26.「志村功 Ⅱ」


「—————はぁ~なるほど。この世界ならではの出会い方…とまとめるには些か強引かもしれませんが、それでも変わった出会い方をされたのですね。

…それにしても一体どうして雨崎うざきさんは落ちて来たのでしょう?」


「う~ん、なんでも『夢だと勘違いしていた』とか『空でも飛べる気がした』だとか…。それ以上は特に何も…」


 当時は二人が助かったことによる多大な安堵によって特に気にしなかったが、改まって記憶を思い返すと雨崎には一つだけ不自然なところがあった。

彼女が「何階どこから落ちて」、「どんなふうに落ちて来たのか」までは最上に話を聞かなければ分からないが、志村が一番に気になったところは——あの当時、なぜ彼女は眼鏡と三つ編みをしていなかったのか——である。


「〈夢〉ですか。たしかに知らない世界に来て自分の身体が若返る・・・わけですから気持ちは分からなくもないですけど。そんな子どもじゃないんですから…」


「いや、案外そうなのかもしれないぞ。…ほら、ランドセル背負ってるし」


「それは…そうですが」


いなめない、という顔を浮かべつつも進藤は志村の適当な考えを辛うじて呑んでくれた。冗談で返されたとはいえ、これ以上は踏み込んではいけない・・・・・・・・・・・・・・・と彼なりに察してくれたのだろう。


—————…きっと、多くの苦労を重ねた奴なのだろうな。


紅の革鞄を背負った三つ編み眼鏡の少女の姿を思い浮かべ「うーむ」と首を傾げる進藤を面白おかしく眺めていた志村は、ふとそんな事を思うのであった。


…無論、根拠はない。



「———それにしても〝人との出会い〟ですか。

志村さんの叔父様の考え方は感慨深いものがありますね」


「…周りは叔父を「変わった人だ」と言っていたけれど

俺にとってはロマンに溢れた格好いい人だったよ」


「うんうん…」と何度も頷きながら感銘を受けた様子の進藤。それに気を良くした志村は少し恥ずかしそうにそう答えたが、叔父への憧れゆえか無意識の内にこう付け加えていた。


「…まぁ現実主義者だった叔父の兄——親父は最後まで理解してくれなかったけどな」


 その直後「あっ…」と零れ出た言葉を戻すように志村は口元に手を当てる。何を関係ないことまで口走っているのだと、戒めを込めて自らの舌先を噛み、それから急いで別の話題を振ろうとするが、これを受け取った彼の反応は至って真面目なものであった。


「それは考え方…いえ、捉え方の違いとでも呼ぶのでしょうか。

そういったものは人それぞれ・・・・・ですからね。個々の経験でモノの見え方は変わるものですし、きっと叔父様と他の方々とでは見えている世界が違っていたのかもしれませんね」


 「人それぞれ」という言葉に志村は氷のような冷酷さを抱いたが、それと同時に子どもじみた高揚感を覚えた。…自分とは違う視点で生きてきた人間の言葉とは目に見えない重さを含んでいるもの、言葉の真理までは読み取れないが今の彼の一言には彼自身が築いた人生観の一端が表れていた気がした。


…無論、これにも・・・・根拠はない。

全ては感覚的な予感によるものであり、その確固たる要因すらも挙げられはしないのだが、今・この瞬間・この場所において志村功が自身の直感を絶対的に信じられる確かなモノがそこにはあった。


————————何歳なんだろうな。


それらの高揚も相まって志村は流れるように彼の年齢を尋ねようとするが、それを何とか堪えて志村は真摯に彼の言葉に答える事とした。


「見えている世界…か。

確かにそうかもしれないな。幸運にも俺はその世界の一端に共感できて…だからこそ俺は叔父と同じ道を行くことが出来たのかもしれない。あの人のようにロマンに生きる事が出来たのかもしれないな」


