25.「志村 功 Ⅰ」


 現代という言葉で言い表しても同じ時間軸を生きていなければ、その言葉は意味をなさない。それは「現代」という言葉が「いま、現在の時代」または「大戦後の平和な時代」を表す言葉に分類されている以上、その言葉は時間軸の異なる者同士にとっては異なる意味を含んでしまうからだ。


ここは一つの世界で在りながら、同じ人間は存在しない。

数多の世界、異なる時間を生きた者達が混在する唯一つの世界———神様ゲーム。

一つの学校を舞台とした小さな小さな世界に集められた仮初かりそめの生命達が混在する「神」なる存在が創り出した遊び場だ。



「———…というのに、どうもお遊びからは逸脱してるんだよな…このゲームは」


 手洗い場で最上と別れて以降、志村いさおは進藤と共に食堂内を巡っていた。目に映る食物全てに食欲を刺激され、どこか懐かしい空腹感を抱きながらも志村の心は別の方へと向いていた。


「…え、何のことです?」


「いや、独り言。気にするな」


「はぁ…」


思わず出た言葉に隣を歩いていた進藤が驚いた表情を浮かべる。

隣を歩いていた奴が突拍子も無くそんな事を言うのだからそれも当然の反応なのだが、特に他意はなく出た言葉だったので「独り言」で片付けることにした。


…少しだけ彼が寂しそうな顔をしていたのが気になり志村は話題を振る。


「それにしても最上の奴、急に「仲直り」っていわれてもな。

たぶんチュートリアル後の…あの争奪戦の時に起こったことなんだろうな」


「…だとすると、僕達と面識を持つ前のことですから、

どうしようもありませんね…」


「まぁ、あいつに任せておけば何とかなるだろうさ」


「信頼、されているんですね」


「…まぁな」


こちらの顔色を覗き込みながら尋ねる進藤に対し、志村は困った様子でそう答える。



——————我ながら何と青くさいことを言っているのだろうか。



 年甲斐にも無い事を言ってしまった事で志村の中に小さな恥ずかしさが芽生える。

 これは肉体年齢が若返ったことによる精神の錯覚なのだろうか。

ここに来る以前の自分らしさが損なわれ、何とも言えない熱が入ったような感覚は、どこか懐かしく気恥ずかしい。この若い感覚に慣れるまでにはもう少し時間が掛かるだろう。


 一方で進藤岳人がくとそういった・・・・・反応は現れてはいない。本物の十代後半の進藤岳人として自分に接してくれている彼からは、当時の自身を演じようとする必死さも、若返った自分に対する動揺も感じられないのだ。


 元々、自分を制することに長けているのだろう。

もしかすれば他にも事情があるのかもしれないが、それは彼がここ・・に至る以前の物語を知らなければ決して分かり得ないことだ。


…そして、それを知る日はだいぶ先の事となることを志村は直感的に予感する。


「それにしても以前から気になっていたのですが。最上さんや雨崎さんとはどこで知り合ったのですか?」


「どうしたんだ。やぶから…いや、急によ」


「いえ、初めて教室で見かけた時から三人とも仲睦まじい雰囲気でしたので…この際に聞いてみようかと」


「そうだな…」



——————どう話したものか。



 志村の中に一時の迷いが現れる。

あの件・・・について話すだけでも進藤の要求には十分に応えられるが

「それだけではあの衝撃は伝えられないのではないか…」と少しだけエンターテイメント性を意識した志村は、とある序章を添えて進藤の質問に答えることにした。



「——…成人してから俺は手品師を営んでいてな。

初めは自分の国で活動していたんだが、二十代半ばに入った頃に人との出会いを求めて世界に足を踏み出した。


異なる人種との出会いというか…新しい刺激を求めていたんだと思う。


確かに生活は豊かなものでは無かったけど、それでも色んな世界を渡りながら楽しく暮らして…我ながら充実した日々を送っていたと思う。


…ところが、そんな俺が四十を迎える前夜。帰り道に見かけた銀色の猫について行くと、いつの間にか俺はこの世界ここにいたんだよ」



「え。は…はいっ!」


 何の前触れもなく志村がゲーム参加に至る経緯を話し出したことで進藤は上擦った声を上げながらも何とか平静を保とうとする。しかし、その内容もさることながら思わぬ返答が来てしまったことで明らかに動揺している様子だった。



