16.「ディボルグ Ⅱ」


「…何やってんだ。あの二人…?」


微かに聞こえた悲鳴の方へと勢いよく振り返った最上は困惑の表情を浮かべて一人呟く。


…背負ったランドセルから創造したと思われる金属の腕を土台に宙へと浮かび、グラウンドを突き進む三つ編みの眼鏡少女。その少女よりも高い位置に漂う巨腕の中で震える長髪の女は悲鳴にも近い声色で少女の名を叫んでいる。


「雨崎ちゅぁぁ‥‥」


…そんな彼女たちの足元で絶え間なく動き続けている男を見つけた最上は困惑の表情を改め、真剣な眼差しを送る。


「‥‥あれは…熾凛さかりか?」


距離があるうえに乱戦状態となったグラウンドの中では男の表情まで見ることが出来ず、ただ見覚えのある獣耳のような髪が絶えず動いている様子しか確認できない。


「…頑張れよ…」


自分に言い聞かせるように呟く最上であったが、それから間もなくして彼の元に救援を求める声が届く。


〈…おーい! 誰か来てくれっ! 女の子が撃たれたんだ!〉


「‥まじか…」


声の方へと最上は全力疾走する。

今の自分にできる事はヌルの討伐とアインスの迎撃。そして他生徒の戦闘補助やケガを負った生徒の救助に向かう事であったが、二つの戦線が衝突したことで救助活動の方が主体となっていた。


「…あそこか!」


小さく群がる生徒達を見つけた最上はガリガリ…と地面を削りながら方向修正を行い、一直線に集団へと駆けていく。


撃たれた…という事はアインスの砲撃によるものだと予想できる。

撃たれた箇所にもよるが叫び声の様子から鑑みても危険な状態なのだろう。


「…撃たれたのは?」


「彼女だ。…でも…もう…」


「馬鹿野郎。勝手に諦めんじゃねぇ」


救援を求めたであろう男子生徒が絶望的な声を上げ、最上はこれを叱責する。


人の生き死には他人が勝手に決めていいものでは無い、…そう思いながら最上は男子生徒の背後で横たわっている女子生徒に視線を移す。


「‥‥」


…どこかで見たような気もする色鮮やかな薄紫の長髪。

柔らかな質感と微かな潤いを感じさせる絹のような肌。

纏う香りは初めて嗅ぐ類の不思議な香りで何かの花に通ずるものなのか…無意識に二度嗅いでしまうほどの中毒性を含んでいる。


髪が被さっているため容姿までは分からなかったが、上から首までを見る限り美人といっても差し支えないほどの可能性を秘めていた。


あくまで…である。


「‥‥っ」


女子生徒の長髪よりも先に最上の目を釘付けにしたもの…それは彼女が身に着けていた【MLマテリアル】と思しき衣服であった。


袖の付いた寝袋の袖先を縫い合わせてしまったような衣服には大きなリングが付いた革製の太いベルトが身体を固定するように巻かれ、更にその上から鎖が全身に絡みついている。


全身を縫い合わせるようリングの穴を通して全身に絡みつかせた鎖の各所にはご丁寧にも南京錠がかけられていた。


————————なんだ。この動きづらそうな服は…?


最上が女子生徒の格好に違和感を覚えるのも束の間、赤く黒く染まった地面に気付いた最上は倒れた彼女の腹部を確認する。


「‥‥これは…」


倒れた女子生徒の腹部には拳大の穴が開いていた。

それも抉れた穴ではなく、体内から弾け出るように突出した背面の傷口を見るに穴は完全に貫通していたのである。

本来であれば即死レベルのはずだが、まさに不幸中の幸いというべきか…砲撃の高熱によって傷口の断面が焼き固められている事で出血量は抑えられているが、それでも僅かな衝撃が加われば薄皮程度で固まっている皮膚は簡単に破れてしまうだろう。


