15.「ディボルグ Ⅰ」


「…校舎内にいたものはこれで全てか…」


男の低い声が劇場内に響く。おそらくは壇上にあるマイクによって拡張されたものと思われるが、あまりにも冷たい声色に生徒の大半は委縮してしまう。


————————この男も教師陣の一人なのか…。


壇上の照明が点いたことで、観客席の中心部にいることを把握した灰原は壇上に現れた男の観察を始めていた。


…黒革のブーツに黒いスラックス。そして、黒い外套に身を包んだ男はフードを深く被り込んでいるために容姿を窺う事は出来ないが、フードの影から僅かに覗かせる一縷の眼光からは厳粛たる雰囲気を醸し出していた。


「…事実だけを簡潔に述べる。食堂に亜種体が現れた」


被り込んだフードをゆっくりと上げながら男は静かにそう告げる。


…男の頭部は服装とは対を為す白髪で覆われていた。

その色が抜け落ちたような長めの白髪によって顔の左側は覆い隠され、開いた右側から見える鋭利なまなこと生気を失ったかにみえる薄い肌。

そして、口を開く度に見せる尖った八重歯も相まって男の外見は異様な空気感を漂わせていた。


「〈亜種体〉…」



『…正直に言えば今のお前らが戦えば大半が死ぬ。

単体なら即死するレベルといっても良い。だから、もし〈亜種体〉と遭遇した時は防御と回避に徹して…隙をみて逃げろ。いいな?』


 その言葉を聞いた灰原は塩崎の言葉を思い出す。

貪食行為に目覚めたヌルが他のゲーグナーを喰らうことによって変異した亜種体。


その能力は元の個体や変異した系統によって分岐するが、総じて言える事は通常のゲーグナーよりも段違いに能力が向上しており、今の灰原にとって〈亜種体〉と出会う事は「死」と直面するに等しい…と言っても過言ではないのかもしれない。


「〈亜種体〉の個体名は『ディボルグ』。

この個体は赤き目を持つ本能タイプの〈亜種体〉にあたり、対象を見つけ次第襲い掛かる獰猛性と高い身体能力を秘めている。

現状、生徒が対処できる相手ではない事から対処は学校側こちらが行う。

貴様等は各所に発生した〈ゲーグナー〉の処理に当たれ…」


必要最低限の状況説明と指示を伝達した男は生徒達の反応を見ることもなく、手首に装着した端末へと視線を移す。端末に何が示されているのかは分からないが、男が少しだけ静かになったところで劇場内の生徒が小言を話し始める。


「…誰だ…」 「教師…かしら」 

「‥‥怪しすぎ…」 「いや、あれはだな…」


一つの小言が伝染し、生徒達に不穏な空気が流れ始める。

突如現れた謎の男が告げる〈亜種体〉という脅威と二度目の〈ゲーグナー〉襲来に伴って誘発された過負荷ストレス。それは一つの小言によって解放され増殖し、やがては雑音へと変わっていく。


「‥‥‥」


男が端末から視線を上げる頃、生徒達の過負荷は騒音へと成長を遂げていた。

しかし、劇場を埋め尽くす生徒達の過負荷を目の当たりにした男の反応は静かなもので、終始代わり映えのない半透明な無表情を浮かべていた。


「…俺はBクラス担任。〈主任〉の…しのぶだ。」


静かに自己紹介をする男の視線が動いた途端、彼らは一斉に口をつぐみ始める。


偲という男の目。

そして、その表情に現れていたのは軽蔑でも、苛立ちでも、怒りでもない。


「無関心」。


唯一男から感じられたのは、その冷たい感情の気配のみである…。



「———Bクラスの偲…」


灰原は静かに復唱する。

「Bクラス」という事は梶原宗助の在籍するクラスの担任という事になる。梶原のクラスについてはあまり触れる機会が無かったため失念していたが、偲という人物はかなり厳格な性格のようである。


—————ここからどうするのだろうか…。


男の冷たい声と氷のような無表情に劇場は閑散とした空気になってしまった。指示を与えたならば、その場から立ち去るなり解散を命じるなりすればよいだろうに…偲は舞台に立ったまま動かない。



