27.5「幕間:進藤岳人」


麗人クラウンによって作られた魅力的な料理の数々…。

それらは五感全てを用いて堪能する食事本来の愉しみ方を改めて教えてくれる。生活を送るうえで食事に掛ける時間はどうしても削減されてしまうものだが、こうした手料理の数々を目にすると、料理や食事には時間を掛ける価値があるものではないか‥と改めて考えさせられてしまう。


「志村さん…来ませんね」


昼食のカレーライスを両手に桜木を囲むベンチで進藤岳人がくとは一人の男を待ち続けていた。


…先日、友人となった志村功である。


身長は170cm半ば、体格は細身で茶髪の天然パーマが特徴的な男で、着崩した服装も相まって少し浮ついたように思われがちだが、人にはない独創的な考えを持ち固定観念に縛られない柔軟性を持ち合わせた尊敬すべき人物である。


「どうしましょうか…」


志村の帰りを待ちつつ桜越しの青空を眺める進藤をある一つの欲求が悩ませていた。


…尿意である。


実のところ、それを満たす機会は幾度かあったが、最上の依頼を無下にすることも志村との昼食選びを中断することも出来ず、その機会は完全に失われたように思われた。


だが、不幸中の幸いとでも呼ぶべきか…志村の遅刻が思わぬ機会を運んでくれたようだ…。






「———…うーん」


常備していたメモに志村への言伝ことづてを記し、置き石代わりに昼食の入った器を載せた後、ベンチの上に昼食とメモ…という構図を眺めてから進藤は小さく唸り声を上げていた。



――――はたして、これが志村さんの目につくのだろうか…。



そう考えて身体ごと首を傾げる。

きっと自分が彼の立場ならば視界に入れる事はあっても、その意図に気づきはしない。むしろ他の誰かが置いたものだと考えてメモに触れる事もしないだろう…。


「そうだ…!」


唐突に案が舞い降りてきて思わず声が上がる。


要は適度に目立って、分かりやすく自身の存在を強調できれば良い。

志村の目に留まり、彼に理解できるメッセージを送る事が出来れば後は自然とメモまで辿り着くだろう…。

 

役不足かもしれないが自身の存在を証明するものは自分の中に確かに在る。唯一の物とは言えないが、昨日行われた戦闘の際に一度だけ志村たちに見せた自身の【MLマテリアル】———「机」である。



「これでよし」



机の上にメモと昼食を置き、進藤は急いで手洗い場へと向かう。

早く用を足したいというのもそうだが、あまり長いあいだ人を待たせることを進藤は好まないというのもある。無論、逆の場合であればあまり・・・気にはしないのだが…。






「———…ほぅ」


第一校舎の四階・・

食堂のある三階から一つ上の階にあるトイレから出てきた進藤は静かに息を漏らす。本来であれば先ほど利用したトイレに向かうつもりであったが、本格的にランチタイムへと入ったことで進藤は上階——図書室のある四階へと向かっていた。


「急がないとですね…」


ハンカチを懐にしまいながら登ってきた階段へと戻り始める。

三階のトイレ待ちで予想以上に時間を消費したため、やや急ぎ足で食堂へと向かう。



ところが階段へと体勢を向ける最中、視界の端で何者かを捉えた瞬間、



「————————」



気が付くと体は足を止め、その視線はある一人の人物を見つめていた。


…どうしてなのかは分からない・・・・・

自身の行動理由を言葉にできないというのは何とも情けないことだが、自らの体が抱いた感覚だけを簡潔に述べるとすれば「プレイヤー1」になった気分だった。ジャンルによっては「主人公」とも言い換えられるが、それらを一つにまとめるとすればプレイヤー1———二次元世界の操り人である。


「‥‥」


視線の先——本棚の谷間に立つ其の人物はある一冊の本に目を通していた。


本棚から目測して身長は170㎝後半。

頭髪は濃いめの紅茶に生乳を垂らしたような髪色をしており、かなり良質な色つやを保った髪色をしていた。不思議な事に何かの染料で染めたような飾り気や不自然さは一切感じられない。


白シャツにズボン‥と着ている服装からして性は男なのだが、目鼻立ちの良さや肌のきめ細やかさなどを見ると男とは思えないほどに美しく、高身長と細身な身体も相まって初見は男装をした女性だと勘違いしそうになるほどであった。



