8.「〈ゲーグナー〉Ⅲ」


頭部があり、胴体があり、四肢がある。だが、手足に関節と付け根はない。

代わりに宙を浮く三つの球体が手足の付け根の役割を担っており、右腕を除いた手足は球体〈ゲーグナー〉同様にマイクのような形状をしていたが、肘・膝といった関節の類(たぐい)は見られない。


装甲で覆われた堅牢な胴体、肩部には胸部から背面かけて突出した装甲の骨格片が突出していた。頭部には髪を模したような大きな雫型の装甲が付属し、目の部分には両耳部位にかけて婉曲した半透明の装甲がはめ込まれている。口と鼻はマスクに似た装甲で覆われており、体の大きさは2m弱といったところで、その外見は見るからに人間を模したような姿であった。



それらの外見の中でも特に目を引くのが右腕の主砲。

左手、両足とは外見も構造も大きく異なり、肩から肘にかけては歪でゴツゴツとしたブロックを繋いだような構造をしており———、肘から手先にかけては主砲である大筒が装備されていた。


—————間に合え…!


背後から「殺気」のような冷たい熱源を感じ、反射的に最前線から最後尾へと逆走した灰原は目にも止まらぬ速さで中衛の雨崎、志村を躱(かわ)し、進藤の協力を経て、最後尾に控える蒼の元まで戻ってきた。


 しかし、「戻ること」が最終目標ではない。


人型〈ゲーグナー〉の主砲から放たれんとしている砲撃から、彼女を…いや、「彼女達を守ること」が灰原の最終目標であった。


あの目を引くほどの大きな主砲から、一体どれほどの砲撃が放たれるか…灰原には想像もつかない。砲撃の威力や範囲によっては蒼だけではなく、後方に控える進藤や最前線に置いてきてしまった雨崎、志村にも被害が及ぶ可能性がある。


————蒼も、皆も守れる手段‥‥。


灰原は一秒の猶予も許されない零(ゼロ)コンマ数秒の世界で思考を回転させる。


「自分の【Rs】」———「蒼」———「全員の位置」——「右腕の主砲」‥‥


脳内に浮かんだ案を灰原は即座に実行へ移す。

「思考」と「行動」。その両者を並立させて進めなければ、何も守れない。


—————頭を動かせ。反射的に行動しろ。


「両手剣」を下段に構え、振りかぶる。意識を収束し、「両手剣」の質を少しだけ変化させる。


『両手剣の性質を「切れ味」「軽さ」重視から「軽さ」「硬さ」へと変更‥‥。』


—————全員を守る手段はある‥‥だが、これは賭けだ。


人型〈ゲーグナー〉の存在を確認し、対面しているのは現状…灰原のみ。

今、この瞬間——。

砲撃から全員を守れるか否かは、灰原の裁量に懸かっているのだ。


主砲の発射口からは、今まさに砲撃を放たんと煌々とした光を放つ。

灰原が駆け戻る際、光は大きく膨らみ、徐々にその密度を増していき、今はすでに発射間際の状態…。



直感で駆け戻った灰原の防衛か…。

〈ゲーグナー〉の砲撃が先か…。


その結末は誰にも分からない——————。


だが、灰原の「直感」と灰原の通最短・最速のルートを実現させた進藤の働きにより生じた「一秒」の貯蓄がその結末を大きく変えた‥‥。



——————ここだ‥‥!


砲撃の発射タイミングを見計らった左下段からの打ち上げ。

正確に打ち上げられた「軽く・硬い」両手剣は主砲の大筒を切断することなく、見事に主砲の方向を変え、あらぬ方向へと主砲は熱線を噴き上げる。


主砲から放たれた高密度の熱線は渡り廊下の内壁を貫通し、衝撃の余波が多数の窓を砕いていく。貫通した砲撃は〈第二校舎〉の外壁を少し掠(かす)めて消失していった…。


「‥‥‥はぁ‥‥はあ…。」


酸欠の中で「思考」と「行動」を続けていたため、灰原は膝を突き、必死に酸素を取り込む。敵前でするべき行動ではないが、今の灰原には必要不可欠の行為なのである。


「なんだ?」/「えっ…?」


前衛を請け負っていた志村、雨崎の二人は爆発音の起こった後方へと視線を向ける。


最後尾に立つ白い装甲で体を覆われた人型〈ゲーグナー〉の出現に二人は驚きを表すも、砲撃によって壁に空いた穴と人型〈ゲーグナー〉の目前でしゃがみ込んでいる灰原の後ろ姿を見たことで、謎の逆走により戦線を離脱した彼の真意と功績を知る事となる。


‥‥自分達は彼に命を救われたのだと————。




「灰原さん!」


掛け声と共に進藤が「大盾」を構えて人型〈ゲーグナー〉に突撃する。

勢いのある突撃であった事から、崩れた体勢を好機と捉えた進藤は人型〈ゲーグナー〉の転倒を狙ったのだろう…。


「‥‥―――」


だが、進藤の思惑も空しく…突撃を受けた人型〈ゲーグナー〉は転倒せず、その突撃の勢いのまま後方へと押し込まれただけであった。


「…はぁ…はぁ‥‥?」


酸素を補給しながら、灰原はその様子に違和感を覚える。


人型〈ゲーグナー〉の重量が重いと仮定しても、明らかに不安定な体勢で受けた進藤の突撃は、その体を転倒させるほどの効力を有していたはずであったが、実際には人型〈ゲーグナー〉の体は地面を滑るように後退していったのである。


————滑る…?


