27.「志村功 Ⅲ」


「——————やばいやばい…」


昼食を片手に志村功は早歩きで集合場所へと向かっていた。進藤と約束した時間はとうに過ぎており既に十分以上超過していた。


だが、これは仕方がないことなのだ。

「美」たる存在——クラウン氏の美声は勿論のことだが、その丁寧な語り口から生み出される彼女のことの葉全ては、夕暮れ時に流れる潮騒の如く魅なる魔力を含んでおり何時間でも聴いていられた。さらに、その凛とした立ち姿から繰り出される微笑みは、それはもう片膝を突いて崇めたてまつれるほどに神々こうごうしく、あのような御方との会話をコチラから終わらせることなど志村には出来るはずもない。…結果として、志村は約束の時間を忘れて麗人クラウンと話し込んでしまったのである。


しかし、それでも志村に後悔はない。たしかに友人との約束に遅れたのは悪いことだが、むしろ、あのような神がかった存在と相対し会話を成立させることが出来たのは奇跡に近い。その代償が友人への謝罪だけならば上々の結果だといえよう。


―――――そもそも、あの気の優しい進藤のことだから事情を話せば許してもらえるはずだ…。


そんな淡い期待を抱きながら志村は集合場所に辿り着くが、


「あれ…?」


…そこに進藤の姿はなく代わりに木と鉄でできた——彼の【ML】とおぼしき——「机」がサクラの木の下で静かに志村の帰りを待っていた。


「進藤の…だよな」


机の上には彼が昼食に選んだであろうカレーライス。さらにその器の下には一枚のメモ用紙が挟み込まれていた。薄膜が張り始めていたカレーライスをよそに志村はメモに書かれた一文を読み上げる。



『———志村君へ。少しだけ・・・・早く着いたので花を摘んできます。』



その一文を読み終えると、志村は空に向かって長い息を吹き放っていた。それからしばらく快晴の空を見上げていたが、気は全く晴れそうにない。それどころか吐いた重い息が自分に降りかかっているような気がして思わずその場から一歩退いていた。丁寧な文字で書かれた彼の置き手紙は〝少しだけ〟の部分がやや・・誇張されて書かれている気がしたが、きっと気のせいではないだろう。



「さて…」


置き手紙を懐にしまい、志村は机に置かれていたカレーライスに再び視線を送る。

日の浅い瘡蓋かさぶたのような膜を張ったルーと表面に独特の光沢が出来始めた米、紛れもなく完全に熱を失ったカレーライスだった。


「できることは最大限しないとな。…まぁ、悪あがきだけど」


桜の下で一人呟くと、志村は手に持っていた自分の昼食を机に置き、代わりに冷めたカレーライスを手に取る。それからベンチに腰掛けようとするが、途中で止まってサクラの木を見上げていた。


「…お叱りが済んで、皆のところに戻ったら自慢してやろう。


『おい皆知っているか。

あのクラウン氏という女神、意外と表情豊かなお方だぞ』


…ってな。いやそれとも——————」


『女神—クラウン氏との対談』という自らの偉業をいかにして皆に伝えるか…。そんな考えにふけりながら志村は進藤の帰りを待つことにした。これが現実逃避では無いといえば嘘になるが、優しい奴ほど怒ると怖いというのは世の常と言っても過言ではない。


「————…にしても遅いな。ちょうどすれ違ったか。

あ、いや、そういえば…進藤って、あのとき用を足してなかったな…」


なかなか戻って来ない進藤を待っている間、ふと志村はある事を思い出す。

最上に連れられてトイレに移動した後、進藤はずっと二人・・の動向を監視していた。最上の命に忠実に従って彼は休むことなくその任を果たしたのだが、その詳しい報告の内容は「二人に近づく人物の有無」と「二人の雰囲気」であった。


前者はともかく、後者の方はかなり・・・曖昧なもの。一体どう判断するのだという志村の心配をよそに進藤は無事にこれを完遂した。…とはいっても、報告を聞いた最上の様子を見て志村が独自にそう判断したため確証はないが、報告を聞いた最上本人が満足そうな様子であったこともあるので全くの見当違いという訳でもないだろう。


この事から進藤は最上の言葉の意味を読み取ったかと考えたが、先程の会話から鑑みるにどうやらそうではないらしい…。


くきゅ~~。


熱の籠ったスパイスの香りが彼の鼻腔をくすぐると、条件反射的に志村の腹は勘弁してほしいと言わんばかりに弱々しく鳴き始める。


「もうちょい待ってろよ。まだお叱りがあるんだから…」


桜木の下、机の傍で冷えたカレーライスを携えた男が一人立つ。その前を通りすがった数人の生徒は物珍しそうな視線を彼に送るが、それを気に留めることなく志村は待ち続けていた。しかし、それでも腹はくるりくるり…と鳴り続け、意識の天秤は食欲へと大きく傾き始める。それは懐かしさを想起させる香辛料のせいなのか。または数分後に訪れる恐怖からの現実逃避か。どちらにせよ変わらない事実があるとすれば腹を空かせた男二人・・が、これからサクラの下につどうということくらいだろう。


「ん…うーんっ」


冷めた器を机に置いて志村は大きく伸びをする。ただ待つだけでは空腹は収まらないだろうと体を動かしたことで骨は小さく軋み、筋肉は引き伸ばされる。内臓が伸びた事で腹腔ふくこう内の空気が僅かに圧縮されると一時的に腹の音は収まったが再び体勢を戻して一息つくと思い出したように腹は鳴き声をあげ、





・・・————そして、最期は割れた水風船のように湿った叫び声を上げた。





「‥‥ぁ」


ナニガ起きたのか全く分からなかった。いつの間にか身体は地面に倒れていて、決して引き剥がす事が出来ないような謎の重量感によって身体の自由が奪われていた。初めは怒った進藤の姿を思い浮かべたが、そんな事はありえないと即座に頭を切り替えて別の要因を考えるが答えは分からなかった。


