24.「真夜中の校舎」


 とうに日は落ち、戦闘の傷跡を残したグラウンドには静寂の時が流れていた。

そこに人の姿はなく、荒廃とした大地とは対照的に生徒達の拠点であるマンションには人工の光が煌々と輝く。


 このグラウンドと学内の外れに位置する陸上競技場。


これらの戦線を中心に行われた二回目のゲーグナー戦闘および神様ゲーム二日目を終えたわけなのだが、ここで初めての死亡者が出てしまうなど誰が予想できたであろうか…。


「———…うわぁ。これはすごいねぇ」


老人の弾んだ声が校庭に響く。

その声色は戦禍を見た者とは思えないほど能天気なもので、巨大な耳垢を発掘したかのような手頃な高揚感すらあった。


「これは…明日までには何とか直りそうかな」


 老人——Cクラス担当の千賀せんが 善次郎ぜんじろうがここにいる理由。

それは戦闘によって破壊された建物等の修復と日課の点検作業を行うためである。


 ゲーグナーとの戦闘後、破壊された物は自動的に修復されるのだが、それらは〈校長〉の管理職をもつ善次郎の手によって行われている。


「————…よし。弓道場と文化棟は大丈夫だね」


 両建物の間にある石畳いしだたみに手を触れたのち善次郎は作業を完了させる。

無論、戦渦の間近にあった建物が点検だけで済むはずがないのだが、それぞれの建物に飛散した石片は綺麗に撤去され、割れた窓や壁は見事に復元されていた。


…塩崎の持つ「指示棒」。

…主任しのぶの持つ「刺すまた」。


教師陣の二人が独自の【ML】を保有する以上、校長である善次郎も自身の管理職に応じた【ML】を保有する。


 【ML】の名は「学校」。【Rs】は〝学内に存在する建造物を操作する〟たぐいの能力である。

 

 その一端として壊れた建物の修復や日々の点検を行っているわけなのだが、わざわざ現場に向かわずとも作業自体は容易に行える。

…というのも、校内の大半が校舎や人工の通路といった建造物で構成された学校の特質上、善次郎はグラウンド以外であれば何処どこにいようとも【Rs】を発動できる。

さらに正確な視覚情報さえあれば、より細やかな操作も可能となるのだが、今回のような修復や点検であれば職員室から【Rs】を発動させるだけで容易に済む話である。


 それでも老人が此処まで足を運んだ理由は、日課である夜の散歩をこなすためであり、これらの作業はあくまでついでに過ぎない。


「あいたたた…」


腰をさすりながら老人は最後の目的地となる第一校舎へと歩みを進める…。




「ひとまずは作業完了…かな」


 階段を上りながら老人は髪のない頭をさする。

大きく削られた校舎の外壁を見た時は思わず「あらら~」と嘆声を上げ、

保健室前の割られた窓を見た時は「もういっその事、保健室前に出入り口を創造してしまった方が…」と考えさせられてしまったが、その一方で活発な生徒等の存在を喜ぶように嬉しそうな笑みを浮かべる老人の姿がそこにはあった…。


「―――ふぅ。年かな‥‥いや年だねぇ」


 ようやく辿り着いた屋上のベンチに腰掛けると、老人は溜め込んだ疲労を夜風に溶かすように息を吐く。

運動のためにエレベーターを使わず屋上まで上がってきたが「流石に帰りはエレベーターを利用しよう…」と早くも帰路の手段を考えたところで、老人は肩に掛けていた鞄から二つの容器を取り出し始める…。


 色褪せた茶の革鞄から取り出されたのは、大小二つのコップ付きステンレスボトル。

大きい方のボトルには熱湯。小さい方にはあぶられた茶葉が入っており、そこへ静かに熱湯を注いでいくと湯気に纏わりついた茶葉の香りが舞い上がり老人の鼻腔を緩やかに通過していく。


「…すぅ———はぁ」


 茶葉のこうばしい香りが疲労を紛らわし、一時だけではあるが老人の心に平穏な風を運ぶ。

 

