似ている?

「これが、私が泳ぎが上手になりたい理由です」


 ごくりと、深月からもらった飲み物を飲み干して、洸はそう言った。


「ごめん……いろいろ情報が多くて、混乱してる」


 深月は洸と同じように、テーブルに置いてあった飲み物を最後まで飲み干す。そうやって体を冷やさないと、喉の奥から煮立った熱湯みたいな熱いものがこみ上げてきそうだったから。


 久我崎洸はいじめられていた。身体的に、精神的に。深月自身には過去、そういう出来事はなかった。だけど、その程度が大なり小なり違うとはいえ、そういう目に遭った子は少なからず周りにいた。深月の記憶の断片にもちらほらと浮かんでくる。からかわれたり、無視されたりしたあの子。それは、あってはならないけど、なくなることもない、子どもたちの日常に隠れた不条理な現実の1ページ。


「あっ、今はそんなことないですよ。中学から離れた学校に通うようになりましたし、体型だって……苦労しましたけど、中学生の時に今くらいに痩せられました」


 理想的な洸の体型。会ったときは単純に羨ましいと思っていたが、話を聞いた後では全く違って見えた。どれだけ大変な思いをしたのか。それを考えると妬ましく思ってしまった自分の浅ましさに深月は後ろめたく思い、わずかに目を反らした。


「足も速くなりました。苦手だったスポーツも出来るようになりました。だけど、泳ぎだけは今も全然ダメなんです。おかげで、水泳の授業だけはやっぱり恥をかきながらやってました。あの時のみんなの視線に悪意はなかったですけど、やっぱり辛かったです」


 頬を人差し指でかきながら、洸は苦笑いを浮かべた。


「なんとかしたいと思ったんですけど、さすがに中学でカナヅチなのは恥ずかしくて、スイミングスクールとか水泳部にも入れなくて」

「でも、これから出来る部員の少ない水泳部なら大丈夫ってこと?」

「はい。私と部長さんと朱鷺乃さんだけなら、そんなに恥もかかなくてすみますし」

「たしかにそうかもしれないけど、でも……」


 そうだとしても、やはり深月である必要はない。


「朱鷺乃さんは、私と似ていると思ったから」

「私が、久我崎さんと?」


 一体、こんな美少女と自分のどこが似ているのだろうか。深月は見当もつかず、首を傾げる。その様子を見た洸は、ふふっと小さく笑った。


「大丈夫です。朱鷺乃さんも十分かわいいですよ。小さくてちょっと無愛想なところとか、猫みたいで」

「ね、猫って……!」


 洸としてはフォローをしているつもりだろうが、自分が可愛いということをしっかり肯定している。おまけに……


「なんか、上から目線っぽくない?」

「もう、考えすぎですよ」


 洸はニコニコと屈託なく笑う。さっきまで暗い過去を話していたとは思えないくらいに明るく。しかし、深月には洸が見せている表情をすんなりと受け入れるほど、もう甘くは考えていない。洸は本当に心が読めない。人形みたいに同じ表情をずっとしてるけど、その中にある本当の顔は今、何を考えているんだろう。


「……で、似ているところってどこ?」


 本筋からうっかり外れてしまったので、軌道を元に戻し、再び洸に問い直す。深月は喉を小さく動かして唾を飲み込む。きっと、彼女は言い当てる。深月が思っていることを。

 明るい色も暗い色、いろんな色の絵の具が深月の腹の中でぐるぐる回る。隙を見せてら一気に溢れそうで。でも、それを許してはいけない気持ちもあった。

 この感覚は何なのだろう。少し悩んで、深月は『ああ、そうだ』と思い出す。


「朱鷺乃さんも思っていますよね。変わりたい、って」


 これは、期待なのだ、と。

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