灰原には人型〈ゲーグナー〉の姿を見た時から疑問に思っていた事があった。

右腕の大筒に装甲で覆われた2m弱の体…と、いかにも重そうな見た目でありながら、なぜ人型〈ゲーグナー〉が気配もなく灰原達の背後へと進撃できたのか…。



球体と人型、「観察」した二体の〈ゲーグナー〉から、灰原はその答えを導き出す。


あの人型も球体のものと同様に浮力…いや、「磁力」に似た力で浮いているのだ。

ただ、浮いているといっても人型は球体のものとは違い、宙に浮いているのではなく、地面に触れるか…触れないかの境界線上に浮いている…ということになる。


また、体の四肢をつなぐ両肩と腰の下にある三つの球体も、各部位に完全に接しているわけではなく、適度な感覚を保っていることから、球体にも「磁力」に似た何らかの力が働いているようだ。


「‥‥―――」


砲撃の際に発生した多大な熱の処理を行っているのか…両肩の出っ張りから息を吐くように蒸気を吹き出し、人型〈ゲーグナー〉は排熱処理を行ったあと右腕の主砲を構え直す。


「‥‥っ…。」


次弾が放たれる前に追撃を加えようと、一度は接近しかけた進藤であったが、突如その足を止める。



確かに接近によって、人型〈ゲーグナー〉の注意を引くことはできる。

しかし、必ずしも狙われるのは進藤だけではない。



仮に、「盾」以外にも「ハンマー」の創造を可能とする進藤が接近し攻撃に転じたとしても、相手に機動力があれば、それは無に帰す上、反(かえ)って後ろに控える灰原達にも被害が及ぶ可能性もある。


どれほどの機動力や「知能」を有しているのかは分からないが、人を模していることで「知能」を有しているのではないか…と、進藤に強く印象付けさせた人型〈ゲーグナー〉の外見が進藤の追撃を踏み止(とど)めたのだ。



「…進藤。」

 

呼吸を整え、男は立ち上がる。


三時間に及ぶ【ML】探しと【ML】争奪戦、[黒い壁]への攻撃…。


すでに疲労困憊の灰原であったが、「ここで立ち上がらなければ、今までの自分の努力が水の泡となってしまう…」と力を振り絞り、「両手剣」を構える。


〈「切れ味」強化に性質変化…。〉


脳内で「両手剣」の性質を組み替えながら、灰原は自分がすべきことを考え、進藤の名を呼ぶ。


「…灰原さん。」


主砲の発射口に意識を置きながら、進藤は灰原に助力を求める。


彼自身、この状況でどう動くべきか…判断を下せないでいるのだろう。

対策案自体は浮かんでいるが、それを決断しても良いものか…と彼の人の好さが垣間見えるような苦悩じみた表情で灰原を見つめていた。


その彼の浮かんだ案と全く同じ案を導き出していた灰原は自身の決断を口にする。


「進藤は下がっていてほしい。ここは…」



—————・・・


「盾」を持つ進藤が攻撃に転じれば、その分の防御が薄くなる。

現在、雨崎と志村が[黒い壁]の排除を行っている中、もしも人型〈ゲーグナー〉の砲撃が後方の二人へと向いた場合、「盾」を持つ進藤が防御にまわらなければ、戦線は一気に崩壊するだろう。


また、耐久値が低い球体〈ゲーグナー〉に対し、耐久値が高く、遠距離攻撃を持つ人型〈ゲーグナー〉では、危険度が大きく異なる。


それでも、数で勝るあの[黒い壁]も無視できない。


[黒い壁]の戦線が維持できなければ、逆もまた然り…今度はこちら側の戦線が崩れ、前衛にいる雨崎、志村が前後からの挟撃にあう。


故に、ここは班の戦力を分けて対処する他ない。


だが、この渡り廊下に遮蔽(しゃへい)物は無く、いくら戦力を分けたところで、戦闘中に他戦力の介入が「入る」…または、入る「可能性」さえあれば、戦線を維持する集中力に欠け、結果的に両戦線は困難を強いることになるだろう…。


分割した二つの戦線を維持するためには完全に分断する事が求められる。


そして、唯一それが出来るのは、形状、大きさを変えられる【Rs】「盾」を有する進藤 岳人ただ一人のみである…。


つまり、彼には戦線の「分断」・「維持」する役割を担うことになるのだ。


戦線の「維持」とは「盾」の創造維持と戦力的な戦線の維持…という二つの意味を兼ねており、現状[黒い壁]の戦線は守り役が少ないため、進藤には雨崎と志村のいる球体〈ゲーグナー〉側に移動する必要がある。


