勇者が死んだ世界を救う方法

くたくたのろく

プロローグ 全ての始まりと終わり



 今、私はおそらく色のない顔をしているのだろう。

 元々血色の悪い方ではあるが、いつも以上に酷い顔をしているはずだ。

 それは、隣にいるヴァルツォン・ウォーヴィス騎士団長も同様だった。


 ドシドシという擬音が当てはまるくらい力強く大理石の床を踏みしめ、遮る者を一切許さないかのように通路の真ん中を闊歩する彼は、普段は垂れ目と優しい性格も相俟って愛嬌がある相貌を、今回ばかりは初めて見る厳つい表情をしている。


 太い眉根を寄せ、灰色の瞳がまっすぐ前を見据えている。まるで、今まで目を逸らしてきたことから、もう二度と目を離さないように、覚悟を決めたかのような。

 ヴァルのその姿勢に、私は正直いまだに迷っていた。

 彼が背中に背負っているとても大きなふくらみのある布を、私は何度横目で確認しているだろうか。


「イゼッタ」


 不意にヴァルが視線だけを向けた。

「退くなら今しかないぞ」

 まるで私の心を見透かしているかのような発言に、ゆるりと首を振る。

「そんなこと、出来るはずないわ」


 そう、出来るはずがない。

私たちにはそうしなければいけない責任とか、義務とかがある。絶対に、ある。そう思ってないと足が止まりそうだった。

 そうだな。そう言って口を閉ざしたヴァルは、目を細めた。彼は優しいから、全て自分一人で背負いこもうとしていたに違いない。でも、それはダメだ。私たちは、言わば共犯なのだ。私だけ逃げることなんて出来るはずない。


「ヴァルツォン騎士団長、イゼッタ第二宰相……? いかがされましたか?」


 大きく厳かな扉の前、その両脇に立つ親衛隊隊員の二人が訝しげにこちらを見る。私はヴァルを見た。ヴァルはやはり前だけを向いていた。

「皇帝陛下へお目通りさせていただきたい」

「お目通り、ですか……?」

「はい。報告しなければいけないことが、」

「魔族に関わる重要案件です! 至急、陛下に報告とご相談したいのです」


 ヴァルの言葉を遮って、要点をまくし立てる。王宮内だからと、混乱や余計な詮索を避けるべくここまで歩いてきたが、事は急を要する。

それに、ヴァルだけに背負わせる・・・・・わけにいかない。


「分かりました。私、親衛隊副隊長クローツ・ロジストも確認のため、共に玉座へ参りましょう。――ニア、お前はこのまま待機しててくれ」

 私たちに受け答えしてくれていた生真面目そうな青年がそう言うと、ニアと呼ばれた女性隊員が腰に提げた剣の柄にぶら下がる鈴を鳴らし、了解と無感情に答えた。


 私は再びヴァルを見た。また目を細めている。きっと、本当は親衛隊の彼を巻き込みたくないのだろう。だけど、こればかりはどうしようもない。彼の仕事だから。


 少々お待ちください、とクローツが先に扉の向こうへ消え、少しして戻ってきた。

「陛下から許可をいただきました。さぁ、――どうぞ」


 扉が大きく開く。もう後戻りは出来ない。

ヴァルが先に前へ進む。その背中に背負った袋を見て、私も足を前へ。

レッドカーペットを歩きながら、カーペットの両脇で待機する親衛隊隊員を一瞥し、それからヴァルが見据える前へ視線を戻す。

少し高めの段差の向こうで、豪華な長椅子に寛ぎ愛猫のアリスを愛でる白髪の男性がいる。


 この国、ミファンダムス帝国の王―――第28代目カミスダリグレス・ウオンツォ・ミファンダムス皇帝陛下。


「うぬぅ、少し痩せたかのぉ……食欲ないのかえ? アリスちゃん」

「にぁー」

「うぬうぬ、おやつが欲しいのかぇ? すぐに用意させるからのぅ。……聞いてたであろう?…………あー、うぬぅー、親衛隊の誰でも良いから、早く持ってこさせぃ」


 カミス陛下は猫の耳をこしょこしょ擽りながら親衛隊に命じた。おそらく隊員の誰か名前を言おうとして思い出せなかったのか、結局ひとくくりに呼ぶ。それでも親衛隊隊員の一人が「御意」と姿を消したのを見て、私は密かに苦笑した。


