14.「迷走 」


「じゃあ、僕は二人の監視に戻ります。」


「…いや、あの二人は敵じゃないからね。進藤氏。」


俊敏に走り去っていく進藤に冷静に突っ込んだ後、緋色の男はボンタンのチャックを下げる。


「…で、どういうつもりなんだよ。最上?」


下を向きながら志村は左隣に立つリーゼントの男に質問する。

「食堂」に着いたのも束の間。藪から棒にトイレの場所を尋ねたかと思えば、自分と進藤を連れていく形で男はあの二人を席に残した。その行為自体もそうだが、志村の内心では芝居をしているとは思えない自然な演技をしてみせた最上もがみ 秀昇ひでたかという男に違和感を抱いていた。


実際には違和感…ともいえるのかは分からない。

鏡に付いた小さな埃のように些細ではあるが気になってしまう要因を感じてしまったのである…。


「ん…? 何のことだ。」


「おいおい、とぼけるなよ。さすがに何の説明もねぇとよ…ちょっと納得できないぞ。」


ボンタンのチャックを上げながら最上は何食わぬ顔で聞き返し、手洗い場へ向かう。その背を追おうと志村は用を急ぐが足すには至らず、その場に踏み止まる。


「まぁ、そう急ぐなって…。

さっき来た進藤の報告だと、もうちょい時間が掛かりそうだし…。

そうだな、二人は先に昼飯選んで来てくれ。多分戻ってきたら分かると思うし…」



『残った二人の様子が気になるから…進藤、見てきてくれないか。』

『了解しました!』


三人がトイレに向かう道中、テーブルに残った二人の様子を見てもらうように最上が進藤に頼んでいたのだ。

…なぜだか分からないが、進藤は少し喜んだ様子で承諾してくれた。


「むぅ…まぁ良いけどよ。ヒントだけでも教えてくれよ。」


「ヒントか…」


ペーパータオルで大まかな水気を拭き取り、手に残った水気を染み込ませる形でボンタンを叩く最上。そして、しばらく鏡を見つめた後に一言…、


「仲直り…だな。」


「…は?」


予想外の返答に志村は思わず最上の方へと視線を移す。

あの凶暴そうな見た目の大男と純粋無垢な灰原。

正反対ともいえるあの二人がどういう経緯でそんなことになってしまったのか…と志村は考えを巡らせるが全く見当が付かない。


「…仲直り…ねぇ…」


そう呟いた後、志村は上げ忘れていたチャックに手を伸ばす。



———————————・・・



「…まぁ、人生こんなもんだ…」


どこか気恥ずかしそうに自らの人生を語り終え、大男はそっぽを向く。


…特殊な力を持った「能力者」という「力」を持った存在が生まれる世界で「力」無く全てを失った梶原少年は「強さ」を求め、『未来』に備えた。だが、その過程で「強さ」に囚われた男の最後は今まで歩んできた道が報われるものではなかった。


梶原宗助という一人の人物が歩んだ道。

「四十五年」の月日をかけて臨んだ自身の選択。

それらが間違いであったと悟った時、一体どれほどの絶望に男は身を焦がされていたのだろう…。


「‥‥。」


灰原は下を向いたまま自身が抱いていた「人生観」について考えを改め始める。



————…望んだ通りの結果が得られるわけでも、望んだ終わり方を迎えられるわけでもない。幸や不幸。そういった見えない力でも左右されてしまう不条理で、理不尽に満ち溢れていて…振り返る事は出来ても、決して後戻りは出来ない一方通行の道…。



梶原の人生を聞き、灰原が学んだ「人生観」。

それは「残酷」という明確な言葉では表現できない…固定化された「人の有限性」であり、そこから行き着いた【不自由さ】であった。




「————本当に…間違いだったのだろうか。」


「…あぁ、間違いだった。全て無駄だったのさ…」


「‥‥」


思わず呟いてしまった灰原の言葉に眉一つ動かすことなく梶原は静かに答える。

「あの選択は間違いであった」ではなく「全て無駄だった」と彼の中では既にそのように結論付けてしまった事なのだろう。本人がそう言うのならば、その結論に口を出す権限は灰原にはない。だが、複雑に絡みついたわだかまりが灰原の心中で見事にくすぶっていた。


—————「力」を求めた男の選択は間違いであったのか…。


梶原の分岐点ともなった幼き日の選択。

彼の生きた世界と時代背景を踏まえて考えてみても、実際に体験したのは彼自身であるために現段階ではこの解答は出せない。…であれば順を追って考えていくとしよう。


—————…まず、「力」を求める事は間違いなのか。


これは難しい問いだ。

「力」と一口に言っても梶原が話したように「力」に意味を持たせなければ、それは周囲に恐怖を与えるだけの脅威でしかない。

「力」に意味を持たせる…というのも具体的には分からないが、梶原の話を例に大まかに言い表すならば「力」に目的を持たせる事。

つまり、ある目的のために得た「力」をその目的のために使用する…という事なのだろう。


…この問いに対する灰原の答えとしては「力」を求めることは間違いではなく、「力」の方向性ともいえる「目的」によって合にも否ともなる…というのが妥当な見解ともいえる。


—————では、これを自身に当てはめるとしたら…どうだろう。


昨日の戦闘を思い出しながら灰原はさらに考えを深める。

人型〈ゲーグナー〉「アインス」に為す術なく敗れ、危うく死にかけた事で蒼や進藤を始め周囲に迷惑をかけ不安にさせてしまった。

自らの力の無さを悔やむ気持ちは確かに存在し、自身が「力」を求めていない‥と言えば嘘になる。だが、その悔やむ思いよりも別の要因が灰原の中にはあった。


…昨日の戦闘で見た圧倒的な「力」。

それは紅葵蒼の持つ【Rsランクスキル】「EXTRAエクストラ」であり、その強さを間近で見てしまった灰原の中には自身の無力さを悔いる思いよりも好奇心から生まれた「力」への憧れの方が勝っていたのである。