…それでもこれだけ・・・・であれば彼という人間に大した違和感は抱かない。ただの〝美形の男〟と評するだけで男の進藤が足を止めるには至らなかっただろう。


しかし、その首に直接巻かれた三つ編みの赤リボンに、左のこめかみ・・・・辺りから側頭部サイドを抉るように刈られた髪。さらにはズボンから半分だけハミ出た白シャツーーーと、これらの外見から表れるあやしさに加え更に進藤の興味を引いたのは、その美しい人相が常に浮かべている不敵で異質な微笑と「彼」という人間が放つ独特どくとくの空気感。そして、それらが総じて生み出されたであろう凄然せいぜんたる居心地の悪さであった。



「なにか用かな?」


「いえ…何の本を読んでいるのか気になりまして」


咄嗟に嘘をついていた。

男が目を通していた本は、対象者が触れることによって形を変える不思議な書物で本の題名は【神隠紙かみかくし:開示Rk5】。対象者のRkランクによって情報が解放される神様ゲームの情報誌のようなものであるが、それらの・・・・本の存在を進藤は既に把握していた。





―――――――――――――・・・———————————



…それは前夜のこと。

ゲーグナーとの戦闘で怪我を負った灰原熾凛さかりと付き添いの紅葵もみぎ蒼の帰りを見送った後、志村の誘いで雨崎と進藤は彼の家で夕食を共にすることとなった。志村功お手製の自称スペシャルパスタとミネストローネを頂きながら初日の感想などを語らい、何とも素晴らしい時間を過ごしたあとで三人は解散した。



「今日はありがとうございました。明日も頑張りましょうね、進藤さん」


「いえ、こちらこそ。ではお気をつけて…おやすみなさい雨崎さん」


「はい、おやすみなさい」



ぺこりと頭を下げて自室へ帰っていく雨崎を見送った後、進藤はその場を後にする。


共に戦いを乗り越えたとはいえ、初めは少しぎごちなさを残していた雨崎であったが、仲介に入った志村のおかげもあって帰り際に見せた彼女の表情はとても気持ちの良いものであった。


「…行きますか」


時刻は20時半。

本来であれば自室に戻り、たっぷりと湯を張った湯船に身を沈めて疲れを癒したいところであるが、やるべきことは沢山ある。


戦闘面における反省やMLマテリアルRsランクスキルといった未知数の武具を使った鍛錬…と挙げればキリがないが最も重要なことは情報収集である…。





「———…よかった。まだ空いてますね」


それから一人で図書室に立ち入った進藤はゲームに関する情報を集めることにした。じつはML探しが始まって間もない時に一度だけ訪れたこともある場所であったが、あの時は時間が制限されていた事もあって本格的な調査は後回しにしていた。


「————ふぅ。やれやれ…」


それから図書室を片っ端から調査し始めて小一時間…。

重要な情報とは別に図書館について分かったことが一つ―――それは図書室の構造である。


まず、今いる第一校舎だが、その構造は三階中枢部にあたる食堂から上階部分は吹き抜けとなった凹型の形状を取っており、その上階に当たる四階の図書室はマンション側と競技場側の二つに分かれて配置されている。


そのため図書室を全て調査するには一度いちど三階に下りて、食堂を通り抜けて、階段を上る…という面倒な工程を踏む必要があると思われたのだが、図書室間の移動手段はきちんと用意されていた。



…———————異次元のドア・・・・・・である。



見た目は教室にあるような引き戸で、分かたれた二つの図書室に各々二つずつ設置されている。


戸をくぐれば、そこは食堂を超えた反対側の図書室に通じており移動の手間を省くことができる。「実にゲームらしい要素ではないか…」と、このドアの存在を知った進藤は自身が異なる現実で生きている事を改めて思い知らされることとなった。



そして本来の目的である情報収集の方だが、面倒なことに【神隠紙かみかくし】関連の本は一か所にまとめて整頓されてはおらず図書室内の本棚に無作為に配置されていた。


その理由としては、その当時「Rk5」だった進藤が初めて見つけた本が【神隠紙:開示Rk3】であり、それ以外の神隠紙が別の本棚に保管されていたことが挙げられる。


「———これで全てのようですね。」


集めた書物を窓際のテーブルに置き、椅子に腰かけて一息つく。


図書室を捜索したところで発見できたのは、開示Rk5までの五冊分の本と「開示Rk10」と書かれた本の計六冊。ただし後者の一冊は題目が表示されるだけでページを開くことすらできない。



他人と比べてみないと詳細は分からないが、恐らくこれらの情報誌は〝Rkによる閲覧・発生制限〟が掛けられており開示Rkは恐らく「100」までに設定されている事だろう。それを見るまで自分が生きていられる保証はないが、要するに学校側としては、Rkの増加——つまりは此処で過ごす時間に応じて重要な情報を与えていく‥という方針をとるようだ。