「…亜種体により生徒の一人が死んだ」



…やっと口を動かしたかと思えば、唐突に死神は生徒の死を告げた。


それは生徒達への警鐘であったのか…理由は全くの不明だが「生徒の一人が死んだ」と確かにそういったのである。


「‥‥え」


その言葉を合図に頭を殴られたような感覚に陥った灰原は目を強く瞑り、頭を抱え込んでいた。


しかし、瞼の裏には食堂で見た最後の映像が鮮明に焼き付いており、映像の一片を見た灰原は反射的に目を開き、顔を覆った両手の手相を見つめていた。


——————恐らく倒れたパラソルと生徒の誰かを見間違えたのだろう…。


そう…もっともらしい理由をつけて心の安寧を図る理性。


《否。あの鉄くさい臭気は紛れもない本物だ》


それに対し、鼻腔内に臭いを再現させてまで真実を述べる本能。


虚構を並べる理性と真実を叫ぶ本能。


その衝突による優劣は本能の勝利に収まり、虚構の理性は為す術もなく崩壊する。


—赤と、灰と、茶。

——液体と、鉄骨と、木、…。

———赤い血と「机」と、倒れた■■…。


観たのは一瞬。

数えても一秒にすら達しない僅かな時であった事だろう。

だが残念な事に灰原は色も形も…鮮明に覚えていた。

それは何も持たない男の空虚さが生み出した知への飢餓と「未知」からの脱却という渇望によって生まれた吸収力の高さによる恩恵であるが、今回に限ってはそれが仇となったのは言い換えようのない事実であった。


「…そんな…嘘…」


頭を抱えたまま、その場にしゃがみ始める。


嘘だ。幻だ…。あれは意目の錯覚で決して本物ではないのだと…。

そう理性に言い聞かせてきたが、灰原にこびりついた記憶が確かな真実を物語っていた。


「…死んだ生徒はAクラスの…」


偲が名を告げようとすると、咄嗟に灰原は大声を上げていた。


「嘘だっ!!!」


それは男が初めて見せた激情の表れであり、最後の抵抗をして見せた理性の悲鳴だった。


「‥‥あ…」


こちらに意識を向ける大多数の気配と強烈な冷気が身体に突き刺さり、灰原は我に返る。


気付けば足元の床は黒く染まっており、灰原がゆっくりと顔を上げると生徒の視線を集める偲の姿がそこにはあった。


「…黙れ」


冷たくそう言い放った偲は宙に浮く黒い棒に腰掛け、灰原を見下ろしていた。


「‥‥」


偲が教師陣である以上、塩崎同様に自身の【ML】を保有している事は分かっていた。


死神が腰掛ける黒い棒の正体は「刺叉さすまた」。

U字型、または半円型の金具が穂先に付いた鉄製の棒は攻撃よりも対象の動きを制限し、捉えることを目的とする拘束武器である。


「…貴様…」


先程まで壇上にいた偲が一体どのような手を使って灰原の位置まで移動したのか…。

無論、クラウンのような高速移動を行ったわけではない。


先程まで偲がいた壇上には穂先を下にしたU字型の刺叉が突き立てられており、そこへ新たに創造した半円型の刺叉を噛ませることで簡易的な発射台を組み立て、半円型の刺叉を伸長させることで偲は素早い移動を可能としたのだろう…。


「…何を以て偽りと唱えるのかは知らないが、これは事実だ。受け入れろ」


「‥‥」


…灰原には何も言えなかったが、心中では分かっていた事なのだ。


生きている以上、いつでも「死」は傍にいる。

昨日の敗北や梶原の人生を聞いてから灰原はその理解を深めたつもりでいたが、それが自分の死ではなく他人の死であるとは思いもよらなかったのだ。


「……」


食堂で最後に見た「赤い血」と倒れた「誰か」。

そして、その付近に置かれた鉄製の骨組みに木面が被せられた「机」。

見覚えのある「それ」は昨日の戦闘で見たとある男の【ML】だった。


「嘘だろ…進藤…」



「机」の【ML】に「盾」の【Rs】。

〈亜種体〉によって死んだ生徒の正体は、進藤岳人であった。





「————対象を確認した。【各員、配置につけ】」


偲は【絶対命令権】を躊躇なく行使する。


表情は初めから変わらず、無表情で冷たいまま。

項垂うなだれる灰原や不安げな生徒達に必要以上の言葉を掛ける事もなく、鉄壁の表情を維持し続けた男は命令を下した後で劇場の出入り口へと向かっていった。


「‥‥」


揺れる感情。理解が追い付かない本物の「死」という概念。

理性と本能が混乱し、パニック状態のまま灰原の視界は黒く染まっていく。

「待て」と叫べども強制的に占められていく意識の扉…。

今まで何とも思わなかった意識の暗転に灰原は初めて「恐怖」を感じたのであった。



———————————・・・——————————



生徒の移動を確認したしのぶが劇場から退場すると、あまり会いたくない人物が立っていた。


「‥‥貴様か」


「…よ」


白髪と黒髪が入り混じった灰色の頭。やや年季の入ったまぶたの厚みと今にも閉じそうなほどに気の抜けた目は眠たげなふくろうを想起させるが、森の賢者である「梟」と「塩崎」という男を同一に捉えるなど梟に失礼だ…と偲は常々感じていた。


