第十三話 はかれないもの
放課後は、小金沢くんの先輩と会って話した。
初対面のわたしからすれば彼は礼儀正しい男子でしかなかったが、面識のあった梨友先輩からすれば衝撃的な変貌だったらしい。
元を辿れば梨友先輩は小金沢くんの先輩にアポイントメントを取ったのが始まりであり、小金沢くんに接触する予定はなかったのだという。
内情を訊くつもりだった対象が様変わりしていることがわかり、梨友先輩は急遽彼の後輩に接触を試みた。月曜日に練習終わりのバスケ部を出待ちして、それで小金沢くんから詳しい話を聞いた、という流れだ。
わたしは梨友先輩が人知れず行動してくれていたことに感謝しつつも、真意は測りかねていた。そこまで協力する義理が彼女にあるようには思えなかったからだ。
正直言って梨友先輩とは全くと言っていいほど親交がなかったし、名前だって藍生のほうが先に出てきたくらい認知が薄かった。そんな人がわたしに親身になったりすすんで助力したりしてくるのは、どうしても裏があるように思えてしまう。
生徒会の立場から、わたしや藍生と利害が一致しているから協力してくれる。単純にそれだけで、深い理由もないのかもしれない。
小金井くんをわたしに引き合わせたのだって深読みする必要はなく、第三者を挟むことで情報に信憑性を持たせたかったというだけの話だろう。とりあえずわたしはその線で納得することにした。
バスケ部元部長との面会が終わって梨友先輩とも別れた後は、定例報告のために国語科準備室へ早足で向かった。狭い密室は夏場と比べればかなり長居できるようにはなったけれど、それでも待たせるのは申し訳ない。
入室すると、いつもの席で木野先生と藍生が座っていた。何やら話をしていたみたいだったが、わたしの姿を見た先生が「続きはまた今度」と話題を切っていた。
「仲良井さん、お疲れさまです」
「お待たせしてごめんなさい」
「いえいえ。事情は西見くんから伝えられていましたので。何か良い話は聞けましたか?」
「残念ながら、良くもなければ悪くもない話でした」
藍生の隣の席に座りつつ、ちらりと顔を覗く。相変わらずぼんやりした目で、本棚の背表紙を眺めていた。
わたしは何となく掛ける言葉を見失ってしまい、ひとまず先生への報告を先にする。
「今日会ったのは三年一組の男子です。彼は現在のクラス分けが決まった四月頃から既に一組の中核に位置していたそうで、教室を盛り立てるムードメーカーだったとか。クラスの雰囲気が変わり始めた二学期においても、推薦による進学がほぼ決まっていたということで勉強にはいまひとつ取り組めていなかったそうです」
ここまでは梨友先輩から事前に聞かされた内容だ。
本人から語られたのはこの先。彼から見た一組の現状。
「その人は、今の三年一組を『最適』だと言っていました。皆にとって最善の環境だと」
「最適、最善……ですか」
眼鏡に指を当て、眉間に細い皺を寄せる木野先生。
「どこかで聞いた台詞ですね。あれは他の、女子生徒でしたか」
「はい。加えて彼曰く『一組は最大多数の最大幸福に則って運営される』とのことで」
「功利主義ですか。いかにも受験生らしい」
木野先生はくすりと笑う。藍生は珍しく不機嫌そうに頬杖をついて言った。
「運営される、ってことはやっぱり裏で糸を引いてる奴がいるんだね」
「かもしれないけど、断定もできないよ。彼に訊いても肯定はしてくれなかったから」
「つまり存在を隠してるんじゃないか。というか、その人自体が黒幕なんじゃない?」
なんだか藍生らしくない口ぶりだ。裏に居る人物の特定をしようと焦っているように見える。
「証拠もないのに人を疑うのは駄目だよ」
やはり純先輩から何かしらの影響を受けているのは間違いなさそうだ。でもわたしはそっちの事情に口出しするつもりはもうない。それが不利益になるとしても、藍生自身が解決するべき問題だ。
元からわたしたちの距離なんて、そのくらいでちょうど良かった。
「最大多数の最大幸福に則るというからには善意なのでしょうね」
腕組みをしながら木野先生が言った。
「社会を構成する個人の幸福の総和を最大にすることを目的とする。ここでの社会とは三年一組のことを指すのでしょう。気になるのは何を幸福とするか、ですが」
「志望校に合格することじゃないですか? みんな受験生なんですから」
「そう考えるのが自然でしょうね」
もちろんそれだけが幸福じゃないとわかっているけれど、この時期に三年生の彼らが最優先すべき目標は間違いなく、理想の進路を辿ることだ。今後の人生を左右する選抜が行われようとしているこの時に、他の幸福論を追いかける余裕なんてないはず。
しかし彼らは、必ずしも統一されているとはいえない幸福の定義で画一的に最大幸福を目指している。全体のために個を棄てて、その異様さが波紋を呼んでいる。
これは本当に正しい形なのだろうか?
