先輩の切り札
その翌朝。授業前に体育館へと全校生徒が移動させられた。壇上には見知らぬ先輩たちが何人か並んでいる。その中の一人に私は自然と目を向けていた。
「生徒会長に立候補します2年の籐堂紅葉です。私はこの高校の校風が大好きなので、今までの良さは残しつつ、皆さんひとりひとりが安心で快適な学校生活が送れるように手助けをしていきたいと思っています。そのためにまず……」
壇上で籐堂先輩が演説をしている。生徒会選挙の立候補者による表明の挨拶だ。
須江川高校の生徒会選挙は6月で、3年生は受験に専念するため2年生以下が立候補する。立候補制なので1年生も当然できる。そういえば、少し前に磯辺先生が立候補したい人は用紙をもらうように、と話していたことを思い出した。
それにしても籐堂先輩、立候補してたんだ。なんか雰囲気がふわ~っとしてるから、こういうのには縁遠そうな気がしていた。全校生徒の前で堂々と自分の意志と意見を話す姿はのんびりと部室でお茶を飲んでいる先輩の雰囲気とはどこか違うけど、元々、こういう人だよといわれたらすんなりと受け入れてしまう。子どもみたいな単純な感想になるけれど、それくらい先輩の立ち姿はかっこいいと思った。
「――部活動については、部活の新旧に関係なく、これからは部活の規模と実績を基にした予算分配の仕組みへと変えるため、各部の活動を正確に把握していけるようにします。またそれぞれの部活で大きな問題が起こっていないか、これから起こらないかを見るために部活への査察やヒアリングをより細かくしていきたいと考えています。同好会についてこれまでどおり学校からの部費はありませんが、その分、活動場所の充実や活動内容を広める機会の提供を進めて――」
籐堂先輩の部活に関する公約は『各部活への学校予算の分配をこれまで以上に丁寧にする』『全校生徒が気持ちよく部活が出来る環境を作る』というものだった。部活以外のことだと『過度な引き締めとなる校則やルールの緩和』や『学年間の垣根を越えた行事や学校生活の実施』とか。上級生が強い・絶対みたいな風習がいろいろ残っているからその部分を取り払おうとしているんだと思う。
香原先輩が言っていた意味の答えはこれだったんだ。たしかに仲の良い籐堂先輩が生徒会長になれば休部していた水泳部も融通が利きやすくなる。身内びいきでちょっとずるいような気もするけど。
先輩の話が終わり、拍手の音が館内に響く。続いて籐堂先輩と同じく生徒会長に立候補しているもう一人の2年女子生徒が演説をはじめた。
「――私は休部中の部活動の整理、活動実態の薄い同好会の統廃合を考えています」
なかなかに不穏な話が聞こえた。それはさすがにやりすぎなのでは、と思ったけど、周りからはそれほどどよめきの声は聞こえなかった。
でも、籐堂先輩が生徒会長にならなかったら、水泳部がまずいことになりそうな予感はした。それどころか民俗学同好会だって存続が怪しくなる。無くなるのは……うん。絶対に嫌だ。
―――――
昼休み。私は押切さんとプールに向かっていた。扉の前にはすでに久我崎さんと籐堂さん、香原先輩の姿もあった。
「先輩、大丈夫なんですか?」
「あー、大丈夫、大丈夫!ごめんねー。不安にさせちゃって。でも、問題ないよ」
私の問いかけに先輩は不安さが微塵もない明るい声で答えた。
「あの子、吹奏楽部の子でさ。いろんな同好会が出来て吹奏楽部がパート練習で使える教室が少なくなって困っているんだって。ちゃんと活動してそうにない同好会もあるから。それに、部費の件もウチの学校は部費の用途にそこまで細かくないから、小さい文化部が領収書ごまかして私物買ってたり、部費と活動場所を手に入れるために休部中の部活を名目だけ復活させようとして問題なったこともあったんだ。そういうのが許せないからちゃんとしたいんだろうね。彼女に賛同している子たちも結構いるよ。ただ、あの子が生徒会長になると水泳部にとってはまずいことにはなる」
先輩はパンと手を叩いて、「でもね」と付け加える。
「紅葉はそれらを踏まえたうえで、みんなが不幸にならないように考えてる。それに、あの子結構校内では有名で人気もあるんだよ。だから、大丈夫。次の生徒会長は紅葉だから。ちなみに、今部活を作ったのは選挙と代替わり前でドタバタしてチェックが甘いこの時期にしれーっと復活させて、代替わり後すぐの部活予算の分配に当然のように混ざりこむのが狙いでねー」
「さらっとあくどいこと言って、もう……」
「というわけで、みんな紅葉に清き一票をお願いね。じゃあ、また放課後に~」
そう言うと先輩はヒラヒラと手を振ってその場を後にした。先輩の言葉には私たちを安心させるための優しさじゃなくて確固たる自信がある、いっそ余裕すら含まれている、そんな感じがした。
あれ?結局、去年部活を作らなかった理由はさっきの話の中に入ってなかったような……まぁ、それは別にいいか。なんであれ、私が今やらなきゃいけないことは決まってるから。
「あっ、朱鷺乃さん」
「どうしたの?久我崎さん……って、なに!?」
私たちも戻ろうかという雰囲気になったところで、久我崎さんが私の肩をポンと叩くと、私の髪を手でずらしながら耳元にそのまま添えて唇を近づけた。涼しい空気が耳たぶに当たってくすぐったい。
「今日はクローゼットにかけてあるアレ、ちゃんと持ってきましたか?もし、良ければ貸してあげましょうか?」
猫なで声でそれだけ言って、久我崎さんは教室に戻っていく。甘ったるい匂いが蒸した夏の空気に混じっていた。それと入れ替えに先に教室に行こうとしていた押切さんが戻ってきた。
「朱鷺乃さん、どうしたんですか?そろそろ、お昼休み終わりそうですよ」
「あぁ。うん、そうだね。戻ろうか」
私の部屋のクローゼットにかけられていたアレは今、教室の鞄の中に入っている。別になんてことはない。学校指定の水着。金曜日にまだ片付いていない段ボールから取り出しておいた。でも、月曜日も火曜日もそれを持っていく勇気は出なかった。出来ないことを認めるのが怖かったから。
久我崎さんは私がわざと忘れたことを知っていた。そのうえでプレッシャーをかけてきた。なんか、彼女の場合、本気で自分の水着を私に貸してきそうな気もするけど。いや、着れないでしょ。私と久我崎さんじゃ、いろいろとサイズが違うし……。
私は腹を括りつつ、女子って怖いなぁ……と、せめて私と、目の前で不思議そうに顔を傾げている彼女くらいは普通であってほしいと願っていた。
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