「ほおぉ…」


歓声とはまた異なる感心の吐息。カッコつけ過ぎたか…と、それに耐えかねた志村はあえて最後にこう付け加える事とした。


「…まぁ、家を出るときには父親に勘当されちまったけどな。別に後悔はないさ」


‥‥照れ隠しからの自虐である。


「…な、なるほど。

ですが、志村さんの生き方というのは同じ男としても憧れを感じますね。

〝自由気ままに世界を渡り歩いて色んな人に笑顔を直接・・届ける〟

言葉で述べれば素晴らしく現実的ではないと咎められれば否めない。…きっと誰もが望むような生き方ではないのかもしれませんが、僕はとても素敵な人生だと思いますよ」


「‥‥」


バラ撒いた苦し紛れの自虐であったが、それを丁寧に拾い上げる彼の器量と育ちの良さに志村はただ眩しそうに目を細めるばかりであった…。




「————にしても随分と長話になっちまったな。

とりあえず一通り見まわった事だし…ここらで別れて昼食選びと行くか」


志村功にとって、誰かに自分の人生を語ることは数少ない経験の一つ。

手品師という希少な仕事柄、その経緯を問われた上で語る事は数有れど、それも酒を交えた席のみの話。

素面しらふで語った経験は一度として無く、やがて時が経つにつれて恥ずかしさは増していき遂には居た堪れなくなった志村は適当に理由をつけて一時別行動を取ることを提案したのである。


「でしたら、あそこのベンチで集合としませんか?」


そう提案する進藤の視線を追うと、第二校舎方面に設置された円形ベンチに辿り着く。ベンチの輪内には小さな薄紅色の花を付けた木が植えられており近場にある目印としては分かりやすい。

…実を言えば、初めに着いたテーブルの位置が曖昧になっていた事もあり志村にとっては都合の良い場所であった。


「あぁ、いいぞ」


「では、時間は今から15分後ということで…」


そうして進藤は足早と出店へ向かっていく。やや急ぐような小走り姿に志村は少しだけ申し訳なさを感じながらも彼の背を見送り、その姿が他の生徒達に紛れたところで一言。


「さて、どうしたもんか…」


腕を組んで志村はその場に立ち尽くしていた。

これまた実を言えば・・・・・なのだが、進藤との会話に夢中で志村は出店の品目すら確認できてはいない。

…よって今から昼食探しを始めることになる訳なのだが「焦ったところでどうしようもない…」と気長に構え直して志村は出店を巡ることにした。





「———あらら…これは間に合いそうにないな」


…ところが各出店の店先には先程よりも多くの生徒達が集まっていた。

元々ここは未開の食堂であったが、どこからか情報を聞きつけた生徒達が集まったのだろう。人口は先ほどの倍近くにまで増加しており遅めのピークを迎えた食堂での昼食選びは困難を迎えるかに思われた。


「どうしたものかねぇ~」


密集する生徒等によって料理の品目すら確認できず只々その風景を眺めているだけの志村に、とある人物が声を掛ける。


『何かお困りでしたか。志村いさお様』


「いや、特に何も————かぁ…っっっ!」


志村の少ない語彙力では言い表せないような神々しき存在が其処そこにはいた。〝万人を魅了する美しき天女〟〝神すらも惚れさせる絶世の美女〟——と、おそらく彼女という存在を言い表す言葉は数あれど、その中に正解と呼べるものはないのかもしれない。


金色のシルク髪に白く透き通った肌。

宝石のように輝く二つの橙黄とうこう色の目。

服装は黒のスキニーパンツに首元の開いた白Yシャツ。その上から黒のエプロンを装着しており特に装飾華美な服装という訳でもない。

 …にもかかわらずその女性から湧き出る雰囲気オーラは底知れないほどに凄まじく、志村の裁量では理解しきれないものであった。

彼女を目にした瞬間、脳を駆け巡った衝撃は星の生誕のように激しく、そのあまりの存在感ゆえに理性は即座に麻痺、思考は完全停止し「考える」という唯一の行動選択すらも封じられた志村であったが、彼のなけなし・・・・の本能が即座に吐き出した答えは、


