第5話 自動車が迎えた未来
This Message From NIRASAKI N-TOKYO JAPAN
Up-Loading Date - **.**.2065
Up-Loading Time - **:**:**
Attack Point Setting - **.**.2019
Time Control - Mode FREE
Power Gauge - GREEN
Link Condition - Perfect
Security Level - Perfect
Package Balance - GREEN
Backup Unit - ERROR
START FOR BACK.
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おはようございます。今日もコンビニに出社したけど、出迎えたのは電子音だった。会社は各店舗の事務室にセンサーを設置して、店員が出社したら、電子音声で挨拶をするようにすればいいのに。そういうのが、生活の充実につながると思う。
もう何度か書いているけど、自動車は全てが自動運転に変わった。ハンドルやペダルは運転席についているけど、それは緊急事態のための仕組みで、その緊急事態というのも、ありえないような事態だ。
日本では、国土交通省が管理する「全日本交通管理システム」が、複数の人工衛星と高性能コンピュータの並列演算により、全ての自動運転車を把握している。この仕組みが成立したのは令和になって十五年ほどで、運営開始の年は交通事故の件数が百件ほどで、それでも驚異的な少なさだが、その翌年からずっと事故は十件ほどしか起きなくなった。自動運転は、交通事故を事実上、消滅させた。
しかし、事故がどうしても起こるのは、これは事故というより、自殺だから、ということになる。今は技術が発展し、走行中の自動運転車の前に何の前触れもなく飛び込むと、関係するすべての自動運転車がその自殺志願者を避けて走り続けるか、もしもの時は停止する。停止する事態になると、交通法違反でものすごい罰金を払うことになるから、このやり口はオススメしない。
ドライブ、という概念は、本当に贅沢になった。ほとんどの人はVRで済ます。スーツを着て専用の椅子に座れば、時速百キロで道路を突っ走り、ドリフトしてカーブをやり過ごすことが、ほぼリアルのままに体感できる。VRの強みとして、どんな素人でも、達人級のドライビングテクニックを体験できるのも、大きい要素だ。誰もが藤原巧海になれる、っていう寸法。もちろん車をAE-86にするのも、一回タップすればいい。さらにもう一回タップして、白黒にして、側面に「藤原とうふ店(自家用)」と印刷もできる。
それでも本当の車でドライブしたい、という道楽者もいて、彼らは人里離れた昔の道を、本当の、リアルの車で突っ走っていると聞いた。僕からすれば、それこそ、頭のネジが飛んでいる。令和になって短くない時間が過ぎ、人里離れた、と表現できる場所は、つまり、警察もいないが、医者もいないのだ。いったい、そんな場所でガタガタに風化したアスファルトの道でコントロールを失い、ガードレール(サビでボロボロになっている)を突き破ったりしたら、どうするつもりだろう。救急車やレスキュー隊を呼んでも、到着まで生きていられる保証はない。命知らずというか、それを言ったら、平成の時代にもそんな存在はいたのだから、人間は進歩しない、もしくは、人間の嗜好は変わらない、ということだろうか。
自動運転車は百パーセント、電気自動車に変わっている。電気自動車が普及し始めた頃は、ガソリンスタンドが電気スタンドに鞍替えしたり、とにかく、充電が頻繁に必要で、家に帰ることができなくなる車も多かったらしい。だけど技術の進歩は、亀の歩みとはいえ、確かにあった。容量が格段に大きくなり、また充電速度も速くなった。今ではバッテリーが干上がることはないし、そもそも自動運転の仕組みに充電時期の予告や、充電状況の管理が組み込まれたため、勝手に自動車がスタンドへ寄り道したり、時には無人で走って、勝手に充電を受け、また走っている。乗っている人間が指示を出して充電させるのが普通だけど、コンピュータは交通全体との兼ね合いもあり、ドライバーに催促する場面もよくある。
自動運転における唯一の課題は、移動時間の問題だ。全日本交通管理システムの管理が厳密すぎて、その枠からはみ出すことはできない。つまり、どんなに急いでいても、追い抜いたり、スピードを上げることもできないわけ。近道は常に最短の距離が設定されるので、言葉では存在しても、近道が普通、当たり前だね。
この移動時間を事前に算出する仕組みが導入されたものの、これには誤差が生じていて、苦情も出ている。いくら車の交通量や、やりくりを加減しても、それを利用する人間が、あまりにも気まぐれすぎる、ってことだな。交通量はある程度、予測されているとはいえ、何かの拍子に道路へ出る車の数が増えれば、それだけ不確定要素が混入してくる。この人間の不規則さを読み取るコンピュータは、未だに、登場していない。理屈ではないから、たぶん、無理だろう。
ちなみに僕は自動車を持っていない。前も伝えたかな。自転車を使っている。人口の集中の弊害でもあるけど、道路の混雑はとんでもない。もちろん、ただ車に乗っていれば自然と目的地に着くわけだけど、狭い車内でじっとしているのも、性に合わない。まぁ、事務室でぼんやりしているのと大差ないとも言える。毎日、少しでも運動したほうがいい、とも思うしね。
これは、人類最高の頭脳たるドクの評判に傷をつけそうだけど、僕の中では笑い話なので、ここに記しておく。僕が子供の頃だから二十年ほど前になる。ドクがどこかからもらってきた電動車椅子を改造しているところに立ち会った僕は、どういうわけかその試運転を任された。今のドクと違って、当時のドクはだいぶ太っていて、きっと、自分の重量が一般的な基準に当たらない、と考えたんだろう。僕は中学生で、クラスの中でも背が高かったけどひょろひょろで、ドクよりも二十キロは軽かったはずだ。で、その電動車椅子に乗って、ハンドルを捻ってアクセルを吹かせたけど、これがとんでもないことになった。デタラメな急加速で突っ走った電動車椅子は、ドクの家のガレージの壁を突き破って、そのまま細い道を横切り、川に転落した。僕はガレージの中で何が何だかわからないほど吹っ飛ばされたが、幸い、それほどの怪我もなく、無事だった。ドクは僕を助け起こしてから、川まで行って、僕の助けを借りて電動車椅子を回収した。この時は、ただ、川にゴミを捨てるのが常識に反する、と思っていたんじゃないか、と僕は推測する程度だった。その数ヶ月後、街でドクを見た時、さすがに僕はポカンとしてしまった。例の電動車椅子が、電動二輪にも劣らない速度と安定性で、ドクを乗せて走り抜けていく。その時は全日本交通管理システムは運営初期で、つまり、ドクは交通法を無視していたことになる。そして、未だに全ての電動車椅子はシステムに組み込まれてない。つまり、ドクはどこかでシステムのことを聞いて、抜け道を用意していた、としか僕には思えないんだよ。あの電動車椅子は、今でもドクのガレージに置かれている。
その電動車椅子を僕は、「ホバーボード号」と勝手に呼んでいるけど。
ホバーボード号はしかし、日の目は見なかったようだ。
今のところは。
This Message is END.
Reply - Impossible.
Machine Number - 098
Massage Number - 010
P.S. “INITIAL D” Is Good Comic!
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