第十二話 出来損ないの感情たち
次の日の昼休み、梨友先輩がわたしたちの教室にやってきた。
「一大事だよ歌奈ちゃん!」
「はぁ」
「えっ何どうしたのすごくテンション低い」
今日の梨友先輩はポニーテールで、三年六組で会ったときと同じ活発そうな雰囲気だ。こちらの方が意外と目立たないらしく、一般生徒に擬態するときには決まってこの姿で現れた。
「このあたしが二年の教室までやってきたっていうのに、反応がクールで驚いたよ。驚きすぎて一大事が二大事になっちゃったよ」
「それニュアンス合ってるんですか」
言われてみれば梨友先輩が直接会いに来るパターンは珍しい。廊下ですれ違ったときに少し話をしたりはしていたけれど、向こうからわざわざ訪問してきたとなると確かに事情は違うみたいだ。
「何かあったんですね?」
「ええ。ここでは話せないから外に出ましょう。藍生くんにも聞いてもらいたいんだけれど、彼はどこに?」
「あいつは――」
今日も藍生は純先輩に呼び出されている。おそらくは明日も明後日も、お昼は中庭であの人と一緒に食事をするのだろう。
不登校だった彼女の復調を助けるという名目があるから、藍生はとても律儀に純先輩の望みに応えている。それ自体は仕方のないことだと思う。
問題なのは、わたしの感情の行き場だ。
昨日のことがあってもなお、上手く割り切れていない自分。呆れるし、情けないしで、落ち込んだ。そういうへこみから、わたしのテンションは底這い状態なのだった。
「ああうん、言わなくてもわかった。というか最初からそんなこったろうと思ってたのよ」
だからそんな泣きそうな顔しないで、と梨友先輩。
見間違いだろうか。わたしは断じてそんな顔はしていない。
「ひどいね、彼。自分のしていることの意味をちゃんとわかっているのかしら」
教室を出て移動しながら、梨友先輩は労わるように言った。
気を遣われているのを感じつつも、わたしはため息ばかりを洩らしてしまう。
「わかってないですよ。今までも、ずっとそうでしたから」
人助けなんてしていながら、藍生は自分の行いに興味がない。
もっと言えば、自分の行いが誰かを助けられるなんて思ってもいないのだろう。
それでもなお、彼は他者のために行動し続ける。でなければ、ただでさえ希薄な自意識さえも消えて、存在意義を失ってしまう。
死なない藍生には、ヒトとして当然あるべき生存本能が存在しない。
つまり、彼がああなってしまったのは全部、あの能力のせいなのだ。
「わたしは、藍生を更生させたかったんです」
先輩に話したってしょうがないことだ。そう思いつつも、動き出した口は止められない。
「自分のことなんてどうでもいいみたいに振る舞う、あいつをそのままにはしておけなかった。だってそんなの、間違っているじゃないですか。他人を助けるなら、まず自分が救われてなくちゃいけないのに。でなきゃ単なる善意の押しつけです」
「そうだね。けれど、それでも救われている人は居る」
「はい。でも最近はわからなくなってきました。藍生は人助け以外に無関心で、助けられた人の想いに見向きもしていないんじゃないかって」
「そういう場面を見たことがあるの?」
「それは――」
記憶の中に意識を巡らせる。思い出そうとした場面は、霞がかかったようにぼやけて見えなくなってしまった。
奇妙な感覚だった。忘れていないのに、思い出せない。
「――わかりません。でももしかしたら、純先輩とのことが引っかかっているのかも」
「なるほど」
梨友先輩は手を打った。
「歌奈ちゃんは、飯泉さんが藍生くんを好きになったんじゃないかって疑っているわけね」
「えっ」
「違った?」
「違いま……せんけど」
どうなんだろう。藍生が好意を向けられるようなきっかけがあったようには思えないし、純先輩がそういう感情に興味のある人にも見えなかった。
そんなわたしの逡巡を見透かしたように梨友先輩が言う。
「藍生くんが本当に無関心なら、飯泉さんのアプローチにも気付かないでしょうね。でも万が一ってこともあるし、人助けを口実に交際を迫られるかもしれないっていう不安もある。何にせよ、歌奈ちゃんは藍生くんが横取りされないか心配なわけだ」
「横取りって……別にわたしは」
「そろそろ取り繕うのも限界だと思うけどねぇ」
けらけらと笑う梨友先輩。
「とはいえ当の藍生くんがあれじゃあ、周りが気を揉むのも仕方ないって感じだけど。彼が誤解されたままなのは彼の責任なわけだし」
「誤解?」
「おっと」
梨友先輩の目が泳ぐ。素でうっかりしたのか、それとも故意にヒントを出されたのか。
話しながら歩いているうちに、食堂横のテラスに到着する。食堂の中は混み合うので、食堂で注文した定食のお盆を持ち出して食事している集団が多くみられる。占める学生は三年と二年が大半で、ここならわたしたちの会話も目立たない。
