第3話

「……おぉう。そういうこと聞いちゃう系男子かゆっちー……」


「いやだから言いたくなければいいんだけど、小中学校のときも夏樹と紅葉にはそんなに特別接点があるようには見えなかった気がするし、よくくっついたなと思ってさ」


 なんなら小中学校に通っていた頃は、夏樹より俺の方が紅葉と仲が良かったと思う。そもそも俺は二人とそれぞれ友達だったが、三人が同じグループで遊んだ事はない。

 夏樹は当時からあまりグループに入るのが得意な子どもではなかったが、誘えば来るのでよく誘った。

 紅葉は昔からこのノリの良さから話しやすい女子の一人ではあったが、休みの日に遊んだりなんてことはなかった。

 もちろん、俺が当時の同級生の交友関係全てを把握しているわけもなし。俺が知らないこともたくさんあるだろうから、これはただの興味本位。


「あー。さっきさ、あたしが夏樹を同じゼミに誘ったって言ったでしょ。そのときは恋愛感情みたいのはなくて、純粋に、選択肢の一つとしてどう? って声掛けただけだった。知らない仲じゃないし、変わってるけど悪い人ではないってくらいは、昔から知ってたし」


 紅葉は記憶をたどるように訥々と、俺が合いの手を入れていくと調子よく話してくれた。


「高校時代で悪い影響受けて変わったとは思わなかったか」


「思わなかったねー。顔も全然変わってないし、気が弱そうなのも、無口なのも、たまに話せば最初つっかえちゃう癖も変わってないし、悪い子になってるなんてかけらも思わなかった」


 ふふっ、と優しく笑う紅葉は、もう俺の知る中学生までの紅葉ではなかった。


「夏樹を入れて、うちのゼミは八人になってね。四人一班で資料を作って発表する課題が出たんだけど、うちの班、色々アクシデントがあって……あたしと夏樹の二人で資料作りと発表をしなきゃいけない状況になったの」


「ゼミの人数が六人になったなら、相手の班の一人をもらえばよかったんじゃないか?」


「そうして欲しいって、ゼミの教授に相談したよ? そしたら『剣道の団体戦は五対五で行われるが、三対五の対戦が認められる。出場した三人が全員勝てば、次鋒と副将のところで不戦敗となっても試合に勝てるからだ』って言われました……」


 その教授から見て、夏樹と紅葉の二人でもその四人の班よりもいい発表をする可能性があると判断されたということだろう。紅葉が優秀であるが故の無茶ぶりか。


「で、まあ二人でそれぞれ資料作って、発表の二週間くらい前に、進捗の報告と発表の打ち合わせのために集まったの。でもそのときちょうど、あたしがあんまり体調良くなかったのよ。打ち合わせは午後からの約束だったけど、午前中にも別の予定があったし、どうせ外に出るんならと思って、青白い顔に少し濃い目のメイクもして、気付かれないように振る舞った。……つもりだったんだけど、打ち合わせをはじめて、すぐ言われたのよ。『今日調子悪そうだね』って、見抜かれちゃった」


「人のこと、見てないようで見てるのな」


「そうそう。なんでそう思うの? って聞いたら『いつもより声の張りがないし、今日に限ってあまり目を合わせてこないから、弱ってるように見える』って言われた。正直ちょっと気持ち悪かったわ」


 紅葉はまんざらでもなさそうに、あははと笑って続ける。


「それで、なんか張り切ってくれたのよ。そんなに要領よく作業できる人じゃないのに、『無理しなくていいよ』なんて格好つけて、頑張ってくれたのよ。それでやられちゃった。単純でしょ」


 自虐するように言うが、本心ではどうだか。思い出を語る紅葉は、とても幸せそうに見える。


「……夏樹は、昔からいい奴だったよ。戦隊ごっこをやるときも、みんなレッドとかブルーとかやりたがるから取り合いになるんだけど、夏樹が自己主張しないのをいいことに、『背も低くて、女みたいだからイエローかピンクな!』って決めつけられてた。嫌がりながらも毎回参加してくれて、毎回本気でやってくれるような奴だった」


「へ~、自分からごっこ遊びに参加するタイプには見えないから意外」


「俺が強引に引っ張って参加させたんだけどな。いざその場に立たせればやってくれたよ」


 ちなみに、当時レッドをやりたがる筆頭は俺で、イエローやピンクを押しつけてたのも俺だった。

 嫌々ながらも引き受けてくれて本当にありがとう夏樹。キミが当時それを原因に泣いていたら、俺はいじめ加害者として名が通ってしまっていたかもしれない。


「色々あるけど、付き合うきっかけはやっぱりそこだねえ。あたしは結構、気持ちで突っ走っちゃうタイプだし、他人に弱いところをあんまり見せたくない方だから、不調に気付いてくれる人は貴重なんだ。大切にしたい」


