20.「ディボルグ Ⅵ 」

 何かが割れる音がした。


水辺に張った氷の薄膜を踏み抜く気軽さと、

引き返せないところにまで踏み込んでしまった重大さ。

その二つが合わさった心疚やましさは靴先から侵入した冷水の冷たさすらも感じさせないほどに男の心を犯していった。


「‥‥」


無垢な瞳は黒色に染まり、その顔からは生気が失われていく。


————自分は一体何をしていたのだ…。


何度も、何度も何度も…その言葉が頭の中で復唱され、その度に〈自分〉が割れていく。


割れて…砕けて…塵へとなって、消えていく。

そうして現れた中身は沸々と渦巻くように揺らぐ「何か」。


…だが、その正体は分からない。

分からないからこそ、ただ男は自らの犯した罪への意識に押し潰されていくだけであった。




———————————————・・・——————————————




「…お前ら無事だったのか!」


大きな声を上げて駆け寄ってきた最上もがみ秀昇ひでたかは大きな男を担いでいた。


「・・・・」


…意識を失いながらも威圧的な雰囲気を維持した風貌と敷き布団のように大きな身体。


———確かBクラスの梶原宗助であったか…。


初対面の際に感じた恐怖心と共に雨崎うざき真波は大男の名を思い出していた。


最上さいじょう君…」


「雨崎。それに灰———」


先に目が合った事から…困り果てた顔の雨崎に声を掛けた最上であったが、途端に彼の歩みは止まる。


…それは地面に横たわる紅葵もみぎ蒼の姿か。

…それとも地面に膝を突き、真っ黒な虚ろな瞳で下を向く灰原の姿か…。


大まかな状況を理解した最上は担いでいる大男を落とさぬように両手を構え直し、重くなった口をこじ開ける。


「…雨崎。急いで蒼の奴を運んでやってくれ。手が足りなければ…」


そこで彼は再び口を閉じる。

彼の言葉は確かに雨崎に向けられたものであったが、その視線は膝を突いた灰原に向けられており、それだけで彼女は彼の思いを察していた。


「はい。後は任せてください」


「…すまんな」


そう謝って彼は校舎へと走っていった。


…昼食を共にした際に羽織っていたブレザーは無く、土砂と血に汚れた白シャツと擦り破れたズボンに傷ついた革靴…と、この場に至るまでの辛労を彼の身に付ける全てが物語っていた。


「…優しいんですね」


小さくなる男の背中を見つめ、雨崎はそう呟く…。





「よし」


ぴたり…と両手を頬に当て小さく気合の声を上げると、雨崎は背負っていたランドセルの中から巨大な機巧のかいなを創造し、自らの手による補助も加えながら何とか彼女をそこへ移動させる。


「…行きますよ。灰原さん‥‥ほらっ」


鋼鉄の腕が彼女を覆い、搬送の準備が整ったところで雨崎は灰原に声を掛けるが、返答はなく…結局、その腕を彼女が無理矢理引くことで二人は保健室へと向かい始める。


「‥‥」


雨崎に手を引かれて男は歩き始めるが、その瞳に明かりが灯る気配は一向に見えない。


まるで心が何処かに抜け落ちてしまったような彼の状態から察するに、恐らく最上が現れた事すら気づいていないだろう…。


「・・・・」


…現在「アンドロイド」の手中で眠る蒼は意識不明の重体。

雨崎の懸命な呼びかけに一度も反応する事は無く、頭部に受けた裂傷は事故から時間を経たにもかかわらず出血が収まる気配はない。


このように事態は非常に深刻な状況であったが、現在地がマンションに近い所に位置していたことが唯一の幸いといえる。


そして、マンションの正面に位置する第一校舎であるが、その侵入口は大きく分けて四つに分かれている。


一つ目は、第二校舎と向かい合う形で配置された第一校舎の中央部に位置する中央玄関。

二つ目は、第一・第二校舎を繋ぐ渡り廊下。

三つ目は、第一校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下。

そして、四つ目は第一校舎一階のマンション寄りに位置した「小玄関」である。



「———…」


大股で歩く少女と、その手に引かれて従順に歩みを進める男。


強弱の異なる二つの足音だけが両者の沈黙を紛らわす中、グラウンドから階段を上ってマンション前へと辿り着いた二人は小玄関から校舎へと入る。


そして、廊下を歩き進めて数秒と経たずに少女は掴んでいた男の手を放して男の方へと振り返る。


「‥‥聞いてください灰原さん。大事なお話があります」


「‥‥」


相変わらず返答はない…。

だが、代わり映えのしない真っ黒な瞳で男は少女の目を見つめていた。何かを訴えているような視線に雨崎は思わず目を逸らしたくなったが、何とか踏み止まって男の目を見つめ続ける。