 …それもそのはずだ。

この神様ゲームとは、生者・死者を問わず自身の【願望】を叶えるべく参加する催しであり、彼ら参加者の【願望】と、ゲーム参加に至る経緯は安易に問うてはならない…というのは知らず知らずの内に暗黙の了解ともなっている。

 

 しかし、仮にそれを破る状況が生まれるとすれば、ある程度の信頼関係を築いた上でのことか。もしくは、当人が自然と話し始めるくらいのものだろう。

但し、この後者に関して一言述べるとすれば、ここに至るまでの経緯に「重さ」が無い者の場合だろう。


…もちろん良い意味で、だが。



「…でだ。目が覚めたらマンションの自室に立っていてな。

とりあえず外の空気でも吸おうとベランダ出て外の景色でも眺めていたら——上から雨崎の奴が落ちてきたんだよ」


 とはいえ、進藤の反応は当然のものだといえる。

彼からすれば二人——最上と雨崎との出会いを聞きたかっただけだが、志村にとってあの出会い・・・・・は自らの身の上を語らなければ伝わらない衝撃的なものであった。



——————————————・・・——————————————



「—————どうなってんだよ…」


 ベランダの手すりにもたれながらタバコでも吹かすように男は息を吐く。

それほど深酒をした記憶はなく、むしろ、これから一人深酒を決め込もうと買い出しのために夜町に繰り出したところだったのだが、その道中で見かけた珍しい猫との出会いが覚めない夢の始まりだったといえる。


…ただ帰り道に野良猫を見かけた。

それだけならば日常でよく見かける光景でもあるし、特に気に留めることも無かったのだが、それが銀色の毛並みにサファイアのような青い目をした猫であれば、誰でも物珍しいと思い足を止めてしまうだろう。


 ましてや、その前夜は四十を迎える志村功の「三十代」最後の夜。

そして、誰もいない深夜の路地裏であれば、普段は息を潜めていた「若さ」が浮足立ってしまうのは仕方がないわけで…。


そういった状況も相まって少しだけ気分が高まっていた志村は、その珍しい猫の後を追うことにしたのだが————。



———————それがどうしてこんな事になってしまったのか。



 いつの間にか、知らないマンションの一室に立っていて、さらには四十手前であったはずの身体が十代後半の若々しい姿に戻っていたことも相まって、しばらくの間、志村は混乱していたが外見の若々しさと比例しない内面の停滞・・・・・という差によって逆に気疲れしてしまったのだ。


「あれは「サクラ」だろうか」


誰に聞いたわけでもなくそう呟くと、志村は爛々らんらんと舞う薄紅色の木々をじっと見つめながらここに至るまでの経緯を小説の一節を思い出すように思い返す。



————四十を迎える前夜、町の路地裏で見かけた銀色の猫が気になり、いい年をしたオジサンが月明かりに照らされた町々を駆ける…———————


 物語のあらすじにしては素朴なものだが、結果的にこんなことになるとは誰も予想できまい。なにせ当の本人でさえ、こんなことになるとは思いもしなかったのだから。


「校舎に向かわないといけないんだよな…」


 これも不思議な感覚なのだが、この姿になってから少し経つと脳のどこかで「校舎に向かえ」と警音が鳴り始めていた。

 ただ警音と言っても、それほど煩わしいものではない。何となくそうしなければならないような虫の知らせ程度の警音が志村の頭を揺らしていた。


「それにしても「願い」ね」


 誰かにそれを尋ねられた気がするのだが、その相手の姿が思い当たらない。

「きっとあの猫にでも問われたのだろう…」と適当に片を付けてから志村の手は流れるように胸ポケットを探る。


「そうだった…」


 そうして目的のものが見つからず志村はガクリと肩を落とす。

それは懐に常備していたタバコがなかったからではない。もう今の・・自分には不要なものとなってしまったタバコを無意識の内に求めてしまった自身への落胆であり、同時に煙草が入っていなかった事への安堵も含まれていた。


「何か食べるか」


 別に空腹を覚えていたわけでもないが「何か口にすれば気も紛れるか…」と考えた志村はリビングへときびすを返そうとするが、何かを思い出したように外の風景へと視線を上げると、そこには何とも清々しい風景が広がっていた。