 夜の散歩終わり、月明かりに照らされながら茶をたしなむこと。これこそ

老人にとっては嗜好の時間である。

 無論、お茶けに和菓子でもあればなおのこと良いのだが「風にさらわれでもしたら…」と考えると、どうも気が引けてしまう。


 …というのも、以前までこの屋上に来た際にはクラウンお手製の金平糖を持ち込んでいたのだが、一度風に煽られてダメにしてしまった事が未だに尾を引いているのである。


———————今度は別のものを持ち込むとしようか…。


やはりお茶請けがないのは口寂しい…と思い直して別の和菓子を模索していた所…。



「—————あんた…誰だい」



「…え」


背後からの声に振り返った直後、ある二つの要因によって老人は一時、言葉を失う。


 一つは、誰もいないと思われていた屋上に先客がいたということ。そして、もう一つは声を掛けてきた青年の容姿であった。


 銀狼のように白く艶のある髪。月光に照らされる健康そうな白肌。

目は男らしい力強さとは異なる魅惑的な光を宿し、月明かりが其れを強調させる。

首元にリボンは無く、シャツの第一ボタンを外した制服の着こなしに加えて頭には空色のニット帽を被っている。

 

 しかし、それが自然体であるかのように青年から妙な派手さは一切感じられず、むし清々すがすがしいまでの清涼感を老人に抱かせるほどであった。


「こんばんは。僕は…ただのしがない老人さ」


「そうかい。それは…失礼しました」


笑いながらそう名乗る老人に対し、青年は止めていた息を吐き出すように声を上げると被っていたニット帽を外して一礼する。


—————どうやら見た目以上に律儀な子のようだ…。


思わぬ一面に軽く口角の皺を吊り上げながら老人は少しだけ芽生えた悪戯心を迷わず発散することにした。


「おや、これはまた随分と畏まった態度になったね」


「…そうですね————」


もじもじ…と、返答に迷った様子を見せる青年の姿に老人はにやけそうになるのを堪えながら落ち着いた表情で青年の返答を待つ。


…だが、それに対する青年の言葉は、またしても老人を驚かせるものであった。


「————俺は人の年齢とか見た目よりも中身で人間を判断するので…」


「それは…ユニークな考え方だね」


 そう答えながらも思わぬ返答に動揺した善次郎は青年から目を逸らしてしまう。

しかし、その直後「これは彼に失礼ではないか…」と考え改め、善次郎は目を逸らしたのを誤魔化すように茶の入っていたコップを口元へと運ぶ。


…ほんの僅かに残っていた茶の一滴が舌に触れた途端、濃い苦味を感じた老人の舌は驚いたように口の中で跳ね上がっていた。


「…良かったら、一緒に飲むかい?」


「…じゃぁ…いただきます」


 そう提案しつつも既に老人は熱湯の入っていたボトルを開け、それを茶葉の入ったボトルに傾けていた。

選択肢が有るようで無い老人の提案に青年は少し戸惑った様子で頭を掻いていたが、鼻歌まじりに茶を用意する老人の能天気な様子に根負けし、老人の誘いに乗ることにした。


「————…ほうじ茶、ですね」


「そうそう! 実は僕のお手製でね…」


 一口含んだだけで正解を言い当てた青年に何かしらのスイッチが入ってしまったのか。善次郎は本日の一人茶会に至るまでの経緯を早口で説明し始め、やがては「焙煎が…」「やはり淹れ立てが…」———と、しばらくベンチで青年と語らいながら時間を過ごすことになる。