「灰原さん。蒼さんがこんな目にあったのは自分のせいだと思っているのですか?」


「。」


…そう尋ねると、首の力が抜けたように男は下を向く。

だが、その直前…機巧の手に覆われた彼女に視線を向けていた事を雨崎は見逃さなかった。


「‥そうだ」


そして、今まで無言を貫いていた男がようやく固まった口を開く。


固くなった唇から零れ出た肯定の言葉。

自分の言葉に震え、今にも崩れ落ちそうになる彼の姿に雨崎は胸を痛めつつも話を続ける。


「…そうですか。でも…灰原さん」


僅かに目を閉じて一呼吸置いた後、雨崎は男へと一歩踏み出し一言。



「人の善意を、自分の落ち度に捉えるのは失礼ではありませんか?」





——————‥‥本来であれば、このような事は自分の役割ではない。

偶然この場にいたのが自分というだけであって、もっと適した人がいれば優しい言葉を掛けられたかもしれない。


これは私一人の言葉であるが、私一人の思いではない。


紅葵蒼と最上秀昇。

この二人に託された以上、託された側としてはその思いに応えなければならない。


たとえ伝わらなくても、たとえ不格好であったとしても…私のやり方で彼を奮い立たせなければいけないのだ。



「…灰原さんが眠っている間、何人かの生徒がこのような事を言っていたのです。


『何か不思議な力に引っ張られて、あの落下の被害からまぬがれた…』と、


彼らの衣服には灰原さんの物と同じようにボロボロの御神札おふだが張り付いていました。きっと落下に気づいた蒼ちゃんのおかげで彼らも軽傷程度で助かったのでしょう…」


先程とは打って変わり、物語でも読み聞かせるように雨崎は男に語る————が…、


「…でも、彼らは「誰かに救われた」と思うだけで、

それ以上は何も思わないでしょうね。

自分のいいように理由でもつけて…それでおしまいです」


「‥‥」



男の表情が歪む。

「僅かに心が揺らげば…」と思っての言い方であったが、効果はあったようだ。


「…それでも蒼ちゃんは自分を犠牲にしてまで彼らと私たちを守ってくれました。

でも、きっと…彼女はそんな事なんて気にしてなかった。恩や感謝といった見返りを求めず、ただ「みんな」のに行動した。…それだけだと私は思います」



———‥ここまで来た。これ以上長引けば…彼女の身が危ない。


もう一歩踏み出した雨崎は男の頬に両手を当て、その瞳の奥まで見透かすように顔を近づける。そして、大きく息を吸い込むと少女は締めの言葉を男に突き出した。



「ねぇ、灰原

私よりも長く彼女といたのなら———その気持ち、勿論分かりますよね?」



あおるように、挑発するように…強気でそう言い放った少女は再び前を向いて歩き始める。



ランドセルの背負い紐を握りしめ、背筋を正して前進する三つ編みで眼鏡をかけた少女…。


そんな彼女の歩く姿からは不釣り合いな大人びた空気が微かに薫り始めていたのだが、内心では自身を卑下する声がざわめいていた。


————あぁ、こうして煽る事でしか矮小わいしょうな私は人を奮い立たせられないんだ…。


「心の弱った相手に対し、このような言い方は残酷ではないか…」という良心の痛みが彼女をせめぎ立てる一方で、それを凌駕りょうがする不安と緊張が少女の胸の鼓動を徐々に増大させていく。


…だが、その反面で妙に晴々しい思いもあった。

今までの沈黙によるストレスが全く関係無い…とは言い難いが、誰かの思いに応えるためとはいえ、気を遣わずに思いの丈を伝えることが出来た事に歓喜していたのかもしれない。



