第十五話 都合の良い女、仲良井

 六限とホームルームが終わり、クラスメイトがぞろぞろと教室を発っていく。担任の中間考査を見据えろというありがたいお言葉も、生徒には大して響かない。そんなことより部活動の秋季大会が近いという話のほうが身近に聞こえる。部に所属しない、ちょっと不良っぽい女の子たちでさえ急ぎの用事があるみたいだった。


 程なくして空に近い状態になる教室。開けっ放しの窓から流れ込んでくる吹奏楽部の旋律。個々に練習しているらしく、いろんな楽器の音が耳に入った。今は不揃いだけれど、合奏になればそれぞれが大切なピースになる。


 みんなで何かを作り上げるということ。学校では定期的にそういう機会が設けられる。運動会や文化祭、合唱コンクールなんかがそう。ばらばらな個性が集まって、ひとつのものが出来上がる意義をわたしたちはいつの間にか学んでいるはずなのだ。


 だけど、何かを作るのに個性が必ずしも必要だというわけじゃない。


 均一化された没個性が作り出す完璧もまた、世界には存在し得るのだから。


「歌奈さん」


 隣で机に伏したまま、わたしのほうへ顔を向けた藍生が言う。


「『誰か』を探すのはもうやめる?」

「……それもいいかもしれない」

「だねぇ」


 一組に起こった変化は、そもそも害のある現象ではなかった。苦しむ人も悲しむ人もいないのなら、別に放っておいても構わないのかもしれない。


 むしろ望まれて起こった現象であるのなら、わたしたちが手出しする必要性もない。教師の関心も薄れているから、この件にかかわるのをやめようと思えばいつでもやめられる。


 でも、そうはならない。藍生もたぶん、同じ気持ちだ。


「助けてって言われちゃったんだ」


 小金井くんに。でも彼とは深い縁があるわけじゃない。少し気まずい理由があるだけで、今回の件がなければ話すこともなかった相手だ。


「こんなふうに頼まれたことって意外となかった。誰からにしても、縋られるのってけっこう重い」

「歌奈さんは頼まれるよりも先にやっちゃうタイプだから」

「そうだっけ?」

「自覚なかったんだ」


 藍生は小さく笑んで、目を瞑る。


「木野先生から僕の監視を頼まれたときには、もう歌奈さんは僕の保護者だっただろ」

「保護者じゃないけど」

「僕も歌奈さんに保護者になってって頼んだわけじゃない。だけどいろんな面倒をみてくれた。そのことをすごく感謝してるんだよ」

「それは、きみが死なないからって死んでもいいなんて思っているから。しかもそれを知っているのがわたしだけで、放っておけるわけない」

「だからこそ、僕はきみで良かったって思うんだ」


 目を閉じたままの藍生は、夢でも見ているかのように穏やかな表情をしている。


 初めて会ったときもそうだった。まだ誰も登校してきていない教室にひとり、すやすやと眠っている男子が居た。そこでわたしは、彼が特別な人間だと直感した。


 普段眠そうにしている彼だけれど、本当に眠っている姿を間近で見られたのは、あれが最初で最後だったかもしれない。それ以外は眠っているのを装っているか、ほんの数秒の浅い眠りのように見えた。そこにはちゃんと意味がある


 ――藍生が眠そうにしているのは、タイムリープに関する何かが起因していることを、わたしは知っていた。


「前に歌奈さん、言ってたよね。この先僕が時間を巻き戻したくなるような何かが起こるかもしれないって」

「うん」

「実はその通りなんだ。どうやら僕は、時間を巻き戻したらしい」


 申し訳なさそうに藍生が言う。


「でも僕にはその記憶がない。今の時間が巻き戻した後だという認識はあっても、それがいつを起点にしているか、巻き戻す前にどんな経験をしたかが思い出せない」

「わたしもわからない。巻き戻されたことさえ覚えてない」

「そっか。歌奈さんならもしかしたら、って思ったんだけれど」


 藍生が期待するのは、わたしがタイムリープを間接的に予感していたからだ。将来的に時間の巻き戻しが起こると想定すれば、現時点がタイムリープ前だという根拠は記憶だけということになる。


 でもその記憶とは曖昧なもの。頼り切ることはできない。


「たぶん僕はこの先で何かを失敗しているんだ。記憶を引き継げていないから、打開する方法がわからない」


 だから今回も巻き戻しをすることになる、とまでは藍生は言わなかった。


 約束がとっくに破られていると知っても、わたしは藍生に憤る気が起きなかった。ここにいる藍生は未来の藍生とは別人だと、どこかで思っていたのかもしれない。


 この藍生なら何とかできる、わたしとの約束を守ってくれる――そんな都合の良いことを考えている、自分の弱さ。


「きみが時間を巻き戻してるってことは、このままじゃ駄目ってことなんでしょう? 純先輩が言ってたみたいに、フラグというものがあるとしたら」

「それを折ってしまえば、巻き戻さずに済むかもね」


 言葉では簡単に口にできても、事はそう易しくなかった。タイムリープが行われているということは、それに足るだけの理由があるということで、予感しかできていない現状のわたしたちでは対策を立てられない。


 一番可能性のある未来としては、このまま一組の調査を続ける間に取り返しのつかないことが起こる場合だけれど――


「だから探すのをやめるなんて言ったんだね」

「……まぁ、約束したから」


 ふっと藍生が起き上がる。少し猫背のまま、視線は黒板に書かれた日付をなぞっていた。


「遠くない未来の僕が歌奈さんとの約束を破ったんだ。二度目はあっちゃいけない」

「一度破った人のことなんて信用できません」

「そうだよね、ごめん」

「冗談だってば」


 許すとか許さないとかいう前に、実感が湧いてこない。藍生が何か勘違いをしているというほうがまだ信じられそうだ。


 結局わたしは自分の都合の良いことばかりを信じている。傷のない所ばかりを切り取って、全てが理想通りの夢みたいな世界の中に居る。


 なんて不誠実で、無責任な在り方だろう。


 それを棚に上げて、藍生を許さないなんて身勝手だ。


「いいよ、破っても。わたしとの約束なんて、大したことじゃないでしょ」

「そんなこと言われても」

「だけど無理してるって顔に書いてあるよ」


 元々はわたしが人助けを手伝うために課した条件だ。それが反故にされたところで、わたしはもう自分の意思で人助けをすると決めている。


 藍生は余計な回り道をしない。わたしなんかよりもずっと早く答えを見つけられる。くだらない指切りに足を取られて立ち止まる必要なんてないはずなんだ。


「悩まないでよ、藍生。わたしのためにもさ」


 席を立って黒板の前へ。今日の日付を消して、明日の日付に書き換える。それから教卓の横に掛けられている教室の鍵を取る。教室の戸締まりはわたしの役目だった。


 藍生は何か言いたそうにしていたけれど、声を出すまではいかなかった。軽快な電子音が藍生のリュックの中から聞こえたからだ。


「……純先輩からだ」


 取り出した携帯を耳に当て、藍生は通話を始める。真顔で何度か相槌を打って、それから間もなくして通話は途切れたようだった。


「なんの用件?」

「よくわからなかった」


 なんだそれ、と思ったけれど純先輩だから仕方ないかもしれない。


 藍生も不可解だったらしく首をかしげた。


「とりあえず呼び出されたから行ってみようと思う」

「うん、そうだね」


 それでこそ、藍生だ。

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