「こいつは慎重に運ばねぇとな…。ちょっと動かすぞ」


包帯代わりに…と脱いだ上着を女子生徒の腹部に巻き付け傷口の保護にかかる。

細心の注意を払いながら最上が上着を巻き付けていくと意識不明と思われていた女子生徒が僅かに反応を見せる。


「‥‥ぃ…」


「わりぃな。もうちょっとだけ耐えて…」


傷口に障ったと思い込んだ最上は謝罪と励ましの言葉を掛けようと女子生徒の顔に掛かった長髪を払い除けると同時に言葉を失ってしまう。




左目にたずさえた泣きぼくろ。

別次元を見据えているような不可思議の魅力もった異質なまなこ

薄紅色に染まった頬と潤った唇から零れる生暖かい吐息には情欲を揺さぶるような妖しげな魔力が籠っており、その姿は愛しの君に恋焦がれる淑女を連想させる—————。



そんな彼女が…



「‥‥おなかに穴がひらくとは、このような感覚なのですね…」



…なんて台詞を幸福に満ち満ちた表情で言うのだから、最上の手が止まるのは無理もない話である。



「‥‥」


—————…痛みのあまり錯乱しているのか…。


初めは、そのように思った。

ここは異次元の世界ではあるものの一つの現実。だから、あのような存在が現実にいるはずがないと…心のどこかで信じていたのだが、…その考え方を改めなければならない。


ここは自身の知るものとは全く異なる現実であり「生者」と「死者」が存在する世界。

自分の中の常識が通用しない、という事実を頭に入れておかなければならない。


————————適応しろ最上秀昇。この世界に…。


そう念じながら最上は再び目の前の現実と向き合うことにした。



『女子生徒は神秘的にも感じる薄紫の髪と異質な瞳をもった淑女である』


…その事実に間違いはないが、彼女の本質はそれだけではない。


腹に穴をあけられた状況で、頬を赤らめ生暖かい息を吐きながら恍惚こうこつとした表情を浮かべる彼女は「錯乱」という枠からは完全に逸脱しており、まるで痛みを快楽とでも感じているような狂気的な反応を見せている。


「‥‥はらわた、見られちゃいましたね…」


否、「痛み」=「快楽」という式は些か簡略化させすぎてしまったか。


冷静かつ情熱的に彼女は「それ」を受容する。

その器量は痛みや羞恥心といった小さなものだけなく、不幸すらも受け入れてしまう程に大きく深い。


己が身に降りかかる「被虐」の全てを受容し「快楽」として彼女は愉悦する。


…それとも彼女に好まれてしまった「被虐」は彼女の器量に収まれば、最後には「快楽」と化して彼女を興奮させる愉悦の一部となる…と言った方が正しいのか。


兎にも角にもを薄紫うすむらさきの淑女を簡潔に言い表すならば、


『「被虐」を愛するマゾヒスト』…である。




———————————・・・————————————




「……!」


敵意を感じた灰原は視界に対象を捉えると同時に大地を蹴る。

向けられた銃口の先には今にも破裂しそうなほど膨張する熱源があるが、それらを前にした灰原は「両手剣」の刃先を縮め、短剣ほどの長さに変換していた。


「‥‥」


〈先に撃たれたら…?〉

〈先に攻撃しなければ…〉


そんな焦る心を切り離し、灰原はアインスの元へと駆ける。

意識は広範囲の視野を維持することに費やし、剣を握る手に力を籠めながら勢いを殺さずに身体を預けるようなイメージで剣を刺し込むことで容易にアインスの装甲を貫く事が可能となる。


「…※※※※…」


これが自身の能力を鑑みた灰原が見つけた硬い装甲を持つアインスを一撃で仕留める手段であるが一つだけ欠点を挙げるとすれば、どうしても対象への接近が必要不可欠となる…という事。

近接武器である「剣」で対処するのだからそれは必然ともいえるが、実際に「短剣」と「両手剣」の攻撃範囲を比べてもみても半歩分の違いしかない。


たかだか半歩、それでも半歩。


…その半歩分の重さを昨日の戦闘から学んだ灰原は十分に理解していた。


僅かな間とはいえ灰原が迎撃にあたる間、雨崎と蒼の防御が薄くなり灰原の視線が一方向に集中してしまうのだが…その欠点を限りなく少なくするため雨崎の力を借りる事となる。