【————時に[人]は精神的に自身を追い込むことがある。

それは自身の掲げる目的を果たすためであったり、自身への戒めや教訓などを植え付けるためであったり…と様々な理由が挙げられるが、自発的な精神への追い込みは「いつでも止められる」という絶対的な余裕と「自分が打ち立てたもの」という唯一性の二つが存在するため自由性が高い。


ところが、受動的な精神の追い込みは全く性質が異なる。


他が求める自分の像…。外見と経歴ばかりを重視する他人の願望の押し売り…。

そういったものを「自分に足りないもの」と誤解して真に受けてしまったが最後、自分というものが徐々に改造され始める。


だが、この改造において一番恐ろしい点は受動的な精神への追い込みを自発的なものへと混同させてしまい錯覚してしまうことにある。それは「他」の期待や願望に応えられているという喜びや快楽を感じ、更には自発的なものとして達成クリアされたと数えることで、無意識の内に見えない負荷や圧力を自覚する感覚が麻痺してしまう。


そうして毒された「自分」は消えてなくなり、いつしか「誰かの自分」になる。

それを「大人になる事」と勘違いしてしまった者が大人(仮)ならば、

「普通の大人」とは余程の器量が無ければなれない者なのかもしれない…—————————。】



[人]の心とは他に囚われ易く、時に犯されやすいもの。

人に対して気を遣う事が、どれほど「自分」を危ぶませるのか…彼女は知っていた。



だから、情けは掛けなかった。

この状況において手心を加えてしまえば、託してくれた二人の思いに応えることは出来ない上に彼の為にならない。もし、これで彼が潰れてしまい二度と立ち上がれないようであれば、二人の思いを託した人物がだけに過ぎない。



————それでもあおって、動揺させて、彼の自信を砕いてしまったと知れば、二人はきっと私を許してはくれないでしょうね…。



廊下に響くのは少女の足音だけで、男の足音は聞こえない。

少女の目は既に「保健室」の表札を捉え、このまま歩き進めれば時期に到着するだろう。



故に、その手を少女が引き戸に掛けるまでに男はこたえなければならなかった。



―――――――――――――――・・・———————————————





—————これは攻められないな…。


一時の気の迷いも許されない猛攻が続く中、攻める機会を掴めずにいた進藤岳人がくとはディボルグの攻撃を防ぎ続けていた。

梶原でさえも手を焼いた亜種体ディボルグの猛攻は四足歩行から繰り出される変則的な速攻攻撃が特徴的であったが、梶原に止めを刺す間際に二本足で立つことを学習したディボルグの戦闘形式は一変する。


二足歩行による自らの身体能力の性能を活かした攻撃や軽やかな身のこなし。

梶原との戦闘から大きく成長した亜種体ディボルグの姿は人間に近しいものへと昇華していたのである…————。




~~~~~~~~~~~~~~~・・・~~~~~~~~~~~~~~



『——————…おいっ! カジ!』


ディボルグの追撃を防いだ直後、精魂尽き果てるように梶原宗助は崩れ落ち、地を揺らすかの勢いで巨体は地面に沈む。そして主の意識が無くなったことを示すように地面に突き刺さっていた黒い竹刀は【ML】である「竹箒」へと戻り、消失していった。


『‥‥』


間近で見ればより大きく、分厚く感じられる屈強な身体。

意識を失っているにもかかわらず、その身に残った闘気が衰える気配が無かったために進藤は思わず唾を飲み込んでいた。


『いま…保健室に…連れていくから…なっ!』


そんな彼を担ぎ上げる最上の身体は震えていた。

衣服に染み付いた土砂や汗、そして彼のものではない血。

膝部分の破れが著しいボンタン…と、彼の身に付ける物が今までの男の苦労を物語る。


『…ぐっ…おぉぉぉぉ…』


…そして、ついには彼の身体までもが疲労の色を見せ始めていた。


『‥‥』


彼と自身の身体を見比べた後、進藤は最上に指示を送る。


『最上さん。梶原さんと一緒に急いで保健室に…————』