一言で「だらしのない中年の男」と表現できれば楽なのだが、要所における切り替えの巧さだけは持っている事から「残念な中年の男」というのが妥当な表現といえる。


「…こんな処で何をしている、塩崎」


文化棟の入り口中央に位置する巨大エレベーターに背を預けている男、

Aクラス担任の塩崎 劉玄りゅうげんを睨みつけながら偲は問い詰める。


容姿や身長の違いから誤解されがちだが一回りも年齢が上の塩崎にとって偲の言動はあまり感心しないものであった。


しかし、偲自身にとっては「年齢」という要素は他人に対する態度を変える要因にはなり得ないのか…全く意に介する様子は見られない。


「…あのなぁ偲。心の広~い俺だからあえて流すけどよ。

せめて「千賀せんがのじいさん」には優しくしてやれよ。

一応年長者なんだし…」


「いま、じじいは関係ない。そんな事より亜種体はどうなってる?」


「…我らがクラウンちゃんによる監視のもと亜種体は食堂に留まったままで動きはねぇ」


「亜種体の処分は?」


「‥‥マニュアル通りならクラウンが弱体化させた後、生徒等に止めを刺させる。まあ、本音を言っちまえば俺がぶっ殺してやりたいところだが‥‥」


「死体は処分したのか?」


「‥‥今は「保健室」に隔離してあるそうだ」


「それでいい。俺はこれから巡回に向かう。貴様は爺と職員室で待機していろ」


不必要な情報は省き、必要な案件についての確認を取り、最低限の質疑だけを行った偲は即座にその場を離れようとする。



『〈亜種体〉への対応』と『死んだ生徒の処置』



…現状この二つの問題さえ処理できれば、何の支障もない。


「食堂」を始め校舎内にいた生徒は全員避難させ、通常〈ゲーグナー〉の処理に向かわせた。

先刻、劇場においては『〈亜種体〉に対処できる生徒はいない…』と生徒等には伝えたものの、昨日の時点で〈亜種体〉に対抗できる生徒は数人ほど確認されている。


その中には保健室の女医を除く教師陣を超える力を持つ生徒もいるが、相手は〈亜種体〉故に万が一という事もある。


—————…そもそも、今は功を焦るときではない。



『アンドロイド=ナノマシン:クラウン』

校内の雑務と生徒の治療。

それらを一人で完遂する異常なまでに高い移動能力は女医の持つ戦闘能力に起因する。

その女医が対処に当たった時点で一つ目の問題の半分は解決したものと考えても良いだろう。そこから女医が〈亜種体〉の弱体化に成功すれば、再び治療に専念できるため死傷者が出たとしても大きな問題には至らない。


…それでも死亡者が出るというのならば、それは単に力不足であった…というだけ話である。



「————おい偲」


「‥‥なんだ」


出入り口へと向かった男を塩崎が呼び止める。

足早と出口に向かっていた男が振り返ると「この非常事態に…」という思念が見えてしまうほど苛立った表情を浮かべていた。


〈亜種体〉が現れた状況下で気持ちも分からなくもないが、感情が態度に表れる部分をみると「まだまだガキだな…」などと偲の外見に反した若さを塩崎は感じてしまう。それ故、塩崎が偲に掛けた言葉は彼の心中を慮ってこそ出た優しさであると同時に〈忠告〉でもあった。


「…その生き方、厳しくないか」


そう言葉を掛けた途端に偲の表情が固まる。

まばたきも呼吸もせず、時を止めたような表情からは偲という人間の意志が感じられず、まさに心此処に在らず…といった様子で偲は活動を停止する。


「————————」


しばらくして、一時停止させた表情を再生させた男は一言…


「…役割を忘れるな」


塩崎の言葉そのものが無かったかのように…そう言い残しただけで偲は背を向け、黒い外套を揺らしながら「文化棟」から姿を消した。


「‥‥むぅ」


外套が揺らめいた瞬間に細身の体が垣間見えたこともあり、塩崎は声にもならないような曖昧な不満の吐息を漏らす。


…とある事情から細身である偲は黒ワイシャツの上に灰色のベストを着込み、その上に黒い外套を羽織る事で自らの身体の細さを隠している。黒い外套に黒ブーツと上から下まで真っ黒で外套のフードから覗く色抜けた白髪と尖った目…と、総じて偲の外見は死神のようにも捉えられるだろう。