「まだまだ謎が多い世界ですね」


学校側の意図を推察したところで次は神隠紙の解読に移りたいところであったが、目の前に積まれた六冊の本を見た途端にやる気を削がれてしまう…。


「…そういえば…」


少し息抜きをしようと窓から食堂を眺めていると、ふと昼間のことを思い出していた。




…———あれは確かML探しが始まった頃であったか。


教室から上階へ向かう途中で発見した図書室に足を運び、ML探しに勤しんでいたが特にこれといった物が見つからず、そろそろ部屋を出ようと考えた時、ふい眺めた窓から相対する二人の生徒を見つけたのである。


 一人は黒タイツを履いた女生徒で槍のような長い棒状の創造物を既に構えていた。身長は女性にしてはかなり高めで髪は少し長めの黒髪。髪型は藍色のシュシュで束ねられたポニーテールで志村よりもうねり・・・のある天然パーマが印象的だと言える。


槍の構え方から判断すると、手に馴染みのある武具らしく様にはなっているが技量的な未熟さが垣間見える。ただ恵まれた体格ではあるため本格的に訓練すれば伸びしろはかなりあると思われた。


 もう一方はつぼみのような髪形をした男で身長は進藤とほぼ同じくらいだが、とても同じ人間とは思えないような気品と貫禄があり、カリスマ性に溢れた人物に感じられた。


こちらは既に武器を構えている女生徒とは対照的で特に構えるといった姿勢は見られない。こういった場面を見ると、まるで男が手を抜いているように思われるが、穂先を向けられているにもかかわらず自然体でいる胆力は場数の多さの表れだとも判断できる。


…もしかすれば穂先に刃が付いていないだけなのかもしれないが、素人であれば武器を向けられるだけで必ず何かしらの行動を起こすもの。この状況であれば大半の者が自身の生徒手帳に手を伸ばすはずだ…。


「……」


 いつしか男と自分を重ねて進藤は自身の世界へと意識を向けていた。

相手は女性で、それなりに槍の扱いに慣れた人物。対する自分は相手より高い戦闘経験を持っているものの未知数の武器しか持ち合わせていない…。もちろん実戦訓練という名目を忘れ、この場の勝利だけを考えれば自ずと結果は見えてくる。


――――――――僕なら…。


答えが出た途端、まさに進藤が思い描いた形で決着はついていた。

槍は地面に転がっており女生徒の背後に回った男が首元に何かを押し当てている。ナイフや他の武器といった創造物ではない。…ただの生徒手帳である。


今でこそRsによって固定された概念の武具が想像されるが、仮MLとして与えられた生徒手帳にその縛りはない。勿論、このような芸当は相手との戦力を明確に見極めなければ中々できるものではないが、一度だけの創造しかできない代わりに無限の可能性を秘めた生徒手帳は相手を揺さぶる材料としては最高の武器だと言えるだろう。


「凄いなぁ。――――…あ、いけない」


 思わず見入ってしまったが、本来の目的を思い出した進藤はすぐさまML探しを再開する。本音を言えば創造物を発現させる場面を見たかったのだが贅沢は言えない。これも一つの勝ち方だと心に留め進藤は次の段階である実戦訓練へと向かうことにした。


実のところ、特に望ましいMLがあるという訳でもないため無理に争奪戦を行う必要はない。それでも一度きりとはいえMLを扱った戦闘が体験できるのであればこれを試さない手はないといえる。「ゲーグナー」というのが一体どれほどの力を有しているのかは謎だが、いざ戦闘となった時に上手くML等のシステムを扱えないのであれば戦うどころの話ではない。


――――――それに肉体が戻った分、きちんと身体の感覚も戻さないといけませんしね…。


陽気な足取りで図書室を後にし、進藤岳人は階段を下る。




―――――――――・・・——————————




「…これかい? まぁ…取るに足りない本だよ」


本を棚に戻しながら男はそう答える。しかし、その言葉は進藤の耳には届かない。

「本を棚に戻す」だけの行為で進藤の身体は固まってしまい、いつしか自らの視線はある一点を見つめていた。


…血色がよく、健康そうで、細く美しい指。本を戻す際に背表紙を押していた彼の人差し指である。


その指が、まるで愛撫する様に本の背表紙をなぞり押す動きに身はすくみ、心臓にナイフを突きつけられたような緊迫感スリルが胸を冷たくして熱くさせる・・・・・・・・・・

それは最高に興奮状態ハイになった状態で次の刺激を楽しそうに待つ…という、どこか懐かしくも中毒的な感覚に近しいモノがある。進藤自身に経験はないが、まるでホラー系の映画やゲームなどを愉しむ感覚と似ているような気がした。