「…灰原さん! 左後方です!」


「!」


背後からの声に反応した灰原は素早く剣を引き抜き、雨崎の指示した方向から新たな対象を捉え、迎撃に当たる。


「…任せたぞ雨崎」


そう言い残した灰原と入れ替わる形で機械仕掛けの腕が倒れたアインスの除去を行う。一見すれば不必要とも思われるが、乱戦状態にあるグラウンド上で人型サイズのアインスは十分通行の邪魔になり得るため灰原は校舎へのルート上にあるアインスの骸の処理も頼んでいた。


「は、はい!」


灰原の死角にあたる部分の監視と灰原への指示。そしてルート上の安全確保。


これらが機械仕掛けの腕を用いて地上3mに位置する雨崎の役割であり、同時進行で蒼の保護と浮遊し歯向かってくるヌルの対処を行っていく。


迎撃、防衛。監視、指示。


初めは互いの連携が上手く取れない事もあったが、雨崎が【Rs】を使った移動に慣れ、灰原が防衛に即した動き方を把握したことで二人の連携は円滑化し、着々と歩を進めていった一同は気が付けばグラウンドの最奥から中央付近にまで歩を進めていた。




「…蒼ちゃん。【ML】の反応はどうですか…?」


…敵戦力も徐々に減り始めた中、僅かな余裕が出てきた雨崎は自身よりも高く浮上させた「アンドロイド」に視線を送り、その手中にいる彼女に状況を尋ねる。


「…さっきより、近づいてるけど…あと、もう少し…」


「アンドロイド」の指の隙間から恐るおそる片腕を校舎の方へと伸ばし【ML】との繋がりを確かめる彼女だったが、その声は未だに震えていた。


高所にいる事の怖れか。はたまた【ML】がないことの恐怖か…。


自身の【Rs】と彼女を眺めつつ雨崎は彼女の身を案じると同時に別の事について思案していた。


「‥‥」



…それは作戦を始める前に灰原が言っていた【ML】の性質に関する情報であり、

『現出後の【ML】は一定の距離から外れると再現出が出来ない』という【ML】の欠点を指摘するものであった。


まさか「ゲーム」において、そのような欠点があるなど考えもしなかった彼女は冷静になった今頃になって肝を冷やしていた。


—————もし、違う【ML】を手にしていたとしたら…。


二つの背負い紐を握る手に力を込め、雨崎は背中の「ランドセル」に視線を移す。


【Rs】「アンドロイド」を起動後、革製の紅ランドセルは金属プレート製の薄墨ランドセルへと姿を変え、婉曲した蓋の部分にあたるかぶせが背面部に挿入されることで開いた内部から金属の腕が飛び出している…。


そんな彼女の【Rs】であるが、まるで手品のように物体の体積を完全に無視した大きさ・長さの機械仕掛けの腕が飛び出すランドセルの中身は持ち主である雨崎でさえも確認した事は無い…。


——————今にして思えば…なぜ私はこんなものを【ML】にしたのだろう…。



別段、これが好ましく思ったから選んだ…などという明確な理由はなく、それでも理由を述べよ…というのならば「なんとなく」が回答となる。


それほどまでに彼女が「ランドセル」を【ML】に選んだ理由は限りなく無に等しいのだが、きっかけと呼べる出来事は確かにあった…。



~~~~~~~~~~~~・・・~~~~~~~~~~~~~~



『…なんだ。雨崎はそれにするのか?』


…訳あってチュートリアル開始前から面識のあった志村と共に【ML】を探す際に訪れた「文化棟」〈演劇倉庫〉。


特にこれといった【ML】を決めていない中、偶然目に入った真新しい紅の背負い鞄を見ていた場面で志村功にそう尋ねられたことがきっかけだった…。


『…はい。これにしようと思います。』


この時、自分がどんな表情をしていたのかは分からない。


不安げだったか。嬉しそうだったか。

それとも、またいつもの「それらしい」表情か…。


きっかけはあったにせよ、理由は不明。

昨日のことのはずなのに…どんな感情であったのかも覚えてはおらず、なぜ自らの【Rs】がこのような金属の腕を操るようなものになったのかも本人には分からない…。


