第9話 織田信長、包囲される後編

「信長さん、プレイヤー集まりました?」

 バイトから上がったコウ太がセッション砦に顔を出したのは夕方のことである。

「それが、心当たりは全滅よ。これほどの孤立を味わったのは元亀の世以来じゃ。しかも、今は家臣も三河殿もおらぬ」

 つまりは、第一次信長包囲網である。

 上洛した信長は、越前の朝倉と関係が悪化して遠征するも、朝倉の裏切りによって金ヶ崎から撤退した。

 三好三人衆や伊勢の六角義賢、摂津の荒木村重、さらには石山本願寺も敵となり周囲を敵に包囲されるという危機が続いた。

 味方と言えるのは足利将軍家と家康くらいなものであったが、後にその足利家が信長包囲網を呼びかけるのだから信長としてはたまったものではない。


「思い切って謙信や信玄にも声をかけ、日取りの候補を送ったというのにのう」

「そのふたり、ドラゴンとサーベルタイガーですよね、今……?」

「それを言ったら、惟任日向守なぞダイスであろう? セッションできるなら、ドラゴンやサーベルタイガー、ダイスであっても一向に構わん。この際坊主でもよいわ」

 信長にとって、坊主はギリギリの妥協ラインである。やはり坊主には厳しいのだ。

 セッションが枯渇したゲーマーはどうなるかというと、禁断症状が出る。

 今、信長はそれに苦しんでいるのだ。

「信長さん、すっかりゲーマーになりましたね」

「そういうおぬしは、女子を囲んでのオフセであったのだろう? キモオタ陰キャを自認しておったおぬしが、なかなかの“卓充”ぶりではないか」

「いやあ、僕なんか女子から安牌アンぱいって思われてるだけですし」

 卓充……TRPGのセッション卓が充実しているという意味である。

 界隈においては、よいプレイヤーが集まったり、セッションの機会に恵まれたりと、そういう羨ましい状況をリア充にかけていうスラングである。


「でも、珍しいですね。ノブさんって、ネットのTRPG界隈でも人気ゲーマーだったと思ったんですけど」

「であるか。わしもちょっと人気が出てきたとうぬぼれておったかもしれん。しかしプレイヤーの確保と兵を集めるのは似ておるのう」

「そういえば、信長さんは兵農分離を進めた事になってますよね」

「……わし、そんなことした覚えはないんじゃが」

 織田信長といえば、兵農分離を先駆けて実現した先駆者、革命者と思われていたが、実のところそうした軍政を実行した形跡はない。

 『信長公記』にある馬廻衆と弓衆の家族を、尾張から安土城下に引っ越させたという記述が根拠とされ、土着であった武士たちを無理やり土地から切り離したのは、そのような意図があったのだと説明されてきた。