——————憧れから生まれる「力」への欲求は間違いなのか…。


「力」への欲求。

それが自らの好奇心から派生したものであるというのならば、例え「力」を得たとしても…その「強さ」は周りにどう捉えられてしまうのだろう。

梶原のように「脅威」と捉えられてしまうのか。

…それとも別の何かに捉えられるのか。


——————どう捉えられれば正解なのだろう…。


「脅威」とは違い、より良く見える「力」の姿とは一体何なのか。

本題からは少し脱線しているが…行き当たってしまった疑問に灰原は思考を費やす。


…そもそも一口に『良い』といっても、個人でその解釈は大きく異なってくるものではないか。経験や知識から構築される個々の考え方によっては大きな差異が生じる場合もある。簡潔に述べるのならば「力」を持つ者の姿とは、見た者の考え方次第で変わると言っても過言ではない…という事だ。そう言い切ってしまうと正直この疑問は今の自分では答えられそうにない…。



それでも、ここまでの思考で灰原は納得のいく解答を得る事が出来た。



「‥‥梶原。それでも俺は…お前の選択は間違っていないと言うぞ。」


「…は…?」


先程までしんみりと冷めていた梶原の表情が強張り、怒りを露わにする。

無理もない。何も持たない空虚な男の吐いた言葉は苦い体験を経て結論付けた自身の答えを全否定するものに他ならない。

幼き少年が求めた「強く」在ろうとする願い。

男が人生を懸けて掴んだ「最強」の名を冠した「力」。

少年が願い、それを叶えた男の人生を…死を経た男は『全て無駄だった』と言った。


それでも灰原は「力」を求め「強く」在ろうとした「梶原宗助」という人物の願いと選択は間違いではないと言い切ったのだ。


「おい。憐れんでるつもりなら…ちょっと口が過ぎるぞ。」


「…根拠はある。」


嘘ではない。根拠は確かにある。それは先程までの思考の間に確かに存在した。


「力」を求める事そのものは間違いではなく、その「目的」によって善悪と合否は変わってくる。その「目的」は自己から生まれたものか…他から生まれ出たものか…によって異なるものであり、どちらから生まれ出たとしても善悪と合否の判断を決めるのは「自己」であると共に「他」であるのだ。


梶原が「自己」の願いと選択を間違いだと否定し、その『全てが無駄であった』と言うのならば、彼の人生と願いの正しさは「他」である灰原が「間違っていない」と証明する————。


「確かに結末は望んだものでは無かったのかもしれない。

死ぬ間際の梶原がどれだけ苦しくて、どれだけ絶望したのか…俺には全く分からない。でも、その絶望も苦悩も…全部お前だけの物だというのは分かる。


だから俺はあわれんだりしない。共感なんてもってのほかだ。


それでもな…梶原。俺はお前の願いと選択が間違っていたとは思わない。

その過程で強くなることに囚われてしまったと言っても…その根底にあったのは亡くしてしまった「友人」だ。結果として、周囲はお前の「力」の根底にある願いや「力」の意味が分からなくて…ただの「脅威」になってしまったのかもしれない…。それでも「最強」を冠したお前の「力」は他人の理解が及ばないほどに完璧で、強固で、とても誇らしいものであったはずだ。

「三十五年」もかけてきたんだ。それが他人に理解されるには時間が掛かるだろうし、時間を掛けても分からないものなのかもしれない。


それほどまでに梶原宗助という人間が積み上げてきたものは、

まっすぐで、高くて、遠くて…尊いものなんだ。


誰かのために「強く」在ろうと願い、それを叶えた姿は誰もが到達できるものではないと俺は思う。その大きな身体を持ったお前だから辿り着けた場所なんだ。

だから、それを…自分の歩んだ人生を「無駄だ」なんて言うな。お前が造り上げた「人生」は俺が失くしてしまった掛け替えの無いものだから…」


「お前‥‥一体…」


梶原は動揺した様子で目の前の男を見つめていた。言葉の全てを理解できたわけではないが言葉に秘められた思いに梶原は心打たれていた。


ここまで自分の為に考え、言葉を重ねてくれた男は気付いているのだろうか。まっすぐにこちらを見つめる瞳が涙で溢れていることに———。


「‥‥どうしてだ。お前は俺の人生を聞いて…一体何を見たって言うんだよ‥!」


動揺が表れないよう…必死に表情と声色を固めながら梶原は灰原に尋ねる。数秒の間、顔をしかめるほど懸命に考えた灰原の口から出た答えは単純だが想定外の言葉であった。


「‥‥『価値』だ。」


「価…値…?」


「…あぁ、そうだ。お前は少年期の自身が望んだ「強さ」を手にし「強く」在り続けられた。その結末がジシン…なるものの自然現象による偶然か。「能力者」による人災かは分からないが、お前は死を間際にして自分の過ちに気付いた。もし仮に梶原がそこで死ななかったとしたら、お前の人生は変わっていたのかもしれない。新たな「友」を得て、「友」のための「強さ」を築く事が出来ていたのかもしれない…。

そうでなくても俺は梶原宗助という一人の人間が歩んだ道を間違っていたなどと思わない。その…上手くは言えないが、お前が「間違っている」と否定し、それを聞いた俺までその人生を「間違っていた」と受け入れてしまえば、梶原宗助という人間が築き、磨き続けてきた『価値』が報われない…と俺は思ったんだ。」



