第十話 ゲーミングチェア探偵
「こんにちは、
インターホン越しなら嘘を見破られる確率が落ちると信じて、勢いよく。
その作戦が功を奏したらしい。不登校生、飯泉純の母親は想定していたよりもあっさりと迎え入れてくれた。スムーズに彼女の居る部屋へ案内してもらうことができ、はっきりと順調だ。
「まずわたしが一人で入る」
母親が階段を下りたタイミングを見計らって、扉を開ける前に藍生と打ち合わせる。
「向こうは知らない相手で警戒すると思うから、刺激しないように事情を説明する。それで話を聞き出せそうな感じがしたら、中からドアをノックするよ」
「緊急の時の合図は?」
「ちょっと大きな声でビーフストロガノフって言う」
「了解」
もう少し短い合言葉にしておいたほうがよかったかな、なんて思いつつ。
わたしは肩の力を抜いて、ゆっくりとドアノブを回した。
「うわっ」
最初に感じたのは刺さるような寒さ。扉の隙間から出た部屋の空気がほんのちょっと触れただけで、その中がどういう環境なのか察することができた。
過剰なまでの冷房と、薄ぼんやりとした明かり。
まるでここだけが夏休みに置いていかれたみたいだ。
「きみ、誰?」
声を掛けられ、はっと気がつく。
そこに居たのは、黄色のパジャマを着た女の子だった。身体がわたしよりもひと回り小さく、垂れ目なのもあってとても幼く見える。しかしか弱そうな姿とは対照的に、厳ついヘッドホンを首から提げていた。
「わたしはあなたの後輩です。飯泉純さん」
たぶん。けどもしかしたら彼女の妹なのかもしれない。
純先輩(仮)は突然の来訪者にかかわらず冷静な様子で、わたしをじろじろと眺めまわしてきた。初対面の相手にする反応としては、ワーストではないにしてもバッドな感じ。
「ふーん。まぁ詐欺師ではないみたいだな。うちの制服を着ているし、人を騙せるツラでもない」
妙に芝居がかった口調だ。そっちこそ胡散臭い。
「で。その後輩が、
「学校に来ない理由を訊きに来ました」
「そんなことだろうと思った」
くるり、と純先輩(仮)の身体が横回転する。座っていた大仰な椅子の背もたれが、彼女の身体を丸ごと隠してしまう。
「いいよ、話す。でも少しだけ待っててくれないか。朝限定のボスドロップを回収しておきたいんだ」
「ボスドロップ……?」
「とても大事なものだよ」
背もたれ越しに覗き込む。そこには三台ほどのモニターが並んでいて、何やら忙しなく映像が動き続けていた。
「興味ある? ネトゲ」
ネトゲ――それがネットゲームの略であることは、上の弟が話していたのを聞いて知っている。なんでもネトゲに夢中になり過ぎて、学校に来なくなった友達がいたとか。
もしやこの人も、その類いなのだろうか。だとしたら不登校の理由は。
「ところで外で待っている彼に合図は送らないのかい」
「え」
「丸聞こえだったよ。ドアの前で話していたことは、このヘッドホンで」
純先輩(仮)は首元のヘッドホンを指差し、それからモニターの右端を指す。
隅に表示されたウィンドウには、廊下で三角座りしている藍生が映し出されていた。
「自分としては、ノックよりも合言葉のほうが愉快だね」
「そっちは緊急時用です」
内心驚いてばかりだけれど、表面には出さないよう口元に力を込める。
相手のペースに呑まれていては、訊きたいことも訊けやしない。思ったよりも警戒されていないのはラッキーでも、侮られたままではこちらが不利だ。
「でも、いいんですか」
「何がだい?」
「そこで待機しているあいつ、無害そうに見えて性欲旺盛ですよ。女の子の部屋に入って、無防備なあなたを見たらきっと暴走します」
「ははん。それはまた、厄介な猛獣を連れてきたもんだ」
洋画の俳優みたいに、わざとらしく笑う女の子。
「そのときは、元気よくビーフストロガノフとでも叫ぶとするさ」
「あらためて自己紹介するよ。自分の名前は飯泉純という」
藍生を部屋内に招き入れたのちに、純先輩(確定)はそう名乗った。
わたしの誇張表現(かどうかは知らない)を真に受けたわけではないだろうけれど、流石にパジャマ姿を異性に見られるのには抵抗があったようだ。くるくると巻いた寝癖の髪を直し、全身をすっぽりと覆う起毛のルームウェアを着て、一応態勢は整えていた。
でも恰好のだらしなさはあまり変わっていない気がする。
「それで、君たちは誰に頼まれて来たんだい」
「木野先生です」
「国語科の眼鏡お姉さんか。担任の鼠オヤジではないとは思っていたが」
「それはどうしてです?」
「自分が不登校の間、あいつは一度だけ家の前まで来たっきりだからな」
不快感を隠しもしない純先輩。
「あのおっさんが何を考えているのか知ったことじゃないが、無理やり部屋から引っ張り出そうとしなかったことだけは評価できる。このまま腫れもの扱いで適度な距離を保っていただければ幸いだね」