そして、この人型の人型〈ゲーグナー〉の戦線を担うのは—————。


・・・———————



「…ここは俺と蒼が受け持とう。」


「剣」を持つ灰原と遠距離の「防御」支援が可能な【Rs】を持つ蒼の二人となるのだ。





「‥‥。」


灰原と進藤が作戦を伝達し合う様子を背後に隠した両指を絡ませながら蒼は眺めていた。


「———じゃあ、合図があるまで頼む。進藤。」


「…分かりました。」


そう言って、進藤は主砲を構える人型〈ゲーグナー〉を見据えながら、大きくゆっくりと後退し、素早く「盾」を廊下に突き立てる。


廊下に突き刺さった「盾」は姿を変え、その面積を大きく展開していき、やがて限界値まで広がった「盾」は廊下を覆うほどの巨大な壁と化していった。


「…ご武運を‥。」


巨大な「盾」が廊下を遮断(しゃだん)する間際、進藤は灰原達の背中に言葉を掛けて「盾」の向こうへと消えていった。


「…蒼。俺たちで戦うんだ。」


「う…うん。」


「‥‥。」


「盾」を持つ進藤にしかできないことがあるように、灰原にしかできないこともある。


「両手剣」を構えて灰原は呼吸を整え、精神を集中させる。


————集中を絶やすな。


人型〈ゲーグナー〉への注意を絶やすことなく、張り詰めた緊張感を保ちながらも灰原は蒼へと話しかけた。


「蒼は…優しいのだな。」





 彼女の真意に気づいたのは、初めて球体〈ゲーグナー〉と遭遇した後であった。

教室から〈ゲーグナー〉の捜索に当たる中、何かを必死に隠すような不安げな表情や様子を見せていた彼女であったが、当初の灰原は未知の敵である〈ゲーグナー〉と戦うことに不安を覚えているのだと…考えていた。


しかし、それは大きな誤解であった————。


灰原が球体〈ゲーグナー〉を倒した後、その亡骸を最後まで看取っていた彼女は両手で顔を覆っていたのである。


「‥‥‥‥」


 まるで、自分が取り返しのつかない事をしてしまったような様子を見せた彼女からは灰原が感じ取ったものは罪悪感と喪失感と純粋な哀れみの感情であった。


そういったものを押し籠めるように彼女が両手を合わせ、〈ゲーグナー〉に頭を垂れていた彼女の姿から灰原は一つの真意を知る。


——————…彼女は〈ゲーグナー〉の命を一つの命として重んじているのだ…。


姿や形は違えども、「命」あるものという概念に変わりはない。

「ゲーム」と言えど、実際に自分が「命」のやり取りを行う事を予知した彼女の内には迷いが生じてしまう…。



つまるところ、今の紅葵 蒼は〈ゲーグナー〉の命を奪えなかったのである。




この「神様ゲーム」では〈ゲーグナー〉を倒し、【Rk】「100」になることで己の【願望】を叶えることが目標とされているが、それが意味するものは『自分の【願望】のために〈ゲーグナー〉の命を奪う』ということになる。


『命を奪うことで得る【願望】』


「ゲーム」の説明の時から予想していた事実を隠し、自身を騙し続けてきた彼女はこうして実際に〈ゲーグナー〉と対面したことで深い迷いへと落ちてしまう。


『「ゲーム」といえども、プレイヤーはお前ら本人———。』


教室で言っていた塩崎の言葉を思い出す。

あれはもしかしたら、この「神様ゲーム」の内容を暗示していた言葉であったのかもしれない…と灰原は一人、思索する。


〈ゲーグナー〉といえども、命を奪う罪悪感は決して軽いものではない。

実際に命を奪ってしまった灰原には彼女の気持ちは痛いほどわかる。ここは彼女の意思を尊重するところなのかもしれないが、それでも言わなくてはならない…。


目的も分からず、ただ己の【願望】のために命を奪うというのは、自分本位で我儘(わがまま)な事なのかもしれない。

彼女の言い分は間違いではないだろう…。



‥‥だが、この世界に来ると選択した彼女の意志はどうなる?



『「神様ゲーム」の参加者は「神」なる存在との直接交渉を経て、参加している』


「チュートリアル」の説明の際、あの人物は確かにそう言っていた。


彼女には灰原には決して無い「自分」という核がある。

今の灰原にとって、「自分」は現在進行形の「自分」であり、彼女のそれとは大きく異なる。「自分」という核を持った彼女が願った【願望】が何であるのかは、灰原には分からない。