…要するに勿体ない、という話である。

せっかく走り続けても結果に出なければそれが無駄になる…などあって良いものか。どれだけの研鑽を重ねても、それが良い方面に向かわなければ無駄となるのか。


————————いや、そんなことがあって良いはずがない。


時間と労力をかけ、体と心を擦り減らして継続してきたもの。

人の「努力」とは、その成果が出なければ「無駄」になるのか。それはあまりにも不条理だ。

そして、自らが築き上げてきた「努力」を自身で打ち捨ててしまう事。

男の駆け続けた「三十五年」。まだ二日しか生きてはいない〈灰原熾凛〉にとって、その月日を「間違いだ」と打ち捨ててしまう事が堪らなく勿体無いと感じてしまったのだ。



—————人の歩む「人生」。長く、険しく、予測も出来ない事が沢山ある道を地図も無しに進むのだから道を踏み違える…という事もあるだろう。

誰だって「失敗」よりも「成功」の方が良い。

だが、一つの失敗も無い人生よりも「失敗」し、それを乗り越えて「成功」する人生の方が誇れる「何か」を感じられるのではないだろうか…。



「‥‥。」


何も知らない若輩者で記憶も知識も経験もない空虚な存在が一人の男の人生を聞いた素直な意見。


それが梶原にどう伝わったのか‥と心配そうな面持ちで灰原が見つめていると、


「‥‥そう…か。そういう考えも…あるのか…?」


怒りを鎮め、パッ…と明度が一段階上がったような安心した様子で梶原はそう答えた。不器用ながらに伝えた灰原の思いは彼に届いたようである。


「…ふぅ」


怒りを表し始めていた梶原に緊張していた灰原はその表情を見て安心したのか、小さく息を吐いていた。






「…ところで、どうしてその話を俺に‥?」


一段落着いたところで灰原はとある疑問を梶原に問いかける。

突拍子もなく梶原が話し出したために聞く機会が無かった事や灰原自身も梶原の話に熱中してしまい、今まで聞きそびれていたのだ。


「…それは…昨日ちゃんと話してやれなかったし…」


…確かに昨日の【ML】争奪戦の後、なぜ梶原が「竹刀」に拘っていたのかを尋ねた灰原であったが話の最中に【ML】の提案をした事で結果的に話の腰を折ってしまったのである。


——————どうやら気を遣わせてしまったようだ…。


内心で反省しながら再び梶原に視線を向けると、大男はもどかしそうな様子で灰原の目を真っ直ぐ見つめて一言。


「それに詫び…入れようと思ってな。」


「…へ…?」


男の口から出たのは思いもよらぬ一言であった。

【ML】争奪戦の際に起きた「武道場」での一件については既に解決していた案件であったため、不意を衝かれた灰原は変な声を上げてしまう。


「いや、あの件は既に解決していたのでは…」


「いや違う。そっちじゃねぇんだ…」


「?」


先日殴られた左頬に手を当て、梶原の足元に視線を落としながら灰原が返答すると梶原は食い気味に否定した。


「…くそ…何て言うんだろうな…」


「??」


そう一人で呟く梶原を前に灰原が左頬に手を当てながら首を傾げていると、口から言葉が出てこないもどかしさに辛抱堪らなくなったのか…破裂したように声を張りながら梶原は言葉を吐き出した。


「…俺はお前に負けた。

「力」も持たない、ただ普通の人間に俺は負けたんだよ。

ガキの頃まで戻っちまったから思うように体が動かねぇし、俺はお前に負けたことが受け入れられなかった。でも…お前の策にまんまとハマったのは俺だ。

最上さんも言っていたが、お前は戦う前から俺を観ていたんだろ。

俺の性格と戦闘スタイル。そんで心まで見透かしたようなあの動き…!

最後の一撃で俺自身も心のどこかで思っちまったんだよ。「こいつには敵わない」って…!!」



「なんだなんだ…?」 「え、喧嘩?」 「びっくりした…」



突然大声を上げた大男に周囲の生徒達が反応をみせる。全校生徒の大半が集まる「食堂」の中でも目立つ梶原の巨体。それが今回は悪目立ちしていた。


—————これはまずいな‥。


周囲の声や表情から灰原は瞬時に理解する。


…筋肉質で大きな体。相手を射殺すほど眼力の籠った目。

…側面から後頭部にかけて刈り上げられ、「X」印の剃り込みの入った頭。

…ワイシャツから剥き出しになっている二つの剛腕。


それらの威圧的な外見はかつての自分がそうであったように梶原宗助という人物の第一印象を「怖いもの」として見てしまうだろう。


——————それは梶原宗助という先人に酷く失礼だ。


「‥‥。お前は何を伝えたかったんだ?」


「‥‥そうだな」


剛腕に触れながら挑発するように尋ねた灰原の言葉は悪い方向に熱中していた梶原を引き戻すに至る。


「ふぅ…」


冷静さを取り戻した梶原は大きく息を吐いた後、ゆっくりと立ち上がり本当に伝えたかった言葉を灰原に伝える。


「…灰原。俺を倒してくれてありがとう。これで俺は、やり直せる…!」


普段から…いや、生前から笑い慣れていないことが分かってしまう程の不格好な笑みを浮かべ、彼は灰原にお礼を述べた。それは見る者によっては不気味にも感じてしまうのかもしれないが、その時に見せた彼の顔は確かな「希望」に満ちていた。


「…そうか。…あ、そういえば…」


その笑みにつられて灰原も少しだけ表情を緩めながら返事をした後、とある事を思い出してブレザーの内ポケットに手を滑りこませる。


「…なぁ梶原。「クラスメイト」登録というものがあるのだが…」


灰原の手には〈生徒手帳〉が握られていた。






「よう二人共。待たせたな。」


「最上さん。お帰りなさいっ!」


「おかえり最上。他の二人はどうしたんだ。」


「クラスメイト」登録を終えた頃、トイレに向かっていた最上が戻って来た。だが、進藤と志村の姿が見えず灰原が尋ねると、


「ん? 人数も多いし二人だけ先に昼飯取りに行かせた。それに…そろそろ雨崎達も戻って来る頃だろうしな。」


「なるほど…」


元々人数も多かったこともあり、二人が昼食選びに向かわせたことに関しては確かに一理ある。だが、初めは小さかった灰原の違和感は梶原の話を聞いてから徐々に膨れ上がっていき堪え切れずに灰原は最上にとある事を尋ね様子とするが…、


