23.「ディボルグⅨ」


 エネルギー体によって形成されたディボルグの「光の矢弾」。

掌から生み出された光弾が発射路となる三つの爪を経由することで弾丸にも似た回転力と貫通力を得る。さらに時間が経過すれば矢弾の後方——矢羽が自前の回転力によって僅かに開くことで矢尻分の着弾点よりも攻撃の範囲が少し広がるため、最小限の回避を求めすぎれば矢羽の餌食となる…。


「はっ!」


かわしきれない矢弾を両手剣で弾き、灰原は即座に退避する。

浮上した位置から動かず灰原を狙い続けるディボルグ…。

それに対する灰原は回避することしかできずにいたのだが、一歩でも後れを取れば矢弾の餌食となる事は間違いなく、そうなってしまったが最後…その体力が尽きるまで矢弾を防ぎ続けることとなるだろう。


しかし、そんな劣悪な状況の中で唯一幸運な事を挙げるとすれば、ディボルグの狙いが灰原にのみ向いているということ。倒れた最上や進藤‥さらには避難した生徒達に矢弾が向いてしまえば、灰原にはどうする事も出来ない。

今のところディボルグの狙いは灰原に絞られてはいるが、万が一…ということがある以上、灰原はディボルグの気を引きながら攻撃を回避し続けなければならず、それには「素早い状況判断力」と「広い視野」が求められるのだが————。


これは何の因果なのか…。

ディボルグがグラウンドに現れる前に行われたあおい防衛戦での動きが、まさかこのような場面で活かされるなど灰原自身も予想だにしていなかっただろう。



—————————しかし…どうしたものか。



天上に悠々と立ち矢弾の雨を降らし続けるディボルグを見上げながら灰原は考える。

開いた距離はあまりにも遠く、近接武器しか持たない灰原にとっては絶望的な状況…。

このまま持久戦を続けていても〈亜種体〉ディボルグの生命エネルギーがどれほどの量なのかも分からない上、別の能力を隠し持っている可能性もあると仮定する

と、…灰原の勝つ可能性はゼロに等しいといえる。



————————剣を最大限に伸ばせばあるいは…。



自身の握る両手剣に視線を送るが、すぐさまその考えを振るい捨てるように灰原は頭をふる。


Rkランク】上昇により「Lv:2」となった灰原の【Rsランクスキル】「剣SS」。

その恩恵は創造する際の時間短縮と創造物の能力向上になるのだが、10m以上の剣を創造するとなれば、いくらLvが上がったとはいえ創造に多少の時間が必要となるだけでなく、長くする以上は剣の強度も期待できるとは思えない。仮に10mを超える剣を創造できたとしてもそれほど長く重そうな剣を振る雨事が出来るのか…という様々な不安要素が発生する事ため、実行には移せそうにはない。


————————何かないのか…。


たった一日半の記憶を巡って案を模索するが、この場で役に立ちそうな情報はない。

「充分に射程距離を得た遠距離武器に対する接近武器の勝ち方」…なんて有れば即座に実行していると言うもの。

…であれば、独自の考えでこの状況を打破する方法を見つけなければならない。

同じ遠距離武器を持つアインスに対しては攻撃を避けながら距離を詰める事で自分の間合いへともっていく…という流れで対抗できるのだが、


「…◆」


…相手は天上に漂う者。

そこへ向かいたいと望むのならば、こちらも同じように飛んでいかなければならないわけで…、


———————いや、…?


とある妙案が閃いた途端、思わず足を止めて空を見上げてしまったが、矢弾の雨雫によって冷静さを取り戻した灰原は再び凸凹でこぼこの大地を駆け巡る事となる。


…而して、これは勝機を見出すために行う最後の奔走ほんそう

その足が動きを止めた時こそ天空に居座る獣を撃ち落とす機会となる事だろう。


—————…もうしばらくは我慢比べになりそうだ。


その機会を見逃さんと灰原は全神経を集中させ、次なるつるぎを空想の中で構築する。

…好機はいつ訪れるかも分からない。数秒後か数分後か…はたまた体力が底を尽きそうな状況かも分からないが、灰原は僅かな商機に備える事とした。






「—————くしょん…痛っ」


鼻腔から砂が入り込み、気を失っていた男が息を吹き返す。

ところが目覚めた所で身体は思うように動かず、とてつもない痛みが再び腹部から込み上げる。


「…ふく…」


ところが腹部に妙な違和感を抱いた男が傷口を見ると、腹部には傷口を圧迫するように巻かれた制服ブレザーがあり出血が抑制されていた。


「無事ですか。最上さん」


「進藤…生きて…たんだな」


思うように声が出ず、途切れた声で最上は進藤に声を掛ける。


「はい。地面に衝突する寸前に盾をクッションに出来たので何とか…。

…もう右腕は使い物になりませんけどね」


そう答える進藤の腕に視線を送ると、彼の右腕は神経が麻痺したように力無くぶら下がっていた。そして微妙に身体の重心を左に寄せている事から、右腕だけではなく右半身の何割かを損傷しているのだろう。