————…おまけに口が悪いからな…。


死神を想起させる外見に加え、厳しく、口が悪い。

Bクラスの生徒で偲という人物を良く捉える者は限りなく無に等しいと言えるだろう。



…しかし、彼らは偲という人間をまだ知らない。


頭の先から足の先まで(頭髪は白だが…)全身黒ずくめの死神の首元には紺色のラインが入った小豆色のネクタイが巻かれているという事。


あの見た目で珈琲コーヒーたしなむのが趣味だという事。


そして、外見に似合わず年齢は二十代前半だという事を…。




「…うし。いくか」


頭を掻きながら塩崎は「文化棟」の出入り口へと向かっていった。




—————————・・・——————————



「‥‥はっ‥‥はっ‥‥」


男は一人、校舎へと走る。

腕を振り、足を回転させ、息を荒立てて走る男の様子からは多大なる必死さが溢れ出ていた。


〈第一校舎〉から〈劇場〉…、そして「陸上競技場」へと飛ばされた男は目の前の〈ゲーグナー〉を無視し、現場を放棄して校舎へと向かっていった。


この「神様ゲーム」は【Rk】「100」を目指し〈願い〉を叶える…というものであり、そのためには〈ゲーグナー〉を倒さなければならない。


それにもかかわらず〈ゲーグナー〉から背を向ける…という選択肢は本来であればありえない事なのだが、そうせざるを得ない状況に男は陥っていた。


「マンション」とは正反対の場所に位置する「陸上競技場」へ飛ばされた後、校舎へ走った男は昨日の戦場であった渡り廊下から「第一校舎」の方へと向かい、上階へと向かう階段を駆け上がる。


———————…しまった。エレベーターの方が早かったか…。


…つい今までの感覚で階段を上る事を選択してしまった男は二階へ上がる階段を数歩踏んだ時点で後悔していた。彼の記憶に内在する「エレベーター」は目的の階によっては早く移動する事が出来るが、四階建ての校舎の三階を目指すのであれば自力で上がった方が早い場合が多い。      


だが、この世界に存在するあらゆる機器は性能が段違いに高く、この世界のエレベーターと彼の中に在る「エレベーター」は似て非なる代物なのだ。


「‥‥すぅ…」


多少の失敗は在れど男は走りながら呼吸を整え、三階まで駆け上がった男は目的地である「食堂」へと向かう。「大丈夫だ」と自らに言い聞かせながら男はここまで来たが、不安の種が消える気配はない。


『‥‥死んだ生徒はAクラスの‥‥』


…劇場のステージに立っていた死神のような外見をした偲という教員がそう言いかけた時、男は身体の中身が重力に引っ張られるような感覚に陥り、片膝を落として

しまう。…途中で誰かの叫び声が聞こえた気がしたが思考する男の耳には入らない。


———幸い、クラスメイト全員分の名前は把握していない。

————席の配置は五十音順ではなく、先着順のために法則性はない。

——————だから、もしかしたら…。


確約の無い「もしかしたら…」を信じて走ってきた男であったが、男の冷静な理性は真実を理解していた。


=====自分のせいで人が死んだのだと======



 男は食堂を見渡す。


赤い絵の具を塗りたくったような真っ赤なパラソルが立てられた八角形のガーデンテーブルがいくつも点在し、その周囲を数多くの出店が挟み、外観の景色を楽しみながら食を楽しむ場。


…それが男の知っていた「食堂」の風景であったのだが、少し見ないうちに「食堂」は一種の戦場と化していた。


轟く衝撃音に共なって砕け散るテーブルの木片と地面に敷かれたレンガ。

焼き焦げた赤黒いパラソルの切れ端が宙を舞い、巻き上がる煙と共に空へと消えていく。

出店の大半は崩壊しており、その多くが爆撃でも受けたかのように溶けた鉄片やガラス片、木炭と化した木片などが散乱していた。


「…!」


男は反射的にグラウンド方面へと視線を移す。

「もしや他の場所もこのような状態になっているのでは…」と懸念したためであったが、依然として「弓道場」や「文化棟」は健在で、グラウンドには多数の〈ゲーグナー〉と戦う生徒達の姿があるだけで明らかに食堂との被害度が異なる。


—————一体何が…。


そう思い、男が災禍と化した食堂へと向き直ると‥‥


『‥‥そこの生徒。ここで何をしているのです』


 首元が大きく開いた純白のワイシャツに灰色のタイトなパンツと白革靴。

黄金の糸にも匹敵するつややかな髪と宝石のような瞳を持った美しき者。

『美』という概念を象徴し得る美の化身、保健室の麗人が男の背後に立っていた。


「‥‥」


未だ鳴り止まぬ衝撃音。煙と焼き焦げた匂いが渦巻く食堂。


自身が何らかの災害元にいる事は間違いない。しかし、この緊迫した状況とは関係なく男は突然現れた彼女の美しさに言葉を失ってしまう。


…彼女と言葉を交わしたことが無いわけでもない。

だが、彼女から溢れ出る鮮烈な『美』の圧は男に危険意識を持たせるに値する脅威度があり、その分別としては「心の準備をしなければ会う事も視界に入れる事すらも恐ろしい」…という部類に属していた。


