足掻いてる
水飛沫が舞い上がる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。途切れることなく何度も打ち上げられては重力に負けて、また水の中へ戻っていく。それを見て、何度も挑戦し続けることを思うか。それとも、世の中には決して抗えない何かがあることを悟るのか。まぁ、そんなこと考える変わったやつなんて私くらいか。
「上に蹴り上げるんじゃなくて、水を押し出すように蹴る。後、膝より上を動かすことを意識して」
「そ、そんなこと言われても……!」
「膝下を大きく動かすように蹴ってるから、下半身が沈んじゃってる」
「ほーら、ここ、ここ」
「ふにゃっ!?」
香原先輩が久我崎さんの腰のあたりを両手でクイッと持ち上げると、水面に紺色のスクール水着に包まれた久我崎さんの見事な半円状の臀部が浮上した。
「先輩、それだと上げすぎ」
「指摘するポイントはそこじゃないと思いますよ!」
「うわっ!?なにこのほどよく締まりつつ、筋肉質でもない絶妙なお腹。私のお肉少しあげたいよ。最近、夜に間食して太ってきちゃったからさ」
しっかりセクハラをされている久我崎さんだけど、彼女は今プールの壁を掴んでバタ足の練習をしている最中なので下手に抵抗ができない。手を離したら上半身は水の中にダイブしてしまう。カナヅチで現在進行形で特訓している彼女では抵抗ができない。
そんな久我崎さんの屈辱的な視線は犯人ではなく、プールサイドで彼女を見下ろしながら教えている私に向いている。ゴーグルをしているからよく見えないけど、たぶん屈辱を覚えていると思う。ざまぁみろなんて思ってない。こりゃ面白いなぁって思ってるだけ。
「はい。その状態で腿から動かすようにバタ足してみて。最初はゆっくりでいいから。ほら、いち、にっ」
「なん、かっ、すごく、くや、しい、きぶ、んですっ!」
「顔、水につけた状態の方が安定するよ」
ぱしゃんと久我崎さんの顔が水の中へ入った。うん、これで静か。
水着を忘れた私を除いた4人は早速プールに入って練習中。久我崎さんは泳げるようになるとこからなので、私と香原先輩のコーチによる初心者向け水泳講座だ。フォームがなかなかにダメで基礎からスタート。
一方、押切さんと籐堂さんは別のコースを使ってそれぞれ私が提案したメニューを淡々と進めている。押切さんは小さい頃に少しスイミングスクールに通っていたことがあり、籐堂さんも運動は全体的に得意らしくそこそこのスピードで泳げている。つまり、この部活のお荷物は当面のところ、私と久我崎さんだけということだ。
「はぁっ……はぁっ……ちょっと、休憩を……」
「そうだね。上がって座わろうか」
「そう……します」
「プールサイドに腰掛けながらでもバタ足の練習はできるから」
「鬼ですか」
「いや、それよりも久我崎さんの体力が無いだけだよ」
久我崎さんはゴーグルを外して、少し苦しそうに息を吐き出す。凹凸のはっきりした体がしなやかに動く。一枚の布だけで覆われて体のラインがはっきりわかるその姿は、前に写真で見せてもらった小学生の彼女とはやっぱり全くの別人にしか見えない。どれだけの苦労をしたかなんて見当もつかないくらいに。
正直、久我崎さんがここまで頑張る理由がわからない。他の運動はできると言っていたし、公立の中でも上の中くらいの学力があるこの高校に入れるくらいの学力はある。容姿だって見ての通り。むしろ泳げないのはかわいい欠点程度だと思う。私みたいに小さい頃から続けていたわけでもない。久我崎さんは『私に勝ちたいから』なんて話したけど、それこそどういうことなのかさっぱりだ。
彼女は私に『水泳を教えてほしい』と頼んできた。人に何かを頼まれたり頼られたりするのが私は嫌だった。最初のうちはありがたそうにしていても、それを重ねていくうちに教わることが当たり前になって、教われないことに不満を持つようになる。そして、互いの利害が一致しなくなって安っぽいその関係は終わっていく。ちゃんとした先生と教え子の関係だって仲違いすることもあるんだから、それ未満の関係はもっと崩れやすい。
それなのに私はこうして久我崎さんに泳ぎを教えている。それはきっと、彼女がどこか遠くを見つめている気がするからだ。
「はぁっ……はぁっ……!こ、こんな感じですか?」
「うん、そう。膝から先はしなって自然に動くようなイメージね」
私の知らない、久我崎さんだけが目指しているずっと先。彼女はそのどこかへ行くために私を利用している。真剣に、必死に。
次のテストを乗り切りたいから。泳ぎが下手だと友達にからかわれるから。そんな目の前にある達成できなくても大したことないような小さな目的じゃない。絶対に成し遂げたいことがあるから、久我崎さんは頑張っている。だから、私は知ってみたいんだ。それが何なのか。
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