　目覚めると白（はく）堊（あ）の部屋だった。

　拘束されているのか肉（にく）軆（たい）が不自由だ。

　右目がひらかないので左目で界（かい）隈（わい）を睥（へい）睨（げい）すると三人の人物が儃（せん）佪（かい）していた。父親と母親と見覚えのない青年である。なにゆゑか最初に聲（こえ）をかけたのはなぞの青年であった。双（そう）眸（ぼう）の界（かい）隈（わい）を滅紫色にした青年は小説家志望の生徒がとびおりてからの一（いち）伍（ご）一（いち）什（じゆう）を物語った。おしなべてなにゆゑか青年の饒（じよう）舌（ぜつ）なる啖（たん）呵（か）がなにを意味しているのか朦（もう）朧（ろう）としてわからない。青年はつづける。〈そんで警察さんと協力してあんたを此（こ）処（こ）中央綜（そう）合（ごう）病院に搬送したわけだ〉と。〈親御さんが躊（ちゆう）躇（ちよ）してるらしいからおれからいうけどあんた左脳っていうのに障（しよう）碍（がい）がのこって右半身不随になったんだよ〉と。〈右手右脚はうごかせねえし言葉もしゃべられねえらしい〉と。つづけて〈おれは親御さんにいってやったさ〉と。〈自殺ってのは簡単じゃねえ一種のひとごろしだおれも人間のくずだけどよおひとを疵（きず）付（つ）けることだけはしたことねえんだってな〉と。途中から欷（き）歔（きよ）しはじめた両親は漸（やく）漸（やく）物語る。父親いわく〈お金も学校ももういいよ〉と。母親いわく〈頑張って生きて〉と。

　青年はひもすがら生徒を介抱した。

　痲（ま）薬（やく）中毒患者によると両親は無論糊（こ）口（こう）を凌（しの）ぐために仕事に臥（が）薪（しん）嘗（しよう）胆（たん）している。青年は元来長岡市内の工業稠（ちゆう）密（みつ）地帯の大手製紙会社の御曹司らしく生活費には匱（き）乏（ぼう）していないので痲（ま）薬（やく）中毒のリハビリテーションも包（ほう）裹（か）して看病しているらしい。青年いわく〈あんたがねむってるあいだに裁判があってなおれ執行猶予三年になったんだ〉と。〈だけどようおれはもう痲（ま）薬（やく）なんてやらないよ生きる糧ってのがみつかったんだ〉と。〈あんただよ〉と。矢（や）張（は）り青年の言葉は明（めい）鬯（ちよう）と理解できない。青年は情熱鬱（うつ）勃（ぼつ）として献身的に物語りつづける。青年は毎日物語った。人生について。いのちについて。人間について。平和について。孰（いず）れもどうでもよいことにおもわれた。自分は一度死んだのだ。かててくわえて現在は半身不随となっている。人生も人間も平和も関係ない。軈（やが）て青年は欣（きん）喜（き）雀（じやく）躍（やく）として病室に這（は）入（い）ってきた。いわく〈これで文字をうつとこっちがしゃべってくれるんだってよ〉と。PC用のキーボードと障（しよう）碍（がい）者（しや）用のタブレットらしい。漸（やく）漸（やく）此（こ）方（ちら）側からも意思疎通できるようになったが歓天喜地するほどでもなかった。

　車椅子生活が濫（らん）觴（しよう）した。

　鬱（うつ）悒（ゆう）ながら右半身不随のリハビリテーョンを発（はつ）軔（じん）し病（びよう）褥（じよく）上での左半身の運動から病（びよう）褥（じよく）上での鎮座猶且病（びよう）褥（じよく）からの屹（きつ）立（りつ）まで遂行する予定であった。病（びよう）褥（じよく）上で鎮座するのが限界で彳（てき）亍（ちよく）もできない。軈（やが）て中央綜（そう）合（ごう）病院のリハビリテーョン科に這（は）入（い）って車椅子による遷（せん）移（い）の練習を発（はつ）軔（じん）した。堅（けん）韌（じん）なる車椅子をおしてくれる青年いわく〈半身不随ってのは六箇月以内にあるけないと絶望的らしいんだ〉と。〈わるいがお医者さんのいうとこじゃああんたは一生あるけないかもしれん〉と。絶望することはない。絶望はしきっていたのだ。其（そ）処（こ）で青年は車椅子をおして病院界（かい）隈（わい）の散歩コースを散策させてくれた。いわく〈ずっとあんたに逢（あ）わせたかったやつがいるんだよそいつもあんたに逢（あ）いたがっていてな〉と。青年が指差したベンチでは少年が風景画をえがいている。内藤清一だ。とおもって左半身で悶（もん）絶（ぜつ）躃（びやく）地（じ）した。青年は車椅子をおしてゆく。キーボードをたたく。〈ゆるしてゆるして〉と。画家志望の生徒は音声にかえりみていう。〈ごめんねぼくのせいで〉と。

　ふたりは散策した。

　完（かん）爾（じ）として微笑した青年が遯（とん）竄（ざん）すると画家志望の生徒が車椅子をおしながら散歩コースを逍（しよう）遥（よう）闊（かつ）歩（ぽ）せしめてくれた。いわく〈賠償金も裁判ももういいよ〉と。〈ぼく生まれてからひとりも友達がいなかったんだ〉と。〈かわりでもないけれどぼくのともだちになってくれないかな〉と。小説家志望の生徒は顔面蒼（そう）白（はく）で沈黙している。相手はいう。〈篠（しの）原（はら）君は小説家になりたいんでしょ〉と。〈USBメモリのなかの小説讀（よ）んだよ面白かったよ〉と。〈もしよかったらぼくのために小説を書いてくれないかな〉と。〈ふたりで漫画家になるんだよ〉と。〈篠（しの）原（はら）君が物語をつくってぼくが絵を描くんだ〉と。小説家志望の生徒はキーボードをたたく。〈そんなことでゆるしてくれるの〉と。相手はいう。〈ゆるすとかじゃなくてぼくたちともだちになったんだから〉と。〈きみの遺書も讀（よ）んだよ〉と。〈うまれかわったらともだちになれるかもって書いてあったね〉と。觳（こく）觫（そく）としていた小説家志望の生徒は漸（やく）漸（やく）舒（じよ）暢（ちよう）してキーボードをたたく。〈ぼくらのゆめってかなうのかな〉と。画家志望の生徒は車椅子を遽（そそ）走（ばし）っておしながらいう。〈かなうまで車椅子をおしてゆくよ〉と。