『…おや、あなたは…なるほど承知しました。』


言葉を失った男に対し、麗人は即座に事情を把握すると姿を消してしまう。


「その美しい体躯に一体どれほどの身体能力を秘めているのか…」と彼女が消えた隙に男は思考することで意識を解凍させ、心の準備を整えるために一呼吸おく。


「…ふぅ」


…男の準備が完了すると同時に再び麗人が姿を現す。


消えた二秒前とは何ら変わらない様子であったが、唯一違いがあるとすれば彼女の両手には男が求めていたものが抱えられていた。



—————————————・・・———————————————



絶対命令権による意識の停止が解け、灰原が目を開く。

足を踏みしめる事で焦げ茶色の柔らかな地面の感触を確認し、視線を前方の「第一校舎」へと向ける。


広大なグラウンドに浮かぶ黒い球体「ヌル」。

片腕に歪な形をした大筒を携えている四肢を持った人型「アインス」。

僅かに微動する生命をもった武装体「ツヴァイ」。


それらで構成された〈ゲーグナー〉の軍勢ともいえる集団が広大なグラウンドの四分の一を占めていたのである。


「———よ。熾凛」


「最上…」


平常時と変わらない様子で呼びかける男とは対照的に覇気のない声で灰原は男の名を呼ぶ。


「‥‥先に行くぞ」


…劇場で聞いた叫び声と憂鬱そうな表情から何かを察したのだろう。最上は灰原の肩に手を置きながら一言だけそう言い残すと、軍勢の方へと走っていった。


「‥‥」


しばらく最上の背を見送った後、灰原は【MLマテリアル】「竹刀」を現出する。


…自分の目で見たものが真実なのかもしれないし、真実ではないのかもしれない。

だが、劇場での行為は真実に耐えきる精神力が無かった自身の未熟さの表れだ。

昨日の自分がそうであったように、この世界は誰が死ぬのか分からない。


—————ここはそういう世界なのだから…。


真実を知るためにも、この世界で生きるためにも、

自らが成長するためにも、今は止まってはいけない…。


「…進むしか…」


続々と〈ゲーグナー〉へ向かって行く生徒達。

その背を見ながら灰原は一歩、一歩…と歩みを進め始める。





「最上さん! 加勢しますよ!」


「ほっ…ほっ。…おっ、カジか」


軍勢へと駆けていく最上に筋骨隆々の大男が合流する。

大きな身体に似合わず、意外にも綺麗なフォームで走る梶原に少しだけ驚きつつも最上は軍勢へと視線を向ける。


「今回は…結構多そうっすね」


「…そうだな…」


「どうかしたんすか?」


「いや…ちょっと前に熾凛の奴に会ったんだけどよ。

どうも様子がおかしくてな…」


「はぁ‥灰原の奴が…」


「カジ。お前、食堂で二人を探しに行ったときに何か見たか?」


「…いえ、それが特に何も…申し訳ないっす」


「そうか…。じゃあ、熾凛の奴は何か見たのかもな…」


「何か…」


—————死んだAクラスの生徒…。


Aクラスについてあまり知らない梶原にとって、最上と灰原の抱える案件はよく分からなかったが、もしかしたら二人に関わりのある生徒が死んだのではないか…という考えが浮かび、梶原は追及を躊躇してしまうが…


「…ま、考えても仕方ねぇ。とにかく手早く片付けて真相を確かめるしかないな」


…最上秀昇は止まらない。


「…そろそろぶつかりますよ!」


「うっし、俺たちが一番乗りだ。行くぞカジ」


「了解っす。最上さん!」


走ってきた勢いのまま男達は「アインス」に向かって飛び蹴りを決める。


「■◇※※!」



叫び声にも似た機械音を響かせながらアインスは吹き飛び、他の個体に激突する。攻撃されたことで二人を敵と認識したのか…機動力を持つアインスは距離を取り、ヌルは口を開いて噛み付き攻撃に出るが、武装体の「ツヴァイ」に至っては主だった動きは見られない…。


「…あの「ツヴァイ」って奴には近づくなよ。

何でも…近づく奴に攻撃してくるらしいからな」


「了解っす。あの黒い奴とロボットみたいな奴を先にやればいいんすね!」


「そういう事だ。

俺は怪我人が出たらそっちに向かうから…その時はお前に任せるぞ」


向かってくるヌルを素手でいなしながら忠告する最上。

それに対し、アインスにジャーマンをキメながら答える梶原。


肉弾戦だけでも十分に〈ゲーグナー〉と渡り合える二人だが、昨日の戦闘による経験も相まって盤石の連携を築いている。それは互いに在る信頼関係が創り上げた強さであり、ひとえに互いの力と人間性を認め合っている二人だからこそ見られる風景である。


「‥‥さすがに硬いか‥」


体勢を立て直した梶原はアインスの持つ強固な装甲に顔をしかめる。頭を潰す気で仕掛けたジャーマンも有効打にはならず、頭部から肩までを地面にめり込ませるだけであった。


「◇◆◆…」


肩から飛び出た突起が引っ掛かっているのか…地面から抜け出せずに四肢をジタバタさせるアインスを前に梶原は【MLマテリアル】の現出と同時に【Rsランクスキル】を起動する。


【ML】「竹箒」。【Rs】は「屍那畏シナイ」。


それは【ML】争奪戦において灰原に破れた梶原が竹刀の代わりに見つけた【ML】であり、創造されるものは「竹刀」なのだが、生徒手帳上の表記では「屍那畏シナイ」となっている。