「…大変‥だったな…お互いに」


「…それもそうですね」


見える傷と見えない傷を抱えた者。

そんな彼らが少しだけ笑い合ったところで二人は別の方向へと視線を移す。


…天空に浮上しながら光弾を放つディボルグ。

…そして、それを何とか回避し続ける灰原。


その光景を見た二人が同じ時に同じ事を考えたのは言うまでも無い。


「悔しい、ですね」


最上の代わりに進藤が呟く。

先に保健室に運ばれた梶原宗助がこの場にいたとしても思ったことは同じであっただろう…と想像しながら空を見上げる進藤は左手を強く握りしめていた。

自分の全力が相手にとっては取るに足りない程度の脅威にしかなり得ず、自らの弱さを改めて思い知らされる事となった。この結果は怒りや悔しさを通り越した「屈辱」以外の何ものでもない。


「…」


空を見つめる進藤とは異なり、最上は凸凹の地面を駆け巡る灰原の姿を見つめていた。

少し距離があるため詳細な部分は分からないが、圧倒的に灰原が追い詰められている事に間違いはない。



‥‥食堂で聞いた話では、灰原の武器は剣。

対するディボルグは得意の近接戦ではなく空中からの射撃…と、大きく戦闘様式を変えてきたようで灰原にとって其れが有効打であることは言うまでも無い。

しかし、その一方で劣勢に立たされたにもかかわらず無駄のない動きで光弾を避け続ける灰原を見ていると、まんざら勝利を諦めている様子でもなさそうだ。



「進どぅ…頼み…ある」


「‥‥は、はい。どうしましたか」


思ったように発音できず、小さな声で最上は進藤を呼ぶ。

その声を聞いて我に返った進藤はゆっくりと腰を下ろして最上の口元へと耳を近づけると、最上は小さくも闘志の籠った声でこう呟く。



「ぁいつに…一泡、吹かせて‥みないか?」



…————ここまで命を懸けて戦い続けた男達の意地。

いずれも敗れ去った身ではあるが「それではおとこすたる」と何かが胸の内で叫ぶ。


それは魂と言っても間違いではないのだが、いさんで言ってしまえばそれは男のさが


…負けっぱなしでは終われないのだ。






「…はぁ———はぁ」


あれから何秒、何分の時間が経ったのか…。

両者の我慢比べが拮抗する中、遂に灰原の身体が危険信号を出し始める。

絶えずディボルグの動向に気を配りながらも光の矢弾を避け続け、「まだか…まだか…」と刹那の機会を待ち続けたが、息が上がり始めると同時に精神が弱音を吐き始めていた。


————————この選択は間違いではなかったか…。


降り注ぐ矢弾の雨をやり過ごしながら自身の選択に疑問を抱き始める。

『有限の力とはいつか費えるもの…』といった塩崎の言葉を頼りに我慢比べを仕掛けた灰原であったが、浮上する位置や矢弾の威力に変化は無い。むしろ射撃の精度が上昇傾向にあるため回避する余裕も無くなってきた。


「…が…!」


それは重みを増した精神の影響か。回避しきれなかった矢弾が太腿ももをかすめ灰原は思わず声を上げる。傷は走れなく成る程の重傷ではないが痛みに誘発された焦りが更に精神の重みを増長させる。


———————もう仕掛けるべきか…。


この際、矢弾を受けるのは仕方がない。

遠距離武器に対して剣で挑む以上、こちらもそれ相応の危険リスクを背負わなければ勝つことなど初めから出来るはずがない…。


剣を握りしめた両手を右腰に当て、灰原は勝負に出る。

創造の準備は既に完了済み。あとは攻撃の機会を待つだけであったが、これ以上我慢比べを続けていては勝負に出る前に敗北が決定してしまう…。


「…よし」


勝負のタイミングはディボルグの矢弾が放たれる瞬間…。

乾いた喉を潤すために唾を飲み込み、激しく脈打つ心臓を呼吸で沈めさせながら灰原は決意を固める。


—————————報いるんだ…。


足を止め、灰原はディボルグと向き合う。

そして、天に浮上する赤い目と天を見上げる黒の瞳が交差したのも束の間、ディボルグの掌から光弾が生成され始める。


———————いまだ!