ただ、それは紅葵 蒼が「紅葵 蒼」の人生の中で確かに願った純粋なものであるはずだ。

彼女が心から願い、欲し、それでも手に入らなかった尊いものだ。


【願望】を抱き、選択し、この世界に足を踏み入れた時の彼女…。

灰原とは違った確かな【願望(ねがい)】を持った彼女…。



何も分からない灰原を救ってくれた彼女が彼女自身を裏切るような事が灰原には堪らなく勿体ないと感じてしまったのだ…。




だから、敢(あ)えて灰原は彼女に問う。


「…蒼の【願望】はなんだ?」


記憶のない空虚な男はこの世界で初めて出会った彼女へ問いを投げかける。


「え……」


突然の言葉の上に重ねられた問いに彼女は答えられない。


しかし、それでも良い。

今の灰原はその答えを求めておらず、問いを投げかけることが重要であったのだから…。


————この世界において【願望】を問うてはならない事は暗黙の了解だ‥‥。


それは自然と灰原にも分かっていた。

ただ、灰原がこの問いに込めた意図は彼女の答えではなく、彼女にしか知り得ない【願望】を彼女の中で明確にさせることである———。




「俺には何もない。記憶がないからな———だから、俺は…『俺を知るために戦う』」



これが灰原の『願望』。

この「神様ゲーム」を生き抜く…いや、この世界で生きていく中で灰原を突き動かす原動力となるものである。


だから、灰原は彼女に告げた『願望』に一つのメッセージを込めた。


『【己の願望(ねがい)をかなえたければ戦え】』


塩崎の身体を通して、この言葉を残した人物に感化されたわけではない…といえば嘘になるが、あの人物があの言葉に込めた思いを今の灰原の姿と言葉で彼女に伝える。


——————「勇気」をもって戦えと‥‥。



「…!」


暗黙の了解であった『願望』を明かした灰原に彼女の表情は一変する。

彼の【願望】に込められた真意を悟った彼女が自身の【願望】のために何を為すのか…それは彼女が決めることである…。




「両手剣」の柄を握り直し、灰原は人型〈ゲーグナー〉へと駆けていく。


砲撃を撃てる隙があったにも関わらず、それをしなかったのは人型に知能があり、様子を伺っていたためか…。


進藤の突撃以降、〈ゲーグナー〉は主砲をこちらに向けたまま、目立った動きは見られなかったが、灰原の進撃を確認すると、再び主砲を構え直して照準を灰原に定め始めた。


「…すぅ…。」


主砲の向きと後方の蒼の位置を確認しながら、灰原は【創造/想像(イメージ)】力の再固定を図り、「両手剣」の「切れ味」を限界にまで引き上げる。


——————薄く…鋭く…。刃と腕の力を同一の方向へ…。


ここまでの疲労のため、「両手剣」を握る腕にも力が入りづらくなっていたが、灰原は気を引き締め、全力の一刀のために頭と身体を全稼働させる。


「…―――――」


すると、業を煮やしたのか…人型が砲撃を仕掛けてきた。

溜めが短かったのか…先程のものより威力も弾速も劣っていたが、疲労を迎えている灰原には十分な脅威となっている。


「‥‥っ!」


しかし、人型の主砲への「観察」を怠らなかった事が功を奏し、弾道・発射の予測が完璧に出来ていた灰原は紙一重でこれを避けるが、僅かに触れた砲撃の余波が灰原の右足に火傷と裂傷を残す事となる。


————痛い、熱い、痛い、あつい…。


叫びそうになるのを必死に噛み殺しながら、灰原は懸命に足を動かす。

人型〈ゲーグナー〉は排熱処理のために蒸気を素早く吐き出し、主砲を構える。


————入った‥‥!


だが、次弾が飛んでくる前に人型〈ゲーグナー〉が「両手剣」の間合いに入ったことを確認した灰原は、その全力の一刀を胴体へと届かせることに成功する‥‥が、



‥‥バリンっ———————。



「両手剣」の刃と装甲が長い火花を挙げた直後、灰原の「両手剣」が限界を迎え、刀身は砕け散ってしまう。


「‥‥そんな…。」


【創造/想像(イメージ)】力、刃と腕の力の方向、「両手剣」を振るうタイミング‥‥。



そのどれを取っても完璧に決まったはずの灰原の全力の一刀は人型〈ゲーグナー〉の胴体を両断することも、装甲に切れ込みを入れる事も…あまつさえ、刀傷一つですら付けることが出来なかったのである。

 


一つだけ欠点を挙げるとするならば、灰原の力量不足が主たる原因とも言えるが、それ以上に人型〈ゲーグナー〉の装甲が強固なものであったのも、言い逃れのできない事実であった。


「‥‥まだだ…。」


————ここで折れてはいけない。


砕け散った刀身から目を離し、灰原は疲弊しきった精神に活を入れる。


「ここで折れたら、一体誰が全員を守れるというのか…」と、自身に言い聞かせながら、頭と身体に残った全ての力を絞り出し、否応なく全稼働させる。


—————「軽さ」と「切れ味」がダメならば———考えろ…考えろ…考えろ…。


「…―――――」


しかし、灰原が動きを止めた隙を見て、人型〈ゲーグナー〉は滑るように後退し始めた。


——————ここで逃がしたら…!


再び間合いを広げられたら、今度こそ灰原に勝ち目はない。

必死の思いで後退する人型〈ゲーグナー〉を追いかけながら、おぼつかない思考を回し、【創造/想像(イメージ)】力の固定化を図る。


————「重さ」と「切れ味」…しかない。


灰原が把握している【Rs】「剣SS」の創造物の中でも、攻撃の要となるのが「長さ」と「重量」と「切れ味」だが、今の【Rs】Lvの「切れ味」では、あの強固な装甲を破れない。


「長さ」を極端に短くし、ナイフほどの大きさに変えて「切れ味」を最大限にふれば腕の力が直にナイフに伝わるため、もしかしたら刃が通るかもしれないが、与えられるダメージの幅が小さい上に何度も攻撃しなければならなくなる。


しかし、現状の灰原の体力を鑑みれば、あと一撃が限度‥‥。

だからこそ、灰原は「重さ」に頼る———。




灰原が追いかける中、いつの間にか人型〈ゲーグナー〉は、先程まで灰原達がいた〈第一校舎〉の廊下と渡り廊下への分岐点となっているト字路にまで後退していた。


—————【創造/想像(イメージ)】力の固定化は完了した。あとはタイミングを見計らって‥‥。


「両手剣」を一度【ML】に戻して消失させ、身軽な状態で攻撃のタイミングを見計らっていた灰原であったが、突如として好機は訪れる。


「‥‥―――!」


灰原の方向を見ながら後退し続けていたためか…人型〈ゲーグナー〉が後方の壁に激突したのである。


——————いまだ…!