通常の竹刀と異なる部分があるとすれば、色は竹炭のように黒く非常に頑丈であり、大きさや長さをある程度変える事が出来る…という点のみ。


その黒き竹刀は大男が死ぬまで所持していた赤黒い竹刀に類似するものがあり「竹刀」に対する梶原の【創造/想像イメージ】力が生み出した【Rs】であった。


「ふん…!」


現在の【Rs】「Lv:1」。


その不斬きらずの刃は剛力が合わさる事であらゆるものを絶ち伏せる殴打のつるぎと化す———。



「※※※※…」


…叩き続けること十度。

地面に埋まったアインスは見るも無残な形状となって活動を停止した。


「次…」


次の目標を捉えた大男は何の躊躇もなく全身で突撃を仕掛け、戦場を暴れまわる…。


「‥‥カジの奴やるな」


襲い来るヌルにタイミング良くアッパーを当てながら最上は周囲に目を配る。

他の生徒も続々と集まり乱戦状態となりつつあるが、大まかな人数を見るに全生徒がグラウンドに集まっている…というわけでもない。


—————…つまりは別の所に飛ばされた可能性もあるか…。


『‥‥最上』


覇気のない熾凛の姿を思い出しながら最上は推測を立てるが、灰原があのような状態になった原因が分からない以上、推測を立てたところで机上の空論に過ぎない。


「…どっちか…っていう選択肢に至るにはまだ情報が足りないか…」


自身の心に言い聞かせるために最上は独り言を零す。


〈時に人の心は言葉を唱えなければ理解できない事もある〉


自らの経験則から学んだことを実践し、男は迷いを振り切る。

友人ともいえる男に「先に行く」と言ったのだ。


そんな奴が進んだ先で迷っているなど‥‥男として格好悪い。





 地を這う熱線が空を裂く。

昨日は疲労のあまり満足に避ける事すら出来なかったが、今日の灰原は難なくこれを避け続けアインスの防御力を削っていく。


〈砲撃の度にアインスの防御力は低下する〉


塩崎の授業から学び【Rkランク】の上昇により「Lv2」となった灰原の【Rs】「剣SS」。


しかしながら、防御力が最高値にあるアインスの装甲を打ち破れるかは現時点では分かっていない。直前に戦ったヌルと対峙した際に創造を行ったところ…以前も素早く「両手剣」を創造できたことから【Rs】強化による恩恵を感じてはいた。


…だが、その威力を試す機会にはまだ恵まれてはいなかったのだ。


「‥‥すっ‥」


呼吸を整え、熱線の威力が低下したのを好機と見た灰原は大量の酸素を取り込むことで精神を研ぎ澄まし、素早くアインスの懐に侵入すると同時に創造した両手剣をアインスの胴体に突き出す。


「———————」


その刹那、男の脳裏には敗北の風景が映る。


疲労困憊。無知。無策。


そんな状況の中でアインスに挑み、為す術もなく敗れた上に危うく死にかけた。

空虚な男は自らの純粋な無力さに打倒され、初めての敗北を知った事だろう。


それは忌むべき【敗北】であると同時に愛すべき「失敗」だ。


本来それらを乗り越える事で人は成長し得るものなのだが、事実としては空虚な男が【敗北】を対処する術など知るはずもない。


…それでも男はそのすべてを事で進む道を選んだ。


その一歩目は文字通り苦汁を飲むような思いであったが、不思議と悪くない苦みであった事を男は鮮明に覚えている。


ただのありきたりな真理の内の一つに辿り着いただけなのかもしれないが、その背景としては無自覚ながらに〈灰原熾凛〉という人物が精神面での成長を遂げたことが大きな要因ともなっていた…。


