19.「ディボルグ Ⅴ 」



校内の隅に位置する弓道場。そして、そこへ並び立つように建てられた文化棟。

二つの建物の正面にはグラウンドが広がっており、両者の間を仕切る形で高さ10mほどのフェンスが建てられている。


「…うっし」


そのフェンス際に気絶した紅髪あかがみの女子生徒を慎重に横たわらせたあと、最上秀昇は額の汗を袖で拭う。


未だグラウンドの半分ほどしか回れてはいないが、亜種体ディボルグの落下によって大半の生徒が何かしらの重軽傷を負っており、穴の空いたグラウンドの方が可愛らしく感じられるほど人的被害は多大なものであった。


…怪我人は多く、満足に動ける者は少ない。


それでも救助の際には素早い判断と行動が求められる。

初めは重軽傷の判断を行い、怪我の深度が酷い重傷者から優先的に保健室へと運ばせ、その際の搬送を動ける軽傷者に委託する事で一石二鳥を図る。


…目で見て判断できる外傷であれば、それで大抵何とかなる。


あとは使える人材を無理のない程度に使う人海戦術なども必要となるが、最悪人手が足りなければ自分が動けば良い…。


だが、重軽傷の中で最も厄介なものが「気絶」である。


外傷や顔色などによる判断材料があれば、まだ考えようはあるが判断材料がない場合の気絶者は非常に判断に困る。


例えば頭部からの出血があれば、出血部に布を当てた後に人員を割いてでも慎重に保健室へ搬送させれば良いかもしれないが、外傷のない生徒に関しては不用意に動かすこと自体にリスクが生じるため、このように近くの壁際まで避難させて自然回復を待つ…という神頼みにも近しい手段を取らざるを得なかったのである。


「生きててくれよ…」


祈るようにそう言い残した後、男は立ち上がる。


探して、走って、運んで、走って…と、そんなことを繰り返して出会った生徒の数は十数人を超えてから数えるのを止めてしまったが、未だに目的の人物達は見つけられてはいない。


「あいつら無事かな…」


そう呟いた後、気づかぬ内に最上は遠く離れたマンションを見つめていた。


…そこに彼らがいるはずもない。

べつに「帰りたい…」などと弱気になっているわけでもなければ、疲弊した身体と精神が限界を迎えてしまった‥というわけでもない。


だが、思い当たる節はある。


「帰るべき場所」に目が向いてしまったという事。

それは無意識の内に戦いの無い平穏な時間を求めてしまったからであり、この戦いの終戦を自分が望んでいたのだ。


…それを「甘い考えだ」と追及されてしまうならば、正直ぐうの音も出ない。

けれども、ただの一介のサラリーマンが学生時代の黒歴史以外の記憶をうまく抽出して、拙くも懸命に救急隊員の真似事のようなことをしている姿を見たとしたら、少しは共感してもらえるのかもしれない。



バキンッ———————!