 進藤岳人の経験上、このようなことは一度として無い。こうして人の指を見つめる事もそうだが、少し深めに切り揃えられた爪や爪下から現れた数ミリの皮…など。普段は気にならない細かな部分にすら視線が吸い寄せられてしまい自然と瞳が揺らいでしまう。…無論、進藤岳人にそういった・・・・・へきはない。


…————しかし、一つだけ理解したことがある。

この一分にも満たないやり取りの中、男が纏う空気感に進藤は一つの既視感を抱く。初めは気のせいかとも思えたが今までに感じた事のないような感覚と知らない自分が現れる体感から既視感は明確化された答えへと形を変えていった…。



他の興味を引きつけ、心の真にすら影響を与える其れはまごうこと無き〝カリスマ〟。あの保健室の麗人とは似ても似つかない全く異なる色彩のものではあるが、これは確かに魅の力を含んだ人間の圧力たるものであった。



「君は———…そうだ。同じクラスにいたね?」


人の秘め事を見透かすような眼と自らの記憶を疑うことのない断定の言葉。

彼の声と言葉が含む圧倒的な重さに思わず進藤は「気を付け」の姿勢を取りそうになるのを何とか堪えて自然体を突き通す。


「はいっ、進藤岳人といいます。貴方あなた‥は?」



 唐突だが、精神年齢は違えども肉体の年齢は同じ、という神様ゲームの世界において言葉遣いとは非常に重要なものである。

肉体年齢・MLマテリアルRsランクスキルといった共通点の他に「学校」という空間や同じ場所で過ごす間柄であることも相まって大半の生徒等は自らと他人が同じ位だと錯覚してしまう。


それが結果として同級生と会話するような感覚で言葉を交わすことへと繋がるわけだ。


言葉とは不思議なもので積み重ねによって重みや厚みが変わっていくものだが、それは言葉を扱う者の「伝え方」にるものが大きい。…映画や劇などで登場人物の言葉に感動するのは選択された言葉ではなく熟練された伝え方による賜物といえるだろう…。


…ところがだ。

ただ名前を尋ねるだけであったはずだった進藤の口は彼を「貴方」と呼ぼうとしていたのである。かろうじて「様」は取り除けたが、なぜ初対面で素性も分からない相手を様付けで呼ぼうとしたのかは全く説明できない。


ただ、この男と出会ってから一分と経たない内に自分の知らない「誰カ」が現れてくる感覚は心の底から不快に感じられるものであった。



「ボクは倫道。倫道りんどうつぼねっていうんだ。よろしく」


目線を一度も合わせないままキツネのように細めの笑みを浮かべて男は自らの名を述べる。そのとき彼の浮かべた笑みは特に不格好というわけでもなかったが、まるで異なる次元の人間を見ているような気味の悪い笑みであった。


「ど、どうも」


「じゃあね」


それだけ言い残して彼は背を向けると、そのまま何処かへと去っていった。


「…ふぅ」


彼の気配が離れた直後、無意識に進藤は胸を撫で下ろしていた。


本物のカリスマを持った謎の男——倫道局。

バケツをひっくり返したように清々しい夕立や気まぐれに現れる悪戯な極光の如く人が決して御する事が出来ない自然を相手にしているようだった。


それから少し経って微かに引き戸の音が耳に届くと進藤は本棚に身体を預けていた。そして、全身を巡っていた緊張が消えてゆくと同時に労うように現れた脱力感が身体を満たす。やがて強張っていた心は静かに平常に戻っていき、次第に空腹感が戻り始めたところで消えゆく心のしこりが確かにこう囁いていた。


…あれは今まで出会った誰にも類しない。他の者とは一線をかくす「ヒト」なのだと———。





「急がないと…」



待ち人の事を思い出し、進藤は階段を下り始めるが足を踏み出したと同時に聞こえた二つの声にそれは阻まれる。



【全生徒、退避せよ】


『…田中様がいらっしゃいました。皆様、お迎えの————』



一つは昨晩の夜に放送で流れた男の声。もう一つは聞き覚えのある麗人の声である。


脳を揺さぶる言葉の波動は担任の塩崎が持つ絶対命令権の強制力であり、後者はゲーグナーの襲来を告げる合図。

二度目となる命を懸けた闘いが始まった刹那、進藤の心を最も揺さぶったのは遠くから僅かに聞こえた誰かの悲鳴であった…。


「嫌な予感がする…」


そうして進藤岳人の意識は一度暗転し、大きな不安を抱えながら劇場の間にて開幕の時を迎える。意識が途切れる間際、その目が見た者は階段に設置された鏡に映る自分自身———何とも酷い顔を浮かべた自らの姿であった。

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