右腰に当てた両手を身体の正面に移動させ、灰原は剣を振り上げる。

その際、剣先の方向は上でなく下を向いており、その様子はまるで剣を地面に突き立てようとする動きに見えたが、



〈——————…3〉



…耳鳴りのようなものを灰原が感じ取った瞬間、こちらに意識を集中させていたディボルグが灰原とは正反対の方角を向き————それから何の躊躇もなく矢弾を撃ち始めたのである。


「…え」


突発的な行動を起こしたディボルグへの困惑。

そして、その射線上にいるであろう人物の顔が脳裏をよぎり、灰原の顔は一気に青ざめていた。


それは灰原が最も恐れていたディボルグの行動。

周囲に被害が出ないように…と、ここまで立ち回り続けてきた灰原の努力を嘲笑うかのようにディボルグは…倒れた最上のいる方向へと射撃を始めたのである。


「止めろ———————っ!!」


〈相手の狙いを自分自身に集中させる〉

そのために灰原は無茶をしてディボルグの足を奪い、空中からの射撃が始まった時には最上の所には近づかないようにしつつ、決してディボルグからは離れ過ぎないような位置を保ちながら我慢比べを継続してきた。



‥‥それが何の理由もなく放棄されるなど灰原には予想できるはずがなかったのだ。


「最…」


ところが最上の方へと視線を向けた途端に灰原は二つの変化に気づく。

一つは何処から現れたのかも分からない謎の巨大な壁。

それからもう一つは…。



「—————…2…1!」



…聞き覚えのある声で流れる秒読みであった。



「灰原さん! —————今です!!」



ディボルグの矢弾を受けた巨大な壁が砕かれると、そこから現れたのは右腕を負傷した進藤とボロボロの最上の姿であった。


「※※◇※‥‥!?」


巨大な盾が崩れると今度はディボルグの頭部を覆うように謎の赤い煙が発生し、それを取り払わんとディボルグがうめき声を上げながら両腕を頭部へと動かし始める。


長く降り注いでいた光の矢弾。

灰原を苦しめ続けていた悠久の雨が、今…この時を以て降り止んだのである。


——————‥‥今か!!


進藤の声に気づかされる形ではあったが、灰原は急いで剣を地面に突き刺す。


———不安はある。でも、今は自分の力を信じるしかない。


想像の剣は既に頭の中に在る。

あとは其れを創造し、形にするのみ…。


『…黙れ。貴様が何を以て「偽り」と唱えるのかは知らないが、これは事実だ。受け入れろ』


劇場で出会った黒い外套がいとうを身に纏った男。

どこか陰りのある雰囲気を漂わせながら厳粛な面持ちで灰原をいさめたBクラスの担任…しのぶ


当初、この偲という人物からの言葉を受け、頭を鈍器で叩かれたような気分になっていた灰原だが、この時に使用された偲の【ML】「刺す叉」のが妙に灰原の頭に残っていた。


それは創造物の急速な伸長と収縮による素早い移動方法。

【Rs】Lvの関係上、偲のように素早くはできないが、移動すること自体は可能ではないのでは…という考えに至った灰原はそれを実行する機会をずっと待ち望んでいたのである。


「…うわっ」


…そして時は来た。

待望の機会は傷だらけの手を借りることで遂に訪れたのである。

切れ味は零。強度と長さの割合を微調整しながら灰原の身体は天へと駆け上がる。


5m‥‥10m‥‥15m‥‥。


徐々に距離を詰め、ディボルグの立つ場所を追い越した所で、灰原は創造物を「竹刀」の状態へと切り替える。


20m以上もある極長の剣を再び通常の長さに戻す…ということは、戻す時も長くした時と同じ時間を要する…ということ。


そこまで見越していた灰原は代案として「極長剣→通常剣」ではなく「極長剣→【ML】→通常剣」と、間に【ML】への還元を挟むことで創造時間の短縮を図ったのである。


「(これは…)」


…そして、更にそれは思いもよらぬ収穫を灰原にもたらす事となる。

伸長された剣の勢いを殺さずに空中へと放り出された灰原の身体はディボルグよりも僅かに高い場所へと飛翔する。



翼無き者は重力に従い落下するもの。

だが、この飛翔による力と重力が拮抗した僅か数秒———灰原は天に立つ。



————————これで…!