「…!」


強烈な衝撃音が停止した最上を再び現実へと呼び戻す。

音の方へと視線を向けると、グラウンド中央部で格闘する梶原とディボルグの姿があった。


「————っ—————っ」


距離が離れているため呼吸音までは聞き取れないが、ぜぇ…ぜぇ…と苦しげな吐息が聞こえそうなほどに大きく口を開きながら大男は肩を上下させている。

さらには怪我を負ったのか…幾度も右脇腹に手を当てる姿が見られた。


「■…」


それに対する白い装甲を全身に纏った亜種体ディボルグと思しきゲーグナーは梶原に攻撃されたためなのか…地面に横たわっていたが、ゆっくりと体を起こし始める。


頭頂部から髪の毛のように流れ出た一振りの巨刃きょじん

各手足から生えた鋭利な爪。

そして、尾の先にはアインスの物と類似する大筒…と重装備を構えて四足歩行で動く姿は他のゲーグナーとは一線を画す獰猛どうもうな獣。



 両者の戦いが始まり「十分」。


それは授業間の休み時間にも等しい時間だろうか。

手洗いにでも行った後に次の授業の準備に勤しむか…。

個々で自由な時間を過ごすか‥。

それとも、他者との交流に時間を費やすか———。


日常の「十分」には、自由があり、意識しなければ難なく過ぎ去ってゆく。

けれども、非日常の「十分」は意識をとらえて固く離さない。


囚われた意識。


切迫した状況に追い込まれた精神は時を超え、身を削る呪いへと変わる…。

それは度を越えた精神にかかる反動なのか…。

心気を締め付ける空間にのみ顕現するそれが絶えず梶原宗助をむしばんでいるかに見えた…。



「———…もう半分だ。もう少しだけ耐えてくれよ…カジ」


傷ついた革靴で地面を蹴り、男は再び走る。

獣の落下から約十五分。

汗と土煙に塗れた白シャツと自慢のボンタンは汚れ、擦れで生じた綻びや破れた箇所が僅かに目立ち始めていた…。


————————…あいつらは無事だろうか。


灰原、雨崎、そして紅葵もみぎ蒼の三人。


グラウンドで見かけたこの三人もそうだが、未だ姿を見ていない残り二人に関しても再び気が向いてしまう。


『…死んだ生徒はAクラスのし…』


…一度は考えてしまった頭文字に「し」を持つAクラスの生徒。


それは苗字か名前かも分からないが、あのしのぶという教師の言葉を聞いた直後、脳裏によぎったのは「志村しむら いさお」と「進藤しんどう 岳人がくと」の二人であった。

勿論、それは自分の中にあった情報が偶然その二人であっただけで、何の確証もない。


…それでも胸ににごりが出来たのは間違いない。


時と場合にもよるが、環境に際して人は「もしかしたら…」という自らの創りだした心の罠に掛かり易い生き物であり、この濁りの発生は必然ともいえる。

しかし、そのような合か否かも分からない不確定で、曖昧で、抜け出すことも出来ない霧の迷宮のような不安に対する人の行動は道化にも賢者にも傾くものであるが、最上秀昇の場合は「判断材料が足りない…」と、そう自身に言い聞かせることで、それを抑えることに成功していた…。


「ほっ…ほっ…」


大穴が刻まれたグラウンド。

散在する岩々。

…そして、倒れた生徒達。


グラウンド中を駆け巡る中、間近で何人もの負傷した生徒と出会った事で抑圧された不安はより大きく、濃く、拭い難いものとなって男の心中を再び濁らせる。




「□◆——————!!!」


ガキンッ————!!!



「!」


獣の咆哮ほうこう

そして先程とは異なる衝撃音が鳴り響き、最上はグラウンド中央へと振り返る。


———————梶原の身に何かあったのではないか…。


一つの不安に誘発されて芽生えた新たな不安の種が異なる濁りを生む。

生徒の大半が戦闘不能という状況下で梶原という主戦力が倒れれば、この戦線は完全に崩壊してしまう。そう決定づけるには早すぎるかもしれないが、梶原以外に誰もあの獣と戦わないことが、それを裏付ける一つの要素となっていた。