 雲一つない快晴の空があり、

僅かに視線を下げれば桃源郷の如く咲き誇る薄紅色の大地が続く。

僅かにだが、広場のような空間もあり「いつか花見など出来たら良いかもしれない…」と僅かながらの楽しみが志村の中に芽生え始める。



「‥‥よし!」


 揺蕩たゆたう薄紅色の木々から流れ着いた香りを全身で感じた後で男は気合の籠った声を上げる。分からないことは多いが、何もここが未知に溢れた世界というわけでもない。見知ったものに似ているものは有るし、これだけ大きいマンションなのだから自分と同じ境遇の者もいるかもしれない。

 さらには〝校舎へ向かう〟という選択肢が示されている以上、それに従うほかない。


「…こほんっ」


 落ち着いた途端に喉の渇きを覚えた志村は改めてリビングへと踵を返す。

これから自分が生活していく場である以上、食料と水は必須アイテムとなる。


——————部屋の内装も全て把握したわけでもないし、もしかしたら部屋の中に何か情報が隠れているかもしれない…。


そんな事を少しだけ冷静になってきた脳で考えていた時だった。



バタパタッ…



「‥‥?」


 妙な音を察知した志村は二度にたびベランダの方へと向き直る。

何か——布のようなものがはためく・・・・音は徐々に大きさを増し、やがて、それが最大限にまで増幅された瞬間、志村功の視界に信じられないような光景が映る。


…青く澄んだ空には、二つの影。

それは一秒にも満たない刹那の間であったために得られた情報は限りなく少ない。



一つは〝大きな影〟。

そして、もう一つは〝深緑の如き美しい髪色をした美少女である〟—————。



「…はっ」


 地響きにも似た大きな音と共にベランダが揺れ、志村は固まった身体の制御を取り戻す。目の前にあった二つの影は無く、ただ視界には快晴の空が広がるだけであったが、僅かに異なる点が一つ。


…手すりの支柱に引っ掛かった人間の手であった。


「だぃ…大丈夫かぁ!」


突然の出来事で思ったように声が出ず、それでも無理やり声を絞り出した結果なんとも情けない声で志村は安否を尋ねていた。


「…手を。手を…貸してくれ」


謎の手から弱々しい声が上がり、志村は恐るおそるベランダから顔を覗かせる。



「…邪魔して…悪いな」


 苦し紛れに挨拶をしてきたその男は生きた時代を強調させる緋色のリーゼント頭をしており、その立派な造形美に志村は思わず見入ってしまいそうになってしまう。

これほどの髪型をセットするのに一体どれほどの時間を掛けているのか…と、つい自分の髪を撫でていると、志村の意識は別のものへと即座に集中する。


「・・・・」


 それは男の片腕に抱えられていた少女であった。

身長は女性の平均値よりも小さく、外見はまるで子どものよう。髪は想像よりも長く、小さな身長も相まって余計に長く感じられる。

刹那の幻かと思われた少女ではあるのだが、その頭文字から〝美〟が失われているのは少女の顔が下を向いていたため。そして、志村自身の妄想による美化も懸念したためである。


「いや…どういう状況だよ」


 しかし、真に注目すべきは男と少女の外見ではなく手すりの支柱を掴んだ男の右手。一体どれほどの高さから落ちてきたのかは分からないが、落下の衝撃を片腕の腕力だけで抑え込んだ上に二人分の重量を支える男の腕力は信じがたいものであった。

 だが、たとえ少女の体重が羽毛のように軽かろうと、二人分の重量を支え続けられるほどの力が残っているはずがない。


「ちょっとだけ待ってろよ」


 志村は急いで救助に取り掛かる。焦りもあったため初めは手すりを掴む彼の腕を引っ張ろうと手を伸ばしたが、とても二人分の重量を引っ張り上げる自信が無かったために志村は腰にかけていたベルトを外し始める。


…ここが映画やドラマのようなフィクションの世界であれば、すぐさま手を伸ばして救助に当たりたいところだが、現実的に考えてそんな芸当が出来るのは筋骨隆々の大男ぐらいであろう。

 

 たとえ若返っていようとも志村に二人を引き上げられるだけの力はない。それゆえ志村に出来る事は知恵を絞ることぐらいであった。


「…腕は固定した。とりあえず下の階に彼女を降ろせ」


手際よく支柱と男の腕を固定させると慎重に言葉を選んで志村は男に伝える。



…何も無理に二人がベランダに上がる必要はない。「マンション」という建物の構造上、階下には別の家主の部屋があり同じくベランダが存在する。そこへ少女を落とし込めば、あとは男が自力で這い上がるのを補助するだけでいい。それから下の階の者に頼んで少女の回収をすれば、とりあえず二人の命を救うことは出来るだろう。


