お節介な姉妹

「じゃ、ここらへんで」


 体育館裏に連れてこられた深月。ドラマや漫画だと告白スポットか、いじめの現場のどちらかによく使われていそうな殺風景な空間。中からはバスケ部男子とバレー部女子の入り混じった声が聞こえる。壁の向こう側でどんな良いことや悪いことが起こっても誰にも気づかれないだろう。そんな場所で対面する眼光鋭い無愛想な少女と目線を泳がせている背の低い少女。傍目から見たらこれが男子ならゆすられそうな場面だ。


「えっと、何の用……ですか?籐堂さん……」

華江かえ

「はい?」

「私の名前」

「へっ……?あ……、う、うん。私は朱鷺乃……」

「知ってる」

「そ、そう……」

「それと、同学年なんだからタメ口で良いよ。別に取って食ったりしないし。そんなに私怖い?」

「えっと……あ、いや、そんなに」

「ん。ならいい」


 最初に会った時からやたらと睨まれたのと、華江の雰囲気が相まって勝手に怯んでいたが、ちゃんと向き合うとそんなでもないなと深月は感じていた。怖そうと思っていた彼女の表情も、凛としているという風にとらえられた。


「ところで、あんた何がしたいの?」

「……何って、なに?」

「質問に質問で返さないでくれる?」

「ごめん」


 それでも華江の喋り方からは威圧的な空気を感じずにはいられず、深月が押され気味なことにはかわりはなかった。


「部活、なんで来ないの?」


 じゃり、と深月の踵が砂を削る。


「私、部員じゃないし……」

「あの二人も部長もあんたのこと待ってる」

「そう言ってたの?」

「言ってないけど、ウザいくらいそんな空気出してる。押切は練習中もしょっちゅう扉のほう見てるし。先輩もいつも最終下校時刻ギリギリまでプールサイドにいる。久我崎もちょいちょい申し訳なさそうなめんどくさい顔してる。アレは絶対気にしてる顔だから」


 それでも二人が声を声をかけにこなかったのは、深月自身に動いてほしいと思ったからだろう。


「さっさと来てあの辛気臭い空気なんとかしてほしいんだけど、それが出来たらとっくにしてるか。で、どうして来れないかって聞いたところで、言いたくないんでしょ?」

「わかるんだ」

「あんた水泳できるんだよね?それなのにこの高校に来るってことは水泳やりたくないってことでしょ。わざわざ高校を選ぶなんてなんかワケがあるって普通思うし。本心がどっちかなんてわかんないけど、正直なとこ、ワケなんてどうでもいい。ただ、一回関わったからにはハッキリ決めてほしいわけ」

「決めるも何も私は部員じゃないって……」

「あの日、先輩はもう一度あんたを誘うつもりだった。それはあんたもわかってるんでしょ。でも、その言葉を聞こうとせずに逃げた」

「それは……」

「私だって最初見たときはあんたも部員なんだって思った。当たり前だよね。三人で仲良く練習してたんだから。そうしたら急に放り出して?意味わかんないんだけど。何がしたいの?」

「……」


 体育館から聞こえる声に全く劣らないはっきりとした口調で華江は鋭い言葉を深月にぶつける。突き刺さる言葉は何一つ的外れていない。そして、深月はそれに対する答えを持ち合わせていない。会話はピタリと止まり、二人の間に沈黙が続く。


「まぁ、一度しか話したことないやつにこんなこと言われても知るか、って話か」


 そう言うと、華江はすっと深月の横を通り抜けた。これで話は終わり、という意味だと汲み取った深月は強張っていた肩をゆっくりと落とす。


「でもさ、言わなきゃ一生誰もわかんないから」


 ぴくり、とうな垂れた肩が小さく震えた。



―――――



「パイセン、お疲れ様です。ささっ、お茶でもどうぞ」

「……どうも」

「今日はお茶菓子もあるの。お父さんが京都に出張してきたから、定番だけど八つ橋ね」

「いただきます!」

「あからさまな態度の変わりように泣いてしまいそうです」

「はい。ティッシュ」

「扱いが雑です!後、そこはせめてハンカチで」

「あ、ごめん。口に付いたあんこ拭きたいからやっぱ返して」

「あぁん!そんな無慈悲な」

「二人とも仲が本当に良いわね」

「いえ、私は別にそんなつもりは」

「あの~、何か嫌なことあったんですか?」

「……別に」

「とびきり腹が立つことがあったんですね」


 華江が去った後、帰ろうとした深月は玄関で空に呼び止められた。無視して逃げようと思ったが、素早い動きで両手でしっかりと左腕を捕まれる。「陸ではボクに分があったみたいですね」と笑顔で校舎へ引っ張る空に、深月は複雑な表情を浮かべたまま無理やり民俗学同好会の部室である図書準備室まで連れて行かれた。そして、こうして部長である紅葉と部員である空に囲まれ、不機嫌そうな顔でお茶をすする今に至る。


