第十四話 邁進する理想論者


「それで今日は二人で来たってわけだね。仲がいいなあ君たちは」


 揶揄うように手をひらひらさせて、純先輩は言った。


 ブラウスの上から紺のカーディガンを羽織っている。制服姿を見るのはこれが初めてだ。でもやはり、体躯の小ささから上級生には見えない。


「とはいえ感心しないな。自分は可愛い男子の後輩君と二人っきりでお昼を食べられるという権限と引き換えで色々と教えてあげていたというのに」

「そんな理由だったんですか」

「青春したいのさ。こんな自分でもね」


 レジ袋からカロリーメイトの箱を取り出した純先輩。爪の先でこつこつと突きながら、目で食事にしようと誘ってくる。


 中庭のベンチは四人掛けだ。でもわたしと藍生は純先輩と同じベンチには座らず、通路の反対側にあるベンチのほうに座った。通路の幅は人三人分しかないから、対面して話すのに支障はない距離だ。


「遠慮しなくてもいいのに」


 不服そうにする純先輩に対し、わたしは作り笑いで返す。


 怒っているわけじゃない。むしろ昼休みの数十分間、藍生の相手をしてくれていた彼女には好意すら感じている。


 こんな状況でなければ親しくなれただろうに――そんな想像が、わたしを淡々とさせていた。


「先輩はお昼ごはん、それだけで足りるんですか?」

「足りるよ。というか胃にあまり物が入らないから、少量で高カロリーなものを摂るしかないんだ」

「味気なくないですか?」

「大した問題じゃないさ」


 心底興味がない様子。一か月近く娯楽だけして過ごしていた人とは思えない。


 食事の話題を続けても仕方ないと感じたわたしは、持ってきていた弁当を開けて膝の上に乗せる。中学生の弟二人と同じおかずを入れてあるから、少し茶色の比率が大きい。


 これから食べようと箸を持ったとき、純先輩が興味津々に弁当箱を覗き込んできた。


「手が掛かってるね。女子力が高い」

「歌奈さんは毎朝自分でお弁当を作ってるんです。弟の分も」


 なぜか藍生が説明を入れる。


「なるほど、面倒見が良いのはそこ由来か……それはそれとして、なかなか美味そうな……」


 純先輩は宝物でも見るかのような目で弁当の具を眺めている。わたしにとってはありふれたお惣菜なのだけれど。


「……ひとついります?」

「是非とも!」


 即答。しかも素手で唐揚げを。


「おいしっ!?」

「それ冷凍食品なんですが」

「関係ないね! 料理は火加減だぞ!」

「いやだから冷凍食品なんです。レンチンなんですって」


 ワット数も時間もパッケージに書いてある通りだし。


 さっきの興味なさそうなそぶりは何だったのか、とても嬉しそうに唐揚げを咀嚼している純先輩。見ていると小動物っぽくて不覚にも癒される。


 その姿を同じく見ていた藍生はにこにこしていた――だからなんできみが自慢げなのか。


「先輩、いい顔して食べるなぁ。僕も唐揚げ欲しくなってくるなぁ」

「きみにはあげないよ、もうパンは渡してるでしょ」

「そうでした」


 ずっと手に持っているソーセージロールを忘れているはずはないから、多分冗談で言っているのだろう。でないと食い意地の張り過ぎだ。


 純先輩のもぐもぐする頬に気を取られているうちに、わたしの腹の虫も催促するように鳴きだす。空いた唐揚げのスペースに箸を入れて、小さく刻んだキャベツを摘まんだ。


 両親は共働きで、弟たちの分も含めて弁当を作るのはわたしの役目だ。昔から弟の面倒を見続けてきたから、他者の世話をするのを苦だと感じたことはない。だから特段偉いことをしているとも思いはしなかった。


 食事を持参してこない藍生や最低限の栄養食品で済ませてしまう純先輩を見ていると、わたしが特殊なのかと疑ってしまいそうになる。冷静に考えれば、認識を改める必要なんてどこにもないとわかるのだけれど。


