第十一話 無垢なる偽証

 翌週の月曜日。純先輩が登校してきたと木野先生から報告があった。


「驚きました。まさかこんなにあっさり復帰してくるなんて。仲良井さんはいったいどんな魔法を使ったんですか?」


 純粋に称賛の眼差しを向けてくる木野先生。彼女にとってこの展開は予想外だったようだ。


「特別なことは何もしてません。そもそも純先輩は今日から学校に来るつもりだったようです」


 あの小柄で大仰な先輩は、不登校の理由を語り終えた後に言っていた。


「『君たちが来る前から、十月になれば顔を出すつもりだったのさ』って」

「変わった喋り方ですね」

「好きなキャラの真似だそうです」


 木野先生は不可解そうな顔をしていた。わたしだってよくわからない。


 ともかく純先輩は学校に来るようになった。あれだけ一組を警戒していながらも、出席日数の関係で行かざるを得ない状況だから仕方がないらしい。裏を返せば、約一か月程度は欠席し続けても支障がないと計算したうえでの不登校だったことになる。


 純先輩の様子や話を見聞きした限り、彼女自身がいじめの被害者だという線はほぼ消えた。以前からクラスのはぐれ者だったようだけれど、陰湿な攻撃の標的にされることもなく、彼女曰く「居心地は悪くなかった」という。


「飯泉さんの言を信じるなら、彼女はいじめを苦に不登校になったわけではないのですね」


 ほっと胸を撫で下ろす先生。


「安心しました。元々浮いた雰囲気のある子でしたから」

「本人はいじめられる側の人間じゃないって言いたげでしたけどね」


 でないとあそこまで笑いのツボに入ったりはしないだろう。


 意外な展開だったけれど、これで木野先生の危惧していたいじめの存在は否定された。教師間で問題視され始めていたという飯泉純の不登校も解消され、一挙両得といったところだろうか。


 職員室へ向かう木野先生を見送った後、わたしは自分の教室へと一人で戻った。


 いま隣に藍生が居ないのは、彼が昼休みに純先輩と会う約束をしたからだ。最初はわたしもついていくつもりだったのだけれど、ちょうど昼直前の授業担当が木野先生だったのもあり、今回は二手に分かれることにした。


 そう決めたときは何とも思わなかったものの、実際にやってみると奇妙な違和感があった。効率を考えれば別行動をとるべき場面はあったのに、何故今までそうしなかったのだろう。


 彼から離れてしまうことで、わたしの心の支柱は揺らぐ。校外はともかく、校内では少しでも視界に入らない時があると、落ち着かなくなる。


 最初は自分にそんな束縛にも似た欲があることにショックを受けた。それから、どうしてわたしがそこまで藍生に執着するのかを考え直した。ずっと行動を共にしているうちに、当初抱いていた感情に変化が起きているんじゃないか、と。


 今のところ、その疑問への答えは保留している。


 自分自身の心さえ、わたしにはよくわからない。



 

 昼以降の授業が終わり、わたしと藍生はまた二人で行動を開始する。


 ただし今日の予定は昼休みの間にあらかた済んでしまっていたので、情報共有くらいしか合流する目的はない。もうすぐ中間考査期間に入ることもあって、早々に学校を出ることになった。