「ただいま熾凛(さかり)。おまたせ!」


「皆さん、お待たせしました!」


…先に昼食を取りに向かった蒼と雨崎が戻って来たこともあり、最上への質問は別の機会にすることとした。



「おう。二人共…どうした雨崎、そんなに飯抱えて…」


「え…あの…これはですね。‥‥そう! 皆さんにと思いまして…」


沢山の容器を抱えた雨崎に最上が尋ねると、慌てふためきながらも彼女はそう返答する。抱えている…と言っても正確には彼女の【MLマテリアル】である「ランドセル」から飛び出した機械仕掛けのかいなであり、五本の腕を器用に扱いながら雨崎は自身の昼食の他に細く切り刻まれた野菜の入った器やピッチャーに入った水。更には取り分け用の皿などを持って来てくれたのだ。


「ありがとう、雨崎。」


「いえいえ。」


「…ところで雨崎の手に持っているのは何という食べ物なんだ?」


「え、これですか。うどんですよ。」


「〈うどん〉…。不思議な響きだな。」


「そ…そうですか?」


「蒼のは?」


「私のはサンドイッチよ。」


「サンド…イッチ。そうか…。」


「?」


「うどん…サンドイッチ…」と小さく呟き続ける灰原を不思議そうに見つめながら器用に機械仕掛けの腕を使い、持ってきた野菜を皿に分け始めていた。


「…じゃあ。女子たちも戻って来た事だし…俺らも昼飯取りに行くとするか。」


「あぁ、そうしよう。」


少し食い気味に灰原が返事を返すと、最上が誰かに似たようなニヤリといた笑みを浮かべて出店へ向かう。最上に続くように灰原がその背を追うと最上が振り返り一声。


「…ほら。何してんだ。行くぞ、カジ!」


とても清々しい笑みを浮かべて最上が友の名を呼ぶ。その姿に大男が何を重ねていたのかは分からないが、鼻息をフッ…と吹いた後に梶原宗助は元気よく返事を返す。

「待ってくださいよ。最上さんっ!」


大男は駆ける。

失ったものは元には戻らない。失った痛みは一生消えない。言葉の上では当たり前の事なのかもしれないが、その痛みは誰もが等しく味わう…というものでもない。

それは幸か不幸か。運や偶然、運命により定められる…と考える者もいる。

だが、ことわりはどうであれ…人は【痛み】を抱えて生きている。

その【痛み】とどう向き合うのか。【痛み】と出会い、乗り越えるのが人生で、それを乗り越えるられないのもまた人生。


少年は【友】を失った。それから一生【友】を得ることは無く、男は孤独のまま死んでいった。


———————それから…男は再び『友』を得た。



———————————・・・―――――――――――



『こんにちは、灰原様。ご注文はお決まりでしたか?』


梶原、最上、灰原の三人は各々が昼食を選ぶために一度別れた。

そこで灰原は「食堂」を囲む出店を一つ一つ観察しながら気になった出店で昼食を頼もうと考えていたのだが、目につくもの全てが灰原の食欲と好奇心を煽(あお)るように高貴な光を放っており、灰原の昼食選びが難航していた所で金髪の麗人…「保健室」の麗人ことアンドロイド=ナノマシン:クラウンの分身が灰原を呼び止めたのだ。


…勿論、本物の分身というわけではないが、彼女の持つ高速移動が可能とする精確な残像の質は実体と見分けがつかないほどの代物であった。


「こんにちはクラウン。すまないが、昼食はまだ決めかねているんだ。」


『それは失礼致しました。宜しければメニュー端末をお渡し致しますので、そちらも参考にしてください。』


にこやかに笑みを浮かべる麗人に灰原がそう答えると、麗人は丁寧に御辞儀をして端末を灰原に差し出してきた。


…よく見れば【白衣】の代わりに黒エプロンを身に着けており、下に着ている白ワイシャツと黒いパンツとの相性も良い。

そんなエプロン姿の麗人が軽く頭を下げる所作に至る動作の一カットが「美」の結晶であり、ゆらり…と体の動きに応じて揺らめく黄金のシルク髪は思わず溜め息をついてしまう程に美しく、思わず頭を下げられた方が頭を下げてしまっても不思議ではない。