~~~~~~~~~~~~~~~・・・~~~~~~~~~~~~~~~~~




———きっと最上さんは戻って来ないだろう…。


梶原を担いで保健室へと向かった最上を見送った後、ディボルグの重い連撃を防いでいた進藤は次の手を考えていた。


…彼が保健室に向かう直前、獲物を奪われたと思ったのか…ディボルグが追い打ちを仕掛けた時は肝を冷やしたが、狙いを自分に移動させてからは攻撃を防ぐだけで反撃の目途は立たない。それどころか…何とか攻撃の威力を殺しながら応戦するので精一杯であった。


「◇」


「…っ!」


予備動作もなく体の回転を活かした尻尾の強烈な打撃が繰り出されるが、咄嗟の足運びと重心移動で尾の下に潜るように何とかこれを受け流す。


「□◆…」


…しかし、それだけでは終わらない。

右回転させた尾の打撃から、次は左手腕による鋭い爪の刺突が繰り出されていた。


「危なぃ…」


透明の盾、ライオットシールドを透かして次の攻撃を目視した進藤は後退跳躍バックステップでこれを回避する。


次へ次へ…と相手の攻撃を見切り、流れるような身体の動きで巧みになす。

柔よく剛を制する、とまではいかないが、流水の如く身体を動かして攻撃を往なし続ける様は梶原とはまた違った意味で獣を苛立たせていた。


「さて…」


距離が僅かに開き、進藤は盾の修復と再強化を図る。反撃への活路が見出せない以上、こまめに盾の補修を行わなければ安心して防御に徹する事すらままならない。

…それほどまでに亜種体ディボルグの持つ圧倒的な戦闘センスは油断できないのだ。


———それでも…わざわざ新しい武器を用意する必要がないというのは便利なものですね…。


武器が有限…というのが当たり前であった進藤にとって、この利点はかなり大きい。


創造/想像イメージ】力さえ籠めれば無限に再生できる夢の武器…【ML】。

理論上は持ち主の知力・体力・気力さえ残っていれば限界まで戦闘を続行する事が出来るものだが、…それは究極的に言えば意識さえ残っていてもそれは可能といえる。



MLマテリアル】「机」を持つ進藤の【Rsランクスキル】は二つ。

一つは現在展開している「盾」。そして、もう一つは「ハンマー」。

攻め手が完全に無いと言うわけではないが、動きが速く、隙を見せないディボルグに鎚は出せない。


——————一体どうすれば、このような怪物と一人で渡り合えるのだろうか…。


…だからこそ、進藤は梶原宗助の為した功績に感服していた。

腹部に打ち込まれた大きな凹みもそうだが、改めて獣の体を見ると体を覆う装甲の大半に凹みや擦れが刻まれていたのだ。無論その全てが獣に対する有効打になったわけではないが、それほどまでの攻防を行い、梶原宗助という男の「強さ」に進藤は憧れたのである。


「よし…うわっ」


補修が完了した直後、次の攻撃が進藤を襲う。

攻撃の重みに続き、次は移動速度までもが上昇し始めた獣の突撃。

ようやく二足歩行での攻撃に慣れ始めた、と言わんばかりの攻撃を僅差で防ぎ、すぐさま体勢と呼吸を整えて次への攻撃に備えるが、上手く流しきれなかった重い衝撃が腕に残留する。