~~~~~~~~~~~~・・・~~~~~~~~~~~~~~



「———蒼ちゃん、あともう少しです。頑張りましょう。」


…経緯はどうあれ自分の【Rs】が役に立っているのだから、とやかく考えても仕方がない。


そう思い立った雨崎は周囲を警戒しつつ頭上の蒼に声を掛けると、


「ありがと…わたし、がんばる…」


指の隙間から顔を出した彼女は泣きそうになるのを堪えているのか…小刻みに震えながら強張った笑顔を浮かべており返事をしたと思えば…すぐさま顔を引っ込めてしまった。


「…ふふ…」

彼女の表情に加え、すぐに引っ込んでしまった様子から臆病な小動物を想起してしまい思わず笑ってしまう。


紅葵蒼という人物は大人びた性格をしているものだと予想していたが、このような少女らしい一面を垣間見たことで雨崎は少しだけ安堵していた。


——————なるべく揺れないように気を付けないと…。


そう決意改めた雨崎であったが、たった一つの要因によって事態は急変する事となる。


「雨崎、止まれ!」


その始まりを告げる声を上げたのは彼であった。



—————————————・・・——————————————



「――…」


その存在は開戦初期から確認されており、幾人もの生徒の視線を受けながら悠々と歩を進めていた。

その存在を知る者、その力を恐れる者。

彼らが口をそろえて言う事は「あれは得体が知れない」…ということ。

体は定型を留めておらず、他の個体とは異なり手足と呼べるものが一切無い。

そもそもどこが体と呼べるのかも分からないような形状をした「それ」は色づいた球体を中心に白く鋭利な花弁を咲かせている。


 武装体〈ゲーグナー〉「ツヴァイ」。

攻撃範囲内に内在する外敵に反応し、自身を守るように咲かせた刃型装甲の花弁で範囲内の対象に斬撃を与える。他のゲーグナーはその対象外となるが、彼らも何かしらの理解があるのか…ツヴァイから離れるような位置取りをしており開いた円空間がツヴァイの大まかな攻撃範囲を示していた。


「‥‥っ」


初めて対面したツヴァイを前に灰原は唾を飲む。

ここまで来る道中、遠距離攻撃の出来るアインスや浮遊するヌルにばかり注意を向けてきた。近接武器しか持たない者が防衛にあたる以上それらが最も注意すべき存在である…と灰原が考えた上での選択であり、その甲斐もあって今までの防衛を維持し続けてきた。


防衛にあたる際の注意点は決して間違ってはいないが、防衛を続ける中で無意識の内に灰原はツヴァイを無視することを選んでしまった。


生徒とゲーグナーが入り乱れるグラウンドで注意すべき対象を見つけ迎撃する。

…そんな間違い探しでもするような感覚で絶えず動かし続けた視界で一度「危険ではない」と認識したものに再び意識を向ける余裕など灰原には無く、そもそも動いているのか止まっているのかも分からないような存在に意識を費やすことを省いていた。


