17.「ディボルグ Ⅲ 」


自らの身に何が起きたのか…獣には分からなかった。


ただ、どれだけ攻撃しても霧のように消えてしまう影に惑わされ、怒りに身を焦がしていたところに実体のある確かな気配を察知し、尾先の大筒から熱線を吐きながら獲物へと飛び掛かった…。


本当にただ、それだけのことだった。


だが宙を駆けた四肢が再び地を踏むことはなく、全身が軽くなった爽快感と手足の感覚が無くなった喪失感が共存する曖昧で生温い空気の塊を通り過ぎたかと思えば、そのまま為す術もなく地面に激突していた。


その痛みは体の動きを麻痺させる毒へと変わり一時的に獣の動きを鈍らせる。

その間、何も動かす事が出来ない不自由さが不快感を生み、はだけた地肌に吹き流れる風が不快の火種を燃え広がせていった…。


「‥‥‥?」


失われた四肢と尾。折られた刃と砕かれた爪に剥がされた鎧…。

自らの体の一部と武具を奪われたことに気が付いたのは、獣が地面に激突してから数十秒経過した頃である。


「□◆‥‥っっ!!」


…そして、得も言えぬ不快は明確な怒りの焔に変わる。

その勢いが収まる事は無く、草原を覆う草花の如く茫々ぼうぼうと乱れ広がる不快の油と怒りの火種は獣の感情を埋め尽くし、闘争心を焚き付けられた獣は反撃の構えに入る。


地面に潜り込むように首を下に向けて限界まで体を丸め込むことで首・肩・背の力を極限まで高めていく。折られた頭の巨刃が都合良く地面に引っ掛かり、開放の時を「いまか今か…」と待ち望みながらも地面を削る。


ギチ…ガリ…ギチ‥ガリ‥————————。


軋む筋肉と削る刃。その音が鳴り終わった時こそ獣の反撃は可能となる。


「‥‥‥」


だが反撃の準備が整った場面で何を思ったのか…冷静にも獣は「待つ」ことを選んだ。


ただそこに明確な理由はない。


脳内で反撃のイメージを思い浮かべているわけでも、感情の昂ぶりを待っている…というわけでもない。これは本能が選んだ直感的選択であり「待つ」という行動は特に意味をなさない。



しかし、何はともあれ————撃鉄は起こされた。

あとは獣自らが引き金を引くのみ…。



「□———‥■———‥」


憤怒に塗れた喉笛が鳴り始め、やがて解放の時が近づく。

鎧が剥がされた甲斐もあり、しなやかさと弾力を有した獣の体がその真価を発揮する。

大弓の如く自らの体を張り、伸長と収縮を表裏に抱えた強靭な筋肉による弾丸が金色こんじきの執行者目掛けて…——————今、撃ち放たれる。



「■—————!!!」


折れた頭の巨刃を用いたとはいえ、その大体を首・肩・背中の筋肉のみで行使した獣の体は四肢での移動にも勝る速度を獲得し、そこへ発射の反動による回転が加わることで体は音速の砲弾と化す。


それは折れた巨刃による刺突や斬撃でも残された牙によるこう撃でもなく、窮地に追い込まれた獣が取れる反撃の一手であり全身全霊を懸けた一撃である。


「□◆■■——!!!」


空を切る螺旋の砲弾。

撃ち放たれた獣の体は正確に獲物の背後へと向かう。

その身が通り過ぎた大地は弾丸から生じた衝撃波によって切り刻まれ、その余波が執行者の髪を揺らす頃——————砲弾は執行者の真後ろに迫っていた。


『‥‥』


その白い背中からは避ける素振りも反撃の気配も見えないまま乱回転する砲弾は対象と接触する。そこから背中を貫いて四肢以外の全てを木端微塵にするのに一秒と掛からない…。


「◇■◆◆‥‥」


「これで終わりだ」…そう言わん限りに笑い声にも似た声を上げる獣が自らの勝利を確信し始めた頃であったか———————


「◆…——…◆———…」


——————再び獣の世界は停止する。


さも当然のように時間軸から外れた金色の麗人は、ゆるり…と砲弾から離れた後に獣の方へと振り返る。


『‥‥』


乱回転しているためか…口が開いたままあらぬ方向を向き、早くも勝利に酔っている獣を前に麗人は僅かに息を吸い込む。


「——◆…———…◆——」


無論…これらの動きは一切獣には見えていない。


もし彼女が未だに〈撃退モード〉を継続しておりこんなにも隙だらけな獣を前にしたならば、獣の牙を全て抜きとり、頭部の巨刃を全て砕いた上に二つの目玉を潰していた事だろう。