「ぅ…」


鈍い痛みに顔が歪みそうになるのを堪える。


時間を追うごとに鋭くなるディボルグの戦闘の才に対し、こちらは徐々に疲労する一方で…もうじきディボルグの攻撃にも耐えられなくなるのは目に見えている。

この状況を打破する方法が見つからなければ、このまま遠回りで敗北に向かうだけなのだ。


——————増援は‥‥望めない。


勝手に自問自答して溜め息をつきたくなるのを堪える。

この状況下において、そのような薄い希望は持つのは油断を生む原因になりかねないのは十分承知しているが、そんな淡い可能性に頼りたいほどに戦況は不利に傾いているのだ。



…確かに人手さえあれば、突破口は見えてくるのかもしれない。

しかし、この場に戦える生徒がほとんど残ってはいない事は既に確認済み…。むしろ死人がいないだけでも上々の結果であるのだから、それ以上を求めるのは無茶というものだ。



…——だから、自分が闘わなければならない。

昨日の汚名を晴らす意味でも、ここで敗走する事だけは決して許されない。

最後まで耐え忍んで相手の体力を削り、そこから勝機を見出すこともできるはずだ…。




「□◆◆◆…」


…そう進藤が思い改めた矢先にディボルグは新たな行動に出る。

突如、二足歩行から四足歩行の姿勢へと移行し、そこから臀部を突き出すような姿勢で進藤に狙いを定めていたのである。


「…え」


…一瞬の迷いが生じる。


先ほどぎょしきれなかった攻撃の反動で大きく後退させられた進藤とディボルグの間に開いた距離は10m以上。


この大きく開いた距離に加え、跳躍の予備動作にも近い獣の体勢と突き出された臀部の先————大筒の銃口が獣の視線と同様に進藤を捉える。


…跳躍による接近攻撃か。

…砲撃による遠距離攻撃なのか。


同時に発生した二つの選択肢が進藤の判断を鈍らせたのである。


—————いけない…!


すぐさま防御の姿勢を取り、進藤は【創造/想像イメージ】力を組み立てる。

扱いやすいライオットシールドの強度では、あの大筒から繰り出されるであろうには対処できないからだ。


…あの尻尾の原型ともなったアインスの主砲。

だが、アインスとの戦闘経験が無い進藤にとって、昨日の戦闘で見た不意の砲撃だけが唯一の情報源であった。



…————基底となる盾の原型は「スクトゥム」。


進藤は「盾」の再構築を開始する。

丸めた紙を削ぎ落としたような形状の盾、「スクトゥム」。

これにより直線に放射される熱線の威力を軽減させ、耐熱性と硬度を兼ねた盾を創り上げることで進藤は砲撃と跳躍攻撃の両方の攻撃に備える——————。


「□ッ!」


吐息にも似た短い声を合図に凄まじい熱量を持った熱線が銃口から放たれる。

その威力‥大地をむらなく黒に染め上げ、空気を焼き焦がさんばかりに放散した高熱が陽炎となって空間を捻じり歪めていく。


「‥‥!」


その威力を背筋の寒気で感じ取った進藤は、すぐさま防御策を打ち消す。

アインスの砲撃が豆鉄砲にすら感じられるほどの強烈な螺旋を描いた太い熱線。


———————まともに防御すれば数秒で盾が砕かれる…。


即座にそう判断した進藤は盾を地面に突き立てると、着弾と同時に盾の影から駆け出す。


…バガンッ—————————。


着弾時の衝撃が響き、主を失った盾は一秒と保たずに崩壊する。

あのまま防御の姿勢を維持していれば、盾諸共もろともその主も焼き滅ぼされていた事だろう。


「…—————」


盾の影から飛び出した男の呼吸音は消え、熱線の光に溶け込むように身を潜めながら、その足を獣の死角へ回り込むように慎重に運ばせる。


…そして、その男の手には盾の裏側に装着されていた二つのグリップが握られていた。




 【MLマテリアル】は持ち主の【創造/想像イメージ】力が合わさる事で初めて【Rsランクスキル】を発現させる「素材」となり得る。

そして【Rs】によって創造された創造物は【ML】本体の材質・質量・体積等を殆ど無視したものとなっており、それらは全て持ち主の【創造/想像イメージ】力に起因する。


しかし現実的に考えれば、一つの素材からその資源リソース以上の物を生み出すことは出来ない。


小枝一本で家が建てられないように素材とは決められた数や質が揃い、それを創り変える者がいて初めて創造物となり得るもの。…いくら「ゲーム」といっても限度と言える部分もある。


…だが、その足りない資源リソースを【創造/想像イメージ】力が補っているとすればどうなるだろう。


「素材」たる【ML】から所持者の【創造/想像イメージ】力が足りない資源リソースの補填と構築を行い【Rs】として創造物が発現する———。


これは役割としての面では納得できるが、人間の想像力なぞ各々おのおのの知識や経験で容易に肥大化する。その状態で【Rs】を発現させれば創造物の保有する資源リソースは無限にも匹敵するだろう。