「…そうだな。ありがたいけど、俺はもう少し見て回るとするよ。」


…だが、灰原にその「美」は通じない。


『畏まりました。それではごゆっくりと…』


二コリ…と笑い、軽く礼をした後で彼女の分身は姿を消した。おそらくは調理や他の生徒の接客に当たったのだろう。次なる出店に向かうため、灰原が移動を開始すると…



~~~ジュワッッ…ピキパリピキパリ…~~~



どこか遠くから流れてきた食欲をそそるような音と芳ばしい匂いに灰原は歩みを進めていた。




 白い粉で包まれた物体が高温の油に流し込まれる。

物体と油が接触した瞬間、高温に熱された油と白い物体の温度差によって弾ける油の音が食堂内に溶け込んでいく。

それは食欲を掻き立てる食魔の囁きであり、油に食物をぶち込む…という人類が発見した何とも罪深き調理法によって生み出された食物のビートである。


『‥‥先程振りです、灰原様。お店は決まりましたか。』


「すんすん…」と空腹によって微量に研ぎ澄まされた嗅覚を頼りに出店の前に辿り着くと、麗人の分身が再び灰原の前に現れた。


「ここは何のお店なんだ。匂いを頼りにここまで来たのだが…」


『…こちらは『揚げ物』を中心に販売しているお店になります。』


「あげもの…。それはどういった料理なんだ。」


『そうですね…。簡潔に説明させて頂きますと、食材を高温の油に浸す「揚げる」という調理方法を行った料理になります。』


「揚げる食材は何でも良いのか?」


『いえ、別段何でも…と言うわけではありません。食材によって油を吸収しやすいものや揚げるという調理方法が適切でない食材もありますから…』


「なるほど。意外と…」


——————簡単そうだ。


高温の油に食材を入れるだけならば自分にもできそうなものだ…などと灰原が思っていると、


『…簡単そうにも思えるでしょうが、「揚げ物」を舐めてはいけませんよ。』


…灰原が言わんとしていた事を読んでいたようにクラウンは笑みを浮かべながら言葉を挟む。


『…先程、食材によって揚げ物に合わない物もあると説明しましたが、揚げる調理法が合う食材でも油の適切な温度設定や油から取り出すタイミング、更には揚げる前にも適切な下処理が必要となるので調理の際に注意する点が数多くございます。

揚げる調理法にも食材に卵・片栗粉・パン粉…等を食材に纏わせてから揚げる「衣揚げ」と食材をそのまま揚げる「素揚げ」があり、作る品目によっては様々な揚げ方の技術が必要とされるため一口に「揚げる」…と言っても非常に奥深いものなのです。』


「‥‥なるほど」


大人びて冷静沈着な性格だと思っていた彼女が熱意をもって語るので灰原は少し気圧されてしまう。それほどの熱意を持って彼女が調理に当たっているというのならば非常に素晴らしい事なのだが、少しだけ不満を漏らすように熱弁する彼女に塩崎とは異なる親近感のようなもの感じていた。


『‥‥は、申し訳ございません。少しだけ熱が入ってしまいましたね。』


「いや、すごく勉強になったよ。

ありがとうクラウン。それと謝るのはこちらの方だ。

調理もしたことが無いのに料理を軽んじてしまっていた。すまない。」


気恥ずかしそうに左前髪を耳に掛けながら謝る麗人に灰原が頭を下げて謝ると、


『そんな…顔を上げて下さい。灰原様。

あの人のクラスに灰原様のような料理に理解のある男性がいらっしゃるだけでも私にとっては嬉しい事ですから…。』


「?」


…何とも美しい笑みを浮かべながら麗人は許してくれた。だが、わざわざ頭言葉に「あの人のクラスに…」と言った麗人に疑問を覚えた灰原は麗人にとある事を尋ねることにした。


「クラウンは…塩崎が苦手なのか。」


『‥‥。』


初めてそこで麗人が悩んだ。実際にはそれほど悩んでいないのかもしれないが、麗人の分身が一瞬だけ揺らいだようにも感じたため、灰原には麗人が悩んでいるように感じられたのだ。


『…はい。非常に伝えづらいのですが…塩崎劉玄という人間は大の苦手です。

別段嫌いというわけではないのですが…興味本位で私を呼んだり、出す食事やお茶菓子に文句を言ったりと…』


「…そ、そうか。ところで昼食についてなのだが…」


少し食い気味に灰原は返事をした後、急いで内容を変えることにした。

このまま塩崎の話をしていれば麗人の雰囲気を壊しかねない。

「美」の化身。「美」の最高峰たるクラウンを不機嫌にさせるほど、授業をしていない時の塩崎がいかに不真面目なのかが分かっただけでも灰原には十分だった。


『‥‥申し訳ございません。貴重なお昼時間を…』


「いや、俺も…その…何というか、すまなかった。

メニューはクラウンにお任せでも良いか?」


『畏まりました。腕によりをかけて作らせて頂きますので少々お待ちください。』


そう言って一礼すると、麗人の分身は消えた。


「ふぅ…」


彼女の気配が無くなると同時に灰原は息を吐きながら胸を撫で下ろしていた。

麗人の「美」は理解できないが、アンドロイド=ナノマシン:クラウンという人物についてより良く知る事が出来たのは灰原にとっても大きな進歩であった。


「彼女も‥‥怒ったりするのだな…。」


快晴の空に向けて、灰原は一言そう呟いた。


——————————・・・————————


『お待たせ致しました。灰原様。

本日のおすすめ『クラウン印ノ味噌カツ定食』になります。』


注文から三分後。お盆を持った彼女が再び灰原の前に現れる。

お盆の上には陶器に入った白米。黒い筋の入った焦げ茶色の器。

そして、きつね色の衣で包まれたものに細長く切られた黄緑の野菜が添えられた皿と端には黒光りする液体の入った小鉢など…数多くの食材が並んでいた。


『簡単にですが本定食のメニューを紹介させて頂きます。

手前から白米と黒い容器に入ったものが白味噌を使った「味噌汁」になります。

そして、メインとなるこちらは豚肉を衣揚げした「豚カツ」となります。

食べ方と致しましては、そのまま食べて頂いた後にこちらの味噌や薬味をかけて頂き、お好みの食べ方を模索しながら食べて頂けると幸いです。

‥‥以上が本定食の説明となります。白米や味噌汁等はおかわり自由ですので、ご入り用でしたら席を立った後に私の名を呼んで下さい。』