…そんな麗人が獣の時間軸にわざわざ合わせて取った行動…否、言動は端的でありながら最も効果的な威力を秘めていたのである。


『伏せ』


髪を揺らす程度のそよ風にかける超越者の言葉は唯その一つのみ。


子犬にでも言うような優しさに満ちていながらも、拒否することが決して出来ないような絶対性を有した一声は、超越者の力を厚紙で何重にも包んでいることで逆に内に秘めている力の刺々しさや底知れなさが強調されてしまったような…温厚ながらも、決して抗えないほどに絶対的で、最小限に抑え込まれた威圧の念が彼女の言葉には隠されていた。


「‥‥□※※」


その時の麗人の姿が獣の眼にはどう見えていたのかは定かではない。

ただ一つの真実を述べるとすれば、麗人の言葉を解した獣の体は時を遡ったように麗人から離れた場所に伏していた。



その距離20m。



けれども、そこに至るまでの経緯は獣自身でさえも分からない。


〈———四肢の無い体でどう移動したのか。———どうして、この場に戻ったのか…〉


何よりも「どうやって、あの攻撃を中断したのか…?」が、獣には全く理解できなかったのである。


「???」。


再び背を向けた状況に戻っていた事もあり、獣は疑問を抱き始める。


〈——先程の攻撃は自身の描いた夢幻だったのではないのだろうか…〉


そう思い抱くのも無理はないのかもしれないが、食堂に刻まれた弾丸の衝撃波による爪痕は確かに残っていることから攻撃をした事に偽りはない…。


この謎の現象がどう起こされたのかは獣には理解できないが、その元凶となった人物は静かに獣を見下ろしていた。


『…』


その存在が秘めた圧倒的な力、測り知れないほどの絶大的な力を前に獣の本能は「退避」を選んだ。それこそ獣の秘めた力を一時的に解放させるほどの力を絞り出させるほどの力を…。


「‥‥◇‥◇」


…知らぬ間に獣の呼吸は乱れ、過呼吸に陥っていた。

それは自己の力量を超える力を行使した影響ではなく、決して覆せないほどの力の差を本能的生物となったディボルグが理解してしまった事にある。


〈ゲーグナー〉「ヌル」から貪食行為によって新たな肉体を有した「ディボルグ」。

その支柱にある「本能」が揺らぎ始めたのを狙ったのか…追い打ちを掛けるように麗人が一言、



『‥‥ですが、やはりもう少しだけ削っておくべきでしょうか…』


…意図せず呟いた麗人の一言が獣の心をへし折る。


「‥▲〇※※‥!‥※※□◆▽〇●———!」


言葉の意を解したか…それとも気配の変化を感じたのか分からないが、獣は発狂したような声を発しながら再び頭を地面に潜り込ませる。


…けれども今度のそれは反撃のための行動ではなく、無我夢中に頭を揺さぶるような動きには全く統一性が見られない。怯えるように頭を震わせたかと思えば、突き出た顎を上下に動かして芋虫のように逃げ始める————。



それは完全な戦意喪失。

へし折られた心と「生き延びたい」と叫ぶ本能が混じり合う事で、身体能力に特化した獣自身でさえも体の制御が利かないほどの錯乱状態へと陥ったのである。


コツリッ…


…だが、そんな獣の気など知らず無慈悲にも超越者の歩みは煉瓦を伝って獣の体に鳴り響く。

麗人の革靴と煉瓦から生み出される美しき二重奏は錯乱状態にまで追いやられた獣にとっては失った四肢や尾の痛みを再発させる不快音でしかなく、超越者の接近に獣の本能はその身を震え上がわせる。