悲鳴を上げる身体に最後の鞭を打ち、灰原は走り出す。

人型〈ゲーグナー〉に向かって駆けながらも、灰原は廊下の左側へと徐々に寄っていき、〈ゲーグナー〉との距離を測って、左側面の壁へと右足を掛ける。

続けて身体の重心が下へと落ちる前に左足を壁に掛け、思いきり踏み切ると、灰原の身体は完全に人型〈ゲーグナー〉の身体よりも上へと跳躍する。


「…くっ。」


跳躍と同時に灰原は【ML】である「竹刀」を現出させ、上段へ構える。


今の疲労した灰原では「重い」剣など到底扱えない。

そのため残った体力でできることを限定し、その中で最大攻撃を捻(ひね)り出すことに灰原は戦法を絞った結果——————。


「はぁああああっ!!!」


灰原の繰り出した最後の攻撃は、最大レベルの「重さ」と「切れ味」を持った「大剣」と上段からの「重力」を利用した剣撃。

これこそが今の灰原が持つ最大攻撃であり、梶原戦で得た経験値が見出した「重さ」と「重力」を掛け合わせた必殺の一撃であった。


「竹刀」を振り下ろすタイミングで「大剣」を創造するのは、【Rs】Lvの低い今の段階では至難の業であったが、灰原は見事にこれを成し遂げたのである‥‥。





 だが、灰原自身も知っていたはずだ。

どんなに強力な一撃であろうと、当たらなければ意味がないということを————。




 ‥‥初めは何が起きたのか分からなかった。


身体の何かが、フッ…と消えていくように力が入らず、呼吸もできない。

息を吸うことも吐くこともできない苦しみが徐々に膨らみ、やがて最大限になると、身体の中から破裂した赤い「何か」と同時に溜まった空気が放出され、男の身体はプツリ…と糸が切れた操り人形のように宙から床へと墜落した。


受け身も取れずに身体は無造作に廊下へと落下し、数秒立つと【ML】に戻った「竹刀」が主を負うように廊下へと墜落する。


——————あ…創造が解けてしまった…。


そう気づいた途端、男の腹部に耐えがたい激痛が走る。


———熱い、熱い、痛い、苦しい、痛い、痛い、熱い、気持ち悪い————


とてつもない熱。

激しく身体の内側で破裂するような痛み。

そして、突き刺さるような鋭い熱さと徐々に刺し込まれる鈍い冷え…相反する二つの温度を体内で同時に感じる不快感と吐き気。


「‥‥っ‥‥」


…灰原の左腹部が大きく抉(えぐ)れていたのである。


拳二つ分の大きな穴は赤黒く染まり、穴の周囲は赤い血で覆われている。裂傷と火傷を同時に受けたような傷口からは、蒸発した血が放つ濃い鉄のような臭いと焼き焦がされた血肉が放つ炭の臭いが鼻を突く。