「——それほど大きな障害とはなり得ないであろう…」と何も知らないくせに高を括っていたのだ。



たしかに動きは微動。

進んでいるのか止まっているのかも分からないほどの移動速度だが、「動く」という行動を取る以上は「どこか」を目指しており「どこかしら」に辿り着く。


たとえ動きが遅かろうと決して度外視して良い対象ではなく、戦場に内在するという事は「脅威」となり得る可能性をいつでも秘めているのだ…。



——————囲まれた…。


立ち止まって周囲の警戒域を広げたことで灰原は自分たちの置かれた状況に気づく。


意図的に囲まれている…というわけではないのだが、偶然にも灰原達を囲むような位置取りをしたツヴァイ達によって身動きが取れない状況に陥っていた。


「どうしましょう。灰原さん…」


「‥‥」


少しだけ高度を落とした雨崎が灰原に尋ね、灰原は上空の蒼に視線を移す。


目標までの距離を半分に縮めたというのに彼女の【ML】が戻る様子はない。

少し前の雨崎の報告では「もう少し…」という事だったが、あとどの程度進めばよいのかも分からない。


———————ここが山場か…。


ルート上にいるツヴァイの背後にある第一校舎を見つめて灰原は意識を引き締める。


ここを無事に乗り越えれば残りは一直線に進むのみ。長きにわたる防衛戦も終わりが近い…。


「…やるしかない…」


「…え?」


「あれを倒して一気に抜けるしかない。雨崎、蒼のことを頼めるか」


「それは良いですけど…。灰原さん、ちょっと無謀ではありませんか…?」


「…そうだな。確かに無謀かもしれない…」


雨崎の意見に反論の余地はない。昨日死にかけた男が再び無茶をしようと言うのだから彼女の意見ももっともだろう。

更には治療ができる蒼の【Rs】もない事から一つの怪我で死を覚悟しなければならない事態もあり得なくはないが、これ以上彼女に負担をかけることに灰原は抵抗があった…。


「…俺が考え得る手段としては、このまま待機しつつ迎撃するか。

雨崎の【Rs】で無理やりツヴァイの包囲網を抜けるか。それとも…」


「また一人で、ですか?」


「‥‥」


刺し込むように口を挟んだ雨崎に灰原は身を縮めてしまう。


深緑の髪で編み込まれた二束の三つ編みに眼鏡。丁寧な言葉遣いに加えて優しく控えめな性格…というのが雨崎真波に対する灰原のイメージであったが、そんな彼女が声色を下げて威圧的な視線を向けて言うものだから灰原は思わず、


「その…力を貸してもらえないだろうか雨崎」


…そう雨崎に頼みこんでいた。


「はい、勿論♪」


「‥‥」


笑顔で答える彼女に対し、どのような反応をすればよいのか…と灰原が迷っていると、


「雨崎ちゃ~ん‥‥」


「…よ、よろしく頼む」


天高くから降り注ぐ蒼の声に救われた灰原は苦笑いを浮かべながらそう答えた。





「———まず、初手としてはツヴァイの攻撃範囲を測ろうと思う」


「そうですね…良いと思います。

どのように攻撃するのかも知っておきたいですしね…」


「とりあえず、この小石でも投げつけてやればいいかしら」


「いや、蒼は雨崎の傍から離れないようにしてくれれば良い」


「‥‥わかったわ」


地上に降り立った乙女は血の気が戻ったのか…どこで拾ったのか分からないような小石を手で弾ませながら意気揚々と提案するが、灰原は冷静に対処することでこれを鎮静化する。


「…それで測り方だが大まかな範囲は周りのゲーグナーの位置で分かっているから、細かい範囲や攻撃方法について調査して来ようと思う」


「では。私は蒼ちゃんの護衛と灰原さんの戦闘のフォロー…という事で大丈夫ですか?」


「あぁ。でも危なくなったら自分と蒼の身の安全を優先して欲しい」


「…分かりました———。」


一度地上に降り立った二人と作戦の確認をした後、各々は配置につく。


前方は灰原、後方は雨崎と蒼。

…奇しくも昨日と同じような配置となったが状況は大きく異なる。


目標は一体。

しかし周囲は依然として乱戦状態の中であるため他のゲーグナーの乱入も考えられる。


—————集中しろ…。


呼吸を整え、意識を自分の世界に溶け込ませる。

【Rs】が上昇したことでそれほど意識せずとも「剣」を創造する事は出来たが、それだけでは足りない…。



 一定の範囲内に入った対象のみを自動攻撃するツヴァイは「アインス」のような「力」の制限はない代わりに移動速度が非常に遅い。核である球体を備えたひし形部分が本体にあたり核を守るために本体を挟み込んでいるU字型の装甲に加えて周囲を四枚の刃型装甲で覆われている。


…その外形は開花を待ち続ける刃の蕾にも見えた———。


『倒し方としては刃型装甲を全て剥いで核を砕くか。

直接核を狙うか…そのどっちかだな』


…授業の内容を思い出しながら灰原は接近するツヴァイへと向かう。


浮遊する装甲により大きく見えるが本体のひし形部分は灰原の胴体と同じくらいの大きさをしており、瑠璃色の丸い核は拳大…とかなり小さいようだ。


——————この辺りからなら…。


攻撃動作を確認するため蒼から取り上げた小石を投げ入れる。


「投げる」という行為自体が初めてだった事からフォームはかなり不格好なものになってしまったが、奇跡的にツヴァイの方向へと小石は投擲された。


———————どうだ‥?