「※※※※◇‥‥」


「もう来ないでくれ」…と言わんばかりに獣は弱々しい声も漏らす。

その声には数秒前に発していた殺気の片鱗すら感じることはできず、目の前の恐怖に打ち震えるだけの弱者の悲痛な叫びにしか聞こえない。


「◇!◆※※‥‥※※◇■◇※※※※————」


引くことも、進むことも…何も出来ずに獣は歩み寄る超越者の存在に恐怖する。


コツリ…コツリ…


それは決して逃れようのない超越者の歩み。

その者が纏うは爛々(らんらん)と煌めく「美」の神気であり、神気にあてられた者は彼女を「美」の化身と崇め、男女を問わずにその心を射止めてしまう…。


そんな彼女が獣の目には、どう映って見えるのだろうか。


元々「美」を知らぬ獣に超越者の持つ「美」を解すことは出来ない。

だからこそ、純粋に戦闘能力だけを見た獣は「逃げ」の一択であった麗人をただの「獲物」だと認識していた。


〈自らが追い詰める者で、あちらが追い詰められる者…〉


その認識のままで迂闊(うかつ)に襲い掛かった獣は呆気なく全てを奪われてしまった。あまりの力の差に獣はそれだけで理解することは出来なかったが、先程の一言だけで獣の本能は敗北を認めた。


【自らは生かされている者で、あちらが生かす者】


今までは「生かしてもらっていた」という事実に獣の心は完全に折られてしまった。…そんな獣にとって今の麗人の姿は大きくそびえ立つ巨大な壁のような——曖昧ではあるが、どれほどの奇跡を繰り返したとしても決して敵うことがない「不倒」で「未踏」の存在に見えた…。


「※※⁉ ※?◆※—!! ◇◆※※——◇※□—※—!」


そう、決して敵わない。

この世界で絶大的な力を有する超越者に目を付けられた時点で、獣の負けは決していたのだから…。



「◇※※■※※—————————っっ!!!!!!!!」



…たくない。しにたくない。

死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。



獣は叫ぶ。

今さら感じ始めた節々の痛みも相まって、苦痛に汚れた声を発しながら獣は叫ぶ。

生きたい、生きたい…と叫ぶそれは獣に芽生えた「生への執念」であり、新たな本能の目覚めを意味する。


生きとし生けるものが抱くそれは生物にとっては至極当然のものであるが、それを直に感じる機会は意外にも少ない。


他に自らの生命を脅かされることがなければ抱くことのない本能。


この本能があったからこそ今まで生物は生き残り、進化を遂げてきた。

その進化の多様性は幅広く、複雑であり、「知性」が進化した人類もそれに該当する。


…であれば、命あるもの〈ゲーグナー〉もそれに類することに何ら違和感はない。


「————————————————っっ!!!!!!」


咆哮が轟き、獣の体に異変が生じ始める。それは本能タイプの亜種体が持つ極めて珍しい現象であり、自身が危機に瀕した際に起こるゲーグナーの覚醒である。


その原因となる事象は個体により様々だが、亜種体ディボルグの|引き金(トリガー)は〈生存本能〉の覚醒。

錯乱するほどに追い込まれ、自らの生命を守るために獲得した新たな力である‥。






『‥‥!』


麗人が変化に気づいた時には獣の進化は終わっていた。


四肢も、尾も、全ての武具を失った獣は既に戦意を失ったかに見えたが、麗人の理解を超える変化が獣に現れた。本能タイプに属する亜種体が稀に見せる能力の飛躍的な上昇。


その情報を把握していたが、あらゆる可能性と複雑性を秘めている事もあり麗人にも完璧に予測することはできなかったのだ…。



『…緊急連絡エマージェンシー‥‥緊急連絡エマージェンシー

亜種体ディボルグの形態変化を確認。対象は四肢と武具を失ったまま。しかし—————…』



獣の姿を目で追いながらクラウンは教師陣と生徒への通信を開始する。

ただし「通信」と言っても彼女のそれは機器を用いたものではない。完全な意志の共有であり感覚としてはテレパシーに類似する。その原理としては校内の生徒・教師陣の場所を把握できる彼女が任意の対象との間に「意志伝達空間」と称される見えない糸電話を引くことで対象との通信を行うことが可能となるのだ。


『————ディボルグが【飛行能力】を獲得。食堂から上空へと上昇を継続し…』


そんな彼女の焦りが意志に現れるほどに状況は悪化した。


…四肢を有し、身体能力に特化した亜種体ディボルグ。

獰猛で攻撃的な獣が何を以てそのような変化に至ったのかは麗人には決して理解できない。


なにせ制約をかけなければ戦闘を行えないほどの圧倒的な「力」を有する彼女に弱者が抱く「死」の恐怖など理解できるはずがない。ましてや、本当はただ「生きたい」だけという感情のみで進化を遂げた獣の思いなど知りもしないだろう…。