 知らない、とは、こんなにも能天気になれるものなのかと実感したのだ。


「陛下」


 玉座と扉のちょうど真ん中のところで、ヴァルと私は片膝を着き発言する。

「お伝えしなければならないことがございます」


「ぬぅ? 儂は発言を許した覚えはないぞ?」

 ぴりりっと周囲の親衛隊の雰囲気が殺気立つ。陛下の命令なしに、勝手なことは許さないということだろう。でも、そんな悠長なことしてる場合ではない。

「申し訳ございません、しかし、無礼を承知で、報告を続けます」

 後ろでクローツが剣の柄に触れるのに気づきながら、私は口早に言い放った。


「勇者が死にました」


 ちりん、と親衛隊の誰かの鈴が音を立てた。

 誰もが私の言葉を理解出来ない―――否、理解しようとせず硬直している。その隙を突いて、ヴァルは背負っていた布を転がし陛下の目前でそれを解く。


「陛下、よく聞いてください。私とこの騎士団長は勇者にあることを尋ねるべく、彼が向かったとされる任地へ赴きました。そこで私たちが見たモノは、勇者によって屠られたであろう魔族と魔物の屍の山、そ、そして、………そして、彼の、遺体でした」


 最後の方は、さすがに声が震えてしまった。でも、そんな私の言葉よりも周囲の目を釘付けにしたのは―――広げた布の上に横たわる、少年の姿だ。


 緑がかった紺色の、少し長めの髪。血の気の失せた白い肌。もう二度と見ることが出来ない、無邪気な群青色の瞳は閉ざされ。機動力重視の軽装に身を包んだ彼の体は、ほとんど赤い血に塗れている。


 そして、死因であろう深い深い首の切り傷。


 私もヴァルも、言葉を失くしている王や親衛隊たちも、彼の姿を何度も見ているはずだから、これが本人であることは一目瞭然だった。


 100年に一度現れるという魔王を倒す、人々の希望。

 それこそが、――――今期の勇者であり、目の前で眠るように死に絶えているリウル・クォーツレイだった。


 がたんっと椅子から唐突に立ち上がるカミス陛下は、愛猫が驚いて逃げるのも厭わず、よろよろと勇者の元へ。そして膝を落とし、小さく「馬鹿な」と呟いた。


「勇者が死んだ? 明日からは各国の首脳たちが順番に勇者を見に来るのだぞ? 歴代最強と謳われる勇者を。死んだなんて、殺されたなんて、……そんなこと、」


 普段のおっとりとした口調が嘘のように、口早に何やら呟く陛下に「それは違います」とヴァルが否定した。


「恐れながら陛下、勇者は殺されたのではなく――――自害されたのです」


 視線同様、まっすぐな彼の言葉に、カミス陛下は大きく目を見開き、再び勇者リウルの亡骸を見下ろす。


そして、

「はあああああああああああああああああああああああ⁇」


 信じられない、と。

 大きく目を見開き、顔を引き攣らせた。


「勇者が自害ぃぃいいいい? ふざけるなよこの小僧! 貴様に、貴様にぃっ! どれだけの金をつぎ込んで……! 可愛い娘の将来もくれてやったのに、それでも足りなかったというのかこの小僧はっ!? 自殺ぅ? 魔王は? 魔族は? 魔物は? 一体だれが殺すのだ? 貴様の役目じゃろうがああああああああああああああああああ‼‼」


 大きな口を開き、唾を飛ばしながら慟哭するその姿に、私もヴァルも愕然とした。


「神から与えられた使命を放棄してぇ! 勝手にぃ! 死んだというのかぁ! ふざけるな! 起きろ! 今すぐ起きるのだ! ほら! ほら! 早く! 目を開けて! 立って! 剣を振れ! 勇者なぞ、それ以外価値もないのだぞおおおおおおおおおお‼?」


 勇者の襟首を掴んで揺さぶる陛下を止めようとヴァルが動いた瞬間、その首の横にすらりと細い剣身が置かれた。


「クローツ殿、」

「……これはまた、余計なことしてくれましたね」

 クローツはヴァルを、否、勇者リウルを見て、そう吐き捨てた。


「ミレザ、陛下は眠いようだから寝室へお連れしなさい。それからイースィ、ロムトはガロ隊長を探して僕の部屋へ連れてきて。あとレシアとアムリ、コルダ、ソックはこの二人を地下へ案内してさしあげなさい」