空いた席に向かい合って座る。持参した弁当箱の紐を解きながら、わたしは問いかけた。
「先輩がわたしたちに会いに来たってことは、生徒会のほうで調査に進展があったんですよね」
「そうだよ。と、言いたいところなんだけれど」
はにかんでいるような、しょんぼりしているような、複雑な表情をする梨友先輩。
「ごめんね、事はそう簡単に説明できそうにないんだ。進展があったのは間違いないんだけれど、状況はますます難しくなったというか、わからなくなったというか」
「どういうことです……?」
「詳しい話をするのは、実はあたしの役目じゃないんだ」
そう言って先輩がわたしの後方へ向けて手招きをする。振り向くには少し窮屈な椅子のせいで、呼ばれた人物の顔を確認するのが遅れてしまう。
「紹介するよ。彼はバスケ部二年の
同級生でバスケ部と聞いて、嫌な予感がした。名前を聞いても照合できなかった予感は、顔を見た瞬間に確信へと変わる。
「久しぶりだね」
「……おう」
ワックスでつやをつけた尖りのある短髪。
その人は、五月にわたしへ告白してきた彼だった。
「部長の様子がおかしいんだ」
わたしたちが弁当を食べ終わるのを待って、小金沢くんは話し始めた。
「面倒見のいい先輩で、部活を引退した後も練習にちょくちょく顔を出してくれる人だった。二学期になってからは流石に勉強で忙しかったみたいだけど、それでも週に一度は部活を見に来てくれていたんだ――なのに」
以前の自信に溢れた様子とは異なり、小金沢くんの顔色は青白く落ち込んでいるようにみえた。
「今週になって廊下ですれ違ったとき、いつも通りにこっちから挨拶をした。部長は俺に気付いて、返事をしてくれたよ。『おはようございます、小金沢さん』って」
「随分他人行儀だね」
「そうなんだ。部長は俺のことを呼び捨てにするし、後輩相手で語尾にございますなんて付けてるのは聞いたことがなかった。何かの冗談ですかって俺が訊いても、気持ち悪いくらいの丁寧語で返してきたんだ」
この件の要点はそこか。わたしは梨友先輩と目を見合わせる。
「あのさ、小金沢くん。その部長さんって、何組の人?」
「クラスか? 確か、一組だったと思う」
推測が当たった。やはりというか、繋がるとしたらそこしかない。
しかし、なぜ今頃になって? 私語を一切しないクラスだというのは、一旦否定されたはずなのに。
「他の先輩に訊いてみても、部長がどうしてああいう口調になったのかは誰も知らなかった。受験生だからじゃないかって笑ってた先輩もいたけど、それがどうしてああなるのか俺にはわからない」
「今週に入っていきなり変わった、ってことだよね?」
「ああ。金曜日の放課後に部活で会ったときは普通だった」
土日の間に何かが起きた――と考えるのが自然だろうか。バスケ部の元部長が一組の生徒という点から、他のクラスメイトとの関連も疑われる。
変化があったのがその部長だけだというなら、話はもっと小さな規模で済むだろう。でもおそらく梨友先輩は先に裏を取っているだろうし、小金沢くんの証言や意思も含めた上でわたしに情報を提供しているのだと考えられる。
なんという回りくどさ。
もしかするとこの状況、梨友先輩のお節介でセッティングされたのかもしれない。
「仲良井」
弱気な面持ちで小金沢くんがわたしの名前を呼ぶ。
「俺、不安なんだ。情けないって思われるかもしれないけどさ。ずっと頼りにしてた先輩が急に変わっちまって、捨てられたみたいな気持ちになった。部長に能力を認めてもらえて嬉しかったのが、全部嘘だったみたいに感じる」
小金沢くんにとって、部長の存在は彼の自意識を支える大事な柱だったのだろう。部長に認められたことで得ていた自信が今、揺らぎ始めている。
わたしにもわかるよ、その気持ち。
人の感情は、自分自身だけでは処理しきれないくらいに膨張するもの。誰かに寄りかかりたくなるのも、よくわかる。
「仲良井が西見と二人で慈善活動をしてるって話、噂で聞いたよ。何でも困ったことがあったら、きみが助けてくれるんだよな?」
「わたしが――」
当たり前の範囲で、当たり前の人助け。
でもそれはわたしじゃなく、藍生に課した条件だった。やりすぎないための、逸脱してしまわないための制限。
わたしは藍生を縛るための枷だったのだろうか? きっと違う。わたしだって誰かのために行動してみたかった。だから今、ここにいる。
そうだ、そうだよ。
最初から、わたしはやりたいことをやってきたじゃないか。
「――うん、助ける。出来る限り、あなたが安心できるように頑張るよ」
内心の葛藤なんて、後で好きなだけこねくり回せばいい。
まず目の前にある霧を晴らすのが、今のわたしのやるべきことだ。
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