「かじ———…」


中央方面へと駆け出しながら最上は男の名を叫ぶ。


———————あいつに何かあれば自分のせいだ…きっと無力な自分のせいだ…。


蒸気のように膨れ広がる自責の念。

その反面で「もう後悔しても遅い‥」と冷酷に囁くもう一人の自分が現れる。


「そいつ」は知っている。

有限だからこそ付加される人の命の危うさと儚さを…。

人は時間をかけて生まれる癖に、死ぬ時には一瞬の内だという当たり前を…。

いつ、どこで死ぬのかも不明で、不安定な死を迎えるのが人というものだと…。


…一つの道を歩み終えた「最上秀昇そいつ」は知っていたのだ。



「…」


そして、大男の名を叫ぶこともないまま最上は視界に映った光景を前に立ち尽くしていた。




——————————————・・・~~~~~~~~~~~~~~~~~




「…」


それは統べた者が持つ器量の大きさなのか…只々、獣は大男の周囲を巡っていた。


その距離4m弱。


ゆったりとした歩行に伴って装備された装甲が擦れ合い、コツコツ…と音を立てる。

ガカッ…カガッ…と手足の鋭利な爪が撫でるように地面を削り、優雅に舞う尻尾の動きに合わせて尾先に装着されたアインスの砲身が空を叩く。


それは獲物に狙いを定めた獣…と呼ぶには今一つ練度の足りない気迫と動きであるが、その視線が途絶える事はなく、それだけで確実に獲物の精神を削っていた。


「…はぁ——ふっ——はぁ」


強烈な痛みと疲労で可笑しな呼吸を繰り返しながらも、梶原は獣を睨みつけていた。


戦闘開始から「三分」。


それは体感時間で例えれば数時間にも及ぶ時間であったが、戦士として堆積たいせきされた男の精神はそう易々とは削れない。こと戦闘に関して…で言えば、男の精神は大抵の事では揺るがないと言っても過言ではないのだが————。


「…んぐっ…」


しかし、その肉体には既に計り知れないほどの重傷が刻まれていた。




…三分前~~~~~~~~~~~~~~~~~。



「◇■■◆—————————————っっ!!!!!!!!」


「づあああああぁぁぁ—————————————っ!!!!」


両者の咆哮によって幕開けとなった闘い。


その第一手目となる初撃を先制して与えたのは、梶原宗助だった。


「ぬぁりゃあああああ!!!」


手負いでありながらも衰えを知らない剛力によって振るわれた黒竹刀。

そのぼく撃は鈍い音で空を引き裂きながら、見事に獣の側頭部に打ち据えられる。


「…■」


一度ひとたび打ち込めばアインスの装甲すら容易に凹ませられる大男の一撃。

その威力は命中ヒットした獣の頭部に釣られて体を浮かせるほどのものであったが、その攻撃に対する獣の反応は非常に軽薄かつ冷静なものだった。



…それは防御でも、手足の爪による攻撃でもない。

ただ攻撃の命中に合わせ、その長い尻尾を振るうだけであった。



「…あ…がっ…」


羽虫でも払うかのように軽快に振るわれた尻尾。

それは梶原の弱点を狙い澄ましたかのように負傷していた右下腹部へと直撃していたのである。


身体中の酸素や力…魂までも押し出すように尾先の銃身が食い込む。

ブヂブヂッ…と重厚な腹斜筋が断末魔の叫びをあげ、鈍く濃い衝撃波は全身を伝い始める。

衝撃波は亀裂の入っていた仮肋部位を砕き、右肋骨の大半に新たな亀裂を刻んでいく。


「…ぐぼぇ…っ!」


…そして男が吐血する頃には、既にその大きな身体は地面に倒されていた。


ジャブのように軽く打ち込まれた獣の攻撃は、初撃にして鬼手。

決して油断していたわけではないが、決定打ともいえる攻撃を受けた梶原は身を震わせながらも何とか地面から立ち上がり、口元の血を左腕で拭う。


「…くっ…そ…」


「‥‥◇■」


第一手、両者は互いに攻撃を与え合う事で終局を迎える。

それは「相打ち」といえば余裕のあるようにも感じられるが、互いの損傷量は大きく異なる。

梶原とは対照的に獣の側頭部に打ち据えられた竹刀の撲撃は、獣に一切の負傷を与えることもなく、頭部の装甲に僅かな凹みを生んだだけであった…。


開幕から相打ちまで二十秒…——それから数分間の展開は非常に味気ないものであった。


初撃を与えた後、獣の戦意が薄れたのか…獲物を狙う肉食獣の如く周囲をまわり、時折牽制けんせいを仕掛ける…というサイクルを繰り返すのみでとどめを刺そうとする気配はない。


「◇‥‥」


戯れにも思われる獣の行動だが、そこにはキチンとした背景と意図が内在する。


…先の超越者との戦いで圧倒的な力の差を見せ付けられた亜種体ディボルグは、敗北と恐怖に打ち震えるほどの「死」に触れた事で、飛行能力の獲得と共に新たな技能を二つ獲得するに至る。


