宣戦布告

「私に勝ちたいって……泳ぎで?」

「他に何がありますか?」


 『他に私に勝てるものがあるんですか?』というニュアンスで聞こえた私はひねくれ者なのかだろうか。それより、前に大会で私に負けて……ってことはないよね。久我崎さんカナヅチだし。


「そうだとして、久我崎さんの意図がさっぱりわかんないよ。もしかして、まだ冗談言ってる?」


 いまだに信じられない私に、久我崎さんは突然その場で立ち上がる。隣で座っていた私は彼女を見上げるかたちになった。


「私は全てにおいて朱鷺乃さんに勝たないといけないんです。完全無欠に勝利しないと気がすまないんです」


 私の顔に向かってピンと張った細くて長い人差し指が伸びる。顔は変わらず真剣そのものだ。どうしよう。本当にさっぱり意味がわかんない。思い当たるフシが全くない。もしかして、私、久我崎さんにどこかで何か悪いことでもした?


「じゃあ、その理由を教えてって言ったら?」

「特典は先ほど使いましたので、ここから先はコースに入会してからになりますね」

「うーん……身勝手じゃない?」

「身勝手な振る舞いは美少女の特権です」

「自分で言っちゃうの、それ……」


 久我崎さんが今度は私のベッドにストンと腰を下ろした。その動きに合わせて私が背中を預けているマットレスが歪むのがわかる。まるで背中を叩かれたような気がした。


「まだ必要ですか?一歩踏み出す理由。それともみんなから求められないとダメですか?誰かに背中を押されないと動けないんですか?」


 私立の中学に進んだのも、水泳をはじめたのも、こんな自分になったのも、私は私を形成するもの全部を私以外のところから寄せ集めて作ってきた。誰かの感情や言葉を理由と言い訳に変換して、その免罪符を片手にここまでやってきてしまった。


「朱鷺乃さんはそんなに弱い人なんですか?」


 あぁ、もう。どいつもこいつも私を知った風な態度で近づいてきて、私をわかったような言葉をかけてくるのかな。そんなに態度や表情に出やす……うん、出やすいか。だったら、もうまどろっこしいことはやめよう。薄っぺらい紙に包んで隠すもの、必死に動き回ってあちこち避けようとするのもなしだ。


「さっきから、私に勝ちたいだの、私が弱いだの、好き勝手言ってくれちゃってるけど、私が本気だしたら強いよ?だって、全国レベルの実力者だし、テストの成績だって学年1桁から下がったことないし、この高校だって合格間違いないって言われたくらい。スポーツテストの成績だって久我崎さんに負ける気がしない」

「現在進行形のカナヅチが何言っちゃってるんですか。勉強だって中学と高校じゃ違いますよ。進学したら途端についていけなくなっちゃった、みたいなことにならないでくださいね。それとこの部屋、モノがちらかりすぎです。お風呂場もあまり掃除されてない感じですし、冷蔵庫の中身はからっぽ。冷凍庫は安い冷凍食品がてんこ盛り。クローゼットの中もそれはそれは地味で暗くてセンスが残念な服ばかり。女子力の低さが溢れ出てますよ」

「他人の家、漁り過ぎでしょ!」

「他人じゃないですよ。友人です」

「あっ……」

「そのワードでコロッといっちゃいますか……チョロいですね」

「……雑魚キャラ扱いしないで」

「いいじゃないですか。雑魚でも。だって、後は強くなって勝ち上がっていくだけですよ」

「それが簡単じゃないってことくらい、わかってるよね」

「身に染みるほど。その辛さを一周まわって楽しくなっちゃうくらい味わってきましたから」

「それは心強いや」


 久我崎さんが歩んできた道の全てを私はまだ知らない。とはいえ、高校生のここまでの道のりなんてたかが知れてる。私たちは大人になったらもっと辛い目にあって大変な道を進むことになるかもしれない。それでも、彼女が通ってきたその道は私が考えているよりずっと大変だったんだと思う。そして、久我崎さんも私に対して同じことをきっと思っているんだろう。もしかしたら自意識過剰かもしれないけど。

 私たちは知っている。乗り越えることの辛さと、何かに打つ勝つことの嬉しさを。


「私、勝ちたい」


 その相手は誰なのか。目の前に座る女の子か。過去の自分か。まだ見ぬライバルか。今はまだわからない。でも、湧き上がる感情と口から出た言葉は本物だ。


「だから、力を貸してくれる?」

「よろこんで。私も同じことを思ってましたから」

「似てるね。私たち」


 自然と伸ばしていた私の手に久我崎さんの手が触れる。スポンジケーキみたいに柔らかい感触から火傷しそうなくらいの熱が伝わってきた気がした。

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