…その際に聞いた話となるが、青年の名前は〝嘉土かづち 梗真きょうま〟。

塩崎 劉玄りゅうげんが担任を受け持つAクラスの生徒、との事であった。




————————————・・・——————————————




「———…ここは」


窓から差し込む月明かりに照らされた薄藍色の天井。

嗅いだ覚えのある優しい香り。

制服とはやや異なる柔らかな衣服が身体を包み込む感覚…。


周囲の状況から灰原 熾凛さかりは自分がどこにいるのかを把握する。


 保健室。そこはの麗人——クラウンが管理する一室であり、主に生徒らの治療を目的に利用される場所である。


 そして現在、その場にいるのは数人のみで、その誰もが灰原のよく知る人物達であった。


「…起きたか。熾凛」


 ゆっくり起き上がると、向かい側のベッドで胡坐あぐらをかいていた最上が声を掛ける。

服装は灰原と同じ灰色の半そでと紺色の短パン。制服よりも動きやすさを重視した衣服ではあるが、自らの意志でこれらに袖を通した覚えはない…。


「あぁ。無事でよかったよ最上。…それに二人も」


 最上の安否を確認した後、その隣で豪快な寝息を立てていた梶原かじわら宗助。自身の隣で静かに眠る進藤岳人がくとの姿を確認する。


 しかし、安堵の表情を浮かべるのも束の間、それから十秒と経たないうちに灰原の顔は真剣な面持ちへと変わり、重要な事を最上に尋ねる。



「最上————亜種体は、戦いは…?」



勢いよく湧き出た不安をぶつ切りにした問い。それでもなお湧き上がる不安をき止める思いで灰原は少ない唾を飲み込む。



「熾凛…大変だったな」


 最上の返答は一言だけ。

それは灰原の問いに対する答えになっていないただのねぎらいの言葉であったが、その言葉に込められた彼の思いは灰原の感情を大きく揺さぶる事となった。


「‥‥」


 好奇心。寂しさ。不安。悔しさ。それと怒り。

この数日、止めどなく溢れ出る感情たちに灰原は振り回されてきた。

記憶の有無は知識や経験の領域だけに止まらず、その影響を大きく受けるのは人の心…。


が分からない】


その苦しみ、空虚な自分という存在への恐怖に〈灰原 熾凛〉は初めて気づかされた。


「…あぁ。そうだな」


にこりと笑う男の頬を伝う一筋の雫。

けれども、それを見た彼が涙の理由わけを問う事はなく、何も言わずにニカッ…と笑みを返すだけであった…。




「————…おはようございます」


「おっす…といっても、もう夜だけどな。腕はどうだ?」

 