一つは、相手の力量を測る眼。

それは生存本能の覚醒による危機回避能力の一端であり、対象の内在的な力量を感知する「達眼」と呼ばれるものに該当する。


危機回避を用途として開眼した「達眼」。

だが、それを「攻め/逃げの判断を行う手段」として扱う辺り、ディボルグの有する戦闘の才は優れたものといっても過言ではない…。


そしてもう一つは、対象への精神攻撃。

技能と呼ぶには些か曖昧なものであるが、圧倒的な力を有する超越者との戦闘から学んだ唯一の戦法である。


身体能力や装備した武具による攻めの一手…というのが元来のディボルグの戦法であったが、達眼で相手の力量を測り、自身の強さを相手に誇示することで対象の精神を削る———という自分が受けた攻撃を模倣したような攻撃である。



…そうは言っても大抵の者は、そのの攻撃で戦闘不能に追い込まれてしまうのだが、それを耐えた者に対しては良くも悪くも非常に効果的な攻撃方法であったのは事実である。



「———‥‥ふぅ~‥‥ふぅ~」


右上半身の痛みを堪え、梶原は獣を睨み続けることに意識を集中させていた。


このサイクルに入って以降は完全に防御に徹する形となっているが、反撃が全く出来ないという状況でもない。

攻撃方法は四足歩行による撹乱かくらんからの体当たりや切り裂き攻撃——といった単調な攻撃を繰り出すのみで反撃の隙は十分にある。


「◇■…□◆‥」


しかし、その反面で初撃以降は尻尾での攻撃もなく、捕食時のように肩部から蒸気を噴出して飛行する事もない。


動きや攻撃にも殺気が感じられず、…まるで食後のストレッチにでも付き合わされているような感覚すらある。


「野郎…」


初撃の残像が頭から離れない。

力一杯振るった黒竹刀の攻撃が全く通じず、見事に反撃カウンターを受けて右肋骨の大半を砕かれた…。


「‥‥」


自分の力が通じない状況を前に梶原の脳裏には、生前のトラウマが蘇る。


———…血を操る能力の女と身体が大きいだけの無力な自分。


覆しようもない力の差を埋めてくれたのは時の運のおかげで、結局最後には自身も時の運に見放されてしまう。


それでもこうして運よく第二の生をたまわり、二日目にして早くも賜った生は回収されようとしている…。


「…ったく、運が良いのか…悪いのか…」


自らを嘲笑あざわらうように男は愚痴を零す。


…それは分からない。しかし、ここで死んでも後悔はない…と思えるほどに、この世界での二日間は彼に有意義なものであった。


新たに得た守るべき友、自分の人生を初めて語った二人の友。


一人は自分の人生を「面白い」といい、この世界で自由に生きろ…といった。


そして、もう一人は自分の人生を「間違いではない」といい、価値のある人生だといった。


————あの二人と出会う事が、ここに来た目的だったのかもしれない…。


…そう思えるほどに男の心は晴々はればれとしていた。




「…まぁ…どっちかっていえば良い方、だろうな」


そう言って梶原は笑みを浮かべる。

全力の「屍那畏シナイ」の一撃も通じず、まだまだ余力を残している獣との力の差は歴然。


右肋骨の損傷は酷く、気を抜けば一気に激痛が身体の自由を奪いに掛かって来る。


…けれども退けない。それでも退かない。


他生徒を救わんと今もなお走り続ける友がいて、不安ながらもきっとどこかで闘っている友が此処ここにいるのだから…。


「すぅ~~~~っ…げっぷ…」


息を吸い込み、爽快なゲップを鳴らす。

そして大男は手にしていた「屍那畏シナイ」を地面に深く突き刺し、唐突に準備運動を開始する。


「…っ!」


当たり前だが右半身を動かした途端にとてつもない激痛が身体を襲う。

しかし、男の屈強な精神力とある一つの感情がそれを掻き消していった…。



「守るべき者」。

それも戦いにおいては必要な要素になるのかもしれない。


だが、それだけで男は戦えない。…否、戦えなくなってしまった。


…かつては心優しき少年だった彼も一人の「漢」。

そんな彼に訪れた「自分の力が通じない存在との再会」。

