28.「いつわり」


『——————…以上が志村様の死亡に至った経緯となります』


そして映像が消えると麗人は一礼する。

月夜に輝く金色の髪は月光の慎ましい麗美さを余すことなく映し取り、礼の終わりと共に髪は薄いうるしの黒金へと戻っていった…。


保健室で放映された志村功の最期。

それは突如・・上空から降り立ったディボルグに踏み潰されたことによる圧死。…つまるところ、誰にも予測できなかった不運な事故・・・・・であった。


【———————————・・・】


暫くの間、誰も言葉を発さない。

各々の思いに浸る男たちを麗人は静かに見つめるのみで、ただ窓を通った夜風がいたずら・・・・にカーテンを揺らしていた。…彼女が何を感じ、何を思っているのか。その真意は定かではないが、月明りが手伝って色濃く映えたその儚さとたおやかさ・・・・・は麗人の意外な素直さを秘かにかもし出していた。


「…」


…リーゼントの男は映像が投影されていた空間をじっと眺めた後、ゆっくりとうなだれて何かに没頭するような様子を見せる。そんな彼からはいつものような活気の良さが失われ、彼の底とも呼べる深い何かをのぞいた気がして視線を別の人物へと向ける。


「~…~…」


…隣のベッドにいた大男は天井を見上げたのちに震えた鼻息を吹き、それから装うように精悍せいかんな表情を浮かべるが、やや湿り気を帯びた表情筋からは哀愁あいしゅうの色がにじみ出ていた。



「ぁ‥‥」



‥‥最後の男は志村の身体が二つに別たれた直後、僅かに口を開けて声にならない絶望を音にする。その顔は暗がりでも分かるほどに酷く青ざめており、男から生気とおぼしきものが著しく欠損していくのが感じられた。


「———————」


それから映像が終わってから数秒後、水を被るように両手で静かに顔を覆うと男は一時停止する。まるで彼の中にある時計だけが針を止めてしまったように男は微塵も動きをみせない。


…やがて変化が見られたのは顔に貼りついた指。水を被るかの如く密着した指が第二関節から吊り上がるように顔から僅かに離れて面を形作る。そして、そこから手を降ろして顔を出すのかと思われた瞬間、その十指には骨を砕かんばかりの力が籠められ、顔を圧迫していたのである。


「‥ッ―――ッ…」


仇と言わんばかりに自らを傷つける男に声を掛けようとするが、声を押し殺しながら身体を痙攣けいれんさせる彼を見た途端、何も言えなくなってしまった…。



「‥‥」


初めての死。人の死。第三者として人の「死」に直面したことで灰原は困惑する。

今日までに行われた二度・・のゲーグナー戦闘において自身や他人の死を予感したことはあるが、それを実際に目にしたことで〝死〟という概念・存在に対し、どのように反応し・受け止めれば良いのか分からずにいた。


…彼らのように黙って自分の世界に没頭することも。

…哀愁だけを取り出して上手に飲み込むことも。

…絶望し、自己嫌悪から自らを傷つけ、悲しみに身を震わせることも。


そのどれもが正しくて、そのどれもが間違っている気がしてしまう…。



———————これが「経験」の差なのだろう。


そう強く確信する一方、胸の内でくすぶる冷たい種火がしんしん・・・・と揺らめく。怒りの炎熱とは異なるそれを妙にわずらわしく感じて胸に手を当てるが、その火がしずまる気配はない。それどころか、時間の経過とともに胸の内から血と一緒に煙たくなった何かが全身を巡り、身体の芯から末端にむず痒さが伝播でんぱしていくと、いつしか瞳の奥が熱くなり始めていた。まるで何かを吐き出すように眼球は膨張し、いつしか眼球に籠った熱は「痛み」に変わる。


「俺は——」


僅かに生暖かいそれ・・を初めは眼球から飛び出した血だと思われたが、頬を伝って落ちたものはベッドのシーツを灰白に染めていった。



「―――志村に会いたい」


言葉にした途端、種火はいつしか大きな炎へと変わる。


身体中に蔓延した煙を吐き出すように、

その潤んだ目からはしょっぱい大粒の雫が一つ、二つ…と落ちていった。





—————————灰原様…。


 張り裂けそうになる胸にゆっくりと手を当てながらクラウンは静かに彼らを見つめていた。決して、掛ける言葉が見つからなかったからではない。大人な反応をとる彼らとは違い、純粋な反応を示した灰原によって膨れ上がった罪悪感が表れそうになるのを必死に堪えていたためである。


熾凛さかり、もう志村は…この世にはいないんだ。あいつは…」


灰原の言葉に反応した最上もがみ秀昇ひでたかが静かに沈黙を破る。

まるで暗がりに溶け入るように優しく、それでいて現実を諭すような囁きは確かに灰原に向けられたものであったが、その言葉を自身に向けられているものだと錯覚した彼女は改めて背筋を伸ばして胸を張り、毅然きぜんと振る舞うよう努める。