考え込んでいるうちに、再び視線を前に戻した藍生が話し始めた。
「幸福の総和なんですから、多数派の理想が叶えられるのは当然じゃないですか。ごく一部が受験合格だけが幸せじゃないなんて言い出しても、はいそうですねで終わりです」
「そうですね、西見くんの考えも尤もです。が、少数派の意見は多数派よりも発言者を特定しやすいし、問題の根本も探りやすい。私が疑問視しているのは、誰がその多数派意見をまとめたか、なんですよ」
実際に決を採ったのなら至って民主的だけれど、それを実現するための施策が許容されるためのハードルは高い。クラス内の大半がスイッチを切り替えたように真面目になった、というほどの強い統率力を発揮できる人物が一組には居るのだろうか。
「仲良井さん。今日会ったという男子生徒はそういった集団の指揮ができる人でしたか?」
「比較的できるタイプだと思います。バスケ部の部長だったそうなので」
「なるほど、それは役柄としては適任でしょうね」
木野先生は組んだ腕を解いて、それから右手首に巻いた時計を見た。
「もうこんな時間ですか。今後どうするかはお二人に任せます。報告も忙しいタイミングでなければ随時聞きますので、定例報告は今日で最後にしましょう」
一方的に告げた後、木野先生は足早に外へ出ていってしまった。呼び止める間もなく行ってしまったので、残されたわたしと藍生はしばらく何も言えないままだった。
夕陽が射して部屋は茜色に染まる。
本棚の影が蕩けるように形を変えて、まるで時間の流れさえも違ってしまったかのように感じる。それから、この部屋に藍生と二人きりであることをゆっくりと意識していく。
わたしは心を落ち着かせるため、疑問に思ったことを口にしてみた。
「先生はどうして役柄なんて言ったんだろう」
「その元部長さんが別の誰かに配役されたからだよ」
すぐさま藍生から返事が来たことに驚いた。彼が不機嫌なように見えたのは気のせいだったのだろうかと思うくらい、明瞭な返答だった。
「一組の中では何人かが役目を帯びている。クラスの雰囲気を真面目な状態に保つことも、他のクラスに内情を明かさないでいるのも、そうやって役を割り振っているからだって純先輩が言っていた」
「何のためにそんなことを」
「たぶんそれが一番効率的なんだろうね。『誰か』の初動は教室の外だったみたいだし、先に役割を決めてしまえば裏でも動きやすい。他の利点もあるのかもしれないけれど」
藍生は藍生なりに答えに近付こうとしていた。ただ純先輩に付き従っていたわけじゃなく、ちゃんと報酬として内情をリークしてもらっていたんだ。
それを知ったことで、胸の内につかえていたものが外れた気がした。
「じゃあ、仮に元部長の先輩が統率役なんだとしたらさ」
わたしは新たに浮かんだ疑問を藍生にぶつけてみる。
「さっき藍生が言ってたみたいに、彼自身が『誰か』である可能性はないのかな」
「それは歌奈さんが否定したんだろ。実際に会って話したきみが怪しいと思わなかったんなら、可能性はないよ」
めちゃくちゃ信頼してくれるじゃん。
わたしは頬が熱くなった。
「まあ、それは冗談として」
「冗談なんかい」
台無しだ。
「じゃあどうしてあんなこと言ったのよ。ちょっとムキになっちゃったじゃない」
「試してみようと思ったんだ。僕と別行動でもちゃんとやれたのかなって」
「それはこっちの台詞なんだけど」
少しの間の睨み合い。それからどちらともなく頬が緩んで、声を出して笑った。
わたしと藍生の関係は、歪んでいると思っていた。周囲に誤解されながら、互いが自身の責任や義務の都合で共に居るだけの、不当な間柄だと。
だけど、そんな捻じくれた関係性も今は居心地が良く感じる。
そしてこれ以上距離を縮める必要がないくらい、現状がわたしたちの最短なんだと気がついた。
ひとしきり笑い合った後、神妙な面持ちになって藍生は言う。
「歌奈さん、明日は僕と一緒に来てくれないか」
「言われるまでもないよ。何処へでもついてってあげる」
「ありがとう。きみが居るなら、安心だ」
どこまでが本気なのかはわからない。本人はきっと深く考えていない。
でも根っこのところで繋がっている何かが、わたしに彼を信じさせている。
わたしの心に熱を帯びさせるもの。
その感情に名前をつけるのは、今はまだ早いかもしれない。
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