「‥‥なるほど、参考になったよ。ありがとうクラウン。」


説明を受けた後でお盆を受け取った灰原は麗人にお礼を述べる。

食材の名称や食べ方など…不明な事が多かった灰原にとって彼女の説明はであった。


『それでは私はこれにて失礼致します。灰原様、ご利用ありがとうございました。』


深々と礼をした後に彼女は消えていった。


——————‥‥彼女も大変だな…。


いくら分身を生み出せるほどの高速移動が出来ると言っても彼女という存在は一人。「保健室」での治療に加え、昼は全校生徒分の昼食を作る彼女の苦労を想像した途端に灰原は彼女という存在がこの学校生活を大きく支えている事を理解し始めていた。


「さて…」


無事に昼食を受け取る事ができ、灰原が席に戻ろうとした時であった。



『———————言い忘れておりましたが。

先程の件…あの人には内緒でお願いしますね。』



突然現れた彼女は灰原の背と手に持っていたお盆を支えてそう言い残した後、立てた人差し指を唇に当て初々しい笑みを浮かべて消え去っていった。


「…あ…あぁ。分かった。」


聞こえているのかは分からないが、麗人が去った後に返事をした灰原はその場で少し固まっていた。


それもそのはずだ。

「美」の化身たる彼女は存在するだけで見る者全てを魅了し、「動く」という動作の一つで内に秘めている「美」を振りまいてしまう。常人であれば彼女と話すだけでも平常心が保てずに会話を成立させる事すら困難を極めるのだが、無知で無垢な灰原には人の持つ「美」の概念が分からない事から麗人の「美」はまだ分からないのだ。


…だが先程の彼女が見せた凛々しさと少女らしさを思わせる初々しい笑顔を見た灰原は常人では見る事すら叶わない彼女本来の魅力を垣間見てしまったのだ。


「美」の化身たる麗人が見せた大人びた女性らしさとは正反対の凛々しさと初々しさ。いわゆるギャップ…と呼ばれる現象である。





「お、熾凛じゃねぇか。旨そうなもん選んだな。」


「最上のも…美味しそうだな。」


最上の抱えているお盆を見ながら灰原は感想を述べる。

最上の昼食は白米とその他の具材を炒めたものと三日月のような形状をしたもの、透き通った褐色の液体に麺類と肉や野菜と言った具材が飾られたものの計三種であり、独特の油の香りに空腹を迎えていた灰原の腹部は小さく歓喜の声を上げてしまう。


「ま、色々あって迷ったけどな。

こうして好きな食い物を選ぶのも久々だったし…。」


「‥?」


最上の言葉に少しだけ疑問を覚えた灰原であったが、腹部の音を抑えることに夢中でそれを尋ねる余裕は無く、歩く速度を少しだけ速めることにした————。


「————…よ、待たせたな。」


「お帰りなさいっす。最上さん。」


「お帰りなさい最上さん、灰原さん。」


「おかえり熾凛。」


全員が集まるのを待っていたのか…蒼と雨崎、梶原の三人は食事をせずに待ってくれていた。だが、テーブルにはその三人がいるだけで他二人の姿が見えない。


「あれ…志村たちは…?」


「志村さんは少し前に一度見かけたのですが、昼食を持ったまま誰かを探しているような様子で…そのまま遠くに行ってしまったので分からないです。

もしかして進藤さんを探していたのでしょうか…?」


「進藤…そういえば…」


最上が何かを思い出すように顎に手を当てながら考え始める。

「…進藤の奴…用足してなかったような…」と独り言を呟き始めた最上をよそに蒼が提案をする。


「まぁ‥先に食べちゃいましょう。

料理冷めちゃうし…雨崎ちゃんの麺も伸びちゃうしね。」


「…そうしましょうか。どうでしょう最上さん。」


「…それもそうだな。じゃあ先に食うとするか。」


「了解した。」


いつの間にか箸を構えながら灰原は合掌の姿勢に入っていた。


「…えーと、灰原さん?」


「なんだ最上。皆で「いただきます」をするのでは…?」


「うーん。この年齢でやるのはちょっと…なぁ…?」


「‥‥」


視線を向ける最上をよそに蒼は静かに手を合わせていた。


「…あは…はは。最上さん、今の年齢は皆さん一緒ですよ。

精神年齢は違うかもですけど‥」


「‥‥ふぅ…」


そう言う雨崎は苦笑いを浮かべながら手を合わせていた。一言も発さない梶原も覚悟を決めたのか…何かに祈るように目を閉じて合掌をしていた。


「…しゃあねぇな…じゃあパパッとやっちまうぞ。せーの…」



『いただきます』



仕方なく合掌する最上を筆頭に一同は昼食を共にする。


…それは傍から見れば平凡な風景なのかもしれない。

普通の高校生達による普通の日常風景。

お昼休みに食事を共にする少年少女が創り出す青春の一時。


だが彼らは生まれた世界も、時代も、場所も違う。

生きている者、生きていた者。生きた時間も歩んだ道なりも…全く異なる多種多様な面々による食事が「食堂」の一角で行われたのである。

その事実に彼らが気付いているのかは定かではないが…その奇跡が日常で起こり得る世界。それがこの「神様ゲーム」の世界である…。




「……よし…」


小さく気合いを入れた後に灰原は左手に構えた箸で豚カツを一欠けら摘まむ。すでに一口サイズに切られていた豚カツからはホクホク…と薄く蒸気が上がり、豚肉の油が僅かに光を反射する。それらを覆うきつね色の衣は食欲とはまた異なる噛み付きたい衝動を促し、空腹の灰原の食欲を後押しする。


…パリッ…


歯が衣を噛み切る刹那、豚カツを覆っていた衣の硬い食感により歯から快感が伝わる。それは食事という行為において灰原が初めて食感による食の楽しみを覚えた瞬間であった。


「‥‥!」


そして、肉から溢れ出るのは肉の雫。

肉の隙間から流れ出すそれは肉汁とまでは言えないほどに微々たる量ではあるが、高温の油によって閉じ込められた最小限かつ最高密度に収縮された旨味の雫は…


「‥‥ふふ…」


…ただ一点に的を絞った純粋な一刺しと破壊力を以て灰原の舌を虜にする。迷いのない純真な肉の雫から放たれる鋭い旨味とほんわかとした肉の甘みに灰原は笑みを零してしまう。


—————次は…