彼女の反応が遅れるほどの変化速度から獣は「翼」のような飛ぶための器官を獲得したわけではない。


鎧を剥がされる直前に反射的に鎧の一部を体内に貯め込んだのか、

それとも元々体内に内蔵していたのか…。


その真意は分からないが肩部からストローのような形状の装甲が二本突き出し、二つの穴から勢いよく蒸気を噴出することで飛行を可能としたのだ。


「□■■■ッッ!!」


獣自身も驚いているのか…大声を上げながら天空へと舞い上がる。

その姿はまるで初めて空を駆けた雛鳥のように拙いながらも勢いのあるものであり、そんなディボルグの様子を見つめながら彼女は報告を続ける。


『…グラウンド方面への降下を開始しました』



…もう彼女には獣を追うことは出来ない。


彼女が〈撃退モード〉に入って戦闘を行えるのは一個体につき一度のみ。

たとえ対象に変化が起きたとして同一個体である事は変わりなく、残された選択は教師陣か生徒達に託して見守ることしか出来ない…。


無論「神様ゲーム」の存続の危機であればその制限は設けられないが、亜種体一体に二度目の戦闘許可が下りる事は無い。


そのため先程は教師陣の誰かを呼んでディボルグの再弱体化を試みようと考えていたが、見事に先手を打たれてしまった。



『報告は以上です。本当に、申し訳ございませんでした』



深々と頭を下げながら通信を終える麗人、クラウン。

その美顔に今どれほどの後悔と歯がゆさを抱えているのかは誰も知り得ない。


決して油断していたわけでも相手を軽んじていたわけでもない。

知り得る情報を頼りに最速最短の一手を放ったつもりであったが、それでも読み切れない生命の可能性や時の偶然までも解せるほどに彼女は全知全能というわけではない。


『アンドロイド=ナノマシン:クラウン』


その名に冠されるように彼女は人間ではない。

限りなく人に近いように創り上げられた「神様ゲーム」の管理者であり「神」の造り上げた神造兵器である。


生命という枠からも外れているような異次元めいた兵器には「生命」を完全に理解することは出来ない。いや、兵器だからこそ理解できないことが多いと言っても良い。


『…あとは頼みましたよ…皆様』


託すように呟き、麗人は保健室へと消える。

これから来るであろう…多くのケガ人に備えて、彼女は自らの戦場へと赴いたのだ。




…そして麗人の姿消えてから数秒後。


星の墜落にも似た巨大な衝撃が校内に響き渡る事となる————。




—————————————・・・—————————————————




研ぎ澄まされていく神経と観察眼。

整った呼吸と高鳴る心臓の鼓動。


洗練され始めた技術から得た僅かな自信が男の精神に小さな余裕を生み出す。

その剣撃を防ぎ続け、数えること七度。

灰原熾凛と武装体〈ゲーグナー〉ツヴァイの戦いは最終局面を迎えていた。


「‥‥」


残り一片の花弁。刃型装甲がひし形の体の周囲で公転し、瑠璃色の核を守らんと回り続けるが防御力は明らかに落ちてきていた。


「あと…一枚…」


気を落ち着かせながら灰原は再び一歩を踏み出す。

おそらくは核を守るための変化と思われるが、防御と攻撃を兼ね備えた刃の花弁が無くなる度に攻撃範囲は狭まっていく。


それは喜ばしい反面、そのために進まなければならない一歩一歩の緊張感が灰原の精神に与える影響は大きいものであったが、着々とツヴァイを追い詰めていることが何よりの救いであったといえる…。


四枚の花弁。

一枚に二片の刃を隠しているため計八枚の刃型装甲を操るツヴァイ。

移動速度は微動で遅く、攻撃範囲内の対象の威力や大きさなどの危険度を把握することで瞬時に必要最低限の攻防を行う攻守共に兼ね備えた厄介なゲーグナーだが、その弱点としては大まかな攻撃範囲が分かってしまう、という事にある。


刃型装甲の減少で範囲は狭まることはあるが、その逆はない。


間合いさえ掴んでおけば時間を掛けて攻撃にのみ意識を向ける事ができる事から鑑みても、一見手強そうに思えるツヴァイという相手は「観察」と「考察」を基軸とする灰原の戦闘形式には都合の良い相手であった。