それは生前では二度と味わえなくなった高揚感を生み、心臓にニトロでも流し込まれたかのような刺激的な緊張感が忘れかけていた闘志を轟々ごうごうと燃えたぎらせる。


「…第二ラウンドだ。覚悟しろ…犬っころ」


その凶暴的な顔にはニカリ…と屈託のない恐ろしい笑みを浮かんでいた。





~~~~~~~~~~~~~~~~・・・—————————————————





そして、時は戦闘開幕から「十分」後のこと…。


序盤とは打って変わり、中盤は両者の肉弾戦が中央部で展開されていたのだが———。


「…ごふっ…!!」


身体が悲鳴を上げ、梶原は吐血と同時に倒れるように尻餅をつく。

格闘の末に梶原の身体には大小様々な切り傷・刺し傷・打撲・骨折…と、意識を保っているのが不思議にも思われる数多の傷が刻まれていた。


「□◆—————!」


後ろ足の二足で立ち上がった獣の咆哮が大男に降り注ぐ。

その体には汚れや凹みといった目立った損傷が刻まれており、腹部に打ち込まれた大きな掌の跡が際立っていた。



‥‥互いの力と技量と才能がぶつかり合ったおよそ七分間の格闘戦。

肉体の練度が全盛期ものと比べて劣化してしまったため火力パワーは下がってしまっているが、それ補うように築き、磨き上げた経験とセンスが徐々に頭角を現し始める。


…合気道の利用による投げ技。

…硬い装甲を貫通する発勁による内部攻撃。


肉体の若返りによって今までは力でゴリ押しする戦闘形態スタイルを取っていた梶原。


しかし、それだけでは通じない相手と出会った事で武器を捨て、あえて危険な状況に自身を追い込むことで生前の戦闘感覚を取り戻すことを選んだ。


その結果…梶原は本来の感覚を取り戻し、獣に大打撃を与えることに成功する。

作戦は功を奏し、時間を稼ぐこともできた。まさに上々の結果といっても過言ではない。



…それでも代償は大きく…身体がもう動かない。



「□◆——————!!!」


獣は腕を振り下ろし、その鋭利な爪先を動けない大男に向ける。

梶原が肉弾戦を仕掛けたことで獣は臨戦態勢に入ったが、ついにその尾先の銃口が火を噴くことも蒸気噴出による飛行をおこなう事もなかった。


たとえ男の体力が続いていたとしても、その結果は変わらなかっただろう…。


戦闘技術においては梶原が勝利していた。

だが、それを上回る基本性能の高さが獣に勝利をもたらしたのである。


「(…すいません…最上さん)」


自身に向けられた爪の軌跡を見据えながら大男は心中で友に謝る。

そして、もう一人の友への謝罪もままならぬまま獣の爪は大男の体を貫かんと突き出されていた—————。




ガキンッ————!!!



「□…っ!?」

「…!!!」


…予想もしていなかった防御に獣は驚きの声を上げ、突如乱入した人物に大男は思わず呆けてしまっていた。



「無事ですか…梶原宗助さん」


丸みを帯びた髪型に頭頂のアホ毛…と、まるで枝葉付きの林檎りんご

優し気に佇む細い目には少しだけ気迫が籠っているが、丁寧な言葉遣いに変わりはない。


軍隊が持つような黒く分厚い大盾、ライオットシールドで獣の攻撃を防御する男は、思いのほか重い一撃に余裕のない表情を見せつつも大男の名を呼んでいた。


「…そういえば、まだ自己紹介はしていませんでしたね」


そう言ってアメフト選手さながらの突破力で獣を押し返し、男は自らの名を述べる。


「…Aクラスの進藤岳人です。微力ながら助太刀させて貰います!」





————————————————・・・—————————————————





「————ん。—————さん…」


「‥‥」


だれかが誰かを呼ぶような気配を感じ、灰原はゆっくりと瞼を開く。

ぼんやり…青い空と僅かな土煙が映り、徐々に視界が明瞭になったかと思えば、脳を貫くような鋭い頭痛が灰原を襲う。


「っ…。一体…何が…」


少し経ってから頭痛が収まり、ゆっくりと上半身を起こすと灰原は異変に気づく。

身体の至る所に砂や土が付いており、制服ブレザーの胸部に破れた紙が貼り付いていた。