 紅葉は直情的なところがあり、そうなると自分も周りも顧みずに走り出すのは昔からだった。

 夏樹は夏樹で他人と違うペースでいることに慣れすぎていて、また自分でもそれを自覚しているからこそ他人に気を遣いすぎている。

 不安定な二人だが、二人とも心根がしっかりしている。他者への思いやりを持って生きている。


 この二人は、今日のような痴話喧嘩……小競り合いを繰り返して一緒になっていくんだろうなと、俯瞰した視点から二人のこれからを思った。


 そこで、ふと自分に立ち返ってしまった。


 俺は今付き合っている彼女と、この二人のように真摯に向き合っていないし、まして将来を見据えて一緒にいるわけでもない。

 タイミングとか、色々と要素はあるが、結局は寂しさを埋めるためだけに付き合っているようなものだ。いわゆる都合の良い存在。飽きたり、合わなくなったら変えるアクセサリーに近い。口に出して確かめたわけではもちろんないが、彼女も俺をそのように扱っている節がある。何番目にお気に入りのアクセサリーなのかわかりゃしない。


 一人の人間同士としてぶつかりながら交際を続けている夏樹と紅葉は眩しく、羨ましかった。

 同い年なのに、時間の止まった自分とは裏腹に、二人は未だ青春のただ中にいる。

 自分が急に無価値な人間に思えてきて、内心でひどく焦る。

 気を紛らわすため、戻るのが遅い夏樹を探しにでも行こうかと、夏樹が消えた方向を眺める。


 すると、ピンライトらしき明かりが二つ点灯していた。一つはスマートフォンの機能のライトだろう。


 ではもう一つ、人の頭くらいの位置で光るライトは――と考えたとき、サァーっと血の気が引いた。


 恐らくあれは、俺が付けているものと同じヘルメット装着型のピンライト。つまりご同業、もしくは。


「悪いけどちょっとここにいて」と、一瞬で余裕をなくした俺は紅葉に言い捨てて、早足で明かりのところまで行く。近づくと、やはり人影が二つ。


 一人は夏樹。もう一人は、警察官の格好をしていた。

 現実逃避して、考えないようにしていたことが起こってしまった。

 俺の現状を説明する。現場確認に来たはず警備員が、不審者と長時間楽しく談笑している。

 本社にまで『お宅の警備員はどうなってるんだ』とクレームが行っても言い訳できない状況だった。


 早足で動く間に怒られる心の準備態勢を整え、警察官の前に立つ。夏樹がすがるような目を向けてくるが無視する。お前は俺が怒られるのを黙って見てろ。


「ああ、キミが里島くんか。ご苦労様」


 初対面のはずの警察官に名前を呼ばれ、まさかのまさかで、またしても同級生かと思い、男性警察官の顔を見つめるも記憶にない。

 中肉中背で三十代に見えるがまるで見覚えがない。


「携帯見てごらん? 不在着信入ってると思うよ」と警察官に言われるがまま、スマホを取り出す。

 すると、待機所で寝ているはずの先輩社員から不在着信が二件。

 状況が掴めないまま、言われたとおり折り返しの電話を掛ける。


『おお里島。終わったか』と、先輩はいつもの調子で電話に出た。


「えっと、すみません。電話もらってたの今気付きました」


『ああ、現場でなんかあったのかと思ってな。いくつもない防犯カメラに男の子写ってたから、揉めてるのかと思ってな』


 夏樹のことだ。


『でもお前さんから応援要請も来ないし、なんか訳ありかと思って、そいつ行かせた』


 ちらっと警察官の方を見ると、警察官は自分を指さして俺のことだよとジェスチャーしてくれた。


『本当に不審者ならそいつに頼れ。お前のダチやツレがなんかの間違いでそこにいて、駄弁ってただけなら酔っ払いに絡まれたとかなんとか理由付けて、そいつに仕事振って戻ってこい』


「えぇっと……?」


『午前一時十三分。防犯センサーに反応あり。原因特定のため敷地内を探査中、酒気を帯びた近隣住民と接触。最寄り駐在所より警察官の応援を受け解決するも、原因特定には至らず。と、こんなところだろ』