 が、これは単に近習を側に移住させただけに過ぎなかったようだ。

 織田家の軍役についての資料はほどんどなく、実態はよくわかっていない。


「でも、僕も信長さんと遊べるなら予定調整しますよ?」

「まことか。やはりおぬしはいやつよ。ならば、来週の土曜はどうじゃ? わしの自慢のシナリオをGMしてくれよう」

「あっ、その日は先約が入っていまして」

「であるか。ならば、翌日の日曜は?」

「えっと。前後編のシナリオに誘われたので、その日もちょっと……」

「そ、そうか。人気者じゃな。では、次の祝日はさすがにおぬしも予定が空いておるであろう?」

「実は、その日も誘われてまして……j」

「予定が埋まっておると申すか!」

「そ、そうなんですよ。すごく熱心に誘われちゃって。オンセなんですけど、トラさんやドラさんって方も交えて遊ぶことになって」

「……んんん? ちょっと待て、そのオンセを主催した者はなんと申す?」

 信長もさすがに怪訝な表情となる。

 まるで回り込まれるように予定を先取りされてしまうのだ。

「ええと、SYOって人ですけど」

「……コウ太よ、その御仁の垢ちょっとわしに教えい。心当たりが大いにある」

「えっ? じゃあ、もしかして……!?」

 信長は、そのSYOというアカウントに突撃する。

 数分もしないうちに返信があった。

 道休の正体については、信長も得心がいったのである。コウ太もまた、信長の反応でピンときたのだ。


「やっぱり、その……SYOさんは?」

「うむ、公方様であったわ」


 公方様、つまりは室町幕府第十五代将軍足利義昭あしかが よしあきのことである。

 家督を継ぐ嫡男ではなかったため、仏門に入って一乗院門跡の覚慶と名乗っていたが、兄義輝が暗殺されると脱出して還俗した。

 それから各地を流浪し、信長に擁されて上洛すると室町殿御父むろまちどのおんちちと讃えていたが、後に不和となり諸大名へ私的な御内書ごないしょを出して第三次信長包囲網が形成される発端となる。

 この不和についての事情は、さまざまに言われている。

 決定的な亀裂は、義昭の振る舞いに対して信長が殿中御掟でんちゅうおんおきてを出し、そののち意見書によって諌めたことがきっかけと言われている。


「……足利義昭まで芸夢転生で召喚されていたんですね」

「まったくじゃ。わしの予定を探ったのち先回りし、知り合いのゲーマーとの予定を切り崩して追い詰めるとは、公方様の調略は相変わらずよ。確認したら、すでに謙信も信玄まで引き込まれておったわ」

「足利義昭って、わがまま放題で信長さんを困らせて追放された無能な将軍って思ったんですけど」

「将軍職や天下人の器量については及ばなんだかもしれんが、こと調略においては厄介な御仁ではあったのだぞ? しばらく仏門におったのだから、室町の幕府がどういうものか、わかっておらなんだのであろうな」

「……というと?」

「武家の棟梁というても、室町の御政道というのは何か事が起こると守護や地頭に書状を回し、そのうち誰かが解決するであろうというものでな。将軍が頭ごなしに取り仕切る、というものではないのじゃ」

「そんなんでまとまるんですか!?」

「まとまらなんだから、応仁のいくさが起こったのよ」

 つまりは、将軍職を絶対的な君主だと思っていた義昭と現実の幕府には乖離があったというわけである。

 実務を取り仕切った信長だからこそ、その辺のことはよくわかっている。

 だからこそ、近畿の国人衆を倒して自身の家臣たちに所領として与え、治めさせることで平定した。義昭は、幕府の将軍として権力によって統治しようと試みたが、それを実際に持っていたのは信長であった。

 そうした経緯があって義昭は信長に対して兵を挙げたが、結局のところ惨敗し、籠城した横山城からも退去する。信長による室町将軍追放と言われているが、実態は義昭を切腹させずに放置し、後の世の判断に任すという処遇であった。

 この後、義昭は備前の鞆城ともじょうに移り、将軍職にあり続けたので鞆幕府とも呼ばれる。

 秀吉が天下を取ると将軍職を辞して受戒して昌山道休しょうざんどうきゅうと名乗り、御伽衆となって山城横島に一万石の所領を得る大名となった。朝廷からは皇族と同等の待遇となる准三后の称号を送られている。

 流浪に継ぐ流浪を繰り返しながら、最後には万石取りの大名となって天寿をまっとうしたのだから、しぶとい生き様であったといえよう。

 で、戒名にもあり法名でもあった昌山から取ってアカウント名はSYO。将軍職を務めた貴人だけなかなのセンスである。


「グループメールとスケジュールアプリを駆使してオンセ卓を成立させ、わしを見事に孤立させよったわ……」

「すごい執念ですね義昭公。信長さん、どうします?」

「是非に及ばず、公方様をわしの卓にお招きする他あるまい」

「大丈夫なんですか? 卓の成立を周到に妨害するほど恨まれてるみたいですけど」

「いや、どうも戦国の意趣返しとわしを誘い出す策であったようじゃ。困った御仁であるが、ゲームの借りはゲームで返さねばのう」

 いつものいくさ人スマイルを浮かべ、信長はこの“TRPG信長包囲網”を切り崩す気でいるようだ。

 そしてコウ太がSYOさんこと室町幕府第十五代将軍足利義昭と同卓するのは、想像を絶する危機が迫る中でのことなのだが、それはまた別の話である。

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