羞恥心とリスタート
恥ずかしくて死にたい。そう思うことが人生には何度かある。小学校の時に先生のことをお母さんと呼んでしまったことと、夏休みに服の下に水着を着てプールに行ったら替えの下着を忘れてスカートの下に体操着のズボンを履いて帰ったこと。
そして、今。
「あの、何してるんですか?もしかして、また入るのを迷ってるということじゃ……ないですよね」
「うぇっ……」
久我崎さんはプールのある棟と教室のある校舎を繋ぐ渡り廊下でうろうろしていた私を見つけると、わざわざ屈んで下からこっちの顔を覗き込んで『ふふっ』という言葉が続きそうなお淑やかそうな笑みを浮かべる。
「久我崎さん、どうして……。もう中にいるんじゃ……」
放課後のチャイムがなってから既に30分以上経っているから、とっくにみんなプールに行っていると思ってたのに。
「はい。チャイムが鳴って教室を出たら向こうで見たことある人が職員室に行くところを見たので気になって後をついていったら、扉の前を何回か素通りした後、ようやく入ったのを眺めてました。その後、同じ人が15分くらいトイレに籠もっていたのでお腹でも壊したのかなと思い、心配して影ながら見守っていました。それから大きく深呼吸をしながら出て行ってプールのほうへと。私も同じ目的地だったので向かっていたら、先ほどの人が今目の前でうろうろしているのでじっくり待ってから声をかけようと思ったために、こうして遅れたというわけです」
「ストーカーとして訴えてやる」
「昨日、あんなに熱い誓いを交わした仲じゃありませんか」
「やめて……。あれはいろいろありすぎて変になっちゃっただけだから」
昨日のことがまた頭の中に思い浮かんでくる。思い出した言葉の数々に比例して顔の温度が急上昇するのがわかる。両手で顔を抑えても生ぬるい手のひらは熱を下げてはくれない。
「実は昨日の会話、ちゃんと録音していたり」
「ウソ!?」
「ウソですけど、ちゃんと覚えてます♪」
「久我崎さん、実は性格悪いよね?」
「そのせいか、友達は朱鷺乃さんと押切さんしかいないんですよね……」
そう言っている顔は全然悲しそうにしていない。う~ん、やっぱり似てるんだよね……私たち。今は全然嬉しくないけど。
「さて、和んだところで行きましょ」
「いや、これのどこが。それと、ほら……なんというかまだ心の準備が」
「1週間くらい前は普通に入ってましたよね。ささっと入ってナチュナルに挨拶すればいいだけですよ」
「ほら。昨日、あんなところ見せちゃったし……」
「でも、同じクラスの押切さんには『昨日はごめんね。もう大丈夫だから』って平気アピールはちゃんとしたんでしょう」
「まるでその場を見ていたみたいなコメント!?」
「それくらいだいたい想像がつきます。それに後の二人も大丈夫です。いちいち変な目で見るような人じゃありませんよ」
「で、でも……」
「はい、行きますよー」
久我崎さんに回りこまれ背中をグイグイと押されながら、私は渋々プールサイドに入った。もちろん先に入っていた三人と目が合う。
「深月ちゃん!!」
「わぷっ!?ちょ、ちょっと、先輩!」
猛スピードでこっちにやってきた香原先輩に抱きつかれる。バランスを崩しそうになる私の背中を久我崎さんが支えてくれた。おまけに手のひらでグッと私の背中を押し込んで私が抱擁から逃げられないようにしている。
「良かったー!もう昨日は心配したんだよ。体のほうは大丈夫?」
「だ、大丈夫です……。心配かけてすみませんでした」
「いいの、いいの!理由はよくわかんないけど、きっといろいろあったんだよね。うんうん……私だったら力になるからね。でも、本当に良かった……元気そうで」
さっきまでは顔が温かかったけど、今度は体全体が温かくなってきた。それにきっと外だけじゃなくて中も。
「先輩。ところで、そろそろ……」
「あっ、あぁー……。もうちょっとかわいい後輩の柔らかい感触を確かめていたかったんだけどね」
「先輩もそれを言いますか」
「先輩も?」
「いえ、なんでも……」
言われて先輩も恥ずかしくなってきたみたいで、無事に私も解放される。それにしても、もう少し普通な誤魔化しかたはなかったんだろうか。それと、この二人の『かわいい』は小動物を見るときに使うそれと同じなんだと思う。二人より頭一個分くらい低いし。
そんな私たちを押切さんはほっとしたような顔で、籐堂さんは『なにやってんのこいつら』といった顔で見ていた。そして、その隣にもう一人。
「えーと、朱鷺乃さんが五人目の部員ということで合ってる?」
「あっ、磯辺先生」
現代文の先生で私のクラスの担任。ショートボブで小柄な体型。真面目だけど少し抜けてるところがあって男子生徒からよくからかわれていることが多い。親しみやすい雰囲気から男子だけでなく女子からも人気は高い。去年、女の子を出産して今年の四月から学校に復帰。年齢は27歳だけど、見た目より若くというか幼く見える。
「先生が水泳部の顧問になるですか?」
「見ての通りね。1週間くらい前に決まったばかりだけど」
実はさっき私が職員室に入部届を提出に行ったとき、学年主任の藤尾先生に「顧問がいるからそっちに渡してくれ」と返されていた。もう顧問の先生まで決まっていたことには驚きだった。
「それじゃあ、これ……先生に」
私は右手に持っていた入部届を先生に手渡す。
「はい。確かに受け取りました。これで朱鷺乃さんも晴れて部員になったということね。じゃあ、ひと段落ついたところで……みんなに聞きたいことがあります」
だいたい、こう改まって人が尋ねる場合、それは聞かれる側にとって良くないことが多い。
「昨日、ここで何があったんですか?」
先輩の肩がピクッと上下に揺れる。
あぁ……たしかに昨日起こった出来事は事故とはいえ、よろしくないことだったなぁ……。先輩の反応からするに先生には何も報告してないっぽい。
「えーっと……先生、あの~……それは、ですね」
「何かあったら、顧問の先生に話す。部長としては基本中の基本、ですよね?」
「は……はい、先生のおっしゃるとおりデス」
笑顔の先生から太陽も飲み込んでしまいそうな黒いオーラが出ている……ような気がした。それを見た押切さんが私の肩をトントンと叩いた。
「そういえば、文芸部にいたとき先輩が話してました。磯辺先生は自分のことをからかわれて怒るときは怖いどころか可愛いけど、誰かのために怒るときは優しいけど恐ろしいって」
「さいですか……」
この後、私たちは怒涛の正論でこっぴどく叱られた。
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