 そんなことして良いわけないんですけど。


「あ、俺はキミの先輩から頼まれてここにいるだけだから、キミたちが通報されたとかじゃないから安心してね」


 本物のお巡りさんは俺の今抱いている一番の不安に答えてくれた。残るは一番の疑問。


「あの、先輩どうして」


 先輩がどうして庇ってくれるのかがわからない。

 今回勤務中に遊んでしまっていたのは俺で、俺が全面的に悪いのに。


『俺が見てきたお前のこれまでの勤務態度をかんがみて、そんな下手くそなサボり方する奴じゃないと知っている。怪我したとか死んだとかじゃないならいい。忘れてやる』


「――――――」


 言葉が出なかった。

 こんな一言で、社会人になってからの時間全てが報われたような気がした。

 普段何も言わないが、見てくれる人がいる。

 それが、こんなにも心を救ってくれることだなんて知らなかった。


 ――否、忘れていたのだ。


 見てもらえていることが当たり前だった子ども時代の思い出が蘇る。

 授業参観で、後ろを振り向くと必ず来てくれた親と目が合ったこと。

 運動会で、走っている最中にクラスからの応援の声が聞こえたこと。

 どれもかけがえのない記憶。ああそうだ、あのとき確かに力が湧いた。

 信じて、任せて、助け合って、励まし合って、そうやって人は生きるのだと、この場所で学んだのだ。


「先輩、ありがとうございます」


『おう』と返事をくれて、先輩は通話を切った。


 それを見て、先輩と顔なじみらしいお巡りさんが手を叩いて仕切る。


「じゃあもう良い時間だし、今ここでなきゃできない話がないなら解散しようか。一応確認だけしておくけど、君たち同士は友達で、身元わかり合ってるんだよね? 連絡先とか」


 先輩の計らいで、このままお咎めなしで帰してくれるにしてもだ。このお巡りさんと俺たちに直接繋がりがあるわけではない。必要な確認だった。


「お、お互い自宅の場所を知ってる仲ですが、携帯の番号は知りません」


 なぜ余計なことを言ってしまうんだ夏樹……。


「里島くん。友人の連絡先はちゃんと登録してあげなさい」


 お巡りさんは笑顔のまま圧力を放った。けれどそれで済ませてくれた。


 俺と連絡先を交換した夏樹は、紅葉と一緒に帰っていいということになった。帰り際、「近いうちに連絡するね!」「近いうちに連絡させるね!」とハーモニーを奏でた二人をお巡りさんと一緒に笑った。


 俺は少し残って、会社に提出する報告書について打ち合わせをした。口裏合わせである。

 終始申し訳ない気持ちを表に出したままでいる俺に、お巡りさんは言う。


「あんまり重く考えるのやめない? こんなの要は顔パスだよ。現場で実際になにか壊れてるとかだったらまた別だけど。……まあ朝になって明るいところで見たらやっぱりどこか壊されてましたって話になったら、そのときは俺とキミが、この小さい悪行の責任を負う。それだけの話」


 重く考えなくてもいいけど、悪事を働いた自覚は忘れるなとそういう意味だろうか。お巡りさんはただ巻き込まれただけだと思うのだが……本人は気にしていないようだ。


 先輩とお巡りさんの関係を聞くと、お巡りさんが子どもの頃に知り合って、先輩は幼かったお巡りさんにとても良くしてくれたらしい。詳しくは話してくれなかったけれど、それからの縁で『何かあれば相談してください』と、お巡りさんの方から切り出したという。


「俺が警察官になって落ち着いた頃は急に電話掛かってきて、イタ電がよく来たけど、そういえば今回は久しぶりにちゃんと頼まれ事の電話だったな。大事にされてるねえ里島くん」


 言われて、少し恥ずかしくなる。胸が温かくなった。

 自分で勝手に、悪く感じているだけだった。社会人になってからもずっと、止まっていたように感じた時間はきちんと動いていて、そこに自分は生きていた。


 打ち合わせを終え、お巡りさんにお礼を言って別れ、会社の待機所へ戻ってきたのはもう明け方。

 少しだけ、気恥ずかしくて躊躇いながら入室する。


「おう、無事済んだか」


 すぐ声を掛けてくれた先輩に、向き直ってお礼を言おうと近づくと、片手で制された。


「ずいぶんしっかりと現場を見回ってきたみたいだな。あー、爆睡してたら喉渇いたなー」


「……いつもの缶コーヒーでいいですか?」


 そうだ。先輩は電話で『忘れてやる』と言ってくれたんだった。

「おう」と返事を受けたので、待機所にある自販機で缶コーヒーを買ってくる。


 同じようには出来ないだろうけど、いつか自分にも後輩が出来たら、先輩のようにちゃんと面倒を見られるように頑張ろうと思えた。言外のニュアンスでのやりとりは、通じ合えているようで心が弾む。


 缶コーヒーを手渡すと、さっそく開けて飲んだ先輩は、いつもの調子。


「あー、なんか腹減ってきたな。味噌ラーメンが食べたい。甘い味噌のやつ」


「先輩、それ以上欲望のまましゃべられると色々台無しなんで、そのくらいにしてもらっていいですか」


 そうだった、こういう人だった。今回助けてもらったことで、先輩のこれまで色々ダメだったあれこれ全て忘れて尊敬するところだった。あぶないあぶない。


「なんだよ、夜勤明けのラーメン美味いだろ? おごってやろうと思ったのに連れねえの」


「やっぱり先輩のこと尊敬してます! これからも、よろしくお願いします!」

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真夜中に母校で 伊瀨PLATE @iseita

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