 ただ階下のベランダとは言っても、それなりに距離が空いているため少女の無傷は保証できない。それでも二人の命が助からない…という最悪の結果を考慮すれば、これが最も正しい選択だと志村は思い込むことにした。


「…———。」


それから志村は男の目を見つめながら返事を待つが、それに対する男の返答は志村の隠れた本心を完全に見透かしたものであった。


「そんな顔で言われちまうとな…」


 困り果てた男の表情を見て、思わず志村は片手で自らの顔を覆う。


…この状況で一体なにを躊躇ちゅうちょする必要があるのか。

今この状況において人命以上に優先するべきものは何もなく、この状況を打破する結果が小さな犠牲で手に入るのならば、それに越した事は無いはずだ。


―――――…だというのに。どうして、この頬は…この顔は、正直に表情を浮かべてしまったのか。



強張った頬。眉間に集まる重い皮膚。

干したように固くなった表情筋の筋繊維。

そして、下唇には知らぬ間についた軽い歯型の跡…。


 ここまで来たら認めてしまう他ない。たしかに、自分では絶対に選ばないような選択肢を他人に迫ったのだから、これも当然の反応なのだろう…。


「なさけないな…」


男に聞こえないよう小さくそう呟くと男の言葉を肯定するように志村は数回頷き、改めて男に問う。


「すまん。—————‥‥俺に出来る事はないか?」


「…そうだな。この子を上手く掴んでくれれば幸い、ってところだな」


 少女を抱え直しながら男は余裕のある表情で答える。

一体どうやってこの状況を打破するのかは分からないが「掴め」と言われた以上、とにかく体勢を整えて志村は捕球の姿勢を取る。

 手品師ゆえに手先は器用な方ではあるが球技等の経験は人並み程度しかない。

そのうえで練習無しの本番を迎えるのは非常に心許無いのだが、この身に戻った若さだけを信じて志村は覚悟を決める。


「・・・」


 この辺りで少女が意識を戻していれば他の救助法もあったのかもしれないが、相変わらず少女が目覚める様子はない。思わず悔しそうな顔になってしまわないように今度は意識的に表情筋を固めながら志村は男に合図を送る。


「よし、いつでもいいぞ!」


「————————…」


返答はないが切り詰めた息遣いから志村は男の気配を感じ取る。

「方法ぐらい事前に教えてもらえば良かったのでは…」と早くも小さな後悔を抱いた志村は若返った自身の肉体とセンスを信じ、ただ時を待つ。


————————そういえば、体育の成績はどうだっただろうか。


どうでもいい不安が脳裏をよぎったところで、ギシリ…と何かが軋む。

そして気がつくと、支柱を掴んでいた男の手が無くなっていた事から志村は思わず肝を冷やすが、その数秒後になって自身が結んだベルトの存在を思い出し、志村は一度ひとたび安堵する。


「大丈夫か…」


 だが、咄嗟とっさに結んだものとはいえ、強度も分からないベルトに己の命を容易く預けられるほど志村の肝は据わってはいない。

勿論、数度の試行を経てベルトの強度を確認したならば別だが、それを知りもしない赤の他人に用意されたものと知れば、また話は大きく変わってくる。

…圧倒的に信頼が足りないのだ。人にも物にも。


ギシリ…ギシリ————。


…やがて軋む音は時計の振り子のように一定のリズムを刻んだものへと変わる。

それと同時に志村の心臓の鼓動も大きさを増し、振り子と共鳴する様に鼓動を刻み始めていた。

 

 ベルトの強度もそうだが、万が一にも支柱の方が折れてしまったら笑い事ではない。そもそも、一般住宅のベランダの手すりをこのような用途で扱うことなど、まず無いだろう。


—————————支柱をささえた方が…。


そう思い支柱を掴もうと両手を広げた途端に男の声が上がる。


「任せたぞ!」


その直後、志村の頭上から一つの影が差し込む。不安と緊張の中で待ち続けた時間がようやく終わりを告げ、来るべき時が訪れたのだ。


「…え」


…ところが情けない事に志村の身体は動きを止めていた。

「動け動け!」と頭は働くというのに人間こうも咄嗟に動けないものかと落胆しながらも志村は落下物の軌道を見続けていた。


———————やはり…美少女だったか。


 刹那に等しい時の中で自らの眼が捉えた少女の顔。

それが間近に迫ったところで志村は少女の可愛らしさを確信することになったが、内心では、その妙に肝の据わった自らの視力に呆れてしまっていた。


————————ああ、やっぱり俺はこういう人間・・・・・・なんだな。


美少女を放った男のコントロールは非常に素晴らしいもので、少女の身体は見事に志村の懐へと落下する。とはいっても、体の制御を完全に失っていた志村は下敷きになったも同然なのだが、とにかく少女の無事が保証されたのである。