「今後も学校には来ないつもりですか」
余計な話は要らないと言わんばかりに、藍生が切り込んだ。
純先輩はわたしにしたように藍生の全身を椅子の上から俯瞰する。ひと通り済んでから、ひゅうと短く口笛を吹いた。
「西見藍生くん、だっけ。名前は知っていたけれど、実在したんだね」
そんな都市伝説みたいな。
「君がここに来たということは、自分の引きこもり生活は今日で終わりなのかな」
「その予定です」
「ふぅん」
身なりからはそう見えないけれど、飯泉純は年上だ。それに言動から伝わる賢さや、部屋の外をモニタリングしている用意の周到さから、一筋縄でいかない人物だとわかる。
そんな彼女が学校に来なくなった理由は、薄々予想がつき始めていた。
「純先輩は、ゲームがしたくて引きこもりになったんですか?」
「その問いには半分イエス、半分ノーで答えよう」
藍生の質問に対してそれじゃあ、答えていないのと同じなのでは――と突っ込みそうになるが、この前藍生に突っ込み役と認識されていたことを思い出し、とどまる。
「ネトゲは時間を費やすに値する、いわば承認欲求充足装置だ。カタルシスでいえば現実の比にもならない効果がある。これを知ったら学校に行って勉強なんて馬鹿馬鹿しくなるさ」
「麻薬中毒者みたいなこと言ってますね」
「反社会的組織に金が渡らないだけクリーンだよ。それに自分は中毒ではない」
中毒患者がよく口にしそうな台詞を言ってのけて、純先輩はにやりと笑った。
「イエスの理由はそんなところだ。で、残り半分の理由についてだが――」
「クラスでいじめを受けていたから、じゃないですか?」
相も変わらず単刀直入。配慮も何もあったものじゃない。
けれど純先輩は気分を害するどころか、足をばたつかせて甲高い声で笑い始めた。
「あっはっは! 誰がそんなことを言ってたんだ、的外れもいいとこだな!」
「違うっていうんですか」
「当然。あー久しぶりに腹筋を使って笑ったよ、明日は筋肉痛だな」
まだ笑いが収まらないのか、純先輩は口元をルームウェアの余った袖で押さえていた。
「まったく、自分がいじめ被害に遭うような人間だと思われていたとは心外だよ」
「でもあなたは学校生活に馴染みにくそうな性格してるじゃないですか」
「ぶふっ!」
噴き出す純先輩。何食わぬ顔の藍生。
もうやだ、早く帰りたい。
「な、仲良井ちゃん、彼はいつもこんな感じなのかい……くくっ」
「失礼な奴ですみません。でも悪気はないんです」
「そっか……それはますます、残念な男だな……」
純先輩は小刻みに震えながら笑いを堪えていた。
先輩の息が整うのを待つのに八秒ほど費やした後、改めて訊く。
「いじめが原因でないのなら、なぜ純先輩は学校を休んでいるんですか?」
「単純な話だよ。学校に行かないほうが、総合的に利があると判断したからさ」
予想外の回答。
不登校になる中高生は『学校に行きたいけど行けない』というギャップに苦しむものだという。だから行けない理由を判明させ、それを取り除いてやることが復帰の一助になると木野先生から聞かされていた。
でもこの先輩は違う。自ら望んで学校に行かない選択をしている。
より端的に言えば、彼女は助けを求めていないということだ。
「受験資格や卒業要件を鑑みても、飯泉純という生徒の状況はそこまで切迫していない。だから悪評を嫌うあの担任も、自分のことは様子見という名の放置をしている。一ヶ月程度休んだところで、痛くも痒くもないというわけさ」
「なら、休むことにどんな利点があるというんですか」
「利点じゃない。総合的に利がある、と言っただろう。自分なりに利害を足し引きした結果として、あの教室には踏み入らないことが最適解になっただけの話。だって」
三年一組は、もう手遅れだからね。
飯泉純ははっきりとそう言った。
「それは、どういう意味ですか。一組に何があったっていうんですか」
いつになく強い語調で藍生が訊いた。純先輩は首を横に振る。
「自分も詳しくは知らない。ただ夏休みが明けた初日、あの教室に蔓延る空気は、以前とまったく別物だった。異質と言い換えてもいい。近い表現を選ぶなら、あれは同調圧力に似ていた。一様に大人しくしていろ、足並みを乱す者を許すな――誰もが誰かの影に怯えていたんだ」
それが本当なら、その『誰か』が企図して現状の一組を作り上げたことになる。情報を統制し、おそらくはクラスの個々人にも働きかけて。
コウ兄さんの読みは正しかった。
だが反対に深まってゆく謎が、わたしたちの足取りを重くする。
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