やがて口と喉に張り付いた鉄臭い液によって呼吸が困難になり、志村は考える事すら億劫になり始める。老化による緩やかな低下とは違い、身体の力を一気に奪われた感覚は見えない深海の底に落とされたようで志村は半ば錯乱状態に陥っていた。


「…ひゅ…ひゅ…」


しゃぶりつくように必死に空気を口の中に含むが飲み込むことは出来ない。呼吸を忘れてしまった身体に代わり志村は懸命に空気を飲み込もうとするが、胸部が膨らむ気配はなく次第に口を動かす事すら不可能になる。


「———…————…!!」


声が出なくなると直ぐに視界が暗転し始める。それはいつか見た演劇の最期に現れる分厚い黒カーテンのようで、それを持った誰かが「もう終わりだよ」と志村に告げると今度は深い喪失感が容赦なく身体を襲う。


血・肉・骨・神経と段階的ではなく、それら全てを魂ごと引き抜かれたような感覚。そして、それを最後に志村の身体は〝感じる〟という刺激の受容する機能さえも失っていった…。



「———————嘘だ…」


それから一体どれほどの時間が経っただろうか…。

いつの間にか、鉄臭い液に顔をうずめていると聞いたことのある声がした。鳴りやまぬ誰かの叫び声ノイズが魂無き身体の鼓膜を揺らす中、その声だけはハッキリと志村の耳に届いた。


―――――危ないぞ。


しかし、その言葉が口から零れることはなく血だまりに顔をうずめたまま志村は見えない水底へと沈んでいく。まるで観葉植物に注がれた真水のような気分を味わいながら志村は一つ思う。



—————————なぜか死んだな、俺。



最期に思い浮かんだ言葉にしては自分でも浅はかだと思えるものであったが、この浅はかさが不思議と自分に合っていた気がした。勿論、これは決して自らを卑下ひげしたわけではない。深みが無く・あっさりとしていて・軽々しい…という「浅はか」とは、省き・制限し・取り払った後に残ったものを言い表すもの。



…自由な道を進むために、何も背負わなかった自分———。


何も背負いたくないがために・・・・・・・・・・・・・、この道を選んだ自分——。



そんな自分を一言で表すとすれば、やはり「浅はか」。

良くも悪くも「重さ」の無い自分にふさわしい言葉ではないだろうか。




「神様ゲーム」二日目の午後。

Aクラス志村しむらいさお。桜木の下で絶命す。





————————————・・・—————————————




 誰もいなくなった食堂。

戦場と化した食堂には一匹の野獣と麗人だけが残される。

闘争本能を剥き出しにした獣を残像であしらいながら「美」なる者は血だまりの傍にしゃがみ込む。そして、花でもすくい上げるように血だまりの中から死体の男を抱き上げると、その場で優しく抱擁する。


その白き衣と肌が紅に染まるのを意に介さず、しばらく・・・・抱擁を続けたあとで死体の顔を純白のハンカチで優しく拭う。



抱き上げられた男は下半身を失っていた。

正確には胸部より下の部分が欠損しているおり失われた下半身は桜木の下に転がっていた。…無論、それも原型を留めてはいない。拳で雑に圧し千切られた粘土の如く、身体を圧し切られたことで上・下半身の断面は背面から腹部にかけて擦り潰されていた。



『…なんて』


血を拭ってあらわれた顔を見て麗人はハンカチを持つ手を止める。

彼女の力を以てしても治療は不可能・・・であった。


出血多量、内臓破裂及び欠損、神経・脊髄の断裂…。

絶望的な状況ではあるが言葉上〝生かす〟ことは確かにできる。

だが、それは本当に彼が生きていると言えるのかと問われれば、辛うじて〝生かされているだけ〟という枠組みに納まるのみで、本当の意味で彼が〝生きている〟とはもう呼べなくなるだろう。



―――――――…人の願いとは、一体何なのでしょうか。



麗人は切に思う。ここにいる全ての生徒達が抱く願い、人という種が描く願い。その根源とは何なのか…。


この身をつくりしの存在は【ねがい】という報酬を掲げて「神様ゲーム」を始められた。


二つの世界・・・・・の様々な時代、さらには両世界の死者をも参加者に加えたゲームは何のために行われたのか。


なぜ「生者」と「死者」という表裏世界の住民達を複合させた世界を創ったのか。



…管理者である彼女にも「神様ゲーム」が創られた経緯や詳細は知らされてはいない。であれば、実際にゲームが始まれば自ずと分かるものだと思われたが、やはりそういうものでもないらしい…。



それゆえ彼女は別の視点から「神」の意図を探る事とした。願いである。



ここにいる生徒達は皆等しく【願い】がある・・。持っている、秘めている…と言い換えることも出来るが、一つ断言するとすれば〝【願い】がない者は一人としていない〟ということ。「願いなど持たない」と思う生徒もいるかもしれないが、それは本人が気づいていないだけか、もしくは気づきたくないかのどちらかなのだという。



「———————」



…だから、彼にも【願い】があった。

時を重ね・思いを連ね・内に秘めていたか。あるいは誰かに見つけられるのを待っていた願い。


それをこんな不幸な形・・・・で失ってしまうなど誰が思おうか。誰か(何か)のせいにしてそれら憤怒・憎悪等を収められるならば麗人は取るに足りない我が身と心をいくらでも捧げる覚悟であった。



それだというのに、彼の死顔しにがおは————。



『なんて…美しい・・・のでしょう』




―――――迷いも憂いも後悔もない。屈託のない満足げな微笑みであった。


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