「ふぅ…」


確かな手応えから思わず零れた吐息。高揚を説き伏せるために行った動作は再び冷静さを取り戻させ、灰原は視線をアインスの頭部へと向ける。


「‥‥※…※」


突き出した灰原の刃は見事にアインスの身体を貫通していた。

一撃で生命を絶ったのか…既に婉曲した目からは光が失われており、剣を引き抜くと力無く地面に沈んでいった。


「‥‥次だ」


灰原は見事に雪辱を果たした。

しかし不思議なことに、その心中には達成感と類するものは在れども満足感はない。


理由は分かっている。

純粋な力量や知識の豊富さだけではなく、自己という核をもった者たちが存在する「神様ゲーム」において自身が最も劣った存在である事を明確に理解しつつあったからだ。


…紅葵 蒼との出会いにより自身の「無知」を理解し、彼女との関わりを通して人間としての生き方と人間の世界を知った。


…梶原 宗助の人生からは生きる世界によって生まれる価値観と人生を歩む上での人間の「不自由さ」を知り、『生きる事の重さ』と自身の未熟さを改めて実感した。



 僅か二日で知った「人」であるという事。

人として生きる事。そして、この世界で生き抜く事は同一であっても同位ではない。

この世界でしか学び得ないものがあり、生まれる価値観がある。

ここにいるのは生者であり、生者でない者も存在する世界。


===…そして、誰もが「死」に直面しうる世界でもあるのだ。===


「‥‥!」


無駄な思考を吐き出すように首を振り、呼吸と共に灰原は意識を切り替える。すると、時を同じくして聞き覚えのある声が灰原の耳に流れ込んできた。


「‥‥ごめん、雨崎ちゃん」


「大丈夫です! それよりも早く校舎の方へ…」


——————どこだ…。


微かな声を頼りに全神経を集中させた灰原は乱戦状態となったグラウンドの中、奇跡的に声の主を発見し急いで駆け寄っていった。


「…蒼!」


「熾凛…」


深刻そうな彼女の表情を見た途端、灰原はとてつもない不安感に襲われる。


——…どこか怪我をしたのか?


———‥‥怪我をしたならばどの程度の状態なのか?


積み上げられた不安により灰原の脳内で様々な疑問が打ち立てられ、反射的に彼女の様子を観察したところ…主だった怪我はない。


「…ふぅ…」


目に見える事実から徐々に冷静さを取り戻し、灰原は彼女に尋ねる。


「…何かあったんだな?」


蒼の顔——そして確認のために雨崎へと視線を移す。

既に事情を把握しているのか…彼女も困惑したような様子でありながらも静かに頷いていた。


「実は…私の【ML】。戻ってこないの…」


「…戻ってこない…」


首を傾けながら灰原は彼女の言葉を繰り返す。

【ML】「御神札おふだ」はあるじである蒼の意志によって行動する。

彼女の【Rs】「EXTRAエクストラ」はそれらに因子を与える事で攻撃・防御・回復…さらには探知を行い、昨日の戦闘や食堂での捜索に大きく役立っていた。


——————まさか…【ML】が消失したとでもいうのか…。


自分の手に握られた「竹刀」に目をやりながら灰原は予測を立てる。


————‥【ML】自体が大きく損傷した場合、一体どんなペナルティがあるのか。

———‥そもそも【ML】に損傷はあるのか。

——‥現出前の【ML】は一体どこに存在するというのか…。



…考えようとも思わなかった【ML】本体の性質。

今までは【Rs】ばかりに気を取られていたため【ML】本体について深く考える事がなかった事もそうだが、その一番の要因とも言えるのが…塩崎からの説明が無かったことである。


「…御神札を攻撃されたのか…?」


———————…まずは損傷についての問題だ。


そう思い至った灰原は原因を解明するために順を追って問題に対処しようとするが、彼女からの返答は全くの方向違いのものであった。


「ううん…そうじゃないの熾凛。

ここに来てから【ML】が出てこなくて…まだ「食堂」に在るんだと思う…」


「…つまり…それは…」


【ML】の消失ではなく、問題は【ML】の現出不可。


そして、彼女によると現在「御神札」は〈食堂〉に在るのだという。


つまりは彼女がグラウンドにいるにもかかわらず【ML】は未だ「食堂」に在る…という事になるのだが…


「【絶対命令権】…」


…否、それは逆だ。


事件が起こる間際、戻って来ない二人を探すために蒼は【ML】を展開していた。

その状態のまま【絶対命令権】によって強制移動させられた結果、彼女だけが劇場にとばされてしまい、【ML】だけが食堂に取り残された状態になってしまったのだ。


「…うん。たぶん…それのせいだと思う…」


苦々しい表情を浮かべながら彼女は第一校舎に視線を移す。

現在、灰原達がいるのは第一校舎とは正反対の位置であり、グラウンドの端から第一校舎までの距離を一直線で表すなら…その中間地点よりも灰原達は手前の位置にいる。目測だが距離で言えば100m以上ある…と言っても過言ではないだろう。


〈【ML】「御神札」は主である蒼の意志によって行動する。〉


…それは彼女の意志が届く有効範囲内の話であって、範囲外になってしまった「御神札」は彼女の意志では戻す事が出来ない…という事になる。



そして、この時点で分かった【ML】の重大な性質の一つは、

現出させた【ML】は実際にある物体と同じように「存在」しており、少しでも距離が離れてしまえば現出させた【ML】を再現出させることは不可能…という点。


自由に現出させることが出来るために失念しがちな性質だが、

【ML】とはあくまで実際に存在する物体であり、どこからでも自由に出し入れ可能…といった応用の利くものでは無い。


今回のように一度手放してしまうと創造も出来ずに丸腰になってしまう恐れもあるのだ。


「‥‥むぅ」


偶然起きた災難とはいえ、今後も起こり得るような事態に灰原は顔をしかめてしまう。


「…でも、私はちゃんと使えますよ」


…すると気を遣ってくれたのか。背を向けた雨崎が自らの「ランドセル」を見せてきた。


革であしらわれた紅のランドセルは二つの背負い紐を肩にかけることで装着する仕組みとなっており、背中から見た左右と下部の角張った形態は安定して荷物を運ぶための構造とみられる。また下部の錠前部分を始めとした間接部位に見られる金具の形状からは好奇心をそそられるものがある…。