息を止めながら煙に巻かれる獣に目掛けて竹刀を構える。

竹細工の刀という殻は割れ、結晶の吹雪に吹かれながら現れた想像の剣が此処に顕現する。


半透明の柄に灰の刀身が挿入された両刃の剣。

想像力に鍛え上げられた今の灰原 熾凛さかりが持つ最強の剣…。


…—————それが今、ディボルグの体を二つに両断する。



「‥‥◆▽▲※※…▼◇————————————!!」



驚きと恐怖が籠った悲鳴は天上天下の境界を越えた一つの世界を強震させる。

まさに断末魔の叫びを上げながら獣の体は落下し始めるのだが、体を二つに割かれた情況でもそれらが継続されているということは、それは裏を返せばということになる。


左肩から右腹部にかけて体を斜めに両断された獣の下半身は何の動きも無く地面へと落下していくが、残った上半身は未だ生命活動を継続していたのである。

その原因には頭部を煙で覆われていたことや不安定な空中で攻撃を行ったことが理由に当たるが、そのような状況下でありながらも大きなダメージを与えられた事に変わりはない。



「※◇■○————●◇◆※——————!!!」



断末魔と狂気と怒りが絡み合った叫びを上げながらくうを掴むように掲げられた右腕。それは助けを求めるものとは思えないほどの殺気と気迫が込められており、落下し始めた灰原の身体を完璧に捉えていた。



「※※◆▽————————!!!!!!」


そして、その掌からは今までの砲撃や矢弾とは比べ物にならないほどのエネルギー体が生成され始める。さらには体表に残った装甲や爪、切り離された下半身までもが粒子化され、その全てがエネルギー体に吸収され始めると、エネルギー体は直径5mを誇る超巨大な光弾へと変貌を遂げた。


「◆————————————————————!!!!」


後先など考えもしない。

全エネルギーが集約された超巨大光弾は自らの生命活動を全て放棄した〈亜種体〉ディボルグが放つ…正真正銘、最期の悪あがきである————。






「—————…最上さん!!」


落下するディボルグが放たんとする光弾の圧力を肌で感じた進藤は背後で倒れている最上に呼び掛ける。「再びディボルグの視界を奪って狙いを逸らさなければ…」と、そんな思いで進藤は最上の方へと振り返ると、


「す…まん…」


奥歯を噛み締めながら最上は返答をする。


最上の【Rs】「チョーク」は、ある程度の粉末量さえ残っていれば際限なく複製できる。しかし、上空で吹き荒れる強風と全身を覆っていた装甲の粒子化により、チョークのマーキングが掻き消された事で視界を奪う手段が無くなってしまった。


…己の全エネルギーを形にした超巨大光弾。

それが一体どのような思考回路で選ばれたのかは分からない。偶然か必然なのかも分からないが、直感によって選択されたディボルグの行動は最上の妨害を完全に看破したのである。


「…そう…ですか…」


そんな彼の姿を見ながら進藤は力なく答える。

小鎚こづちでも創造して遠投すれば灰原の力になれるのだが、利き手である右腕を中心とした右上半身の四分の一を負傷した進藤には不可能な話である。



…そして、為す術も無いまま空を見上げる男達は悔しさを噛み、握りしめながら灰原熾凛に希望を託すのであった。





————————どうする…!


膨張する光弾に合わせて大きく脈打つ心臓が灰原を急かす。

飛行手段を失った両者が互いの自重に従って落下していく中、下方から最後の一撃を放たんとするディボルグに対し、灰原は何の行動も起こせぬまま落下を継続していた。


半身を断たれたにもかかわらず上半身に内在するエネルギー量の多さゆえか…重さはディボルグのほうが僅かに重く、両者は離れていく一方で灰原は手を出せない。

剣の伸長によって剣を届かせることは出来るかもしれないが、その間に在る超巨大光弾を通過した途端に剣が消失してしまうだろう。



——————最大…。今の俺に出来る最大の攻撃は何だ…?



