突然の訪問者 その2

「深月、ちゃんと三食摂ってる?コンビニ弁当ばかり食べてない?」

「大丈夫、食べてる」

「洗濯物溜めすぎてない?部屋の掃除は一日おきにしてる?」

「してる、してる」

「学校の勉強は大丈夫?……あ、でも、それは深月なら大丈夫ね」

「全然問題ないから。そんなに心配しないでいいってば」

「そうね。……ところで、深月。2つ、ダウト」

「んなっ!?」

「はぁ~……食事と家事は完全にウソね。やっぱり、小さい頃に教えてあげておくべきだったなぁ……」


 ゴミ箱にはコンビニ弁当やカップ麺のゴミ、菓子パンの袋がぐちゃぐちゃに詰まれている。部屋の床には散乱した部屋着。机の上には読みっぱなしの本。片隅に置かれた籠には下着やYシャツが溢れている。ちなみに、先日、洸が家にやってきた時は部屋の前で待たせて、5分でゴミと服をクローゼットとベランダの隅に押し込み、急場をしのいでいた。


「……どうして、わかったの?」

「声を聞いたら一発よ。でも、勉強は本当に大丈夫そうで良かった。うん、それに関しては私の自慢の娘ね」

「はは……さすが、お母さん」

「ぷぷっ……笑い声の『はは』と『お母さん』をかけたダジャレなのね」

「ううん、違う。偶然だから」


 電話越しに必死に笑いを堪えているくぐもった声が聞こえてくる。この娘に対しての恐ろしいまでの直感と、笑いに関する沸点の低さを持っている声の主が深月の母だ。今は地方の都市で深月の父親と二人で暮らし、頻繁に都内で一人暮らしを続ける深月に電話をかけている。


「でも、まぁ……深月のことだから、絶対にそうなっていると思ったわ。ゴールデンウィーク過ぎまでは自炊して頑張っていたけど、五月病を迎えて全部ダメになったのね」

「……はい」


 そこまでピッタリ当てられてしまうともう頭が上がらなかった。深月の声が一気に萎れた声へと変わる。


「お母さんも結婚したての頃は家事をがんばったんだけど、1ヶ月もしたら嫌になっちゃったの。それで、近くに住んでたお姉ちゃんに手伝ってもらったっけ……」

「お母さんからの遺伝だったんだ……」

「はい、そこ。人のせいにしないの」

「ごめんなさい」


 正面に誰もいない虚空へと深月は頭を深く下げる。母は「よしよし」と深月が素直に謝ったことに安堵の声をかける。


「深月の普段は素直じゃないのに、急に素直になっちゃうところ、かわいくてお母さんは好きよ」

「やめて、恥ずかしい……」

「そこもお母さん譲りね」

「そうなんだ……」


 深月と母の関係は良好といえる。ただし、母親のほうは深月に対してフレンドリーになりがちなところがあるので、反抗期を過ぎたとはいえ、深月もたまに対応に困る時がある。それと、こうしてすぐに「好き」と口に出してしまうところも恥ずかしくてたまらなかった。