「あいつは?」


安堵したのも束の間、少女を静かに横たわらせると志村は急いで男の元へと向かう。支柱に結んだベルトが外れたようには見えなかったが、先程まであった男の気配を感じられず、志村は大きな不安に駆られる。


「おい、無事か!」


叫びながらベランダから顔を覗かせると、そこに男の姿はなく代わりに無残に引き千切られたベルトの先端が宙を舞うだけであった。


「…嘘だろ」


〝男が落ちた〟。


…その現実を理解するのに時間は殆ど掛からなかっただろう。

距離は不明だが、落下の勢いが乗った二人分の重量を片腕で押し留めた時点でも奇跡だったのだ。男の体格は志村とそう変わらず、僅かに筋肉質ということだけで常人の範疇はんちゅうを出ているわけでもない。


 元々、最初から男の腕は限界を迎えている状態で、二人分の重量を支えられるほどベルトの強度は優秀なものではない。そもそも求められるべき用途が違うのだから責任を問うとしたら、それを理解した上で扱った人物だろう。


「俺のせいだ…」


さっきまでベルトの先にいた男の姿を思い出し、強い後悔が志村の頭に重く圧し掛かる。自分のせいで誰かが死んでしまった事もそうだが、志村にとっては惜しい人物を失ってしまった事のほうが大きかった。



【人との出会いとは、生き甲斐であり財産である。

多種・多様・多彩な人間との出会いは、いわゆる自己世界の拡張であり、他を知り、自己を知る事が自身への成長となる。】

 

 これらは全て手品師であった叔父の請け売りなのだが、その考え方に志村功は強い共感を覚えた。


 初めから一人で生まれた人間はいないし、多くの者の最後は誰かに看取られるもの。もちろん例外もあるが、勝手に生まれて勝手に死ぬ人間がいない事に間違いはない。他がいるからこそ自己の存在が成り立つのであり、それを愚直に表したのが「人」という存在なのだ。

 


…だからこそ、志村功は人との出会いを求めて世界に出た。

祖国とは異なる土地、異なる環境で生きた人間を知るため。

そして、新しい自分を知るために…。





「…あー。落ち込んでるところ悪いんだけど…手、貸してくれないか」


「‥ん?」


 顔を上げ、声のした方向へと顔を向けると、手すりの支柱に両足を絡みつけた男が宙吊りになっていた。


…おそらく少女を放り投げた反動を利用してベランダに上がろうとしたようだが、ベルトが千切れてしまった事で両足だけでぶら下がる結果となったようだ。


「いや…どういう状況だよ」


今度はあまりにも不思議な状況に苦笑いを浮かべながら志村は男に手を貸すことにした。両手両足が自由になったとはいえ一人分の重量を持ち上げるのに随分と苦労してしまったが、男は無事にベランダに上陸するに至る。



「…俺は最上もがみ秀昇。良かったら最上さいじょうって呼んでくれ」


「ええと、俺は‥志村功だ。それで——————この美少女は何なんだ?」


「さぁな。上階から急に落ちて来たから…俺にも分からん」


「‥‥は?」


 いくら彼女が美少女とはいえ、何の躊躇も無く命を懸けられる人物というのは今までに出会った事は無い。そういった行動が迷い無くできる者は属にいう正義の味方と呼ばれるものだが、どうもこの最上秀昇という男からは正義感というものは感じられない。

 先程の救助方法から鑑みても「できる」と思ったことを迷いも無く行動に起こせる肝の据わり方は純粋さと単純さの裏返しであり、また自分の価値を低く見積もっているような危うさも秘めていた。


とても信じられないようなものを見る目で志村は男を見つめていたが、あまりの衝撃に呆けてしまった志村の口はしばらく空いたままだったという…。



‥‥かなり異質な出会いとなったが、こうして彼らはお互いの名前を知る事となる。それから少し経つと、上階から落ちてきた美少女———雨崎真波は、意識を取り戻し、どこか取り繕うような様子でそれらしい事情を二人に説明するが、それが全て嘘である事を二人は…否、一人は知る由もなかった。


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