————来た‥。


背中の悪寒、そして心臓を掴まれたような緊張感が灰原を襲う。

こうした体感も四度味わうと本能もおかしな感覚に陥るのか…沸き立つ高揚感が心に滲み始め、現在の七度目には全身にその熱が行き渡るほどの高揚感が灰原の全身を包んでいた。


「…っ‥‥!!」


最後の刃型装甲が灰原の創造した両手剣に向かう。

初めは鮮明に見えなかった刃も同速度で七度も交えれば目は慣れ、鮮明に映るもの…。

灰原の目は完全に刃の動きを捉えるまでに成長を遂げていた。

初めは視覚に全ての意識を集中させていた事もあり軌道の変化に対応することはかなわなかったが、今ではある程度の軌道変更が介入しても避け切れるほどに灰原の眼は鍛え上げられていたのである。


キンッッ‥‥‥!!!


そして、二つの刃が衝突する。



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初手の段階で灰原が確認したことは三つ。

その一つはツヴァイの詳細な攻撃範囲であり、これは蒼から奪い取った小石の投擲と自らの【Rs】を測りに使う事で達成された。


二つ目はツヴァイの攻撃方法と速度。

攻撃方法は攻撃範囲内に入った対象を自動で攻撃し必要最低限の攻撃しか行わない。

これは微動な移動速度と兼ね合わせて考えれば、生命エネルギーの無駄な消費を抑える事による行動と思われる事から攻撃速度も常に最速最短の攻撃、…つまりは常時最速の剣撃を放っている…という事になる。


そして、最後に攻撃の威力と精度。これが灰原の勝敗を分ける要因となった—————。


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「これで…」


刃同士が喰らい合う。

その勝敗も各々が持つ性能によって決まり、弱者が強者つわものに喰われる弱肉強食の真理は刃にも通ずるもの…。闘争に敗北し喰らわれた刃には亀裂が入り始め、後は崩壊を待つのみであった…が、強者を扱う担い手は崩壊の選択を選ばない。それどころか、敢えてこの場を退く選択を取ったのである。


「八つだ」


射出された刃の威力を殺さないように横回転を交えて後方へと大きく後退し、その手に握る剣を振るう。するとどうした事か…攻撃の意志を持った花弁の刃は制御を失ったように力を無くし、灰原の剣から離れてしまう。離れた刃は勢い余ってそのまま灰原の後方へと滑り流れていき、…三つ編み眼鏡少女の操る機械仕掛けの腕がこれを粉砕する。


「お疲れ様です。灰原さん…」




ツヴァイに対する灰原の策とは、全ての花弁を摘むこと。

武装体〈ゲーグナー〉ツヴァイが操る八枚全ての刃型装甲を奪取する事である。


教室で塩崎が言っていた「刃型装甲の破壊」と通ずるものがあるが、その過程はやや異なる。

紅葵蒼の「EXTRA」のように高火力の遠距離攻撃であれば、簡単に塩崎の方法を実行してツヴァイを打倒できるかもしれないが、近接武器で挑む灰原にとってはそう易々と旨くはいかない。

蒼であれば刃型装甲を消滅・粉砕することが出来るが、剣しか持たない灰原には刃型装甲を断ち切ることしかできない。


この事実から灰原が危惧したことは、「攻撃範囲内の刃がある程度の大きさを保っていればツヴァイに操れるのではないか…?」という点である。


刃型装甲を断ち切ったとしても操作可能ならば意味はなく、逆に折れた装甲を操られてしまえばこちらが不利になってしまう。切られる事は無いにせよ…あれほど早い速度の装甲が直撃すれば、骨の一、二本は折れてもおかしくはない…。


故に「最低限のリスクでツヴァイを打倒する方法とは何か…」を考えた後、塩崎から得た〈ゲーグナー〉ツヴァイの情報と実物のツヴァイを観察した上で灰原が立てた策はツヴァイの刃型装甲を奪うことである。


「(攻撃範囲内でのみ刃を操るのならば、それを全て摘んでしまえばよいのではないか…?)」


そう思い至った背景には奇しくも、蒼の【MLマテリアル】の喪失が関係していた。


『現出後の【ML】は一定の距離から外れると再現出が出来ない』


そう提言した自らの意見から着想を得た灰原は「攻撃範囲内から出た刃型装甲がどうなるか…」に注目し作戦の下調べにかかったのである————————。



…そして最重要部分である刃型装甲の攻撃と精度の確認は主に刃の切れ味や強度といった「刃としての精度」を測り優劣を見極めることが目的であり、これに勝利したのが灰原の創造した剣である。