‥‥一抹の不安や恐怖といった負の感情の因子は些細なことで発生し蔓延する上、その感染力は至極凄まじく——電波のように連鎖的に・光の如く瞬間的に・煮え湯の如く暴発的に拡散したが最後———感染した者の人間らしさを容易に捨てさせ、人を疑心と暴力に満ちた野生の塊に変えてしまうことだろう…。



 言うなれば、これは管理者としての責任と罪悪感によって編み上げられた偽装とも呼べる情けない行いかもしれない。それでも死と隣り合わせの学校生活を送る彼等の日常を守るためには、こうした些細な努力だけは決して惜しんではならない。

今後もこういった〝死〟の場面が訪れる以上、そうした状況に立つ未来の自分が何を思い・何を抱くかは予測できないが、如何なる過程においても人の死に慣れてしまうことだけは決してあってはならないのだ。



〝死は教えであり、それに対する慣れは教えからの逃げでしかない〟


これは「神」に創られた者として与えられた理念ではなく彼女自身が掲げた思想。あるいは未熟者・・・として受容し続けなければならない戒めであり、管理者として、教師陣の一人として在り続けるために誓った覚悟の一端である…。






「—————いや、ちょっと待ってください。最上さいじょうさん」



意外なことに、そこで声を上げたのは梶原だった。

Aクラスである三人とは違い、唯一のBクラスの梶原にとって今回の件は無関係と言ってもいい。


「こいつは…その、分かる奴ですよ」


その大木のような右腕を灰原に向けて最上に意見する梶原であったが、その顔は普段より数割増しの気迫を有したままで明らかに表情と言葉のバランスが不釣り合いであった。


それでも勢いのままに突き出された腕は———一時いっとき、困ったように肘を落としながらも、最終的には真っ直ぐ灰原を指しており———主の表情筋よりも感情豊かであった。



「梶…」


「あぁー…分かりづらい奴ではありますけどね…」


付け足された男の言葉は良くも悪くも不器用そのものであったが、裏を返せばそれは彼自身が灰原熾凛さかりを認めたことを証明する言葉だった。ML(マテリアル)争奪戦における彼の行いを顧みれば、とても信じられない光景ではあるが食堂での会話を経たことによる確かな成果とも呼べるだろう。


「…そうか」


そして、最上秀昇は小さく笑ってそう答える。

そんな自分を呆気に取られた様子で梶原は見つめていたが自身の言葉が理解されたと思い込んだのか…やがて静かに腕を組み、冥想する様に目を閉じて沈黙する。


「それで灰原。お前は具体的にどうしたいんだ?」


〝死〟を前にした灰原に対し、あやすような言葉を放った自身を心の内で叱りつけながらも、今度はハッキリとした声で最上は灰原に問いかける。そんな自分の目を恐るおそる見つめ返してきた灰原であったが、その顔色は先程よりも僅かに晴れたものであった。



「さい‥最後に、もう一度だけ志村の顔が見たい。

それで何かが変わるわけでもないし、もしかしたら俺のわがまま・・・・に終わるのかもしれないけれど。

俺は志村功の死を…受け止めたい。しっかりと記憶に刻んで生きていきたい」



少しだけ言葉選びに迷った様子であったが言葉に表れた意志は紛れもなく真の通ったものだった。「死を受け止める」というフレーズに思わず胸をかすめ取られそうになったが、拳で自らの胸を叩くと勢いよくベッドから立ち上がり灰原の意志に応えることにした。


「おしっ! わかったよ灰原。俺もあいつには色々と世話になったしな…」


「最上…」


「…でも流石に今夜は駄目だ。

一応・・、俺たちは病み上がりなわけだし雨崎達にも志村の事を伝えないといけないしな。

…だから早くても明日の朝、みんなで志村に会いに行くとしようじゃないか」



そう言って周囲に視線を送ると全員が頷く。———否、一人を除けばだが、



「‥‥」


進藤岳人がくと———麗人クラウンを除き志村と最後に言葉を交わした一人である。


彼のせいで志村が死んだわけでは絶対にないのだが、彼の選択肢が志村の死に関わってしまった事は客観的に見れば間違いではない。しかし、その全ては最上秀昇の稚拙ちせつな計らいによって引き起こされた人災であり、今回の件における二番目の被害者は彼に違いないだろう。



「進藤…」


ベッドに溶け込みかけている進藤に近づきながら最上は必死に頭を回す。…この世界での生活が始まって未だ二日・・足らずで背負うには重すぎる彼の悲しみと憎しみと後悔。そんな彼の一途な優しさと責任感の強さから生まれたその大きな足枷を一気に取り払う———魔法のような言葉を‥‥。



 そして、最上秀昇は彼の耳元でこう呟いた。



〈‥‥志村を殺したのは俺だ。そこんところ、勘違いするんじゃねぇぞ‥‥〉



その刹那、いつぞやの感情が背後から身体を貫き、若い身体は忘れかけていた重さを取り戻す。「きた来た…」と懐かしき友との約束を果たすように胸は高鳴り、ようやく地面に足が付いたような安心感が身体を包み込んでいった。


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