―――——―――『美』。


…その一文字のみ。彼女という存在を表すのに飾った言葉は要らず。

の存在はただ一つの「美」。

あらゆる者が求める究極の美しさを集約した「美」という概念の化身。

アンドロイド=ナノマシン:クラウン―――その人であった。




『驚かせてしまい申し訳ございません。私、アンドロイド=ナノマシン:クラウンと申します。何かお困りかと思われましたので…』


輝く何かしらの粒子を発しながらクラウンは頭を下げて陳謝する。

彼女としては突然声を掛けたことで志村を驚かせたと思い込んでいるが、それが大きな誤解だということを彼女は知らない。


「・・・・」


 聞くだけで昇天してしまうかのような美声。鮮やかに咲く花の如き麗しき香り。

視覚は勿論のこと聴覚・嗅覚…と名のある感覚全てが「美」たる彼女の存在に適応できず、志村は物言えぬ肉人形と化していた。


『…志村様?』


そんな中、反応が見られない志村を不思議に思ったクラウンは再び彼の名を呼び掛けるが、その際に行われた彼女の何気ない仕草が凡人たる志村功の心を完全に魅了するに至る。

 …それは女性の大半が日常的に行う仕草の一つであるが特別な意味は何もない。

だが「美」たる彼女を以てすれば、それだけで一般人である志村を魅了することなど容易たやすく、志村しむらの精神は絶賛混沌カオス状態を迎えているわけである。


「・・・・・」


とはいえ、彼女の「美」は彼女の外見のみで形成されるものではない。

彼女の創造主たる「神」なる者によって与えられた外形はあくまで彼女の「美」を明確化一端に過ぎず、その中核は彼女の内面にある。


数多くの生徒達に好奇な視線を向けられている彼女だが、それが彼女の内では「自分という存在の物珍しさ」や「他の教師陣とは異なる立ち位置」といった面で注目されていると解釈されている。


その原因は彼女が自身の魅力に無自覚である・・・・・・・・・・・・ため。その場にいるだけで他を魅惑する「美」は無自覚ゆえに成立する天然の「美」であり、真に人の心を魅せるのは思考も意志も含まれてはいない純粋性に溢れた美しさだけである。



…ちなみに具体的に彼女が何をしたかといえば〝降りた前髪を耳に掛け直すこと〟ただそれだけである。





—————いえ、滅相もございませんレディ・・・。お心遣い感謝します。



痺れた脳から言葉を絞り出して何とか志村は紳士たる威厳を見せようとするが、それが上手く言葉として発せられたのかは定かではない。


『‥‥これはご丁寧に。ありがとうございます志村様』


きっと彼女はひとえに「レディ」という呼び言葉を面白く感じただけだったのだろう。だが、お礼の言葉に添えられた麗人の微笑み・・・は容赦なく志村に襲い掛かる。「美」たる彼女の何気ない仕草で既に満身創痍であった志村の意識。そこへ放たれた無慈悲な微笑みは志村に残された最後の意識を断ち切ったのである。



「…メニュー、イタダケマセンカ?」


覚えたての言葉を話す異星人のようなカタコト言葉でそう伝えると、少し不思議そうな顔をしながら麗人は平たい電子端末を渡し一礼して去っていった…。







「—————————————・・・ハッ」


予期せぬ存在——「美」との遭遇。

保健室で一度見かけたとはいえ、その御姿を間近にしたことで多大な負荷を受けた志村の脳は完全に凍結フリーズ。その緊急措置として全機能を強制的に再起動させることで事なきを得る。


「なんだこれ?」


手に持った長方形の端末を見て志村は首を傾げる。それは脳が再起動したことによる一時的な記憶欠如エラーであり訳も分からず端末の画面を眺めているだけに留まっていた志村であったが、時間の経過とともに脳は正常な記憶を完全に取り戻していった。


「————そうだ。俺は……かぁぁっ~!」


記憶の復調と共に自らの情けない姿を思い出した志村は年相応の・・・・中年じみた苦悶の声を上げていた。

 あの異次元めいた美しき存在と出会えただけで此処ここに来た甲斐があったと断言しても口惜しくないだろう。それでも一つ物申したいことがあるとすれば、あれは反則的だということだ。初見殺しであり始終殺しであり、心構えをしていなければ相対する事さえできない負け確イベント的な存在。しかし、それにもかかわらず不作為に現れてしまうのだから文句の一つも言いたいところ…なのだが、ただ心奪われるだけで終わってしまったことに志村は今までに感じた事のない強い後悔と敗北感を抱いていた。


——————悔しいが、全てが終わったわけじゃない。


男、志村功。ここで諦めるほど貧弱では無し。初対面ファーストコンタクトは惨敗に終わったが完全に機会を失ったかといえばそうでもない。機会チャンスは我が手に在り…である。


「折角のゲームだ。楽しまなきゃな…」


端末を手鏡のように扱い、どこからともなく取り出したコームと手櫛ぐしで髪を整える。

それから制服を払って埃を落としブレザーの襟を絶妙な角度に調整したのち首元のリボンを結び直して準備を終える。それから最後に大きく息を吸い込むと天を貫くほどの勢いで、志村はその場で挙手をした。


「注文、お願いしまーす!」



志村功は人との出会いを求めて生きてきた。

祖国を旅し世界に足を踏み出した中で様々な人たちに手品を披露し面白おかしく人生を謳歌おうかしてきた。

勿論、その大きなきっかけとなったのは自らの師である叔父の影響によるものであったが、ただ彼と叔父の間に一つだけ違いがあるとすれば、彼の場合は少しだけ・・・・美人に目が無かった…ということだろう。


流離さすらいの手品師———志村功。その手で魅了オトした客は数知れず。されど落とした女は数えるほど…。




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