白米を咀嚼しながら灰原は薬味の入った小鉢に視線を移す。からし、岩塩、味噌…の三種が入った小鉢を順に眺めた後で灰原は「からし」を選択することにした。

量の配分は分からなかったが、箸の先で少量摘まみ豚カツに付けた後に一口含むと…、


「…!!」


…辛み。圧倒的辛みである。箸の先に残ったからしが舌に直接触れたことも相まって、灰原の舌は圧倒的辛みで炎上を迎えていた。


—————ここは…


雨崎のいれてくれた水の入ったガラスコップに視線を移す。

これで口内をリセットしてしまえば…そう思った灰原であったがカツを咀嚼するうちに考えを改め始める。


からしの辛みと肉の甘み。正反対ともいえる二つが口内で混ざり合う事で徐々に舌先に塗られたからしの辛みを和らげていたのだ。


—————だが痺れる舌で感じる肉の旨味もまた一つの境地。からしの好き嫌いはこの境地に至る事が出来るかで分かれるのかもしれない…。


流れるように口に放り込んだ白米を咀嚼しながら灰原は麻味の神髄を考え始めていた————。



「(————‥‥美味しそうに…)」


うどんを啜りながら灰原の食事風景を眺めていた雨崎。隣の芝生は青く見える…とまではいかないが、食に没頭する灰原の純粋な姿から雨崎はとある記憶を思い出していた。


——————あれは保育園に通っていた時でしたか…。


視線の先にいる灰原と過去に見た幼き子どもの姿を重ねる。

食べ方は子どもと違って綺麗なものだが、外界を気にせず自分の世界に入り浸って食べ進める様子は幼児期の子どもというよりも乳児に近いような視野の狭さがある。

もちろん、悪い意味ではないが…。



【———————雨崎ちゃんって「〇●い」よね————————】



「(……危ない危ない…。)」


うどんの汁を静かに飲み込み、眼鏡の少女は脳内から漏れ出た悪しき過去に蓋をする。

悪い記憶はなぜこうも唐突に溢れ出てしまうのか。コンピュータのように記憶も簡単に消去できれば良いのに…と思わずにはいられない。


「‥‥ふぅ…」


…それにしても視線の先にいた灰原にも納得がいく。

鰹と昆布、それと僅かな鳥肉の出汁が入った汁(つゆ)は薄く透き通っていながらも重厚な味わいがあり、コシの入ったうどんの噛み応えも良く添え物の天ぷらも悪くはない…。


—————あの美しい人が作った料理は…かなり美味しい。


先程見かけた金髪の美人を思い出しながら雨崎はうどんを啜る。




「‥‥さて。」


そのままでも良し。からしも良し。岩塩も良し。最後は味噌だけである。

『クラウン印ノ味噌カツ定食』、この黒い液体をかけたカツがどれほどの変化を遂げるのだろう。期待を胸に秘めながら灰原は付属の木製スプーンを使い、味噌をカツに垂らしてく。


「‥‥すんすん…」


空気に触れた瞬間、味噌の熟成された香りが鼻腔内に流れ込む。

嗅覚の反射。匂いだけで「旨い」といわせる味噌の熟成された香りに灰原は白米を掻き込みそうになりながらも黒く染まったカツを一口食すが…、


——————あ。これは…ダメだ。非常にまずい‥。


灰原の脳内で何かがバチリと音を立てる。

それは崩壊と再生。灰原の何かが崩れ、何かが再構築されていく。

この黒い液体をかけるだけでここまでカツが変異を遂げるとは思わなかったのだ。甘く、深く、濃い味付けでありながらも肉の味を染め上げるどころか合わさり生み出されるのは全く異なる第二の味。


—————反則級の味変…不味いわけがない。これを旨いと言わずに何と呼ぶ…。


味噌とカツ。この常軌を逸した二つの組み合わせは破壊的であり、たった一切れで灰原の白米を全て消費してしまったのだ。


「‥‥」


残された三切れのカツと細切りの野菜。無くなった白米と味噌汁。

虚ろな目で灰原はそれらを眺めた後にあの麗人の言葉を思い出す。


『…白米や味噌汁等はおかわり自由ですので、ご入り用でしたら席を立った後に私の名を呼んで下さい‥‥』


灰原は静かに席を立ち、空になった茶碗を掲げて麗人の名を呼ぶ。


「クラウン…」


『…お待たせしました灰原様…』


僅かに麗人の声が聞こえたのも束の間。灰原の手にはすでに白米が盛られた茶碗が収まっていた…。


「どうひたんシャカリ(どうしたんだ熾凛)?」


餃子を咥(くわ)えた最上が突然席を立った男の背に問いかける。


「手洗いに向かうのならば場所を教えてやろう…」という心持ちで尋ねた最上であったが、振り返った灰原の顔と手に収まっている白米を見た最上は咥えた餃子を吹き出しそうになってしまう。


「いや…まぁ…な。」


嬉しさを隠しながらも、どこか照れ臭そうに笑う灰原の姿は手に持った白米も相まって、とても可愛げのあるものに思えてしまったのだ。


「‥‥野菜も、食えよ‥‥」


少しだけ母性を刺激された最上は目を細め、まったりとした表情を浮かべながら優しく語り掛けた。




『ごちそうさまでした』



「ふぃー。食った食った。」


「ここの飯、旨かったすね。最上さん!」


「そうだな。夜も食堂(ここ)が開いていたら楽なのだけどな…」


「俺は最上さんの作る飯も結構好きっすよ!」


「いや、あれは色々ぶち込んで炒めただけだって…」


「最上は料理が出来るのか…?」


「いや…料理って程のもんでも————」



「——————なんだか、青春してますね。」


「雨崎ちゃん…その台詞は渋いよ。」


「あら、そうでしょうか。」


くすり…と笑い、眼鏡を上げる雨崎は「食堂」の方へと視線を移す。

食事を終えた今でも志村と進藤が戻る様子はなく、若干ではあるが生徒の数も減ってきた。おそらくは休憩時間があと僅かなのだろう。


「———そういえば…「マンション」の上階に〈飲食スペース〉があると蒼が言っていたぞ。」


「へぇ、第二食堂…みたいな感じか。飯とかも食えるんかなぁ…」


灰原の開示した〈飲食スペース〉に首を傾げる最上。どうやら最上も〈マンション〉の全ての構造を把握してはいないようだ。


「…今夜あたり行ってみますか最上さん?」


「そうだな…良かったら灰原達もどうだ?」


「俺は構わないが…二人はどうする?」


「私も別に…」


「はい。私も大丈夫ですよ。」


突然誘われた灰原であったが特に断る理由も無かったため即答する。