自らの武器を思い浮かべながら灰原は凄まじい速さで思考を巡らせる。

相手は自らの死すらも覚悟した全身全霊の攻撃。文字通り全ての力を総集させた一撃である。

…であれば、こちらも全力で立ち向かわなければ勝機を見る事すら叶わない。

【「全力」に対して唯一対抗できるのが「全力」であること】

それは記憶の無い灰原でも唯一理解できる常識であった。


「…攻撃力…」


その言葉から思い浮かんだのは「大剣」。

昨日の戦闘で初めて遭遇した人型〈ゲーグナー〉アインスに対して灰原が一度だけ創造したことのあるものだが、その攻撃力については使い手である灰原ですら全く理解してはいない。


…というのも、今日の戦闘で其れを使う機会に恵まれなかった事も理由に当たるが、そもそも大剣自体が灰原の身体能力や戦闘スタイルに合っていない事もあり、自然と灰原本人も大剣の使用を避けてきた。


最大攻撃=「大剣」と、ある意味でそれは安直な考えではあるが、実質残された攻撃手段がそれしかないのならば躊躇する必要はない。


「やるんだ…」


そして、灰原は剣先をディボルグに向け、両手剣を大剣へと変換する。

一口に「大剣」と言っても、その形状や材質は主に両手剣を土台としたものであるため創造された大剣は刃を分厚くし、剣先を伸ばしただけの少し重い巨大両手剣に過ぎないものであったが、【Rs】Lvの上昇によって重さと強度が強化された大剣は梶原宗助のような力にけた者が振るうことで真価を発揮する剣となっていた。


——————重い…。


…つまり、それは灰原が扱うには重すぎる武器。

普段であれば扱うことすら困難な剣なのだが、この落下した状況であれば大剣の重さなど灰原にはもう関係ない。


既に力の方向を示した以上、あとは落下の勢いのままにディボルグへと突っ込むだけで、その刹那の合間にやる事と言えば、己の剣に命を預ける覚悟を持つだけだ。



「◆◆◇◇—————————!!!」



影と音。

そして、その身の全てを捧げた剣威の迫力を肌身で感じたディボルグは、光弾を放つのではなく上へと更にじ込むことで直接勝負に撃って出る。



直径5mの超巨大な光弾と刃渡り1m強の大きな剣。

そして、両者の命を懸けた最後の攻撃が天と地の狭間で激突する。

キリキリ…と、けたたましい音と火花を散らしながら入刀された一線の刃。

それは容易く光弾の外皮を引き裂き内部への侵入を果たすが、その代償として落下の勢いは完全に失われてしまう。



「‥‥が…」


光弾に飛び込んだ灰原の身体はとてつもない激痛に包まれていた。

光弾内で流動する数多の熱線によって体中が焼かれる感覚は、熱された極細の針を身体に数千本も刺されているようなもの…。

一瞬であれば耐えられる痛みだが、それが一秒以上継続されれば痛みの度合いは段違いに跳ね上がる。


———————あと少しなのに…。


ぼやけてはいるが、その視線上にはディボルグの右腕を捉えていた。

「あと、ほんの少しの力があれば剣は届き得る…」という歯痒い状況に心が挫けそうになりながらも灰原は最後の一手を探るが…、


「…ど…け」


窮地に追い込まれた事で灰原の感情が思いもよらぬ形で暴発する。

自身の抱いた感情を「怒り」だと悟り、初めてディボルグと対峙した時、頭の中で何かが爆発したような感覚に飲み込まれまいと今まで抑制し続けてきた灰原であったが、真実は少し異なる。



 

 人は何かしらの感情を抱いた時、表情や言葉や素振り…といったもので表現するのだが、このような喜怒哀楽の感情を表現する…というのは高度な技術が必要であったりする。


…その中でも特に難しいのが「怒り」の感情。

感情の制御する力が著しく低下する感情でありながら、爆発的に発生するために感情の制御が非常に難しい状態である。


そして「怒り」とは表現の仕方を誤れば自身を破滅させ、容易に他人を傷つけたりもするもの…。

その表現に際した過程や結果はどうであれ、他人の中にある自身の印象に違和感をもたらすことは間違いないだろう。


その対処法として人は幼少の頃から怒りの表現を試行錯誤し、自己の認識を改めることで怒りの種火を見極める眼力を備え、巧く表現していくわけだが…どれほどの年月を経た人物であったとしても、この怒りを表現するというのは非常に難しい事なのだ。



「…と…———」



…ましてや「怒り」の感情を認知したばかりの灰原に怒りの制御など出来るはずも無く————…ディボルグを目の前にしてから理性と集中力で抑えつけられていた怒りの業火は、この窮地に来て解放の時を迎える。