しかし、それだけでは勝敗は決しない。

灰原の剣の精度は見事にツヴァイの刃型装甲を上回ったが、結局刃型装甲を切り伏せてしまえば先程の危惧に戻ってしまう…。


そこで注目すべきが灰原の【Rsランクスキル】「剣SS」である。

【Rs】Lvレベルの向上により灰原の剣はツヴァイの刃型装甲を超える精度を得たが、それでも灰原の剣が完全にツヴァイの刃を断ち切ってしまえば、危惧したツヴァイの刃操作によって敗れてしまう可能性が生まれてしまう…。


花弁を全て摘むという作戦の前提条件として、灰原にはツヴァイの刃を断ち切ることも自身の刃が断ち切られることも許されない。全く同じ精度の剣をぶつけたとしても刃を食い込ませて攻撃範囲から除外させる…という目的が達成できない事から瞬時に精度を調整して巧く刃を噛ませる必要がある。



創造した物の性質を瞬時に変換する…まさに『【創造/想像イメージ】の高速転換』ともいえる技術が求められる…という事になる。



一見難儀しそう思えるこの技術だが、その調整方法として挙げられるのは本能に任せた感覚的な調整法である。常人であれば、手応えや憶測的な肉体感覚のみで徐々に慣れ、感覚的な予測と確かな結果を繰り返しながら着実に会得する事が出来るだろう。


…しかし残念な事に、灰原熾凛は常人の部類には属さない。


成功と失敗の経験が少なすぎる灰原の肉体と精神では無知な本能に任せた行動など取る事はできない。更には、それほど器用ではない灰原にとって『【創造/想像イメージ】の高速転換』という大それた技術は初めての創造と同様に理性的に頭でしっかりと理解した上でしか行えない…。


それは無知で未熟ゆえに課せられた大きな設定ハンデ

〈灰原熾凛〉として生きる上で背負った大きな枷であり、その生が尽きる限り一生付き合って行かなくてはならない。それらを自覚するからこそ灰原は観て、考えて、あらゆるものを吸収する。


「観察」と「考察」と「学習」。


それは一連の流れで一つの武器となり、この世界で在り続けるための灰原の生きる術である。

その中核を担うのが中盤の「考察」であり、考える事こそが灰原の自己性を成長させる大きな一歩となる。


そんな灰原が考えた末に見つけた『【創造/想像イメージ】の高速転換』の方法は不器用で堅いものだが、脳内で二つの剣を想像して瞬時に切り替える事である。


ツヴァイの刃に勝る切れ味と強度を剣を「A」。

同一の精度の剣を「B」。


…といった具合に、先んじて二つの剣の設計図を用意することでそれらを交互に変換させて対処していく。しかしながら全く同程度の「B」の剣を創ることが最も難しく、「B」の剣が完璧に出来るようになったのは花摘みを五度終えたあたりであった…。


昨日の灰原であれば決して取れなかった方法だが【Rs】の強化に伴って得た創造速度の上昇が作戦を後押しする要因となり得たのである。


「…いや、まだ本体が残っているぞ雨崎」


考え、工夫し、八度の業を成し遂げた灰原は再びツヴァイの前に立ち塞がる。

刃を奪われるたびに縮小する攻撃範囲のおかげで核を有した本体との距離は縮んでいたが、こうして目の前にするのは初めての事であった。



 光り輝く瑠璃色の核を宿したひし形の体と核を挟み込むように浮かぶU字型の装甲。

攻撃に転ずる事は一切無いまま頑なに核を覆い続けていたU字型の装甲は灰原が距離を詰めても動きはなく、垂直に浮かんだ状態を維持している。


「‥‥行くぞ」


言葉が伝わるのかは定かではない。

しかし核の中心を見据えながら告げた灰原の言葉に何らかの意思を感じたツヴァイは最後の攻撃に出る。


「————」


ヌルやアインスと異なり、相変わらず寡黙を貫き通すツヴァイ。

だが、そのツヴァイが「微動」の名を捨てた。

自らの生命力を全て使い切るような勢いで灰原に突進を仕掛けたのである。


「…!」


‥‥束の間の驚きを経て、灰原は自らの剣を最大精度のものへと転換し、中断の構えに入る。


ひし形の体を地面と平行になるように倒し、自らを一振りの刃へと変えて突進を仕掛けるツヴァイ。


そのツヴァイを前に灰原が逃げを選ぶ事は無い。


ここまでの過程で反則にも近い戦略で花弁の刃を奪い去って来たが、この最後の真っ向勝負においては灰原の純粋な力量が試される。突進の速度は刃型装甲の動きに比べれば遅いが、梶原の突撃にも引けを取らない速度を有しているのは事実…。