元々、蒼にその存在を聞いた当初から気になっていた〈飲食スペース〉、寧ろこのような形で行ける事に灰原は内心嬉しくもあった。


「よっし。じゃあ放課後になったら一旦集合って感じで…」


灰原に続き、蒼と雨崎の承諾を得たことで最上は満足そうな様子をみせるが、空白の席を見た後に一言…


「……にしても二人、遅いな…。」


まだ戻って来ない二人を心配し始めていた。

最上と共に一度席を離れた進藤と志村。最上が再び席に戻って来た時点で二人が昼食を選びに向かったのならば、そこから食事を食べ終わるまでの間が約三十分弱。流石に何かあったのでは…と灰原も心配そうな様子で周囲を見渡し始めると蒼が一つ提案する。


「良かったら…私が探そうか。」


そう言って彼女は【MLマテリアル】の「御神札おふだ」を現出させる。

その【Rsランクスキル】「EXTRAエクストラ」は【ML】である「御神札」にあらゆる因子を付与することで真価を発揮する事から今回はそれらを探知に扱うつもりなのだろう。


「ん…。よく分からんが…できるのなら頼むわ。」


蒼の【Rs】を知らない最上は不明ながらも彼女の提案を受け入れることにした。


「では俺達も探しに行こう。人手は多いに越したことはないだろうし…」


「それもそうだな。ほれ、カジも手伝え。」


「分かりましたっ!」


「じゃあ、私と雨崎ちゃんはこの辺りを探すから…熾凛達、お願いね。」


宙に舞う「御神札」を最大枚数の十枚に複製し、それらを散開させて彼女は探知を開始する。席に座りながら目を閉じ、指を額に当て意識を集中させている様子から、視覚なり…何かしらの感覚を散開させた「御神札」と共有しているのだろう。


「…じゃあ、俺はあの二人と別れた便所から探してみるから…。

灰原は「第二校舎」側。カジは「グラウンド」側を探してくれ。」


「「了解」」


最上の指示により灰原と梶原はそれぞれの方面へと向かい、少しだけ周囲を見渡した後に最上も手洗い場へと向かう。


「‥‥」


周辺の捜索を任された雨崎は三人の後ろ姿を見送った後、【ML】の「ランドセル」から再び機械仕掛けのかいなを創造する。

金属音を響かせながら二つの腕を土台に彼女は上空へと舞い上がり、高い位置からの捜索を試み始める———。




———————————・・・——————————————



「———はぁ…はぁ…」


——————これだけの人数で探しているのだ。きっとすぐに見つかるだろう…。


息を切らしながら灰原は最上に指示された「第二校舎」の方面へとひた走る。


自分と最上、梶原、蒼、雨崎。この五人に加え、内二人は【Rs】を駆使してまで捜索に当たっているのだから見つからないわけがない…。


「見つかるはずなんだ…だから…」


どくり…どくり…と何かを警鐘するように高鳴る心臓の鼓動。

後頭部から脊髄に掛けて誰かが覆い被さっているような不可思議の重み。

…それらの体感的違和感に襲われながらも灰原は吐き出すように祈る。


—————二人共…早く現れてくれ———…そう思った矢先であった。



きゃぁぁぁあああああああああああああああっ‥‥!!!!!



突如「食堂」内に悲鳴が響き渡る。張り裂けるような甲高い叫び声に生徒一同が声の発生源へと視線を向けた直後、脳内に信号が奔る。


【…全生徒、退避せよ】


その信号の声は塩崎のものでは無い。

だが、どこかで聞いたような冷たい氷にも似た声が脳内に直接流れ込んだ直後、灰原の思考と意識は停止し視界は幕を閉じるように暗転する。



『————田中———がいらっし———いま———た。皆———迎えの準————しょう。』


消え入る意識の片隅で灰原が耳にしたのは〈ゲーグナー〉の侵入を告げる放送…。

そして、最後に目にしたのは小さく映った赤い何かと…どこかで見た「机」であった。


「‥‥‥うそだ…」


黒く染まった灰原の意識は完全に闇へと落ちていった————。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


…目が覚めると、景色は「食堂」から別の場所に変わっていた。


——「いったぁ…」———「ここどこ?」

——「あれさっきまで私食堂に…」——「俺の飯は…?」


人の気配がする。

それも十数人という少数ではなく、もっと大人数の気配が反響する人の声から把握できるが照明もない中でその人数を把握するのは疎か、自分たちが今どこにいるのかも把握できない。


「…ここは…」


暗闇の中で灰原が手を伸ばすと、どこかで感じたことがあるような適度な反発力を持った物体に触れる。角身と柔らかさのある手触り。クッション性のあるそれに灰原は徐々に予測を立て始める。


——————もしかしたら…。


手の高さをそのままに…ゆっくりと手を左右に移動させると同じようなクッション性のある物体に触れ、灰原の予測は確信に変わる。


…均等に並ぶ椅子と大人数を収容できる校内の施設と反響する声…。


【絶対命令権】によって「食堂」にいた生徒達が移動させられた場所。

それは校舎からは遠く離れた「文化棟」の地下に広がる巨大な〈劇場〉であった。


——————皆もここにいるのか…?


場所が分かったところで灰原は暗闇を見渡すが、劇場内にある椅子と微かに動く人影が見えるだけで誰が誰なのかは判別できない。だが…


パンッ‥‥


「…っ!!」


唐突に劇場内の照明が付き、暗闇に慣れ始めていた灰原の目が一瞬眩む。


———「え、なになに?」――「眩し…」――「きゃぁっ」―――


他の生徒達も灰原と同様に目を眩ませ、少しだけパニックになり始めると…。



「———動くな———」


低く、冷たい一声が刹那の内に劇場内の生徒を凍り付かせる。

【絶対命令権】による命令ではないが末恐ろしくも感じる声に目を眩ませていた灰原も即座に冷静さを取り戻し、声の聞こえた方向…劇場のステージに向けて恐々と視線を移す。


‥‥そこに立っていたのは黒い外套に身を包んだ…顔の見えない死神であった。

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