だからこそ、【Rs】「Lvレベル」と呼ばれるものが存在しているのではないか…と進藤は推察した。



初めの授業で塩崎はこれを

『「創造物」をより【創造/想像イメージ】に近いものへと昇華させるシステム…』

と説明していたが、具体的に言えば【Rs】「Lv」があるからこそ補填される資源が制限されているのであって、「Lv」の数値とは創造の際に使用できる資源量の段階を指しているに過ぎない。


————いや、それとも初めの板書に在ったがこの説を示唆していたのかもしれない。


『【Rs】「Lv」→ 【創造/想像】力の反映率、「創造物」の性能強化…etc


なるほど、巧い人だ…。




ともあれ【Rs】「Lv」が無限にも近しい人間の【創造/想像イメージ】力の補填する「資源量」を制限するもの、と捉えるならば「Lv」の上昇が制限を外していくことは必然。


現在の進藤岳人の【Rs】Lvは「盾」・「大槌」共に「Lv:2」。

そして、偶然にも昨日の戦闘で盾を最大展開した進藤は「Lv:1」段階の限界資源量を知っていた。自らの心の弱さが招いた行動が思わぬ成果を生んだのである。


「いくぞ…」


二つのグリップを併せると、グリップは結晶化を開始する。


…資源量の制限はあるが、逆にであれば使い方は自由。

確かに砲撃によって盾は粉砕されてしまったが、その分の浮いた資源を利用して進藤は初の攻撃に臨む。


「——————」


足音と殺気を消し、自らの存在すらも空気に溶かすように己を殺して対象との距離を詰める。


心臓の音も呼吸の音も、もう聞こえない。

完全な集中状態に入った中、対象を間合いに捉えた進藤は音もなく跳躍し、両腕を掲げる。



…——————想像の殻を破って現れたるは戦鎚いくさづちの柄。


しかし、その柄頭には未だ鎚独特の柄頭はない。

振り上げられた柄。そして宙で反らされる身体…。

収束された力が解放される時、初めて不可視の柄頭は姿を現す。


…生み出されたのは二つの異なる面を持った鎚。

その片面は重量感を感じさせる黒く丸みを帯びた面。

そして、もう片面には太く猛々しい爪を模した突出部が顕れる。

配色は黒一色。

まるで巨大な黒鳥の頭を想起させる漆黒の戦鎚が此処に創造されたのである。



だが、主の【創造/想像】力によって創られた黒い戦鎚は進藤岳人という人物の『表』と『裏』。対となる異なった側面を象徴する物にも思われた——————。





「※※◆ッ!??」


獣は回避の行動を取るが僅差で間に合わず、戦鎚の殴打を背に受けた獣は声を上げる。激痛と驚きが入り混じったようなやや上擦った声音は明らかに痛みを訴えるものであった。


「‥‥よし」


手応えと獣の反応を見た進藤は思わずそう呟くが、すぐさま振り下ろした戦鎚をライオットシールドへと変換して距離を取る。



まだ一撃。

長い防衛の果てに与えた凡人の一撃に満足するほど進藤の肝は据わっていない。

次に獣がどう動くのか…その先読みという振出しの盤面に戻ったに過ぎないのだ。


「…」


そして無言のまま獣は立ち上がる。

腹部を覆っていた装甲は砕け散り、装甲の中からは黒毛にも似た地肌と戦鎚によって潰し千切られた下腹部が露わになるが、血のようなものが出ている様子はない。


そして、しばらく獣は傷口を眺めた後、開いた傷口の間に自身の手を何度か通過させていた。


「?」


それは自らの体の欠損を自覚するためなのか…行動の意図が全く掴めず、進藤は警戒を強めるが、同じ行為を何度も繰り返すうちに…ある変化が獣の体に起き始める。



…開いた傷口を埋めるように腹部の黒い部分がうごめき始めると、僅か数秒と経たずに潰し千切られた下腹部の空白を埋めてしまったのである。



「…んぅ‥?」


その様子を見て一度は落胆する様子を見せるが、進藤もまたある変化に気づく。

絶えず獣の動きを見ながら攻撃を防ぎ続けてきた進藤だからこそ気付いた変化…、それは腹部の再生と共にディボルグの体長が僅かに低くなっていたのである。



———「再生」ではあれば決して勝ち目は無い…。


そう考えていた進藤の前に突然舞い降りた勝利への道。

それでも今のような奇襲は二度と通用しない事を考えれば、その道はより一層険しいもので…むしろ今まで見つからなかった道がようやく見え始めたといったところだろう。