「…これは…?」


張り付いた紙を取ろうと灰原が手を伸ばすと、今まで機能していなかった聴覚がようやく少女の叫びを知覚する。


「…さん————しっかりっ!」


「‥雨崎‥?」


声の方へと振り向くと、横たわる生徒に呼び掛ける雨崎うざき真波まなみの姿があった。


【ML】の「ランドセル」を背負った彼女も灰原同様に衣服が砂や土にまみれており、頬には切り傷が見られた。


「は…灰原さん…」


「どうしたんだ雨崎。一体誰が…」


急いで立ち上がって灰原は雨崎の元へと向かうが、突如として奇妙な胸騒ぎと下腹部から込み上げるような謎の冷気が灰原の身体を襲い始める。


「———はっ…」


さらには体内の急激な変化に驚いたのか…呼吸が乱れ始めていた。

雨崎の元へ向かいながらも、どのように自分が手足を動かしているのか分からないほどに感覚がなく、勝手に身体が動いているようで…気持ちが悪い。


「…嘘だ…」


雨崎の元へたどり着き、彼女が呼び掛けていた人物を見て、灰原は地面に吸い込まれるように膝を落としていた。



嗅いだことのある鉄のような匂いが鼻を突き、赤黒く染まった地面の上に彼女はいた。

咲き誇るように地に広がる長髪は血と砂に塗れ、ボロボロの制服をまとった身体が動く気配はない。

金色交じりの茶髪に健康的な肌色の素肌は土と血に汚れ、あの自慢気な表情が見る影もないほどに顔からは生気が失われていた。


「…蒼」


…倒れていた生徒は紅葵蒼であった。




「どうして…何があったんだ…」


自問するように灰原は雨崎に問いかける。

必死に記憶を探るが…蒼が【ML】を取り戻す直前までの記憶しか残っておらず、妙な空白感は不快にすら感じる。


「…実は…—————————」


どこか言いづらいような様子を見せた後、彼女は灰原の知らない物語を語る。

そして灰原は————…。







「————え、これって‥‥」


こちらへ戻りつつある【MLマテリアル】「御神札おふだ」に全意識を集中させていた彼女は一つの異変を感じ始める。


食堂よりも遥か上空から落ちてくる「何か」。

その正体は分からないが、それが有するとてつもない威力が御神札を通して直接彼女に伝導していた。


———————このままじゃ…。


複製させていた御神札を全て消失させ、既に近くまで呼び寄せていた【ML】本体から複製可能な十枚の御神札を再複製する。



…落下物の降下まで残り数秒。

落下地点は大まかにグラウンドの中央辺り…というだけで詳細な場所は落ちる直前まで分からない…。


「……」


即座に目を閉じ、意識下で十枚の御神札を操作する。


先の食堂では、監視カメラのモニターのように画面を切り替えることで散開させた御神札から視界を共有していたが…そんな悠長なことが出来る時間は残されていない。


全十枚の御神札が映す視界。そして、自分の目に映る視界。

十一の視界全てを一つの視界として収束させ、自らの目を昆虫が持つような複眼に近いものへと昇華させる。


「…んっ!」


情報量、明度の違い、距離感…といった誤差を無理やり矯正させているため、多大な負荷が眼に激痛を奔らせる。

そのあまりの痛みに思わず瞼を閉じそうになったが、それを何とか堪えながらも蒼は情報を収集する。



‥———中央部に近い生徒を探知し、落下物の軌道を再計測。


‥‥もちわるい。


‥————…予測落下地点を再修正すると共に御神札を再配置…。


‥‥気持ち悪い。気持ち悪い…!


度の合わない眼鏡をかけ、無理やりそれに矯正させられているかのような不快感と閉塞感。

更には反動による激しい酔いが感覚を麻痺させ、自分が分からなくなりそうになる。



—————…怖い。怖い、怖いこわいこわいこわいこわいこわいこわい…



意志と身体の繋がりが途切れ、自分が人形のようになってしまったような感覚。

それは自分という存在そのものが無くなってしまったみたいで…只々、虚無感が不安と恐怖を産み出し続けている。


