第6話
きっかけは、遙か東の小国ジャパンのある小学校における集団急性食中毒事件だった。給食をとり始めた数分後、生徒たちが一斉に腹を押さえて苦しみだした。同時に同じ内容の食事をとった教師も同様だった。しかも、大量の食中毒者を出したのは、この学校だけではなかった。同じ市内の十を超える小学校で、同様の急性食中毒が起こったのだった。幸い命に関わる大事には至らなかったが、この日の給食に用いられたプロテイン・パックを加工・提供した業者が直ちに特定され、その衛生管理体制を厳しく糾弾された。
だが、その話はそこでは終わらない。生徒たちの吐瀉物や食べ残された給食から、微量のキニーネ毒が検出されたのだ。現場と業者の調査後、これは事故ではなく何者かが意図的に起こした事件、つまりテロリズムであるとジャパンの警察機構は結論づけた。子供の命を狙うなど、テロリズムにしてもあまりにも悪質である。警察、そして政府は犯人組織の声明と要求が発信されるのを待った。
だが、いくら報道機関が待っていても、テロリストからの声明も何らかの要求も届くことはなかった。警察がどんなに調べたところで何の手がかりも得られず、数週間のうちに何人かの誤認逮捕者を生み出しただけで、捜査本部は開店休業を余儀なくされたのだった。
そして、次の事件が起こった。ほぼ時を同じくして、アメリカ、ルーマニア、コロンビア、中国で同様の食中毒が大発生したのだ。ある複合企業体の社員用カフェテリア、ショッピングモールのレストラン、そして、家庭でもそれは起こった。食品から検出されたのはキニーネ毒だけではなかった。コブラ毒、フグ毒と構造が酷似した新しい毒物もあったのだ。いずれもその含有量は大きなものではなく、摂取者を直ちに死に至らしめるものではなかった。だが、少なくともこれが新しいテロリズムの開始に先立つ不吉な狼煙であるという見方は、間違いのないことに思われた。
毒物の分析を行なった科学者の意見は割れた。これら未知の毒物が純粋に化学合成されたものなのか、未発見の天然物であるかという点でだ。何者かが原料レベル段階で毒物を混入したことに疑いを差し挟む余地はなかったが、攻撃の対象があまりにも無差別であり、宗教的、文化的、経済的にテロリズムのターゲットとなる共通項は見出せなかった。
敵が誰であるのかも定かでないまま、米国大統領はテロリズムに対する徹底抗戦の態度を明らかにした。被害者には当然のようにイスラム系人民も含まれていたが、アメリカはそれをカモフラージュであると断言してはばからなかった。このまま事件が続くようであれば、我々は全イスラム世界への攻撃を開始するだろうと、大統領はカマを掛けた。イスラム世界の善良な市民を人質にしてテロリストに名乗り出させようという無謀な策に出たのだ。犯行声明も目的もなく、本当にテロリズムであるかどうかも確証がない状態であったのに、である。再び世界を緊張が走った。中東が、中近東が、アジアが、こぞってアメリカの姿勢を非難した。欧州は二つに割れた。そうしている間にも、間断なく事件は発生し、とうとう毒物は死者を生んだ。しかも大量にだ。ロシア、スウェーデン、イギリス、ニュージーランドで、それぞれ一万人を超える死者が報告された。偶然か必然か、死者を出したのは全てがキリスト教国であった。
事態を重く見たアメリカは非常事態を宣言し、国連にイスラム世界との開戦を通告した。だが、実際に戦争の火蓋が切られることはなかった。攻撃の相手国を特定する作業も半ばのうちに、ほかでもないホワイトハウスで大量死が起こったのだ。万全の防備体制も無意味であった。被害者の中には、国防庁の長官、そして大統領が含まれていた。もはや、開戦どころではなかった。歴史上、かつて想像することすらなかった敗戦のムードが、重々しく米国を包んでいた。今やあらゆる食品が、分析も終わらない新しい毒物で汚染されていた。
これは、増え過ぎた世界人口を人為的に調整するために秘密結社が行なっている謀略であると言う経済学者がいた。神が、人類に罰を与え賜うたのだと声明を発表したのはキリスト教の法王であった。いずれも、真実ではなかったが。
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