一体あの四枚の刃がどれほどの速さで切り刻むのか…と即座に灰原が視線を移すと予想外の出来事が起きた。


「え…」


投げ入れられた小石がツヴァイの攻撃範囲に侵入した瞬間、本体を覆っていた花弁の一枚が開花した。


…ここまでは灰原の予測通りではあったのだが、問題となったのはツヴァイの次の攻撃動作であった。


パキンッ…


蕾の一片が花開いた直後、爪きりで噛み切られたように白き花弁が二つに分かれたのだ。


元より花弁には一線の切れ込みも無かったのだが、何の前触れもなく分かたれた刃によって小石は塵と化してしまった。


「なるほど…分裂するのか…」


敵を前にして灰原は考え込んでしまう。本来はありえない行動の一つなのだが移動の遅いツヴァイだからこそ取れる行動ともいえる…。


投げ入れた小石によって攻撃方法や速度…といった重要な情報を割り出すことには成功した。


刃型装甲一枚に二つの刃が内包されている、という事は計八つの刃を所有していることになる。そんなツヴァイが小石に費やしたのは一つの刃のみで残りの七枚は本体を覆うような防御陣形を維持しており、攻撃の際に射出した刃は攻撃時よりもかなり遅い速さで元の位置に戻っていった。


つまりは攻撃範囲内に内在するものであれば、その威力の大小や増減…といった危険度を把握できるという事。その判断を瞬時に行っているのだから恐るべき情報処理能力ともいえるだろう。


そして、最後に攻撃の速度。

刃の蕾から咲きでた一片ひとひらの閃撃…と称しても差し障りない斬撃は目で捉えきれない速度ではないが、もし二つ同時に刃を振るわれようものならば灰原の観察眼をもってしても完全に見切ることはできそうにない。


八つの刃を向けられたならば文字通り八つ裂きになるのは目に見えているだろう。



「‥‥最後は…」


右手に持っていた両手剣を左に持ち換え、剣先をツヴァイへと向けながらゆっくりと前進する。


灰原の生み出した想像の剣と花弁の刃。

そのどちらに優劣が傾くかで勝敗は決まると言っても過言ではない。


「‥‥」


じりじり…と慎重に剣先を近づけ接近する灰原。

一切の油断も許されない状況の中で一つだけ安堵することがあるとすれば、ツヴァイに立ち向かう他生徒がほとんどいない…という事である。


下手に他生徒の介入があれば灰原の策は一気に崩壊する。


これは冗談ではない。他生徒の乱入で斬撃の軌道が少しでも変わってしまえば灰原の命が無くなるほどに危険な綱渡りをしているのだ。


————————あ…。


そして、変化に気づいたのは灰原の本能であった。

日光降り注ぐ真昼のグラウンドを歩いているはずなのに鋭い冷気と圧迫感が灰原の心臓を襲う。全身の毛穴が引き締められ、張り詰めた皮膚が外気の温度や湿度を敏感に察知し、僅かな耳鳴りが脳を揺さぶる。


【あと一歩先に「死」がいるぞ】


理性の知り得ない死の感覚を本能が脊髄を介して叫ぶ。

内臓は氷塊でも飲み込んだように冷え切っており、ピクピク…と痙攣し始めた表情筋の振動によって汗腺から滲み出た一筋の冷たい汗が頬を伝って落ちていく。


これが死の感覚を捉えた本能の反応。

そして理性に知らしめるため鳴らした警鐘であり、それに呼応するように神経の通った毛髪は感情を持ち始め、心臓の鼓動に合わせて躍動する。


パキン…


蕾の一枚が開花し、花弁から一片の刃が射出される。


範囲内に入ったものが剣先だけである事を把握したのか…先程の小石同様に射出された刃は吸い込まれるように灰原の剣へと向かい、両者は相まみえる。


「——————っ!!」


反射的に身を引きそうになるのを堪えながら刃の軌道に目を凝らし、自身の剣を傾けて結末を見送る…。



「‥‥そうか」


…散った火花と手に残った二つの刃の衝撃を思い出すように手を握り締めて灰原は一言呟く。


それはツヴァイの領域に入ってから二呼吸を経た後の結果であり「戦力判断」という初手の段階にもかかわらず勝敗は決する事となった。




—————————————・・・————————————


『…さて』


…男子生徒を見送った後、アンドロイド=ナノマシン:クラウンは戦場へと向き直る。食堂に現れた亜種体を抑え込むために残像を展開し続けていた彼女であったが、その美顔からは一切の疲れを感じさせない。


