第7話

 デイヴィッドは、植生の管理と野生のグラスホッパーの生息域の関係性についてパブリック・ライブラリで調べていた。野生のグラスホッパーにとって、餌場は閉ざされた一定の空間ではなく、イネ科やキク科をはじめとしたいわゆる雑草が繁茂する地域の全体となっていた。むろん、やつらは好き勝手に移動し、誰にも管理されずにはびこっていた。グラスホッパーの餌場になるフィールドの植生がいかに管理されていたとしても、その場所だけで一生を終えるグラスホッパーは全体の数分の一にも満たないだろう。

 一方、一般人の口に入るグラスホッパーのほとんどは、あらゆる環境が完全に管理された閉鎖工場で生産される。餌には同じ工場で生産されるGMイネが用いられているし、その理想的な栄養素が、グラスホッパーを完全栄養食品に作り上げてくれるのだ。

 テロリストにとって、いったいどちらが毒物を混入させやすいだろうか。国家的な犯罪組織が工場を支配下に置けば、自在に毒物の混入と出荷先を調整することが可能だろう。やはりその線か? だが、あのアメリカで、ホワイトハウスでもそれが起こったのだ。ホワイトハウスをいとも簡単に陥落させるなどという芸当は、いかに強力なテロ組織を持ってしても可能だとは考えづらかった。


「ね、デイヴ」

 緩やかにフェードインする呼び出し音にデイヴィッドが耳たぶを軽くつまむと、トレイシーの声が鼓膜をそっと揺らした。

「うん?」デイヴィッドはごく小さな囁きで答えた。

「今、図書館? ちょっといい?」

「ああ。どうした?」

「今週末、空いてる?」

「そりゃ、君次第だろ」

(ちょっと言い過ぎたか? まだ恋人じゃないのに!)デイヴィッドの頬が若干突っ張った。トレイシーはそのポイントには反応せず、自分のペースで話を先に進めた。

「うん、じゃあ決定。予約しちゃったから」

「何を?」

「決まってるじゃない、体験ファーム。行きたいでしょ?」

「もちろんいいけど、そんなに気に入ったの?」

「うん。こんな時だから、とも思ったけど、逆に、いつ閉鎖されちゃうか分からないし」

「ああ、そうだな。でも、あれか……。体験ファームのグラスホッパーなら、まあテロの影響はないだろうしな」

「うん、それも思った。だから、本当は毎週でも行きたいくらい」

「はは、いくら何でもそりゃちょっと、経済的に無理だろうけどな」

「ふふ、そうね。取りあえずね、今回はあたし持ち。いつまで行けるか分からないし、隔週でならどう? 支払いは月に一度ずつにできるよ」

「うん、金のことなら俺はいいけどさ。でもそしたら、そればっかり食べることにならないか?」

「そう、そうなるの。あたしなんだかさ、急にプロテイン・パックがどれも不味く感じちゃって」

「そうか……」

 デイヴィッドは窓の外に視線を投げた。グレーの空が、どこまでも続いている。トレイシーの言うことはもっともだった。デイヴィッドも初めてあそこに行って以来、同じことをどこかで思っていた。自分の中では有形食と無形食の違いということで納得しようとしていたが、それだけではない圧倒的な違いが、ファームのグラスホッパーと冷蔵庫のプロテイン・パックの間には横たわっていた。こうトレイシーにはっきり言われてしまうと、やはり、それを強く意識せずにはいられなかった。

「俺たち二人して、グルメに目覚めちまった、ってことかね」

 デイヴィッドは呟いた。

「ま、そういうこと。じゃあ週末待ってるよ!」

「ああ、じゃあ同じ時間に」


 こうして二人は幾度となく体験ファームを訪れ、残り少ないかもしれない平和な時を楽しんだ。いや、既に平和な時などと言える状況ではなかった。二人の勤める会社はかろうじて営業していたが、いつ、何が起こってもおかしくはないのだ。現に、同僚でも食事中に急性食中毒で倒れた人間が大勢いたし、死亡者も少なからず出ていた。もし、二人が隔週で体験ファームから持ち帰っている有形食をランチにしていなかったら、二人のいずれかが急死しても全く不自然なことではなかったのだ。

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