——————何とかなるかもしれない…。


気合を入れ直して進藤は体勢を整える。

まさに再スタートを切るような思いではあるものの道が見えたことで僅かに緊迫感が解け、視界が一気に広がり始め…——————




「あ…」



油断シタ…————そう自覚し、真っ先に感じたのは背筋に奔った猛烈な悪寒。

ドライアイスの塊を直接押し付けられたかのような熱い冷気にさえ身体は反応できず、振り返ろうにも肉体と精神を繋ぐ歯車が噛み合わずに身動きが取れない。


「・・・・・・・・・」


そして…次に男が感じたものは「におい」。

悪臭でも心地よい香りでもなく、極度の緊張で過敏になった嗅覚が察知したのは「死」そのものではなく、死を与えんとする存在に付随した「におい」。


‥‥その正体は、まがう事無き無慈悲な「殺意」であった。


「◆・・・□・・・・◆・・・□・・・」


…きっと笑うように喉笛を響かせているのかもしれないが、男の耳には何も聞こえない。


その耳には警報にも似た耳鳴りが響き、その眼には誰もいない大地が映るのみ…。

人体の限界を超える一時の反射行動すらも追いつけないほどの時の流れに精神だけが喰らいつくが、置き去りにされた肉体に訪れるのは逃れようのない「終わり」だけであった…。









「とぅおおおおおおおおおりゃあああああああああああああああっっっ!!!!!」




けたたましい叫び声が響き、けるような背筋の悪寒と「におい」が掻き消されると、時間に取り残された肉体と精神の歯車は再び絡み始める。


「何が…」


進藤が背後を振り返ると、そこにいたと思われるディボルグの姿は無く…代わりの人物が立っていた。


「…はぁ———はぁ———はぁ…」


汗と、土砂と、他人の血に塗れていたシャツには新たに自身の血と細かなガラス片が付着し、男の荒い息遣いに合わせてガラス片が零れ落ちていった—————。






…梶原とディボルグとの戦闘に介入する前、進藤は道中で見かけた数人の生徒を救護していた。その中には腕を骨折した生徒もいたが、そんな彼らに対して簡単な応急処置と保健室への誘導を行うと、


「ありがとう…」


そんなお礼の言葉を受けて僅かながらに達成感と安堵を抱いた進藤は、ディボルグ落下による被害を直に目の当たりにする。


グラウンド中央部に刻まれた巨大な穴。

その周囲には多くの亀裂が奔り、広範囲に飛散した大小様々な岩々が散在する。


…そのようなグラウンドの惨状を見た進藤は当初「死人が出ていても不思議ではない…」と覚悟していたが、やがて死人どころか重傷者すらも予想より少ないことに気づき、「誰かの尽力によるものではないか…」と想像を巡らせる。


…そして男は彼と出会う。



「——————…おいっ! カジ!」


…倒れた梶原に駆け寄る最上秀昇。

その衣服に付着した血は、湿り気の残った新しいものと時間の経過によって乾いた古いものがあり、後者はディボルグが現れる以前に着いたものと考えられる。


————おそらくゲーグナーとの戦いが始まった頃から彼は誰かを助け続けていたのだろう…。


彼の姿を一目見た時はその程度の事しか推察できなかったが、彼の姿には妙な違和感があった。


何処か引っかかるような違和感。

微妙なともいうべきか…どうしてもそれが気になった進藤は二度にたびその目に彼の姿を映す。



…そして、その妙な違和感に気づいた瞬間、男は自分と彼との決定的な違いを知る事となる。



彼の着用する汚れたシャツとこすれて破れたズボンもそうだが、真に注目すべきは彼の履いている傷だらけの革靴。

その異様に靴底が擦り減った革靴こそ、感じられた違和感の正体であり、彼の築いた努力の証であった。


「‥‥」


自身の姿と彼の姿を見比べ、進藤は奥歯をきつく噛み締める。



数人。

片手で数えられる程度の人を救っただけで、なぜ安堵していたのか。

まだ苦しむ人がいるというのに…なぜ達成感を感じていたのか。

助けた生徒にお礼を言われた自分…その顔に微かな笑みすら浮かべていた自分自身が憎らしい…。


自らの手が届く範囲だけで誰かを救う事に満足してしまった己の甘さ、己の怠慢が…こんなにも自分を愚かしめていたのだと————彼の姿を見て、男は思い知らされたのである。