…けれども、その美しい白肌に一片の曇りも無い、と言えば嘘になる。


僅か二日足らずで数多くの男女生徒の心を魅了してきた彼女だが、一つの要因が彼女の美しい顔を曇らせていた。


実体と大差ない残像を生み出すような身体能力と演算能力。

そして教師陣よりも高い戦闘能力を与えられた彼女は保健室を任されており、生徒の命を守る立場にある。


『‥‥』


…そんな自分が近くにいたにもかかわらず生徒の一人を死なせてしまったのだ。




「□■■◆‥‥」


その元凶たる亜種体の喉笛が煙に包まれた食堂内に響き渡る。煙に紛れながら驚異的な速度でいそうしているため常人の目では視認できないが、麗人の目は完全にその動きを捉えていた。


『…時間稼ぎもそろそろ、と言ったところでしょうか』


校内の戦況を全て把握している麗人は調理用の黒エプロンをなびかせながら袖のボタンを外し、丁寧に袖をまくり上げていく。


校内に広がる大規模な戦場は「グラウンド」と「陸上競技場」の二か所。

ゲーグナーの数量から「陸上競技場」の方が時間は掛かると想定していたが戦闘能力の高い生徒が多く投入されたためか…予想よりも早く片が付くと思われ、グラウンドの方も同様に終戦を迎える…と判断した事から麗人は次なる行動に移る。


この場に亜種体を留めるために配置した残像は彼女がボタンに手をかけた時点で解除されており、匂いか気配を嗅ぎつけた亜種体が襲い掛かって来るのに時間は掛からない…。


『対象。〈亜種体〉「ディボルグ」‥‥』


袖を捲り終えた麗人は煙に向かってそう告げると…————————。


「◇□■■■■◆ッーーーーーーー!!!!」


赫き目を持つ獣は白煙を纏いて麗人の前にその姿を現す。



『ディボルグ』

それはヌルの【貪食行為】によって生まれた〈亜種体〉であり獰猛さと野生本能を備えた紅の瞳を有する本能タイプの個体である。


その特徴として挙げられるのは貪食行為を経て獲得した強靭な四肢と武具。

元となったヌルにも「手」と呼ばれる部位が存在してはいたものの…マイクの先に団子を三つ付けたような貧弱な手では何者をも傷つけることは敵わず素人の拳だけでも絶命するような脆弱な存在であったが、貪食行為により変異した『ディボルグ』は全く別次元の個体となる。


強靭な四肢による四足歩行は音速にも匹敵する速さと獣の如き変則的な移動を可能とし、捕食したツヴァイとアインスの装甲を複合・圧縮することで鋭利な爪と強固な鎧装甲を身に纏ったディボルグは攻撃・防御・速さを備えた戦闘に特化した姿となった。


その戦闘スタイルは本能タイプの亜種体特有の強靭な四肢を基軸とした肉弾戦であり、動きやすさを追求するためか…鎧装甲は全身を覆っているわけではなく肘・膝といった間接部位の隙間や腹部は剥き出しになっている。

剥き出しの地肌はヌル特有の黒い肌だが装甲を支えるためか、はたまた変異の段階で形状が変化したのか…尖った髪のような形状を取っており獣らしさを際立たせる。


獣らしさで言えば、口先が少し突き出るように変形した頭部は白色の鎧装甲で覆われているほか…頭の頂きから巨大な刃が鶏冠のように生えており水源から溢れ出た湧き水のように軌跡を描きながら背面へと続いている。


刃の先には尾骨部分から突き出た黒い尾が待ち構えており、尾の先にはアインスの代名詞ともいえる大筒が装備されている…。



『…これより〈撃退モード〉に移行し敵戦力の武装解除を開始します』


獲物を捕捉し襲い掛かる獣を前に麗人は静かに、迅速に行動を開始する。


残像に弄ばれたことで気が立っているのか…頭の左右に付いた穴から勢いよく蒸気を吹き出し、高圧力の熱球を咥え込んだ大筒を麗人へと定めて…—————。




‥‥命の灯だけを残して獣は持ち得る全てを失った。




/////////////////////////////・・・//////////////////////////////////////



時間を刹那だけ遡る。


=0.000秒=


麗人は獣の元へと向かう。


遠く一点を見つめ、背筋を伸ばして歩を進める「美」の超越者は、その身に纏った黒エプロンすらも本来到達し得ない魅惑の衣へと昇華させ、神気を帯びた「美」を包む黒布には天衣無縫の衣を纏いし天界の担い手すらも羨むほどの神々しさが宿る。