「‥‥はっ…」


彼女の【ML】をまじまじと観察する機会が無かったために灰原は思わず見入ってしまったが、唐突に我に返り、思考の末に理解した情報を開示する。


「…おそらく雨崎の場合は身に着ける【ML】だったから難を逃れたのだろう。

しかし、蒼の場合は【ML】を散開させた状態で移動させられた事で【ML】との繋がり…のようなものが絶た…いや、薄れてしまったのだと俺は考えている。」


そして、灰原はこれから取るべき行動を考えつつ蒼の方へと向き直る。

繋がりが「絶たれた」ではなく「薄れた」と言い換えたのには訳がある。

それは彼女の言ったある言葉が証明していた。


「…御神札との繋がりは完全に解かれたわけじゃない。だから、大まかな場所が分かっているのだろう?」


「ええ。距離があるから映像も音も朧げだけど…御神札との繋がりは確かにあるわ」


不敵な笑みを浮かべながら尋ねる灰原に対し、彼女は人差し指を軽く頭に当てながら自慢気な顔でそう返すものの、…そのキリッとした口元や爛々と輝く目。逆八の字を描いた眉からは喜びが滲み出ている事から「とても丸腰で戦場に立っているとは思えない顔だ…」と本人を除いた二人がそう感じてしまったのは当然の流れにも思える…。


「…それで、これからの方針だが…」


灰原は再び「竹刀」から「両手剣」を創造し、第一校舎の方へと振り返る。

【ML】との繋がりが距離的に増減するならば、可能な限り食堂との最短ルートを目指すべきだ。


もちろん安全に向かうために遠回りをする…という選択肢もあるが、この状態を長時間続けるのは彼女の精神面においても得策ではない。


今は強がっているが、武器も無く戦場に立つというのは非常に恐ろしい状況だ。

今までは雨崎に守ってもらっていたようだが、雨崎にもしものことがあれば彼女の命も危うかったはずだ…。


そのため最短ルートで進みつつ、可能な限り彼女を食堂に近づけるためには「高さ」も必要となってくるが、それは灰原には用意できない。




「…俺が護衛役を務めよう」


…故に灰原ができることは防衛の一択である。





「————いきますよ。蒼ちゃん」


「…ゆっくりね。雨崎ちゃん、おねがいだからゆっくりね…」


若干声を震わせながらも蒼は雨崎が創造した機械仕掛けの巨腕に収まり、もう三本のかいなを展開させた雨崎は起立の姿勢を整える。丸腰の人間を前線に出すのは危険が伴うため、守りと移動を雨崎の「アンドロイド」で補いつつ進行方向に迫るゲーグナーを灰原が迅速に迎撃する。


ヌル程度であれば雨崎の「アンドロイド」でも十分に対処が可能…との事なので、灰原は遠距離攻撃が出来るアインスを重点的に注視すれば良い。


「…いくぞ。二人共」


呼吸を整え、視覚と聴覚に意識を集中させる。

守るべき者がいる以上、灰原に失敗は許されない。

「死」はもちろんの事、負傷も、見過ごしも…あってはならず、迎撃に当たる際も二人と一定の距離を保たなければならない。

更には短期の戦闘を要求されるため、先程のように余裕をもってアインスに対処することは出来ない…。


——————これは挑戦だ。


強化された【Rs】を試す絶好の機会、…と言えば聞こえは良いかもしれないが、ある意味では再び己の限界に直面するとも限らない危険な賭けともいえる…。


何はともあれ目的はあくまで「迎撃」であり、対象の「討伐」ではない。

無駄な戦闘は極力避けたい状況の故に「撃退」でも良い。


〈ゲーグナーとの戦闘は個人戦ではなく団体戦〉


失敗から得た教訓を頭に置きながら灰原は今後を見据えた戦い方に臨む。


「…はい!」


元気よく返事をした後、雨崎は三本の腕で宙へと舞い上がり巨腕に収まっている蒼はさらに上へと上昇する。


「‥‥‥~~~っっ!!」


…何か聞こえたような気がしたが、灰原の耳にはもう届かない。

守りに徹する以上、冷静で素早い判断と広い視野が求められる。

無論初めての試みではあったが良いお手本を観ていたからこそ不自然な迷いは感じられなかった。


「…進藤…」


そう小さく呟いた後、灰原たちは前進する。



先陣を切るのは未熟な黒髪の剣士。

それが守護するのは大小異なる機巧のかいなを操る担い手の少女と金色交じりの茶髪を風になびかせる丸腰の乙女…。


「…はやく…ついて…」


蒼褪める乙女を抱え、機巧の腕は戦乱渦巻く大地を闊歩する————。

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