「…と・ど・け———————っ!!!!!」



激情に駆られた灰原は声を張り上げながら大剣を押し込み、無理やり刃の形状を変化させる。


創造物の変換による浮上で体験した創造の力…。

移動として扱った力を攻撃の手段として使用することで灰原は光弾を貫こう…———と考えたわけではない。



その行動に思考の介入は無く、ただ目の前に見えるディボルグを討ち倒さんとした本能の突発的な行動に過ぎない。普段は考えて攻撃に望む灰原であるが、ここに来て初めて後先を考えない行動を取ったのである。


命のやり取りが行われる状況下においてれは愚行とも呼べる行動ではあったが、時に勢いとは必要なもので、偶然にも灰原の行動はこの局面における最適解を導き出したのである。



「◇▼※※—————ッ!!!」


光弾から突然現れた刃が手を貫通し、ディボルグは叫び声を上げる。

その直後に光弾の形状が崩れ始め、内部のエネルギーが空中へと放散していくと灰原に再び落下の勢いが戻り始める。




…———既に地上までの距離は10m。時間にして僅か4秒足らず…。

刹那と呼ぶには少しだけ長く、まばたき数回で過ぎてしまう一時に両者の運命が集約される。




「◇…▲…」


僅かに右肩の突起から蒸気が噴出されるが、すでに力を出し切った影響で浮上できるほどの余力は獣には残ってはいない。しかし、そうと分かるとディボルグは手に貫通した剣を振りほどこうと、もがき始める。


———————ここで押し切る…!


落下の勢いが戻ったことで灰原とディボルグの距離は大きく縮まり始める。

そこを勝機と見定めた灰原は伸ばした剣を再び元の大きさへと戻し、残った気力と体力を全て懸ける思いで数多の剣撃をディボルグの体へと叩き込む。



「落ちろ———!」 / 「▼※————◇◆■※※—————!」



つるぎと爪。

その二つの刃が地上5mで衝突し鉄臭い線香花火となって散っていく。


そこに生きるか死ぬかの命の掛け合い‥といった小綺麗なものは無い。

ただ生存のために爪を振るう獣と、

たった一人の思いに報いるために剣を振るう人間…。

そんな泥臭くもいさぎよい生命体たちが創り出す、己を賭けた闘いだけである。



「‥‥■っ…」



激しい攻防の末に右腕を切り落とされた獣は、二度も皿を落としてしまった子どものような声を上げていた。それは最後の腕を落とされた喪失感と奇しくも一度目の敗北に似た状況に既視感を得たためかもしれないが、全ての防御手段を失った獣に対し、灰原は止めの一撃を加えようと狙いを定める。



「…◇!」


…しかし剣をその頭部に突き出そうとした間際、右肩から吐血する様に獣は蒸気を噴出させ、灰原に牙を剥く。


手も足も無く、爪も武具もない丸裸の獣が繰り出す全霊の一撃に対し、灰原は僅かに身体を硬直させてしまうのだが、それは獣の気迫に臆したからではない。



——————————これが生きるということか…。


その身の全てを失おうとも意志を貫いて突き進む原動力…。

「生きる」という行動における貪欲さと必死さの重要性…。


灰原が牙だけで挑んでくる獣を見た直後に感じたのは「生きる」ことへの熱意であった。


「…これで最後だ」


飛び掛かる獣を目掛けて灰原は冷静に剣を突き刺し、そのまま両者は地面に落下す

る。着地と同時に剣は獣の頭部を貫通し、獣は最後の声を上げることも無く即死するに至る。


着地のことなど考えてもいなかった灰原は獣の死体に覆いかぶさる形で地面に激突することになるが、途中で落下の勢いを止められたことや獣の死体が下敷きになったことで落下の衝撃は大幅に軽減されていた。


「…すぅ—————ふう…」


…とはいえ光弾内で受けた傷が想像以上に重く、煙を吐き出すように息を吹くと灰原の視界は閉じ始めていた。



—————これは抵抗できないな…。


そのように直感し、意識が閉じていく中で灰原は自身の内に在った怒りの感情が沈下していくのを感じていた。


…「鎮火」ではなく「沈下」。


あくまで一時的に縮んだだけに過ぎず、完全燃焼された熱いものとは異なり冷たいものは灰原の中で静かに影を潜めている様子であった。



——————帰れなかったな…。



そして意識が途切れる瞬間、保健室で待つ彼女達の姿を思い浮かべるのであった—————。


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