=0.001秒=


獣と超越者が相まみえる。


照明器具へと生まれ変わった大筒の明かりは一筋の太い光となって超越者の聖き白肌と橙黄色の瞳を照らしながら後方へと流れていく…。



=0.002秒=


麗しき御手をそらへと預け、その慈愛をもって罪深き獣を抱擁せんと優しく、静かに交差する。


…流れ落ちた光の一線は閃光と鮮烈な清風となって超越者の背を包み込む。光と風の調和から照り揺らされた黄金の髪は生命の煌めきをも凌駕し、神聖なる「美」から生み出された影法師は玉歩する主の姿を純白の舞台へと写し出す。


大筒の照明は見事にその役割を果たしたのである…———。



=0.004秒=


…御手は振り出しに、顔はそのままに。

革靴を介した白煉瓦れんがとのワルツを終えて超越者は歩みを止める。


「美」の幻影に囚われ、「美」の神気にあてられた獣は始まりの姿に回帰する。

獲得した四肢、尾、武具。

そのすべてを失い丸裸となった達磨だるまの獣は飛び出した勢いを保持したまま為す術もなく地へと落ちていき…


時は再び動き出す——————。


//////////////////////////・・・////////////////////////////////////////



「◇?□?◆?※?※?」


己の身に何が起きたのかも理解できないまま獣は地面に激突する。

而して麗人が獣に視線を向ける事は無く、まくり上げた袖を元の位置に戻しながら一言。


『…対象の武装解除:完了。戦力の軽減:確認。生体反応:有り。

これにより〈撃退モード〉を終了し、通常状態へと移行します』


遠い誰かに囁くように彼女は言葉を綴り、袖先のボタンを掛ける。



 アンドロイド=ナノマシン:クラウン。

その身は通称「神」の創りし「神様ゲーム」の世界を守護する存在であり、その世界の頂点に君臨する戦闘能力を有した神造兵器、「神」の代行を担った「神様ゲーム」の管理者にあたる。


それほどまでの権能を有する彼女だがゲーグナーに対する一切の討伐行為は禁じられている。


その理由として挙げられるのは、管理者である彼女がゲーグナー討伐及び戦闘活動に参加してしまえば「神様ゲーム」のシステムそのものが破綻してしまうためである。ゲームを守護する立場にある教師陣にも彼女と似たような制限が掛けられているが、自衛の際や「神様ゲーム」の世界が存続の危機を迎えた場合…などの例外があり彼女においてもそれは存在する。



【一、生徒が対処できないゲーグナーが現れた時】


【二、生徒と教師陣の生命活動の危機、ひいては「神様ゲーム」存亡の危機に瀕した時】


このどちらかの条件を満たした時、制限付きではあるが彼女は戦闘に介入することを許可されており、その一つが〈撃退モード〉と呼ばれる。


〈撃退モード〉とは異次元的な戦闘能力を保有する彼女に枷を掛けた状態の名称に該当し、迅速に事態の収拾を図りつつも誤って対象を討伐してしまわないように…と「神」が施した制約であり、主には対象の弱体化を目的としている。

この状態に入った彼女の戦闘能力は本来の力の一割程度しか発揮できず、武器の使用も禁じられている事から素手だけで対処しなければならなくなる…。


その場に存在するだけで清楚さと端麗さを兼ね備えた美の頂点に立ち、

まばたき一つでしとやかさと麗しさとあでやかさを表現する。


立てば優雅、座ればたおやか。下を向けば奥ゆかしさを…。


所作一つで内包する美の神気を開放する彼女に「最強」、「無敵」といった言葉は似合わず、「美美しい」などという重ね塗りの言葉などもってのほかだ。


【「美」の概念が命を得て誕生した「美」の超越者】


彼女を言い表すならば、それだけで良い。

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