第七話 不真面目な神様


 唐突に思われた梨友先輩の登場も、コウ兄さんが準備していたと聞けば納得がいった。


 考えてみれば三年生の間で話題になっていることが兄さんの耳に入っていないはずがない。現状で悪影響が出ていないから教師は傍観しているけれど、内情が他クラスに洩れないほどの機密性は生徒間での不協和を生みかねない。兄さんならその可能性を看過はしない。


 木野先生がわたしたちに調査を依頼したのと同様に、コウ兄さんも梨友先輩に一組の調査を委任した。


 六組で勉強会に参加していたのも、情報収集が主な目的だったという。梨友先輩は本来三組の所属だが顔が広く、この数日は他クラスで放課後に開かれる勉強会に交じって情報をかき集めていたそうだ。


 その一方で、調査とは別にコウ兄さんから受けた指令があった。それこそが、わたしや藍生と遭遇したときの『対応』だ。


「会長はあなたたちを試したかったみたい。彼からすれば、あなたたちは人を疑わない無垢な子どもに見えるらしいから」


 生徒会室までの道中、前を行く梨友先輩が事情をつらつらと説明してくれていた。


「でもその認識は改めるべきかもね。歌奈ちゃんは別枠として、藍生くんは欺かれることに慣れていないってわけではないようだし」

「わたしは別枠なんですか」

「無垢さは美徳だよ。女の子にとっては」


 梨友先輩の、艶のある黒髪が首の後ろで躍っている。わたしでも見惚れてしまうくらいに透き通った髪だ。


 生徒会書記、周藤梨友。一年次から生徒会に所属し、二年次の前期では間島孝心と生徒会長の座を奪い合った。当時の純粋な認知度はコウ兄さんを上回っていて、それによる支持は書記の地位に落ち着いた今でも根強い。


 だから藍生が彼女のことを知っていても何ら不思議ではないのだけれど、わたしよりも先にその正体に気付いたのは何だか釈だった。


「ねえ、藍生はいつから梨友先輩だってわかってたの?」

「最初から怪しかったし、この人は僕のことを知っている感じがしたから。ということは僕も彼女を知っているかもしれないと思っていたら、たまたま名前が浮かんだ」


 偶然なのか、直感なのか。どちらにせよ納得できない。


「僕を指して、お付きの人と呼んだのも違和感があったしね。知っているはずなのに知らないそぶりをしているのもそうだけど、黙って歌奈さんの隣にいるだけの僕に対してそういう印象は抱かないかなって」

「たったそれだけで判別できるものなの?」

「きみと違って、僕には親しい人が少ないから。照合も楽なんだ」

「胸を張って言えることじゃないよ、それ」

「ふふっ」


 笑い声は話を聞いていたらしい梨友先輩のものだった。


「あなたたち、面白いね。いつもそうなの?」

「はい、歌奈さんは常に的確な突っ込みを入れてくれます」


 藍生にとってわたしはそんな芸人みたいな立ち位置だったのか。


 元はといえば藍生が突っ込みどころの多い言動をしているのが悪いのだけれど、傍から見たら漫才のように思われるのかもしれない。


 気をつけよう。




 幾つかの運動部で寡占されるグラウンドの隅を横切る。生徒会室のある別棟へ向かう間、甲高い笛の音と、叫ぶような掛け声を聞く。今でこそ陽が沈むのにはまだ時間がかかるけれど、彼岸を過ぎれば日没もあっという間になっていく。


