はじめての ②

 流れていく風景。小波さざなみみたいな車輪の回る音。まだところどころ濡れた髪に風が当たって心地いい。

 自転車の荷台に座って二人乗り。そんな少年少女の小さな憧れのひとつ。ただ、両手を回しているその腰は中学生の頃にぼんやり思い描いていた時よりも細くて柔らかかった。スカートの裾がはためいて、ポニーテールがリズミカルに揺れる。男の子だったら後ろに乗せてみたい女の子が今日の私の運転手だ。

 顔をずらして前のほうを見ると、同じように二人乗りしている押切さんと久我崎さんがなにやら談笑している。


 押切さんのお誘いを受けた私たちは目的地のお店に向かっていた。通る道は高速道路の高架下。ジョギングコースとサイクリングコースが併設された一本道。押切さんの家は学校の南にある国道を進めばほとんど一直線で行けるけど、二人乗りを注意されてしまう可能性が高いので、さらに南にある厳しい大人の目が少ないこのルートを使っている。

 私は徒歩、久我崎さんはバスで通学しているので、自転車通学の二人にそれぞれ乗せてもらっている。私と籐堂さん、押切さんと久我崎さん。この組み合わせになったのはその場の雰囲気。嫌悪感をむき出しにしながら、籐堂さんの自転車に近寄る素振りを見せない姿を見たら、こうするしかない。


「あのさ、朱鷺乃」

「……あ、うん。なに?」


 籐堂さんが話しかけてくるのが意外だったので返事がワンテンポ遅れてしまった。こういうふうに名前を呼ばれたのも、先週、体育館裏で話して以来だ。話しかけづらいというイメージはまだ払拭できていなかった。


「ああいう気遣いはいらないから」


 さっきの下駄箱前で籐堂先輩たちと会った時、私がごまかそうとしたアレだ。


「やっぱりわかるよね。ごめん……」

「あ……いや、その……謝らなくていい」


 強そうでちょっと怖そうなイメージの彼女からは似あわない、妙に歯切れの悪い返事。

 彼女の腰に私が回した両手。それが重なっている場所がゆっくり凹んで膨らんだ。


「私と姉貴のこと、聞いた?」

「……うん。先輩から」

「やっぱり、そうか。で、どう思った?」

「どうって……率直な感想でいいの?」

「あぁ」

「最初に聞いた時はいろいろあるのかなぁ……って思ったけど、正直そこまでの感想はないかな。籐堂さんとは知り合ったばかりだし。とう……先輩だってまだ2ヶ月くらいだから。二人とも顔はたしかに似てるけど、目とか口元とかは似てないから、歳ひとつ違いの姉妹だって言われたらそれで納得しちゃう」

「そっか……。あーあ、やっぱ気にしすぎなのかなぁ」

「当の本人だったら仕方ないって」

「じゃあ、さ。ついでに私の話、聞いてもらっていい?」

「うん。聞くくらいなら」


 もう一度、さっきより大きく凹んで膨らんだ。


「姉貴って漫画のキャラみたいに完璧でさ。なんでも出来るんだ。ムカつくくらいに何から何まで全部。おまけに綺麗だし、かわいげもある。頼られたらそれに答えられる器量も持っていて、ダメだと思ったら人の力を借りようとする冷静さとそれを受け入れてくれる人望もある。だから、当然のように両親や先生は姉貴を賞賛して、誇りに思うようになる。……そして、その後に続く私にも期待して、ちょっと失望するんだ。でも、それを見せないように優しく振舞う」


 ありふれた物語で語られるような兄弟姉妹の小さな確執。一人っ子の私にはその本当の辛さはきっとわからないけど。それにしても……と、あることを思ったけど、言ったら怒られそうだからやめておくことにした。


「勝手に期待されて、その1年後に勝手に失望される。中学生にもなれば私だって隠していることだって気づけるくらいには賢くなった。まぁ、まだ大人はマシだよ。隠すのが上手な人が多いから。でも、子どもは違う。……中学になってさ。告られたんだよ」

「なんか青春っぽいね」

「その時は私も舞い上がってた。ドキドキして、ワクワクして、一日待ってもらってOKした。一緒に登下校して、カラオケや映画館にデートして、花火大会に行った。楽しすぎる毎日に胸躍らせてたよ。でも、その冬に振られた。『ずっと前から紅葉先輩も好きだったんだ』って。付き合ってから益々姉貴のことを意識したんだと」

「なかなかのクズ発言だね、それ」

「私も腹が立って一発引っ張ったいてやったよ。ただ、悲しいやムカつくって気持ちよりも悔しいってのが強かった。だって、私は籐堂紅葉の劣化品だって思い知らされたから。そんなことでそう考えるなんてガキだと思うでも、ガキな自分だったから人生がどうでもよくなるくらい、それは致命的な事件だった。そこからはもうダメ。何をするにも姉貴のことが気になるんだ。自分で勝手に比較して、争って、負ける。その繰り返し。そして、自分が意識するのに比例して周りも意識するようになるんだ。妹より姉のほうが良い、って。学校のやつらの反応や思考が少しずつ露骨になっていく。いろんな声が聞こえるようになったよ。聞きたくない声までいろいろと」


 自分が認めてしまえば、それは他人もそう認めてよいことになるらしい。ちなみに、自分が認めなくても他人が認めさせてくることもある。世の中はなにかと理不尽に出来ていることが多い。


「ただの姉妹だったら、まだ良かったんだろうけど、双子だから余計に気になるんだ。でも、もしも同じ学年だったら似てるけど違うものって思われたかもしれない。学年っていう明確な違いが私と姉貴の関係を曖昧にして明確にしたんだ」

「……だったら、なんで先輩と同じ高校に進学したの?」

「本当は同じ高校にだって行きたくなかったよ。でも、それ以上に逃げるなんて、絶対に嫌だった」


 あぁ……籐堂さんは、強そうじゃなくて、強いんだ。


「はぁ~……。はじめてだよ。誰かにここまで話したの」

「あのさ。どうして、その話を私にしてくれたの?」

「……似てるような気がしたから」

「私と、籐堂さんが?」

「なんとなく」

「なんとなくって……」

「あー!だから、なんつーかさ……」

「あっ、ごめん。やっぱり言わなくていい!たぶん、それ恥ずかしくなるやつ」

「どっちなんだよ!めんどくせー。まぁ、でも……たしかにそうだ。やめとく」


 どうにもならない自分以外の何があるから、自分に自信がなくて諦めたいと思ってる。だけど、諦めたくない。負けたくない。正しい道筋なんてわからないけど。

 全部が全部似ていると思うほど私は自惚れてないけど、似ている部分は案外多いのかもしれない。でも、確信にはまだほど遠い。ただ、遠いからこそ、思うことがひとつあった。



「そこ、右に曲がりますよー」


 久我崎さんが数メートル前方にある十字路の右側を指差している。


「わかったー」


 舗装が剥げた道に入ったのか、前カゴに入った二つの鞄が小刻みにぶつかってカタカタと震えている。籐堂さんが伸ばした左手が鞄に触れると音がピタリと止まる。


「……他のやつには言うなよ」

「大丈夫。言わないよ」


 ハンドルが右にくいっと曲がる。

 私はさっきより少しだけ両手に力をこめた。

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