったお店だ。けれど、オレンジがかったライトが等間隔に上から静かに照らす店内は地味だけど決して暗いわけじゃなく、初めてでも落ち着ける安心感みたいなものがふんわりと漂っている。お客さんは近所に住んでいるおばさんたちや20代くらいのお姉さん、観光客っぽい外国人のグループでそこそこ賑わっている。

 私たちが入った入口とは別の入口の所には和菓子が並んでいるショーケースがあった。要するに和菓子屋さんに併設されている喫茶店。メニューを見ると、あんみつ、ぜんざい、ところてん。それと、聞いたことがない名前の食べ物。

 私たちは空いている4人座りの席を見つけて、そこに腰掛ける。


「落ち着けそうな良いお店ですね」

「うん。ファミレスとかカフェよりは私もこっちのほうが良いと思う。押切さん、良いお店知ってるね」

「あ……ありがとうございます」


 照れて恥ずかしげな顔。でも、口元は嬉しそうにちょっと緩んでいる。籐堂さんも「ふーん」とメニューを眺めている。特に不満げな様子はなさそう。すると、同じくメニューを手に取った久我崎さんが何か思い出したようにはっと表情を変えた。


「……あー!ここのお店って、くず餅のお店なんですね」

「くず餅……?」

「このメニューにある白くて豆腐というかお餅みたいな和菓子ですよ」

「白だけど黒いのがかかってるよ。それと、この黄色っぽいのは?」

「それは黒蜜ときなこです。それをかけて食べるんですよ」

「えっと……くず餅は小麦粉のデンプンを発酵させて作ったお菓子で……」

「小麦粉を発酵……?」


 イマイチ想像がつかない。なんかよくわかんないけど、お餅みたいにモチモチして甘いのかな。


「へぇー。君、くず餅知ってるんだ」


 突然、横から声をかけられた。そっちを向くと20代くらいの爽やかそうな若い男の人がいた。黒いエプロンをかけて、手には湯のみが乗ったお盆を持っている。あっ、店員さんか。


「祖母が昔たまに買ってきていたので。小さいころに食べたことあったなーって。最近は全く食べなくなっちゃいましたけど」

「学生さんくらいの若い子が食べる機会は滅多にないよね。最近は観光ブームもあってか、いろんな年代の人が買いに来るようにはなったけど。これでも江戸時代から続く老舗の名店なんだよ、ウチ」

「江戸時代……!すごい」

「そっちの君もいいリアクションありがとう。まだ食べたことはなさそうだね。せっかくだから食べてみてね」


 店員のお兄さんが私たちの前にお茶を4つ並べる。

 それにしても、うーん……ひとつひとつを置く時間が妙に長いような。なんか……見られてない?


「それにしても、るい。お前がこんな美人な友達連れてくるなんて、ビックリしたよ。なんというか、こう……もっと涙に似て地味そうな雰囲気の子かな~って思ってたのに」

「ちょっと、お兄ちゃん……!!み、みんなに失礼だよ!」

「「「おにい……ちゃん?」」」


 奇跡的に私たち3人の声がハモった。さすがの籐堂さんも気にせずにはいられなかったようだ。


「どうも、涙の兄です。妹が大変お世話になっているようで」

「お兄さんだったんですね。このお店でアルバイトされているんですか?」

「うーん……まぁ、アルバイトみたいなもんだね。……ってことはアレか。涙。ちゃんと話してないのか?」

「なんか……いつ言い出せばいいかわからなくて……」

「いや、別にいつでもいいだろ。全然大したことじゃないし。お前は無駄に気を遣いすぎなんだって」

「あのー……なんのことを言っているんですか?」

「ここがウチの店だってこと」

「ここ、ってこの和菓子屋さんが!?」

「そうそう。ウチの父親が今は経営者だから、涙は社長令嬢ってことになるな。俺は大学生なんで今はただのアルバイトという名のただのお手伝い」

「おにいちゃん、やめてってば!は、恥ずかしいよ……」


 押切さんのお兄さんはへらへらと楽しそうに笑っていた。押切さんも嫌っていうよりは単純に照れているだけで、たぶん仲が良いんだろうな、と思える雰囲気だった。お兄さは明るくて楽しくて優しそうで……後、絶対に女好きでチャラい。『美人な友達』って言った時、私の顔を見なかったこと、ちゃんとわかってるので。あの二人と比べたらそれは多少見劣りはするだろうけどさ……ちくしょうめ。