 それから少し経つと、静かに寝息を立てていた進藤が起き上がり、誰とも視線を合わせるわけでもなく正面の空間に向かって挨拶をする。

それが寝ぼけているのか…本人の癖なのかも分からないが、そんな彼の様子を可笑しく思いつつも最上は挨拶を返して怪我の状態をうかがう。


「そう…ですねっ。問題は…ないですね」


返答する間際、何かに驚いたように進藤は体を硬直させていたが、身体の強張りを取り払うように包帯の巻かれた腕を振ってそう答える。


「‥‥」


 それでも向かいのベッドで眠る大男への興味が勝っていたのか。

時折、羨望せんぼうの眼差しを向けながらも、それを誰にも気取られないように誤魔化す彼の姿に最上は思わず鼻息を吹いてしまう…。




「———…ふがぅ」



 視線や声…。

そういった人の気配を感じ取った大男は大きくいびきを上げた後で勢いよく起き上がり、そのまま体の状態を顧みることなくボキボキッ…と全身の骨を豪快に鳴らし始める。


「よっ。元気そうだなカジ」


「‥‥迷惑掛けてすみませんした。最上さん」


 病み上がりだというのに梶原は俊敏な動きで最上に向かって正座し一礼する。

その身体に見合うサイズの服が無かったためか。…包帯を巻かれただけの筋骨隆々の肉体が月明かりに照らされる光景は何とも勇ましいものであった。


「お前さ。意外と…自分や周りのことが見えてないんだな」


「え…」


「あの亜種体——ディボルグ…だったか。

お前が抑えてくれなかったら、もっと酷いことになってたと思うんだよ。

お前があいつを抑えてくれたから、俺は救助に回れたし。

お前が頑張ってくれたから、進藤も間に合った。

————それに灰原も…」


 梶原、進藤。そして灰原へと顔を向ける最上。

だが最上と視線が重なった瞬間、灰原は内心を見透かされた気がして思わず目を背けそうになったが、既に最上の視線は梶原へと戻っていた。


「…ま、美味しい所は全部あいつに奪われちまったが…。

それでも今回の勝利に最も貢献したのはお前だよ、カジ。———本当にありがとうな」


 灰原への愚痴を軽くこぼしながらも最上はお礼を述べる。

そんな彼の真っ直ぐな思いと言葉に大男は照れくさそうに頭を掻き、向かい側のベッドに座る二人は彼らの様子を楽しそうに眺めていた。



…———しかし、その場にいる彼らが彼の本心に気付く事は無い。

彼が「彼」を演じ続ける限り、彼らは彼に幻想を抱き期待し続ける。


そうして「彼」は同じ過ちを繰り返す…。






「————ところで。」


 一同が落ち着いた場面を見計らい、ずっと気になっていた事を灰原は打ち明ける。

自身が想像していた人物と相違があったとはいえ、その事実があった事は間違いではない。

だからこそ灰原は正解を求める事にした。


「あのBクラスのしのぶという人物が言っていた生徒は一体誰だったのだろう」


「死んだ」の頭文字を付けずに灰原は生徒の正体を一同に尋ねる。

その直後、例の光景が脳内で再生された灰原の表情は月影とは真逆の暗い影が差し、かげりをみせていた。


「「「——————————。」」」


返答はない。

ただ灰原以外の人物たちが互いの視線を重ね合うだけの沈黙が流れる。

そのうちの一人は見当すらつかないため早々に視線を灰原へと戻してしまうのだが、残った二人は未だに互いの視線を外す様子はない。


「「・・・」」


示し合わせたかのように二人が頷く。

その真意は灰原には分からなかったが、くだんの問いに応え得る人物の覚悟を感じた灰原は彼へと視線を向ける。


「俺は、進藤が…その生徒なのだと思っていた」


「その理由を聞いても良いですか?」


 の人物は丁寧な口調で灰原に理由を尋ねる。

 

 夜の静けさに助長された彼の物静かな空気。

それは包丁のような落ち着きのある鋭さを秘めており、灰原は思わず言葉が詰まりそうになったが一呼吸置いて心を落ち着かせた後で彼の問いに答える。


「血と倒れた生徒。それと「机」。

—————…それが食堂で見た最後の光景だった」



 「机」と大量の血を流して倒れた生徒。

その情報から灰原が連想した人物が「机」を【ML】としている進藤 岳人がくとであり、その根拠となったのは初日に行われた【ML】争奪戦。


…神様ゲーム初日に行われたその戦いは一つの【ML】を巡って生徒同士が戦い合うものであり、———という証明となった出来事である。



「…なるほど。その状況を見れば誰だってそう思いますね」


 少し考えた後、納得した様子で進藤は頷き灰原の意見を肯定する。

しかし、その顔には一切の明かりはなく、月明かりが其れを誇張していた。


「…そういうことか…」


向かい合う二人の会話を聞いた最上が小さく呟く。

その声に梶原だけが反応していたが、未だに会話の内容を理解した様子はない。


「…どういうことですか?」


 最上だけに聞こえるよう梶原は小さく質問する。

「この状況を理解できずにいたら後悔してしまう…」と直感で感じ取ったのか。

その表情は真剣さを帯びたものであったが、それを目の前にした最上は非常に冷静であった。



「お前は絶対に口を挟むなよ」


「…」


…なぜ、彼がそこまで自分の介入を拒むのか。

…どうして、そんなに張り詰めた目を向けるのか。


聞きたいことは沢山あったが、鬼気迫る表情で伝えられた言葉に梶原宗助は何も言い返せなかった。


「…では、あのとき進藤は何処どこにいたんだ」


 重ねて灰原は問う。

例の生徒が進藤ではない事は分かったが、あの場に彼の【ML】があったということは何かしら進藤が関係している事に間違いはないだろう。


…たったの数分ではあったが、五人がかりでも探し出せなかった進藤。

しのぶによって全生徒が劇場に転移させられる直前まで、彼が何処どこで何をしていたのか。


…まずはその真相を確かめねばならない。


「‥‥」


 一時の沈黙があった。

その間に彼がどのような事を考えていたのかは分からない。

ただ、まばたきを終えた彼の視線が灰原とは異なる人物へと向いた瞬間を灰原は見逃さなかった。


…そして、進藤は口を開く。


「あの時、僕が最後に見たのは…鏡に映る自分の姿でした」


「‥?」


 進藤の言葉に灰原は首を傾げる。

その光景から彼が何処にいたのかを推測することに夢中であった灰原は、一人の男の表情が酷く歪んでいた事を知る事は無かった。


「…いえ、これは灰原さんが求める答えではありませんね。

皆さんと離れている間に一体何があったのか。

それも重要な事ですが、まずは最初の質問について———教えてもらいましょうか」


 そう言って梶原のベッドの隣に備え付けられたカーテンの方へと進藤が視線を向けると、ひとりでにカーテンが開く。


ゆっくりと…どこか気まずそうな様子で開けられるカーテンから現れたのは、その場にいる誰もが知る人物であった。


『…はい。先日亡くなられた生徒は———Aクラス「志村 いさお」様でございます』


月光に照らされる金色のシルク髪とあでやかな白肌。

月の化身と呼んでも差し障りない美の体現者たる彼女が其の名を告げる。


全ての真実を知る存在。

それは保健室の麗人として名高いアンドロイド=ナノマシン:クラウン、其の人であった。

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