「‥‥」


…けれども今度は避けない。

剣を握る手に力を込めながら冷静に灰原は剣の構えを上段へと変更する。

初めは突進の威力を利用して突きで一気に核を貫こうと考えたが、失敗すれば手首を痛める可能性もある。戦況は終盤に差し掛かったが、それでもゲーグナーがグラウンド上にいることに変わりはない。


何より「彼女の【ML】を取り戻す」という目的が果たされていない以上、後に響く傷は負いたくはない…というのが灰原の本心であった。


「‥‥っ」


引きつけて、引きつけて…。


次の動きを幾度も脳内に反復させながら灰原は唾をのむ。

この一瞬でここまでの作戦が全て無に帰すか…功を奏すかが決まる。

緊張しないと言えば嘘になるが、それに勝る高揚感が灰原を奮い立たせた————。


「————!!」


————ここだ‥‥!


ツヴァイのものとは異なるかもしれないが、自らの領域に踏み込んだツヴァイに反応した灰原の身体はひたすら染み込ませたイメージ通りの動きを開始する。


…両腕は上段に構え、右足は前に左足は後ろ。


そこから間合いに入ったツヴァイの側面にまわりこむように左足を斜め左に踏み出し重心を左辺に移動させる。重心移動に伴い流れるように上段に構えた両腕が左中段の構えへと移行———刃の運びにのみ注意を向けながら一気に剣を振り払う————。


バキン…


それでもなお反応速度においてはツヴァイの方に軍配が上がる。

ツヴァイの突撃を巧みに避けながら加えた反撃カウンターは時計の針のように回転したU字型装甲により灰原の剣は見事に防御される。最後の装甲は刃型装甲の数倍にも勝る強度を誇っており、灰原の剣では一度に断ち切ることは出来ない。


「——————…」


さらには灰原の剣撃を防御した反動で浮遊する体が地面を滑るように移動し始め、間合いが開き始める。


このまま距離を離されて体勢を立て直されれば警戒を強めたツヴァイに隙は生まれないだろう…。


パキ…ッ…


…しかし、亀裂を入れる事すらできないほど灰原の剣も鈍(なまく)らではない。



「剣」に該当するものしか創造できない【Rs】「剣SS」。

その能力の一端は「剣」に関する創造物においては他の追随を許さず、使い手の技量と工夫に伴って徐々に真価を発揮する「剣SS」は【Rs】強化に伴い、持ち主が思い描く想像の剣をより早く、正確に創造することが可能となる成長する剣である。


「これが最後だ…」


…そして、この勝機を逃すほど灰原も盆暗ぼんくらではない。


右辺に打ち払った体勢から今度は右足に重心を移動させ、収めるように右腰に留めた両手を軸に身体を折りたたむ。そこからツヴァイの核へと狙いを定め左足を踏み込み———溜め込んだ力を開放するように灰原は一気に剣を突き出す。


「…——————」


宙を漂うツヴァイには打ち払われた衝撃を緩和できず反動で動けない。今さら反動を殺すために地面に体を突き刺したとしても、そこから灰原の突きを逃れる術は残されてはいまい。


…そこから導き出されるツヴァイの選択肢は残ったU字型装甲を用いた防御か、決死の覚悟で臨んだ攻撃のみ。だが、どちらにせよ刃型装甲の奪取により洗練された灰原の観察眼を前には、そのどちらも功を為す事は無い…。