「‥‥‥あ…。」


途切れそうな意識の中で自身の傷の具合を確認し、攻撃を受けた左方向に視線を送ると、灰原は自分の置かれた状況を完全に理解した。



現在、灰原が横たわっているのは、ト字路の中間地点。[黒い壁]に挑む前、灰原がその全形を明確に確認したガラス窓の正面に当たる。


砲撃を受けた体感から、灰原は身体の左側から何らかの攻撃を受けたことが推測されるが、狙撃手は灰原が切りかかろうとしていた人型〈ゲーグナー〉ではない。


白い装甲に覆われた体、球体に支えられた四肢、右腕の大筒‥‥。


灰原の視線の先にいた狙撃手は「職員室」や「資料室」などが並ぶ〈第一校舎〉の廊下に立ち尽くし、両肩から突出した骨格片が煙を吹き出していた。



‥‥二体目の人型〈ゲーグナー〉の出現である。




————一体誰が予測できたであろうか…。


悔しさに歯を噛み締める。

自身の不甲斐無さ、力量の無さ…己の至らぬ全てを灰原は心底呪った。


—————ここで俺は死ぬのか…。


体力疲労、「剣」の通じない装甲、二体目の人型〈ゲーグナー〉の出現…。

度重なる困難に対し、考える事を絶やさなかった灰原であったが、全ての策は潰(つい)えた。


パキッ…—————


精神に亀裂が走る。

もう「折れるな…」と自身に活を入れる事すらできない男は己の死を悟った。


————あれだけの〈ゲーグナー〉の命を奪ったのだ。これも報いなのだろう…。


命のやり取りを直接行う以上、天秤にかけられた命はどちらか片方に搾取される。

灰原が〈ゲーグナー〉の命を奪ったように、〈ゲーグナー〉もまた灰原の命を奪う側になり得るのだ。



命の天秤は残酷にも、無慈悲にも、決して平等ではない。



この命のやり取りにおいて、灰原と〈ゲーグナー〉の命の天秤を分けたのは戦力、知識、戦略、経験…といった「武力」であった。


—————‥‥ああ…。何とも情けない結末であったな…。


自身に向けられた二つの発射口を眺めながら、灰原は自らの行く末を嘆く。


—————空虚で、何もない男は…何も成さないまま死んでいくのか…。


だが、男の心中とは裏腹に…、主砲の発射口には徐々に光が凝縮、膨張し、二層の砲撃が廊下に倒れ込んだ男の息の根を奪いにかかる。


すでに瀕死に近い状態の灰原には防ぐ手段も避ける体力も気力もなく、砲撃が着弾するのは必然のことに思えた。


————————あ…。




二つの砲撃が放たれた直後、灰原の目前に一人の人物が立ち塞がる。

茶色気質でやや金色を帯びた長い髪、角身を帯びた髪を右サイドに流した前髪の造り…。


あの自慢気な表情で彼女は死にかけの男に言葉を掛ける。


「なぁーに死にそうな顔してるの。熾凛」


そういって明るく笑みを浮かべる彼女を見た灰原は心から安堵する。



空虚な男の行動が一人の人間の心を動かすこともできたのだと————。






 【ML】の「御神札(おふだ)」を構え、紅葵 蒼は砲撃に立ち向かう。

二層に重なり、高威力と化した砲撃に向けて、彼女は「御神札」を放る。


「…よっ…と。」


彼女が軽く手を振ると、放たれた「御神札」は即座に十枚に複製され、壁を作るように等間隔で宙に浮遊し、灰原達を守る障壁のような陣形を取る。


彼女が行ったのはそれだけであった…。



 二層の砲撃と「御神札」の障壁が衝突する。

ガガガガガッ…と強烈な衝撃音が響き渡るが、蒼の張った障壁は破れない。


砲撃と障壁の衝撃音は数秒続くが、砲撃はその威力を維持できずに熱線は消失し、障壁の役割を果たしていた「御神札」は主である彼女の元へと戻っていった。


「‥‥。」


二層の砲撃に対し、怯まない彼女の胆力(たんりょく)もさることながら、【Rs】「EXTRA」の防御力の高さに驚く灰原はおぼつかない意識の中で「観察」を続ける。



だが、その防御力があくまで「EXTRA」の真の力の一端に過ぎなかった…という事を灰原が知るのはもう少し先になる。



「‥‥ほっ。」


 彼女の元へ戻っていった「御神札」は彼女の手の振りに従い、新たに陣形を変える。


計十枚の「御神札」は五枚ごとの二組に分かれ、彼女の左右で三角錐を形作った途端、周囲に異変が生じる。


「‥‥?」


ピリッ…とした感覚を灰原の肌や髪が察知した直後、それは形を成して灰原の目前に姿を現した。



バチバチッ…と身体の芯に響くほどの破裂音。

左右の「御神札」の周りで青白く光るそれは【雷】の因子であり、三角錐を模った「御神札」は雷を帯びた「雷槍」と化していたのである。


「‥‥せ——のっ!」


掛け声とともに両手を二体の人型〈ゲーグナー〉へと突き出すと、三角錐を模った「御神札」は引き絞られた弓矢のように徐々に鋭角なものへと形を変え、即座に「雷槍」は大気に浸透するような破裂音と共に彼女の元から放たれる————。



目にも止まらぬ速さで地を奔る「雷槍」————


帯びた雷が放つ高熱の余波は廊下に焦げ跡を残しながら、「雷槍」は真っ直ぐに主の定めた目標へと直進する。

初見の相手であれば、殆(ほとん)ど前動作もなく放たれた「雷槍」を避けるのは不可能だろう…。


「「‥‥‥!」」


突然の遠距離攻撃に人型〈ゲーグナー〉は為す術もなく、二つの「雷槍」にその胴体を撃ち抜かれていた。



「雷槍」は高熱の余波で硬い装甲を焦がしながら直進することで、灰原でも傷をつける事が出来なかった硬い装甲を容易に焼き貫いたのである。


「「――――――――」」


胴体に大きな風穴をあけられた二体の〈ゲーグナー〉は、最後の蒸気を吐き出すように両肩の出っ張りから蒸気を吹き出し、崩れ落ちる。


球体〈ゲーグナー〉と同様に、絶命すると宙に浮いていた三つの球体は力を失い、その影響で四肢はバラバラに崩れ、頭部の眼の部分の装甲からは色が失われていった…。


「‥‥。」


その様子を彼女は少しだけ悲しそうに眺めながらも、覚悟を決めたその顔つきだけは崩れなかった。


「蒼…。」


灰原は彼女の名を呼ぼうとしたが、言葉を発する力もなく灰原は吐血する。

砲撃の被弾に関わらず、灰原はすでに瀕死の状態であった。


さらには、人型〈ゲーグナー〉の砲撃によって受けた傷が酷く、砲撃によって大きく抉られた左腹部は、砲撃の高熱により傷口は焼き焦がされた事で辛うじて出血は抑えられているが、内臓の損傷が大きく、死を待つばかりの状態であった。


「ごほっ…ごほっ…」


「‥‥ごめんね熾凛、大丈夫?」


倒れる灰原の元へ急いで駆け寄る彼女。

髪を耳に掛けながら、蒼は複製した「御神札」五枚で灰原の傷口を覆い始めた。


——————何を?