「そんな素直でかわいい深月にお母さんからサプライズプレゼントですっ!」

「な、なに、急に……?」

すさんでしまった深月の高校生活に一筋の光を差し込んであげましょう」

「は、はぁ……」


 それと、この小説のト書きっぽい言い回しも苦手だった。ここらへんは母に似なくて良かったと深月はつくづく思っている。


 と、深月の意表をつくように部屋のチャイムが鳴った。受話器の向こう側からは「ふっふっふ……」と悪の女幹部みたいな怪しい母の笑い声が聞こえてきた。


「ヒントはさっきの私の話でーす」

「あっ……!それって、もしかして……ダメ!部屋片付けてないから!こんな部屋見られたら……」


 でも、鍵は閉めている。それなら急に入ってこられる心配はない。今のうちに見た目だけでもなんとかして……と深月は考えた……のだが、

 ガチャン、と扉のほうから物音がした。


「ねぇ、お母さん。私の部屋のスペアキー、なにかあった時のためにお母さんが持ってるって言ってたよね?」

「あらっ。お母さんの手元に深月の部屋の鍵が無いわ。一体、どこに無くしちゃったのかしら」


 焦る深月の気持ちを無視して、部屋の扉が開いた。長身の大人の女性が現れ、軽く部屋を見渡した後、奥にいる深月に気づく。


「深月!あー、久し振りー!」

「……やっぱり幸恵ゆきえさんか」


 肩に抱えていた大きめのバッグを下ろし、深月のほうへ早足で近づいていき、勢いそのままに深月を抱きしめる。夜の空気で冷えた幸恵の黒いジャケットが肌に当たり、思わず軽く身震いする。それでも背中に回された彼女の手からはたしかに温もりが伝わってきた。


「全然変わらないねー」

「あー……幸恵さんと会うの、たしか3年振りだよね。それだと、その言葉は意外と傷つくかも……本当のことだから仕方ないけど」

「あっ、それもそうね……ごめん!」

「幸恵さんはまたちょっと大人になった」

二十歳はたち越えたから。前は大学一年生の若造だったからね」

「まだ若いでしょ」

「これでも酸いも甘いもいろいろ知ったほう。ところで……」


 深月から離れた幸恵は改めて部屋をぐるりと見回して、真横に落ちていたさっき脱いだばかりのYシャツを摘んだ。


「これはどういうことかなぁ……」


 あの、いや、それは、と後ずさりしながら、目の前で笑顔のまま怒りをこめていく幸恵を必死でなだめようとする深月。お尻にぶつかったスマホから、「諦めなさい」と母の声が聞こえた。


 彼女の名前は戸嶋としま幸恵ゆきえ。深月の母の姉の娘。つまり、深月にとって従姉いとことなる人物だ。現在は実家のある街で親元を離れ、都内の大学に四年生として通っている。深月の住むアパートから徒歩で20分ほど離れたアパートで暮らしている。小さい頃は毎年家族ぐるみで夏休みや冬休みに東京へ遊びに来て、その度に友達のいない深月の遊び相手になっていた。とはいえ、当の深月はこちらの心情おかまいなしに絡んでくる幸恵のことが苦手ではあった。深月がここに引っ越してきたことは伝えていなかったが、そもそもこの部屋を選んだのは深月の母である。ならば、いずれ来るのは明白だったと深月は頭を抱えた。


「……で、そこを片付けたら、洗濯機を回して。あっ、それは燃えるゴミだからこっち。それはそのままにしとくとシワになっちゃうから、ここにかけて。それと……」

「幸恵さん……もう少し、ゆっくり……」


 幸恵の指示通りにノンストップで部屋を片付け続けた深月が根をあげる。幸恵は過保護気味かと思いきや、かなりスパルタな性格である。あれこれ面倒を見てくれるが、本人のためを思って何事も自分でやらせようとする。小学生の夏休み、漢字ドリルや算数の問題集の宿題はすぐ終わらせていたが、自由研究が苦手だった深月は、遊びついでに手伝いに来た幸恵に『この町にいる昆虫の研究』を指示だけ出されながら、一週間も毎日深月を連れ出しては朝から晩まで昆虫採集や標本の製作をさせられた。しかも、納得のいかない出来だと有無を言わさず何度もダメ出しをする始末で、これが深月の人付き合いの苦手さに追い討ちをかけることとなった。



「はい、お疲れー」

「お、お疲れさまでした……」


 ヘトヘトになりつつも、部屋を見渡すとさっきまでとは打って変わって、見違えるように綺麗になっていた。幸恵に指示されるがまま動いただけだが、片付けたのは自分の力だと思うと、なんだか誇らしい気分にもなってくる。


「嬉しいんだったら、これからは定期的に掃除と洗濯はすること。週末まで溜めるのはなしね」

「はーい」


 表情からしっかり心の中を読み取られていた。これはお手上げだとぼんやり天井を見つめていると、香ばしいソースの香りが深月の鼻腔をくすぐる。深月が掃除に翻弄する間を縫って、深月が焼きそばを作っていたようだ。


