それから、これから

 それから一週間近く、深月は水泳部に顔を出さなかった。授業中はこれまでどおり片隅で窓を眺め、放課後は民俗学同好会で空と紅葉とお茶を啜る日々。4月から続けていた日常はあっさりと戻ってきた。同じクラスの涙も翌日すぐに、深月を本格的に活動しはじめた水泳部の活動に誘ったが、「いや、やめとく」と言うとその先を何も聞かずに「そうですか……」とだけ答えて去った。それから今日まで涙とは言葉を交わしていない。クラスが違う洸に至っては顔すら合わせていなかった。


 きっと今、プールサイドに顔を出したら、彼女たちは何事もなかったかのように振舞ってくれて、深月が自ら入部したいと言ってくれることに期待を寄せながら、夏のはじまりを過ごしていく。ただ、それは、たぶん何かが違う、漠然とした言葉しかでないけれど、そんな気がしていた。


「はぁ……」


 時は放課後。教室からは一人、また一人と生徒が消えていく。深月は大半のクラスメイトがいなくなった教室で頬杖とため息をついていた。涙の姿はずいぶん前になくなっていた。前の席で2人組の女子生徒が談笑を続けている。1週間くらい前までは校舎から少し離れたところに高校専用のテニスコートで汗をかいていた女子テニス部の部員だ。今日も部活の時間はとっくに始まっているはずだが、彼女たちが時間を気にしている様子はない。


 須江川高校はほとんどの部活で生徒たちが真剣に大会やコンクール、賞を目指して日々活動に取り組んでいる。しかし、もちろんそのやる気が全員に伝播しているわけではない。練習や雰囲気についていけなかったり、部員同士でいざこざを起こして自然と部活から消えていき、幽霊部員になる新入生も少なくない。先へ上へ進もうとする力強い風は生徒達に情熱の炎を灯すこともあれば、容赦なく心の中のか弱い柱を叩き折ってしまう。良い成績を出そうと真剣にやっている部活ほど、厳しい練習メニューについていけないのなら仕方ない。実力とやる気のある部員を育てていこうという考えになってしまっている。顧問の教師たちもフォローやケアをしていこうと努力してはいるが、折れてしまった気持ちを持ち上げることは容易ではない。


 そんなこの高校の小さな歪みを深月はぼんやりと眺めながら、彼女たちの頭上にある時計に視線を移す。そろそろ、だいたいの生徒達が部活をはじめている頃合だ。部活へ楽しげに向かう生徒たちを見るのが嫌なので、この時間まで深月は粘っていた。自分もそろそろ出て行こうと席を立ち、かけてあった鞄を取る。すると、談笑していた女子たちの会話が急に止まった。そんなに注目されるほど大きな音は立てなかったはず、と深月が女子たちの方を向く。彼女たちは一様に嫌なものを見つけたようなどこか敵意のある視線を廊下の方へと向けていた。それを追うように深月も視線をずらしていくと、扉の前で鋭い目つきの少女が腕を組んで立っている。ただし、その少女の視線はテニス部員の女子たちではなく、深月の目をじっと睨みつけていた。


「あのさ、話あるんだけど、ちょっと来てくれない?」


 深月の先輩である籐堂とうどう紅葉もみじの妹で、水泳部4人目の部員である彼女がそこにいた。

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