死にゆく自分に彼女のした行為の意図が分からず、灰原は言葉もなく彼女を見つめると…


「絶対に助けるから‥‥だから、後の事は全部私に任せて、熾凛。」


左手で灰原の傷口に手をかざしながら、彼女は強く、優しく…灰原へと笑みを送る。


やがて、傷を覆っていた「御神札」は淡緑の光を放つと、灰原の傷を修復し始めたのである。




———————・・・


 彼女は吹っ切れた。

迷い、悩み、怯え、苦しみながらも、〈ゲーグナー〉の命を奪って、己が【願望】をかなえることを選択したのだ。


もちろん、それで命を奪うことの罪悪感を無くしたわけではない。

奪った命は背負い、最後まで生き抜くことが自身に出来る償いであると、彼女は知っていたのだから‥‥。


・・・———————



「ふぅ…。」


灰原の傷の治療を行いながら、彼女は意識を集中させると、残りの五枚の「御神札」が彼女の周囲に浮遊する。


「…進藤さん!」


灰原が送るはずであった合図を蒼は壁と化した「盾」の向こう側にいる進藤へと送ると、数秒の時を経て「盾」は消失する。


「…行って。」


「盾」の消失と同時に彼女は右手で進行方向を差し、残った五枚の「御神札」を放つ。


「‥‥!?」


「盾」の消失後に現れた五枚の「御神札」に進藤は驚愕する。

今まで防御にのみ徹していた彼女の「御神札」は球体〈ゲーグナー〉を弾くのみで、攻撃の意志を「御神札」から感じられる事はなかった。


「(なぜ、彼女は攻撃をしないのだろう…?)」


球体〈ゲーグナー〉を処理しながら、進藤は彼女への疑問を抱く。

自由自在に操れる「御神札」を持ちながら、それを防御にのみ使う彼女に進藤は「宝の持ち腐れではないのか‥」と、どこか惜しむような…悶々とした思いで彼女の行動を見守っていた…。



 しかし、風を切る燕のように飛び出してきた「御神札」からは明らかな攻撃の意志を感じたのである。


ヒュー…と【刃】の因子を纏った五枚の「御神札」が文字通り風を切りながら、志村・雨崎のいる[黒い壁]の戦上へと舞進する———。


「なんだ?」/「…えっ。」


迫りくる〈ゲーグナー〉に「ナイフ」と「ブーメラン」の投擲を続けていた志村と「ランドセル」から機械仕掛けの腕(かいな)を多数展開し、最前線で[黒い壁]の処理に当たっていた雨崎の傍を横切る。


「…ここね。」


視線は灰原の腹部、右手のみを[黒い壁]へと向けていた彼女は放った「御神札」が最前戦に到達したのを感知すると、突き出していた右手で素早く円を描き、捻(ひね)り出すように右手を突き出す。


主の命に従い、【刃】の因子を持った「御神札」は大きく回転しながら多数の球体〈ゲーグナー〉が残存する[黒い壁]を削り始めた。


「□◆◇※※※※‥‥!!!」


〈ゲーグナー〉の悲鳴と共に乱回転しながら突き進む刃の嵐は十秒と経たないうちに[黒い壁]を貫通し、〈第二校舎〉の扉付近でピタリ…と動きを止める。


「‥‥すごい…。」


[黒い壁]に空いた大穴から〈第二校舎〉を覗いた雨崎は思わず声を漏らしていた。


灰原が抜けた穴を埋めるため、今しがたまで最前線で[黒い壁]を削っていた雨崎は攻撃と防御を同時進行で行いながら突き進んでいたが、一進一退を繰り返すのみで[黒い壁]の向こう側を見ることはできなかった。


だが、戦闘開始の序盤から灰原が前衛で道を切り開き、彼女と志村がその支援にまわっても半分までしか削れなかった[黒い壁]を紅葵 蒼は一撃で切り開いたのだ。


「戻って。」


突き出した右手で手招きする仕草をすると、〈第二校舎〉の扉付近に到達していた五枚の「御神札」は主の元へと戻っていく。


戻っていく際にも抜かりは無く、五枚の「御神札」は残存する球体〈ゲーグナー〉を蹴散らしていった。



まさに瞬殺…であった。

彼女が攻撃に転じただけで、両戦線の戦闘が即座に終幕を迎えたのである…。



浮遊する生命体は一体もおらず、渡り廊下は黒い亡骸で埋め尽くされた。


「「「はあ‥‥。」」」


一掃された渡り廊下を見た雨崎、志村、進藤は気が抜けてしまったのか…示し合わせたかのように座り込んでいた。


 蒼の治癒の効果で少しだけ意識が回復した灰原は全員の姿を視認する。


雨崎、志村に目立った外傷は見られなかったが、進藤に至っては身体の所々に噛まれた跡があった。おそらく、「盾」を壁として展開していた間は素手で〈ゲーグナー〉の相手をしていたのであろう。


