第八話 これってそういう話なんですか
生徒会室にいた見知らぬ女生徒は、一組の所属だった。
コウ兄さんが彼女に目を付けた理由は二つ。ひとつは現状の一組を肯定的に捉えているということ。もうひとつは、クラスの中核から離れた位置にいる人物であること。
「今の一組は最適なんです。このまま卒業までとはいかなくても、受験が終わるまではそっとしていてほしいと思っています」
わたしたちの前で彼女が語ったのは、まとめてしまえばたったそれだけでしかなかった。
静かで真面目なクラス。受験を強く意識している生徒にとって、この状態が続くのは望ましいことなのだ。不真面目な生徒が多かったというなら、なおさらに。
彼女の意見はとにかく真っ当だった。一組が変わったことによって利益が生じているのを非常にわかりやすく体現しているサンプル。
聞き取りに一区切りがついたところで、その女生徒は足早に生徒会室を去った。塾の講義があるらしく、もうあまり時間がないらしい。
「どう思う? 藍生くん」
「想像以上に受験生は忙しいんですね……来年が憂鬱です」
「そうじゃなくてだな」
藍生の天然ボケにコウ兄さんは微妙な顔をする。
「彼女の発言におかしなところはなかったか?」
「特になかったんじゃないですか。かなり素直に答えてくれていましたし」
わたしも隣で頷いて肯定する。
コウ兄さんが藍生に意見を求めるのは意外だ。信頼とは別に、藍生の洞察力を認めている感じがする。あくまでわたしから見て、だけれど。
兄さんの本心はなかなか察せるものじゃない。幼馴染のわたしでも、底知れない。
「彼女の言っていたことは、模範的だった。真面目に自分の将来を考えて、受験生としてはおそらく本当に最適な状況判断をしている。俺も反論の余地はなかったよ」
既に日が傾き始めている窓の外を見やって、コウ兄さんは息を吐いた。
「歌奈はどう感じた?」
「わたしもおかしいとは思わなかった……です。もし自分が同じ状況のクラスにいたとしたら、彼女と似たような認識を持つと思います。ただ」
「ただ?」
「人っていろんな見方ができると思うんです。真面目な受験生としての目線があるように、勉強の息抜きをしたい学生としての目線もあるはず。クラスの雰囲気が固くなって気の休まる時間がないとか、そういう発言が出てもおかしくない。でもあの先輩はそれを一言も発さなかった」
「なるほど」
「その面で見て彼女は、視点が固定されすぎていた。確かに模範的ではあったけれど、人間的ではなかったように感じました……って」
言い終えて周りを見ると、コウ兄さん、藍生、それから梨友先輩の視線がわたしに集中していた。
「な、なんですか、わたし何かおかしなことを言ってました?」
「いや、そんなことないぞ歌奈。鋭い意見だ」
「あたしも歌奈ちゃんに言われるまで考えもしなかったよ。すごいね」
「そ、それほどでも……えへへ」
褒められ慣れていないから照れる。自分では大したことじゃないと思っているんだけれど。
熱を帯びるわたしの頬が冷め始めた頃合いに、藍生が言った。
「視点が固定されているというなら、他の一組の生徒からも話を聞く必要がありそうですね。一組内での別の視点も、できれば複数知っておきたい」
「それならあたしに任せて。詳しい話をしてくれそうな子を探してくるから」
「助かります」
「利害は一致してるからね、協力しないほうが面倒ってものでしょ」
にっと白い歯を見せてサムズアップする梨友先輩。明るい人だ。
「って言ったそばから申し訳ないんだけれど、次の聞き取り相手が見つかるまでちょっと時間が欲しいの。さっきの子に漕ぎつけるのも実はひと苦労だったんだ」
「そうですか、時間がかかるなら別にいらな――むぐっ」
咄嗟に藍生の口を塞ぐ。
「いります! 待ちます! よろしくお願いします!」
「あ、うん、こちらこそよろしくね」
危なかった。なんでもかんでも自分でやったほうが早いと考えるのは藍生の本当に悪い癖だと思う。