それは純然たる勝負の幕引きであり、数多の知略が敷き詰められた美しき終局…。

この戦いにおいて築き、積み上げた灰原の功労がそれら盤面を作り上げたのである。



…ミシミシ‥‥パキンッ


貫かれた核はガラス玉のように砕け散り、核を失ったU字型装甲とひし形の体は地面に横たわり完全に沈黙する。


微動の存在、武装体〈ゲーグナー〉ツヴァイは灰原の手によって敗北したのだ。



「よし…校舎まではもう少しだ。急ごう」


「は、はい…」


「‥?」


沸き立つ喜びの感情を抑え込んでいるつもりで抑えられてはいない灰原の顔を見つめ、雨崎は気付かない振りを装いながら返事をする。そんな彼女の背後で口元を抑える蒼の姿を不思議に思いながらも灰原を先頭に一同は校舎への進行を再開する。




残存するゲーグナーも数えられるほどに減少し、その骸がグラウンド上に横たわるのみ。

生命の光を失ったゲーグナーたちに目をくれる生徒はおらず、進行を邪魔しない限りは灰原達もアインスや他ゲーグナーの骸に関わる事はなかった…。




「…あ、きた‥」


ツヴァイの包囲網を抜けてから少し経った後、目的地まで30mほどの距離まで進んだところで突然湧き出た声に反応した灰原と雨崎が振り返ると後ろにいた彼女は目を閉じながら校舎へと右手を向けていた。


「……!」


ここで「何が?」と問うのは無粋なことなのだろう。

校舎の方角へと再び向き直って第一校舎の凹みにある食堂部分を見上げると、ひらり…と舞う何かが迷いもなくこちらに向かってくる。



それは待ちに待ちわびた十枚の紙吹雪。

不慮の事故から一度は離れてしまった彼女の【MLマテリアル】「御神札」。かつては武道場の神棚にまつられていたものであり、記号のような不思議な文字が描かれた紙である。

だが、その【ML】と彼女の【創造/想像イメージ】力が合わさることで生まれた【Rsランクスキル】「EXTRA」こそ、彼女を最強とたらしめる要因となっている。


「良かったですね、蒼ちゃん」


「うん。本当にありがとね。二人共…」


「‥‥」


御神札に描かれた文字が目視できるほどに近づいてくるのを確認した後、灰原は安堵の息を漏らす。「どうなるものか…」と初めは心配していたが、無事に彼女を守り通して目的を達成できた。


「…おっと…」


その実感がわき始めた途端に張り詰めていた緊張の糸が一気に緩み、灰原は少しだけよろけてしまう。グラウンドの端からここまでの防衛に加えてツヴァイとの戦闘…と、終始気を張り詰めていたせいか抑え込んでいた疲労感が一気に襲い掛かって来たのだろう。


「お疲れ様でした、灰原さん」


「あぁ、雨崎もな…」


…雨崎真波と灰原熾凛による蒼防衛戦は、ここに幕を閉じたのである。


一時とはいえ、命を懸け合った雨崎と灰原は互いの功績をねぎらい合う。



—————…後は蒼の【ML】の到着を待ち、残ったゲーグナーを打倒するのみ…。



そう思った灰原が戦況を把握しようとグラウンドの方へと歩みを進めた瞬間——————。




「‥‥え…これって…」



そう‥‥まだ戦いは終わっていない。

最後のアナウンスが鳴り終わるまで気を抜くことなど、この「神様ゲーム」では許されない。



『緊急報告。緊急報告…』



既に…生徒等が知らぬ内に賽は投げられていた。


迫るは「天災」と称しても過言ではない一縷いちるの流星。


天より放たれた災禍の矢尻は豊満な雲塊を貫き、雲海にくもの子を散らす。

地上に立つ小さき者たちが轟々と響く空鳴りに気付いた頃には既に流星は大地との対面を果たしており、天地を繋ぐ白き烈風の柱が突き立てられていた…。




…待ち望んだ星と地の出会い。

それは噴き上がる砂塵と巨大な風圧を伴った衝撃を生み、竜巻と雷鳴が一度に収縮されて起きたような破裂音が校内に響き渡る。その衝撃の威力は地上に在る全ての者達に等しく災害をもたらし、あらゆるものを弾き飛ばしていった。




星の衝撃が過ぎてから数分後。

噴き上がった砂塵が風に流れ、星の衝突によって変わり果てた大地がその姿を現す。

大地を貫かんほどに深く刻まれた円形のくぼみ。

その周囲に連なる亀裂が地を奔り、なおも衝突の波紋を大地につづっていく。



三十名以上の生徒が内在するグラウンドの戦場は崩落の時を迎えたのである—————。

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