「なっ!?」

「――動くな。……勇者と同じ骸になりたくなければ、動かないでください」


 私は息を呑み、ヴァルは眉を顰めて「糞が」と吐き捨てた。


 そして、クローツの命令通り親衛隊隊員たちは機敏に動き始める。

何かの薬品を染み込ませた布で陛下の口元を抑え、虚ろな瞳をして虚脱した陛下の体を支えながら玉座から離れる者。己の影に身を沈め、姿を消した者。そして、私たちを拘束し投獄すべく取り囲むように近づく者。


「……クローツ殿、いや、親衛隊の総意と受け取って良いのか」

「ヴァルツォン・ウォーヴィス騎士団長。これは陛下の、そしてこの国の、この世界の総意です。

 勇者が死んだ? 勇者が自害した? そんな事実があってたまるものですか。国民は、人類は、勇者を希望として信じ、魔王亡き平穏を望んでおります。そんな真実は・・・・・・―――不要なのです・・・・・・


「っですが! 現に勇者は……リウル・クォーツレイは自殺したんです! そして魔王は生きてる! 隠すことなんて出来ない! それならば全て公表して、これからの対策を講じるべきなのではないですか!」

 クローツの言葉に我慢出来ず、喚きたてる私に彼は大きく溜め息を吐いた。


「いまさら……。本気でそうお思いでしたら、貴方がたは正気を失っているとしか思えません。さきほども言いましたが、群衆が望んでいるものは勇者が魔王を倒してくれる、という事実だけなのです。魔を倒すべき存在は、ただ勇者のみだと信じて疑わない。………実際、魔王を倒せるのは勇者だけですし」


「だからこそ―――」

「―――だからこそ、真実をありのままに人々へ告げれば、さきほどの陛下のように錯乱し、世界に絶望するでしょう。そして、勇者の再誕を待ち続けるだけの祈り子になり、やがて人類は魔の者たちの手によって絶滅します」


「――――」


「幸いにも、勇者リウルは己の任務を全うしてから自害したようですね。魔王軍の本隊とも言える魔物と魔族をあらかた一掃したようですし、おそらく魔の側もすぐには手を出してこないはずです。あとは、計画段階だった全都市の結界普及、要都市の結界強化を急ぎ進め、これであと何十年かは保つんじゃないですか?」


 勇者の死を見て、たった数舜でそれだけのことを思いついたクローツに驚きつつも、最後の言葉がどこか投げやりな口調だったことが気になった。隊員たちに手枷をつけられながらも彼をじっと見ていると、クローツは剣を鞘に戻して肩を竦めた。


「正直言わせてもらえば、だって勇者の死に絶望を覚えましたよ。でも、これが運命であるならば仕方ないじゃないですか。……我らが唯一神であらせられる女神レハシレイテス様の御心なれば」


 そこで話は終わりだとばかりに、クローツは身を引き、私たちは親衛隊に囲まれつつ牢獄へ向けて歩かされた。


「……クローツ殿が、まさか女神教徒だったとは」

「それよりもヴァル。このままでは……誰も勇者の言葉が届かないわ」

 私には、それが何よりも悲しいことだった。

 勇者が自殺した意味も理由も、このままでは無かったことになってしまう。

「………イゼッタ」


「私たちは、勇者を、リウル・クォーツレイという人間を、見ていなかった。誰一人としてよ? 失くして、初めて私たちは私たちの過ちに気付いたというのに」


 ―――「どうして生命いのちは平等ではないんだろう」今回の任務へと向かう前、いろんな人にその言葉を尋ねていたという勇者。


 イゼッタもヴァルツォンも、そのとき彼と会うことがなくその言葉を直接聞いたわけではないが、その噂を聞き、なんとなく嫌な予感がしたのだ。それで真意を問うべく勇者の後を追ったのだが、時はすでに遅かった。


 私たちはきっと、このまま投獄され、日を見ることなく処刑されるだろう。その事実すら隠蔽されて。


「本当にこの世界に女神様がいるならば、どうしてこんなにも残酷なシステムを作ったのかしら」

 そう、これはシステムだ。

100年毎に訪れる、残酷なシステム。


 ならば、せめてと思う。

 せめて、自害を選ばせてしまった勇者リウルに、非公式であろうときちんとした弔いを、と。



地下へと続く階段を下りながら、イゼッタ・モーディはそう願わずにはいられなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る