 停滞していた前線が動き出し、強い秋風が吹く通学路。歩きながら藍生の表情を窺う。普段通りの何も考えていなさそうな顔が、今日はなんだか険しく見えた。


「純先輩に何か言われたの?」

「……別に」


 明らかに怪しい。


 純先輩は悪い人ではないと思うのだけれど、飄々としていて快楽主義的な印象がある。面白さを求めて、変なことを藍生に吹き込まないとは言い切れない。


「じゃあ何の用事があって呼び出されたわけ?」

「大した理由はなかったそうだよ。せっかく交換した連絡先に適当にメッセージを送ってみたかったからとか、不登校明けに独りで昼ご飯を食べるのが寂しかったからとか」


 どちらも純先輩が言いそうな理由だ。とはいえ、それだけだとも思えない。


「純先輩の昼ご飯を教えよ」

「なんでちょっと偉そう……カロリーメイトとウィルキンソン」

「女子高生の昼食とは思えないね」

「純さんに女子っぽさは期待できないかと」


 まぁ初対面があの部屋であの恰好だったから。純先輩には悪いけど自業自得だ。


「一緒にお昼を食べたくらいならすぐに帰ってくるよね。何話したの?」

「取るに足らない雑談だよ。報告するようなことじゃない」

「ほんとに?」

「……今日の歌奈さん、なんかおかしい」


 煩わしそうに藍生が言う。


「少し別行動したくらいで心配しすぎだって。監視役だかしらないけど、そんなに僕が信用できない?」

「っ、そういうことじゃなくって、ちゃんと情報は共有しようってきみも――」

「だったらこれ以上訊いたって無駄だよ。本当に、大した話はしていないんだから」


 露骨に話題を終わらせたがる藍生。


 本来のわたしなら、藍生が歯切れ悪く返事をした時点で興味を失っていたはずだ。だけど情報共有とかいう不文律の建前で、どうでもいい雑談の内容まで追求している。


 素直に話してくれればそれでいいのに――こんな憤り方をする自分に、自分でも戸惑っている。一緒にいるうちに錯覚してしまったのだろうか。過度にプライベートへ干渉して、彼女面をしてしまうほどに。


 立ち返れ。わたしがやりたいことは、こんな出来の悪い葛藤じゃない。


「わかった、この話はこれで終わり」

「うん」

「だから今度は別の質問をさせて」


 不意を打って藍生の腰辺りを右手で掴んだ。


 吹き荒ぶ突風の中で、掻き消されないように声を張る。


「きみさ。また死のうとか思ってない?」


 すぐに返事は来なかった。


 立ち止まったわたしと藍生の間を風が通り抜けていく。はためくスカートの裾が脚に当たって音を立てている。彼のブラウンの髪が煽られて、顔の輪郭が普段よりもくっきり見えた。


 この顔――男の子とも女の子ともとれる、どっちつかずの容貌にわたしは不安を覚えていた。


 どちらかに固定しないと、ふわふわと浮かんでどこかに飛んでいってしまいそうな、透明な彼の表情。


「僕は死なないよ」


 それは嫌というほど知っている。何度死んだって、生きていた時間に立ち戻られる西見藍生。


 卑怯な奴。みんなと違う世界に居ながら、平然としていられるなんて。


 そんな今の藍生だから、わたしは眼を離すことができない。


「笑わないで聞いてね」


 唐突な頼みに、何も言わず頷いてくれる藍生。


 それが優しさだということも、彼はきっと自覚していない。


「悪い予感がするんだ。きみがわたしの約束を破ってでも時間を巻き戻したくなるような何かが、これから起きるかもしれないって思ってる。だから、少しでもきみの傍に居られない時間があることが、とても怖く感じるの」


 わたしがこんなに弱いなんて、知らなかった。知りたくなかった。


 藍生に苛立ちのようなものを覚えていたのは、彼が素直に言う事を聞いてくれないからでも、約束を破るかもしれないからでもない。


 藍生を信じてあげられない、自分自身に腹を立てていたからだ。


「歌奈さんには敵わないなぁ」


 透明な表情が、微笑みに変わる。


 笑わないでと言ったのに――いや、彼がそういうつもりで笑ったんじゃないとわかっているけれど――綺麗な笑顔で、藍生はわたしと向き合った。


「大丈夫、。だいいち、調査はもうすぐひと段落するじゃないか。心配のしすぎだよ」


 そのとき、わたしは気付いてしまった。


 という言葉を西見藍生が発することの意味。


 それは即ち、既に事象が確定しているのを知っているということに他ならないのだと。

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