協力してくれる人手が増えたほうが余裕だって出てくるというのに、どうして藍生は他人を頼ることを考えないのだろう。
わたしが彼の傍に居るようになってからも、彼が自分から頼ってくれたことは一度もない。いつまでたっても信用してくれないみたいに感じて、わたしもわたし自身を信頼できなくなっていった。
他人の気持ちは想像するしかない。だからちょっとくらい、言葉にしてほしいのに。
「なにするのさ歌奈さん」
「ばか、好意で言ってくれているんだから甘えておくべきだよ」
「でも調査が止まるし」
「わたしたちはわたしたちで調べればいいの。三年生以外でも知っている人はいるかもしれない」
といっても正直あまり期待はできない。とりあえずこの場で藍生が納得してくれれば問題はなかった。
腕を組み、小さく唸るような声を出す藍生。不服そうではあるけれど、まだ許容範囲といったところだろうか。
「そういえば兄さ……間島先輩がわたしたちにしたい話っていうのは何だったんですか?」
「ああ、それはな」
黒板の絵を消す手を止めて兄さんは言う。
「生徒会のスタンスは示しただろう。だから君たちにもどういう立場で調査をするのか、はっきりさせてほしかったんだ」
「情報交換、ですか」
「ああ、とても重要な事だ。なぜなら生徒会は教師たちと別の考えに従って動く。もし君らが君らの依頼主の方針に沿うというなら、俺たちと衝突する可能性だってある」
衝突。思いもよらなかったその言葉に、首筋が痺れるような感触を覚える。
「梨友の許可が出てここにいる以上、君たち二人も無視できない存在になった。俺はね、なるべく不確定要素を増やしたくないんだよ」
わたしを見る、コウ兄さんの眼は穏やかだ。でもそれは普段接しているときのような優しい彼のものではなく、静かで揺るぎない、責任ある立場に居る人のものだった。
近くにいるようで、ずっと遠い兄さんの居場所。
そこから見える大局の中では、わたしだけが特別なんてことはない。
そんなことを今更になって知る自分が恥ずかしかった。
「僕らは人助けをするだけです」
勝手に落ち込んでいるわたしに気付く様子もなく、藍生は言った。
「立場なんてありません。困っている人がいるのなら、先生も生徒も関係ない」
「そういう考えこそ困るんだよ。どちらの味方もするというのは、どちらの敵にもなり得るということだ」
「味方? 敵? これってそういう話なんですか?」
心底意外そうに、藍生ははてなを浮かべる。
「要は三年一組の問題点を解消すればいいんでしょう。そうすれば先生の悩みの種は取り除けるし、先輩方も今より万全の状態で受験に臨める。みんな助かる」
藍生の単純な発言に、兄さんは眉をしかめて呆れを隠そうともしていなかった。梨友先輩はくすくすと笑っている。
藍生はいつだって他人のために動く。そのうえ自意識が欠如している。
だから自分の立場なんて考えても、彼にとっては無駄なんだ。
「……そういう損得勘定のなさは、俺も羨ましいと思っているよ」
コウ兄さんがほん少しだけ頬を綻ばせるのを、わたしは確かに見た。
「仕方ない。本当は君たちを生徒会側に引き入れたかったのだけれど、どちらにも肩入れしないというなら好きにすればいい。ただし、君たちの存在が問題解決のためには有害だと判断した時点で介入する可能性があることは承知しておいてくれ」
「わかりました」
頷く藍生。横目で見ながら、わたしも頷く。
兄さんの懸念は単なる心配性からくるものじゃない。どんな状況なのかはまだ予想もつかないけれど、近いうちに生じるかもしれない対立の構図が、兄さんになら見えていてもおかしくない。
だから、これは忠告と捉えるべきだ。
ただ目の前にある手段を選んでいるだけでは必ず袋小路に行き当たるぞ、という忠告。
そういうメッセージだとわたしは解釈し、受け止めた。
おそらくは毛ほども理解していない、藍生の分まで。
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