 それぞれが食事を摂ったのち、最初に話を振ったのは藍生だった。


「ふぅん? 誰が言ったか知らないが、それは誤情報だな」


 炭酸水の入ったペットボトルにストローを挿して、純先輩は応える。


「正しくは、飯泉純を除く一組の全員が、だ。見ての通り、自分は普通に喋っている」

「確かにこの情報はまだ裏を取りきれていません。けれど、月曜から急速に敬語で会話する風潮が広まったことは間違いないんです」


 感染源になったのはバスケ部の元部長。そこから『敬語で話さなければいけない』という同調圧力が伝播し、数日のうちに今度こそ私語がなくなった。


「純先輩が登校するようになって変化が始まった。これについてどう考えていますか」

「どうもなにも、自分は関与していないとしか言えないよ。ちょうど十月になったからそういう動きが始まったのかもしれない。自分だって、復帰早々に妙な雰囲気に巻き込まれて困惑している」


 純先輩はそう言うが、一組の変化と彼女の復帰タイミングが一致してしまっている以上、嫌疑を晴らすのには相応の証拠が必要になる。


 ただ、わたしたちは純先輩が一組を裏で牛耳る『黒幕』だと


 可能性が完全に潰れているわけではないし、動機があれば人心掌握だってやってのけそうな底知れなさのある人だ。警戒するべき相手であることは間違いない。


 それを踏まえたうえで、わたしたちは彼女が黒幕でないと仮定した。


 理由は単純明快――飯泉純は、面倒臭がりだ。


「先輩、僕たちの考えはこうです。一組内の管理社会を構築するために、かなめとなる数人がそれぞれ役割を持たされている。彼らはクラスの中心人物で、それ以外の生徒を指揮する。元はといえば不真面目な雰囲気を作っていた中核が心変わりするのだから、周りは喜んで受け入れるでしょう」

「なるほど。でもその中核たちを『誰か』はどうやって従わせたんだ?」

「弱みを握ったとか危機感を煽ったとか、逆らえない事情を作ったんでしょう。どちらにしても、そこまでのことができる時点で『誰か』が常軌を逸しているといえますね」


 多くの下準備や手回しが必要になる。そんな面倒で利益も少ないことを純先輩が立案したとは思えない、というのがわたしと藍生の共通意見だった。


 学校に行かないほうが利があると宣い、食事は最低水準だけを満たした栄養食。


 最小限の労力で最低限の利潤を確保する――それが純先輩の主義。


 黒幕が謳う功利主義とは、けして相容れない思想。


「藍生くんの話で気になったんだが、役割というのは果たして中心人物だけが持つものなのだろうか」


 純先輩は指を自分の顎に当てて言う。


「フラグ管理、という考え方がある。ゲームのストーリー進行において、村人と話すことが次のイベントが起こる条件になる、ってやつ。特定の出来事をきっかけにして次の段階に進む、物語の展開上のお約束みたいなものだけれど」

「一見関連性のないような行動が全体への合図になるってことですか?」

「ああ。これを当てはめて考えれば、自分が不登校から復帰したことでフラグが立って私語禁止の風潮が広がったともとれないか」

「なるほど、それなら純先輩に知らせないまま役割持ちにすることができると」


 不登校生が再び学校にやってきたタイミングに、何らかの指令が作動する。この仕組みなら純先輩に疑いを持たせられる。


 クラスから浮いた存在に注目させ、黒幕は水面下でクラス内の環境を変化させる。囮を使い時間を稼ぎ、その『誰か』は何を成そうとしている?


 計り知れない企ての行き先はまだ見えず、不気味だ。


「最大多数の最大幸福、ってどうすれば達成できるんだろう」


 わたしの呟きに、純先輩が反応する。


「量的功利主義。なるたけ多くの頭数でなるたけ大きな利を得ることを最上とする思想だね。要は理想論だから、達成も何もないんだよ」

「身も蓋もありませんね」

「思想なんてそんなものじゃないか? あるべき姿を夢想して、そこに近付くにはどうすればいいかを考えていくうちに、それが不可能であることを知る。もしくは理想の欠陥に気がついて途中で方向の転換を迫られるかだ」

「じゃあ、一組で今起こっていることは何のためにあるんですか」

「自分に訊かれても困るけれど。しかしまあ、理想の形を成し遂げたいという気概は相当だと察するね」


 事実、黒幕はクラスをある意味で一つにまとめあげている。どんな方法であれ、それを実現してしまうだけの意志の強さがあるということ。


 いったい何がその『誰か』を突き動かすのだろう?


 これだけは実際にその人物に会って話さなければわからない気がした。

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