…——再配置完了と共に「移動」と「防御」準備…。


—————…もうすぐ…怖い…もうすぐだから…。


何かにうようにもだえながらも、彼女は落下地点に近い生徒に御神札を貼り付け、可能な限り落下地点よりも遠くへと押し込んでいく。



〈えっ…〉 〈きゃぁ…!〉 〈何だこれ…〉 〈…うおっ?〉



「感覚共有」、「牽引けんいん」…と複雑な因子を組み込み、更には広範囲に広げていることで本来の【Rs】「EXTRA(エクストラ)」の力は軽減されてしまっているが、この状態を維持しつつ落下のタイミングに合わせて付与する因子を「防御」に切り替えれば間に合う…。


「…はぁ」


最大複製した十枚の御神札を使用することで落下地点に近い生徒の移動と防御準備は完了した。


————————あとは防御のタイミングを間違えないだけ…。


…そう思いたいところだが、自分達がいる場所もグラウンドの中央部からマンション寄りの位置に在るため、未だ安心はできない。


「これで何とか…」


そして蒼は手にしていた一枚の「御神札」を前方に浮かせる。




‥‥それは本体オリジナルにあたる【ML】の「御神札」。

には主に【Rs】で複製させた御神札…複製体を使用するが、特に【ML】本体には【Rs】による因子の付与が不可能…といった制限は存在しない。

しかし、広範囲に操作できる複製体に対し、本体は所有者である紅葵蒼を中心とした5m以内でしか操作できず、代わりに複製体よりも因子付与による反映力が強い…といった理由からには自衛用として常に所持するように心掛けていた‥‥。




「雨崎ちゃん!」


近くにいた彼女に声を掛け、有無も言わさずにその小さな手を引く。

そして、もう一人の男に声を掛けようと手を伸ばす。


「さか‥!」


…だが、近くにいたはずの男の姿は無い。

すぐさま周囲を見渡すと、男は僅かにグラウンドの中央部へと移動していた。




ごごぉ…と空を撃ち砕く「何か」は地上へと迫る。

生徒に張り付けた御神札から伝わる感覚から判断すれば…落下まで一秒。


御神札を飛ばすことは出来る。

だが、そこから移動させる時間はなく、雨崎と共に灰原の元へ走っていく時間も…もう残されてはいない。



「‥‥」


心臓が脈打つ音が妙に大きく聞こえた。

ドクン…と、それほど長くはない一つの鼓動が十秒ほどに感じられる。

すると、何度目かの鼓動が鳴り止んだ瞬間に彼女の脳裏には疑問と後悔が溢れ出す。



——全ての御神札を使い、落下自体を止めれば…。

——落下地点に御神札を配置して衝撃波のみを防げば…。

——初めに二人の位置を把握していれば…。


【————そもそも食堂で【ML】本体を使わなければ、こんなことには…。】



前夜にアラームをセットし、そのおかげで希望の時間に起きられる。それと同じように戦闘前に流れる放送の存在を知り、心のどこかで油断していた部分があったのかもしれない…。



「…自業自得、だよね」


そう言った彼女はどこか納得したような…安堵の表情を浮かべていた。


「蒼ちゃん?」


唐突に手を引かれた雨崎は困惑した表情で彼女を呼ぶ。

しかし、そんな雨崎の呼びかけに答えるように彼女は雨崎を抱きしめていた。


熾凛さかりの事…頼んだよ。雨崎ちゃん」


彼女の前方に浮かんでいたはずの「御神札」は既に男の胸部に張り付いていた。


——————…しかし、男がそれに気づく様子はない。




風圧の余波が僅かに砂を噴き上げ、空が鳴動する。

そして次の瞬間、降り落ちた災厄と大地が激突し、えぐり、削られ、弾け飛んだ岩々が弾丸のように八方へと散っていった。


「…じゃあね」


張り付けた全ての御神札に「防御」因子の付与を終えて、彼女は呟く。


それは抱きしめている少女に述べたのか…。

もしくは何も知らない男に残した言葉なのか…誰にも分からない。




岩石の弾丸が、彼女の頭部を撃ち貫く———————————————。

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