誘いと拒絶
高校入学と両親の仕事の都合で、親元を離れてアパートで一人暮らし。体型は中肉中背で胸も尻も含めて真っ平ら。好きな食べ物は母親の自家製ハンバーグ。嫌いな食べ物は酸っぱいもの全般。スマホの電話帳には両親と親族の連絡先だけ。付き合いのある友達はゼロ。高校デビューなんて露知らず、無愛想に接して2ヶ月も過ごせば、好んで寄ってくるものも無し。唯一校内で喋る相手は部活仲間の二人だけ。傍から見れば、寂しい高校生活を送っているともいえる。
そんな深月の唯一の特技が泳ぐこと。父親の勧めではじめたスイミング。はじめは母親の教育方針で勉強漬けだった日々の息抜き程度だった。しかし、みるみるうちに上達し、中学一年で将来を期待されるスポーツ選手の卵たちが集まるジュニアオリンピックに出場するまでに成長した。
「水泳部……」
一方の香原蓮菜は昔、小学生だった深月と同じスイミングクラブに通っていた。といっても、蓮菜は水泳がそこまで得意ではなく、深月の中学進学を機に、初心者向けコースと上級者向けコースに別れてしまった。一緒に泳いでいたのは時期にしてたった1年。それからは練習日が変わったこと、蓮菜がクラブをやめてしまったこともあり、話す機会もなくなった。会ったのはこれが3年ぶり。
「そうそう!全国クラスの実力を持つ深月ちゃんがいれば、鬼に金棒!深月ちゃんブランドで、顧問も残りの部員もゲットして……目指すは全国大会へ...。というわけで、早速この部活動申請書に名前を……」
「入りませんよ。水泳部」
「うんうん、入りませんよ……って、ええぇっ!?ウソ!?なんで!?」
「水泳部入りたくないから、水泳部の無いこの高校を選んだんですよ、私」
「え!?それ、ホント?たしかに、深月ちゃんがウチに入ったって知ったとき、おかしいとは思ったけど……マジで?」
「スイミングは中学の時に辞めました。というより、水泳を辞めたんです。二年くらい全く泳いでません」
香原の顔は驚愕の色で上書きされ、どうしたらいいかわからず、紅葉を見つめる。紅葉も反応に困り、自分を頼られても……と左右に小さく首を振った。
「いや、もったいなさすぎるよ!だって、ジュニアオリンピックにも行って。それなのにさ。辞めちゃうだなんて……」
「私は辞めたいと思ったから辞めたんです。自分の価値観を押し付けるのはやめてくれませんか」
「押し付けてるわけじゃないよ。私はただ……才能があるのに、残念だなって……」
「才能なんて、もう残ってないですよ」
「......」
苦しそうな顔でその言葉を紡ぐ深月に、香原は言葉を絞り出せなかった。短い沈黙すら耐えきれなくなった深月は、「今日は帰ります」と小さく紅葉に告げて、部室を後にした。
「昔はすごく楽しそうに泳いでたんだよ。深月ちゃん......」
けれど、その姿が過去のものになってしまったことは、深月の昔を知らない空と紅葉も痛いほどにわかっていた。
水泳はあの頃の彼女にとっての全て、だった。
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