————彼には本当に世話を掛けてしまった…。


「‥‥進‥藤。すま…かった」


意識は回復したが、言葉を上手く発するだけの体力は回復しておらず、か細い声で灰原は謝罪すると、座り込んでいた進藤は素早く立ち上がり、灰原の元へ駆け寄ってきた。


「灰原さん‥‥。僕のことは良いんです。それよりも‥‥。」


欠けた腹部と廊下に散った血痕、灰原の表情を伺いながら進藤は深刻な表情で灰原に声を掛ける。意識が朦朧としていた灰原には分からなかったが、予想以上に腹部の外傷は酷く、とても助かりそうなものとは思えなかった。


「紅葵さん‥‥。」


治療している蒼を見つめる彼の表情は不安に塗れていたが、灰原の腹部の様子を見ながら彼女は自信満々に答える。


「大丈夫‥‥あとは時間の問題だから…。」


そう答える彼女の傍らには、いつの間にか戻ってきていた五枚の「御神札」が浮遊していた。


「御神札」の帰還を確認すると、彼女は両手を灰原の傷口にかざし、【治癒】の因子を持った計十枚の「御神札」が深緑の光を放ちながら治療を再開する。



二つの「因子付与」により、分散していた本来の「EXTRA」の力が一つに収束し、先程までの治癒とは比べ物にならないほど、高い治癒能力を有した「御神札」はその速度を数倍にも上昇させ、灰原を瀕死にまで追い込んだ脇腹の傷を修復させていった…。




【Rs】「EXTRA」。

その真価は複製した「御神札」にあらゆる因子を付与し、操作する。

複製枚数と因子の付与は【Rs】Lvにより左右されるが、初期の段階から攻撃・防御・回復…さらには広範囲で遠隔操作が可能…という最強の【Rs】である…。




「ふぅ…。よし、これで大丈夫。」


額の汗を拭い、吐息と共に彼女は緊張を解く。

治療を終えた「御神札」が灰原の脇腹から離れると、大きく抉られた腹部は再生した桃色の皮が塞いでいた。内臓・骨・筋肉にも異常はなく、治療は見事に成功したのである。


「すま…い。蒼…。」


蒼に礼を述べた灰原であったが、彼女が行ったのは傷の回復のみで体力は底をついたままだったため、言葉に力が入らなかった。


「ううん。お礼を言うのは私の方…。」


か細い声に呼応するように彼女は小さくそう答えると、崩れ落ちた二体の人型の〈ゲーグナー〉の骸、渡り廊下を覆いつくさんばかりに多数散乱する球体〈ゲーグナー〉の亡骸をしばらく見つめると、軽く深呼吸をする。


「すぅ…はぁ。」


その時、彼女の身の内でどういった感情や思いが錯綜していたのかは灰原には分からない。だが、その数秒後に見た彼女の姿は誇らしく、実に清々しいものであった。


「ありがとう熾凛。これでおいしいご飯を食べられる…。」


一切の曇りもない。迷いもない純粋で素直な笑顔で彼女は灰原に笑いかけた。


「‥‥。」


その輝かしい笑顔に灰原が魅入られている間に校内のチャイムが鳴り、アナウンスが響き渡る。



『 田中様が帰られます。皆様、笑顔でお見送りしましょう。 』



襲来を告げた電子音が再び流れたという事は〈ゲーグナー〉の侵略が止まったのだろう…と灰原は彼女に奪われていた意識をチャイムの音で取り戻し、冷静に状況を把握する。


———————生き残ったのか…。


張り詰めていた緊張の糸は解けると、腹部に違和感が込み上げ始める。

痛みとはまた違ったその感覚は戦闘前にも味わっていたため、灰原は感覚により生じた身体の欲求を言葉にする。


「お腹…空いたな。」


息を吐くように口にした言葉は思いのほかハッキリとした声で発音されたために灰原の言葉を聞いた蒼と進藤を始め、いつの間にか駆け寄ってきていた雨崎、志村も座り込みながら笑い声をあげる。




‥‥この半日で色々なことがあった。


「神」を名乗る存在によって創られた「神様ゲーム」。

その内容は己の【願望】をかなえるために〈ゲーグナー〉の命を奪う事であり、奪い続ける事でもある。


‥‥それに対する様々な思いがあった。


自身の【願望】のために戦うか。それとも、ただこの世界で生き残るのか…。

何のためにこの世界に足を踏み入れ、【願望】のために何を為すのか‥‥。

『己の願望をかなえたければ戦え』

結局、あの人物が言い残したこの言葉へと回帰する。


‥‥【願望】のために「戦う」事。


それは〈ゲーグナー〉との戦いのみに当てはまらず、この世界で生きていく上で【願望】は生徒達の根幹となるものといえるのだろう…。


‥‥そして、この「戦い」に塗(まみ)れた生活が毎日続く。


「生者」、「死者」。そして…「記憶のない空虚なる者」。

どのような時代や世界を生き、どのような人や物に触れ、どのように死んだのか‥‥。

ここに至るまでの人生を経て、全く異なる独自性を持った彼らにとって、こうして笑い合う時間は非常に価値のあるものである。



‥‥だが、いずれの万物には終わりを迎える時が来る。



今後、彼らがどのような結末を迎えるのかは誰にも分からない。

誰が生き残り、誰が死ぬのかも分からない…そういう世界に彼らは在る。


それでも彼らは「戦い」を生き抜いたのだ…。

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