「じゃあ、2ヶ月遅れだけど、深月の引越し祝いのそばでも食べよっか」

「焼きそばだけどね。でも、おいしそう」

「野菜もたっぷりだから。深月もこれからはこれくらいの料理はしてね」

「はーい、わかりました」


 幸恵と小さなテーブルを挟んで、出来立ての焼きそばにかぶりつく。洸とのジョギングで疲れの溜まった体内に濃厚なソース焼きそばのエキスが充満していく。お茶で口と喉を潤しながら、するすると焼きそばを飲みこむ。


「おいしい?」

「うん」

「じゃあ、これからは週に一度……ううん、二度は来るからね。今日は簡単に済ませちゃったけど、手作りのご飯も持ってきてあげる」

「い、いいって。幸恵さん大学あるし、ほら今は就活もあるんでしょ」

「単位はほとんど取り終わったし、就活のほうも順調に進んでるから、私のほうは全然大丈夫」

「そ、そう……」

「ところで、高校はどう?」

「どうって……普通」

「楽しい?」

「……まぁ、それなりに」

「私は叔母さんと違って、ちゃんと学校のことも聞くからね。別に報告はしないけど、やっぱり気になるし。ねぇ、やりたいこと、ちゃんとやってる?」

「わかんない……でも……」

「でも……?」

「前進はしてる、つもり」

「それなら良し!」


 わしゃわしゃと幸恵に頭を撫でられる。細くて綺麗な彼女の手は少し冷たかった。


「もう子どもの時みたいにするのやめてって。恥ずかしいよ……」

「いいの、いいの。深月は私の妹みたいなもんだから」

「私に拒否権ないんだね」

「黙ってお姉さんの言うことを聞きなさい……あっ、そうだ。深月。昔みたいに私のことおねえ……」

「恥ずかしいからパス」

「なによ、もう。深月のいけず」

「幸恵さんはもう少し従妹いもうと離れして」

「やーだ」

「即拒否ですか」

「私は何もしてあげられなかったダメな姉だから。これはその罪滅ぼし」


 途端に幸恵の声が暗くなる。彼女の顔もきっと同じようになっている気がして、ぐしゃぐしゃに撫でられた髪を元通りに直していた深月は、幸恵の顔から目を逸らしたまま動きを止める。


「だって、私はずっと深月を応援していたかったんだよ。これから大変になるだろうから、少しでも近くにいられるうちは、私なりに助けてあげようとも思ったの。それなのに、それなのに、あの人は……」

「幸恵さん、それ以上は……ダメ」

「ごめん……」


 顔を上げると幸恵の頭がうな垂れていた。深月は自分がされたように幸恵の頭を撫でる。セットされた髪を崩すのは申し訳ない気がしたので、ガラス細工に触るように優しく静かに手を触れる。


「私は……大丈夫だから」


 もし、深月の母がこの言葉を聞いていたら、なんと言うのだろうか。



「じゃあね、深月。また来週のどこかで来るから。それと、作りおきの料理を冷凍したタッパー、冷凍庫に入れておいたから。おかずなかったらこれ食べて」

「ありがと。今度来るときは事前に連絡してね。部屋片付けておくから」

「ちゃんと日頃からやりなさい」

「……わかりました」


 夏の嵐のような、それでいて春のそよ風みたいな訪問者が去っていった。片付いてさっぱりした部屋に、少女が一人。狭い部屋だが、今だけは一人で暮らすには広すぎる、そんな風に思えた。


「たまには、誰かと食べるのも悪くないか」


 聞きなれたシステム音が鳴り、スマホに通知が届く。母からの『今、楽しい?』という短い一文。深月はスワイプして画面を開き、少し考えた後、文字を入力して送信。ソースの香りがまだ残っている皿を流しへと運ぶ。


 しばらくして、開きっぱなしのSNSの画面が、ぱっと灯りを点した。


『今、楽しい?』

『ううん。まだ』

『そう、良かった』


 どうやら、母は文面だけでも娘の気持ちがわかるらしい。

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