「————どうしてですか…」


 思わずそう尋ねた進藤に対し、彼はこう答える。


「助けられる‥と、そう思ったからな」


三度、その姿を目にした進藤岳人は悟る。


その身に浴びた茶と赤の斑紋は他のために…。

擦り削れた傷だらけの靴と疲労の限界を向かえた体も他のために…。

今なお、その身から流れ出る鮮血とこぼれる硝子がらすの破片は一人の為に…。



…そして彼は笑っていた。


苦行ともいえる試練を乗り越えた者にしか出来ないその笑みは、自分という壁を乗り越えたものにしか与えられない「大成」の二文字を喜ぶもの。


他のために行動し、傷つきながらもそれを成し遂げた彼は、まさに英雄とも呼べる人物であろう…。


【だが、それは全て否である。】



———————嗚呼、彼は人としての丈が違うのだ。


彼は不可能を可能にする男。

自らの能力など意図せず「できる」と思えば力尽き果てるまで行動する男。


その本質は諦めが悪いわけでも、ただの蛮勇というわけでもない。


最上もがみ秀昇ひでたかという男は「あきらめない男」なのだ。







「◆◇…」


蹴り飛ばされた獣は立ち上がり、喉笛を震わせる。

二度も邪魔が入ったことで怒りのボルテージが上がったのか…頭部に生えた巨大な刃付近に空いた二つの穴からは蒸気が漏れ出ていた。


「進藤。正直、お前には聞きたいことが色々あるが…今はこいつが先だ」


「…はい」


影が差した表情でそう返事をした進藤は盾を構え直して、最上の隣に並び立つ。

しかし、そんな彼に対して最上は申し訳無そうに一言、


「だが、ぶっちゃけ俺の武器じゃ撹乱かくらん程度の事しかできん」


「え」


…堂々と自分の弱さを明かした男に対し、思わず進藤は素っ頓狂な声を上げていた。


「…だから、主な攻撃はお前に任せる」


「あの…ちなみに【Rs】を聞いても…」


「もしかしたら、戦闘向きではない支援系統の【Rs】なのでは…」と思いを巡らせ、期待を胸に恐るおそると尋ねた進藤に最上は少しだけ悲しそうに答える。


「「チョーク」、だな」


「…あ、それは【ML】の…」


進藤の言葉を遮り、最上は自らの【ML】を現出させ握り込んだ「チョーク」を獣の方へと投げつける。放られたチョークは立ち上がった獣の目前で粉末状の霧となり、煙幕にも似た効力を発揮していた。




…Aクラス最上秀昇は、その担任にあたる塩崎劉玄の策略により「チョーク」を【ML】として登録されてしまう。

初めは重要アイテムである【ML】を他人に決められたことでショックを受けていた彼であったが「【Rs】さえ解放されれば…」と別方面に気持ちを切り替える事でショックを乗り越えた。


…————かに思えたが、昨日の戦闘で彼は自身の【Rs】を初めて知る事となる。


【ML】「チョーク」。

その【Rs】名は「チョーク」…決して間違いではない。


幾度となく〈生徒手帳〉のステータスを見返したが、表記ミスでも見間違いでもない。


正真正銘【Rs】「チョーク」。

その能力は【ML】であるチョークの複製・形状変化・色彩変化のみ。

主な用途としては、対象にチョークを投げつけ、粉末状に変化させたのちに複製し、相手の視界を撹乱させることが挙げられる…。



そのあまりの攻撃性の無さを考慮しての救済措置なのか…。

【Rs】解放時から【Rs】Lvは「10」に設定されており、自身の意識が保たれている限りは半永続的に「チョーク」…もとい煙幕を張り続けることが可能な【Rs】である。



「…「チョーク」だな」


感傷に浸るような面持ちで二度同じことを繰り返す男。

万人を救ったはずの英雄は、只々ただただ色彩豊かな煙を生み出し続けていた—————————。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る