「先輩、私と妹さんが一緒にいること知ってたんですね」

「ごめんなさい。あの子、朝からご機嫌斜めで『あいつ……問い詰めてやる』って拳握りながら呟いていたから、朱鷺乃さんが心配になっちゃって」

「あはは……先輩と真逆ですね。妹さんの性格」

「そうね。双子とは思えないくらい」

「えぇっ!?双子なんですか!たしかに姉妹だから外見は少し似てるなーって思いましたけど……」

「容姿がそっくりじゃない双子だっているのよ」

「でも、それならなんで同じ学年じゃないんですか?」

「私が4月1日が終わる前に生まれて、華江は少し時間がかかって日付が変わってしばらくしてから生まれたの」


 学年が変わる生年月日の境目は4月1日。4月2日以降に生まれた子とは同じ年に生まれたとしても1学年の差が生まれる。低い可能性であるが、そういうケースもあるという。


「なんだか不思議ですね」

「生まれた時間をずらして同じ誕生日にすることも出来るみたいなんだけど、その時はそこまで考えている余裕がなかったみたいで。私たちが生まれた後、大切な誕生日だからちゃんと正しいものにしようって両親の間ではなったけど、後々になっていろいろとね……。でも、仕方ないわ。誰のせいでもないから。さて、その話は置いておくとして。ごめんなさい。姉の私から謝らせてね。あの子、強情なところがあって、自分がこうだと思ったらとにかく言動に出しちゃうところがあって」

「素直で良い性格だと思いますよ」

「パイセン。顔が笑ってません」


 自分の感情に任せて皮肉を込めてみたが、初めて見る紅葉の落ち込んだ姿に対して逆に申し訳なくなってしまった深月はバツが悪そうに髪をくしゃくしゃと掻いた。


「まだ会ったばかりの人に私の行動とやかく言われるのはやっぱり腹が立ちました」

「本当にごめんなさいね……」

「あ、いや、先輩は謝らないでください。間違ったことは言ってませんでしたから。それに優しかったです。妹……華江さんは」


 深月の心に華江は土足で踏み込んでくることはなかった。寸でのところはあったけど、彼女はあの日の理由を暴こうとはしなかった。華江だけじゃない。るいこう蓮菜れんなもそうだ。誰も無理やり入ろうとしなかった。外側から静かにノックをするように触れていた。蓮菜を除いた三人にいたっては会って数日だから当然かもしれない。ただ、その気遣いが嬉しくて、少し寂しかった。


「……だから、答えにいきます。そうしないといけない気がするから」


 うだうだと一人で考えていてもどうにもならない時は山ほどある。だったら、そのままぶつかってしまえばいい。後は……きっとどうにかなるだろう。なぜだか深月あはそう思えてきた。

 そう、と紅葉は安心した様子で聖母のような優しい笑顔を見せる。その表情に深月の隣で座っていた空が「尊い……」とつぶやいていた。ツッコんだり茶化すのも気が引ける。というより天に召されそうな同級生の緩みきった顔に若干引いてしまう深月であった。


「そう。じゃあ、そんな朱鷺乃さんに一つ部長さんから伝言。来週月曜の放課後、プールサイドに来てほしい、とのことよ」

「わかりました」


 そう言うと、深月は席を立ち上がる。


「もう行くの?」

「ちょっと走って頭スッキリさせたいんです。じゃないと休みの間に揺らいじゃうかもしれないんで」


 机に手を伸ばして飲みかけの湯のみを口元まで持ってくる。一瞬止まって、その中身をぐいっと飲み干す。熱さが波になって喉の奥から伝わってくる。額にじわりと汗が浮かぶ。


「美味しかった。ありがと」

「どういたしまして。7月からはアイスティー週間を予定してますんで」

「楽しみにしてる」


 深月は空になった湯のみを空に手渡して、扉に手をかける。


「朱鷺乃さん」


 すっ、と通る紅葉の声に深月の手がピタリと止まる。


「ここも、あなたの居場所だからね」

「……はい」


 扉にはめ込まれたガラス窓が山吹色に煌いて、そこに映っていた深月の姿をさっとかき消した。紅葉は返事に込められた感情を声色だけで言い当てられるほど深月との親交を深めていられないことを悔やんで、スカートの上に置かれた手をぎゅっと握った。

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