 誰もが悔いのないように時間を過ごしている。頑張れば全ての憂いを除けるわけじゃない。それでも、尽くせる限りの力で少しでも悔いをなくそうとしている。


 その思いに反するのが、タイムリープ。


 誰にとっても一度きりであるはずの時間を繰り返すことは、大前提を嘲笑う横紙破りでしかない。


 わたしは許せない。こんな超常が起こるように仕向けた、不真面目な神様が。


 彼がしゃんとしていれば、この世に蔓延る不条理も少しは減ったかもしれないのに。


「着いた」


 藍生の声で考え事を止め、正面の扉に目を向ける。


「ねえ藍生」

「なに、歌奈さん」

「間島先輩を怒らせるようなことはしないでね」

「わかった」


 どうせわかってないくせに、返事だけは素直だ。


 梨友先輩の手によって扉が開かれる。待っていたのはコウ兄さんと、面識のない女生徒だった。


 さっきの件があるので念のために注意深くその女生徒の顔を見る。髪を二つ結びにした印象は真面目。しかし生徒会にこんな人物がいた記憶はない。居心地悪そうに視線を逸らしてくる様子からみても、知り合いである可能性はなさそうだ。


「わざわざ来てくれてありがとう、歌奈。それから藍生くん」


 コウ兄さんはあくまで普段通り。だけど内心はきっと穏やかじゃない。


「三年一組のことについて調べているんだって? ちょうど俺も気にかけていたんだ」

「偶然ですね、間島会長」

「そうでもない。狭い学内での出来事について、考えることは似たり寄ったりさ」


 とりあえず座りなよ、と言う兄さんに従ってパイプ椅子に腰掛ける。藍生はわたしと兄さんの間にわざわざ椅子を持ち込んで座った。どういうつもりなのかわたしには理解できない。


「一組の状況がやや異常だって噂だけど」


 敢えて気にしない様子でコウ兄さんは話し始める。


「目立った問題が起きているわけではないから、教師陣はあまり事を大きくしたくないスタンスのようだ。そもそも高校三年生にもなって教師の介入を待っているようじゃ駄目だからね。生徒会も出来る限り介入はしたくない」

「でも兄さ……こほん。間島先輩は放っておくつもりもないんでしょう?」

「うん。今は問題がなくても、後々起こる可能性は充分にある。ただでさえ重要な受験生の二学期だ。外からの働きかけで事前に排除できるなら、それが最善だろう」


 やっぱり、兄さんは兄さんだ。自分だって受験生なのに、他人のことばかり考えている。


 なのにどうして似たような発想の藍生と反りが合わないんだろう。というより、似た者同士は仲良くなれないものなのだろうか。


「それで、具体的にどうするつもりなんですか? 会長」


 藍生の言葉に頷くコウ兄さん。


「さっきも言った通り生徒会は介入をしない。梨友に頼んで状況の把握はしているけれど、今回の件を解決するような具体的な動きを起こすつもりもない」

「ということは結局教師たちと同じ立ち位置ってことじゃないですか」

「そう思われても仕方ないかな。けど表向きは同じなだけで実際の立ち位置は全然違う」


 コウ兄さんはチョークを手に取り、壁掛け式の黒板を白く塗り始める。


「教師たちは事を大きくしたくないから、なるべく動かない。一方で俺たち生徒会は動かないことで事が大きくなることを懸念している。自浄作用には期待していないのさ」

「つまり、どう動くかを決めてから行動する、と」

「理解が早いね」


 感心したように笑って、兄さんはわたしのほうを向いた。


「既に知っているかと思うけど、一組の内情は機密性が高すぎる。何らかの情報統制が行われているとみていい。要は誰かが意図してこの状況を作っているってことだ。そいつの思惑が読み取れない限り、下手な行動は裏目に出る」

「なるほど」


 だんだん理解が難しくなってきたけれど、気取られないように納得したふりをしてみた。


 兄さんは更に黒板の白色の面積を広げていく。ロールシャッハテストみたいな曖昧な絵柄が浮かび上がってくる。


「間違いなく言えるのは、このまま何もせずに一組を放置しておくのは良くないってことなんだ。だから極力早く情報を集めたのち、確実に解決できる手段を講じる。それが生徒会の正しいスタンスだ」


 チョークが音をたてて割れたのは、絵を描き終えるのとほぼ同時。


 黒板に描かれていたのは、やはりよくわからない白色の塊でしかなかった。

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