―――――



「押切さんのお店なら最初からそう行ってくれれば良かったのに」

「なんか、自慢になっちゃいそうで、恥ずかしくて……」

「そうやって隠すほうが逆にイヤミっぽくなっちゃいますよ」

「えぇっ!?やっぱりそうなのかな……ご、ごめんなさい」

「押切さん真に受けるタイプだから冗談でもそういう言い方はダメだって」

「あはは……、ですね。押切さん、すみません。全然なんとも思ってないですよ。大丈夫です」

「そ……そう、ですか?良かったぁ……」


 安心して大きく息を吐く押切さんを横目にくず餅を一口食べる。食感はゼリーより固めで、餅だけど全然もちもちはしてなくて不思議な感じ。お餅自体の味はほとんどないからきな粉と黒蜜の濃い甘さと混ざってもちょうど良い。冷えているからつるんと喉を通ると気持ち良い。そして、なにより緑茶に会うんだよね……。暑い夏に涼しい場所で飲む熱いお茶って、冬にこたつで食べるアイスみたいで良いんだよね。まぁ、前者はなかなかお年よりくさい思考だけど。

 ちなみに、押切さんと久我崎さんはあんみつ。籐堂さんはぜんざいを頼んでいる。お兄さんは「そこはくず餅を頼もうよ……!」と、どこか悔しそうにしていた。


 4人の雑談は私が考えた練習メニューが地味にきついと籐堂さんから不満を言われたり、私が知る限りの香原先輩の話をしたり、後はテスト範囲の予想とか、泳いだ後の髪の毛のケアの方法とか。たぶん4人とも積極的に話を広げるタイプじゃないから、ぎこちなく話題を振ったり、時々話が途切れることもあったけど、それでも高校最初の放課後の集まりは、私が知らず知らずの間に心の片隅で思い描いていたそれに気限りなく近いものだった。


「あの、朱鷺乃さん。さっきから私の泳ぎをこてんぱんにけなしていますけど、それ以上すると私もさらに反撃しますよ」

「ごめん、ごめん。それはとても困るからもうやめとく」

「それなら私が教室でのこいつの様子を……」

「籐堂さーん」

「はいはい。それもこっちまで飛び火するから言わないよ」

「じゃあ、お二人とも、もしかして……」

「押切さん。この場で美少女二人を相手にして勝つ覚悟がありますか?」

「ぷぷっ……自分で言う?それ」

「カウントされないよりは百倍マシです」

「ちっ、見られてたか……。押切さん、私が一緒に戦うからね」

「あ……はい。が、がんばりましょう……ね?」

「さっき、トイレ行くときにお兄さんとちょっと話したんですが、『妹に変な虫ついてない?あいつ地味だけど、それが初心っぽくてかわいくてさ。眼鏡外すと特に……』って気持ち悪いシスコンぶりを披露されてましたよ」

「お、お兄ちゃんってば……」

「これで三対一か。がんばれ、朱鷺乃」

「うわー。友達だと思ってたのにー」

「ご、ごめんなさい!!」


 冗談のつもりで棒読みで言ったら、また恥ずかしそうに照れていた押切さんに真面目に謝られて余計にダメージを受けた。どうやらこの兄妹、私の予想通りかなり仲睦まじいらしい。

 男の人に容姿褒められたのお父さんしかないからなぁ……辛い。


「……そんなところで、そろそろ出ましょうか。もうすぐ帰らないと」

「あっ、もうそんな時間だったんですね」


 気づけば、店内の人の様子はだいぶまばらになっていた。久我崎さんが机の上のレシートを見て、鞄の中から財布を取り出す。それに合わせて私たちもそれぞれ色とりどりの財布を覗き込む。その一時の沈黙が今日の終わりを告げていた。

 窓の外から差し込む光が黄色からオレンジに変わっていくのが、寂しいと感じたのは久し振りだった。

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